ブログトップ | ログイン

岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

ミラン・ダービーの思い出~アーカイブから~ 17/06/11

長友、出場ならず!

~街を二分するダービー~

( 2011.04.07 初出 )

d0164636_07235448.jpg





5年前の今頃、テレビから八塚アナの声が聞こえてきました。

「いやー、ミラノ・ダービーがデーゲームというのも違和感が

ありますけども…」。

私より前からセリエAの放送にかかわっていた彼の言葉とは

思えませんでした。かつて イタリア・サッカーは、ダービーを

含めた全試合がデーマッチだったのですから。


WOWOWでセリエAの放送が始まったのは19919月です。

日本では、一部の熱狂的なファンには知られていても、その

レベルの高さまでは、広く認知されていませんでした。

熱心な交渉の結果、放送権を獲得してきたプロデューサーは

大した奴なんですが、放送開始にあたって、「実況を司会役の

川平慈英にやらせる」と聞いたときには「お前、素人か?」と

思いました。ハハハ。


案の定、無謀な試みは大失敗で、慈英さんの実況は一回だけで

終わりました。

以後、実況は元文化放送の二人のアナに依頼して、サッカーの

実況をやったことがないと思ったのか、年上で扱いにくいと

思ったのか、私には頼んできませんでした。


しかし、10月の半ばごろ、そのプロデユーサーが私のところに

やってきました。

11月にダービーというビッグ・マッチを現地から放送する 

ことになった。特別な試合なのでWOWOWのアナウンサーで

放送したいのだがどうか?」

…すぐにOKを出しました。待ってたんですから。ハハハ。

d0164636_07240414.jpg









“ミラン・ダービー”は イタリア北部の街、ミラノに本拠を置く

インテルとミランが年に2回、文字通り“街を二分”して戦う

ビッグ・ゲームです。

試合の当日は、朝から何となく雰囲気が違います。

たしか、労働者はミランを、中産階級はインテルを応援すると

聞いたことがありますが、私が取材した限りでは逆でした。

ホテルのレストランでウエイターたちに話を聞くと、いつも

インテリスタ(インテル・サポーター)がミラ二スタ(ミラン・

サポーター)を少しだけ上回っていたという記憶があります。


10試合ほど実況しましたが、最初の試合の印象が強烈です。

この時のインテルには、マテウス、クリンスマン、ブレーメの

ドイツ・トリオ、ミランには、ファン・バステン、フリット、

ライカールトのオランダ・トリオがいました。

このダービーは、こうしスーパースターの競演という意味でも

世界中のサッカー・ファンが注目していたのです。

d0164636_07241138.jpg









舞台になるサンシーロはもう一度訪ねてみたいスタジアムです。

建物としての美しさはありませんし、日照の関係で、毎年、

春のダービーのころは芝の状態がよくないのですが、大きくて

独特の雰囲気を持っています。

2階席に陣取ったウルトラスのリーダーが試合開始の何時間も

前からサポーターたちをあおり、場内は最高の盛り上がりです。

待っている時間が長いと感じたことは一度もありません。


まず、ファン・バステンのスライディングシュートでミランが

先制し、スタンドが大爆発しますが、クリンスマンのボレーで

インテルが追いつくと、そのボルテージは頂点に達しました。

サンシーロという舞台で、豪華メンバーたちがエンジン全開の

プレーを見せてくれて、しかも、エース同士がゴールを決める…

放送する側として、これ以上望むことはない展開でした。

サッカーの実況は17年ぶりでしたから、出来はお恥ずかしい

限りですが、私にとっては最高の思い出の一つです。


…タイミングを合わせて更新する予定でしたが、大災害に気を

取られているうちにミラノ・ダービーが終わってしまいました。

長友の出番がなかったのは気の毒でした。

あの、スタンドにいるだけで体が震えるような興奮が味わえる

最高の舞台・サンシーロのピッチに立つ日本人選手…90年代には

夢のまた夢でしたから。


春のダービーは、北イタリアでもちょうど花々が咲き始める、

とてもいい季節です。“足”になるアリタリア航空が予告なしで

ストライキに入ることが不安材料でしたが、4月のミラノを

訪ねる旅は毎年、大きな楽しみでした。

d0164636_07242049.jpg











イタリアに行ったのは1991年が初めてでした。

地理も言葉も分からないまま、出かけましたが、2度目からは

少しずつ言葉を覚えて行ったものです。

ボンジョルノ(こんにちは)などの挨拶やグラツィエ(ありがとう)

スクーザ(失礼)以外で最初に覚えたのは「アクアミネラーレ

センザ ガス」でした。ガス抜きの水はチェックインしたあと

まず買わなければいけないものですから。ハハハ。


私たちの定宿のフロントにはクラウディオという男がいました。

英語が堪能なインテリスタでした。すぐに顔なじみになって、

いろいろとサッカー・ネタを提供してくれました。

アンテナはできる限り広く張りめぐらす…スポーツの実況に

携わる者の鉄則です。


それはよかったのですが、このホテルには短所がありました。

買い物の“名所”モンテナポレオーネが近かったことです。

歩いても15分ぐらい!

ここだけの話、サッカー中継の出張は自由時間が多いので、

ついつい、ちょっと行ってみるか、ということになりがちです。

ハハハ。

d0164636_07242703.jpg










日本では2回ぐらいしか買い物をしたことがないジョルジオ・

アルマーニの店にも毎回、足を運びました。

明らかに“おねえ”系と分かる、なよなよした店員やテキパキと

仕事をする日本人のケンちゃんとも親しくなり、円高のときは、

かなりの買い物をしました。

もっとも、それほど値が張らないネクタイが多かったですが。

ハハハ。


ミラノか。ミラノ、そしてミラノから車でトリノまで、もう一度

行ってみたいと思います。

放送席があったあたり(客席最上段に机を置いただけ)に座ったら、

きっと、こみ上げるものがあるだろうなあ。


by toruiwa2010 | 2017-06-11 08:19 | アーカイブから | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。