ブログトップ | ログイン

岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

松山英樹…勝てなかったか~全米プロゴルフ選手権終わる~ 17/08/14

まだ、いろいろあって、体調は元通りに

なっていませんが、休み続けていると、

二度と書けなくなりそうなのが怖くて

再開することにしました。とりあえず、

月・水・金と~アーカイブから~の

土・日ということで勘弁してください。


今年最後のゴルフのメジャー、全米プロが終わった。

松山英樹は初のメジャー制覇はならなかったが、サンデー・

バック9の序盤まで首位を行くという見せ場を作ってファンを

惹きつけた。11-12-13番の連続ボギーで一度は後退したものの、

1415番で取り返してトップと1打差と盛り返した。

「上がり3ホールで優勝争いできればいい」と、言っていた

言葉通りの展開に持ち込んだが、16番のボギーで実質的に

優勝は松山の手をすり抜けていった。

d0164636_08334191.jpg










しかし、松山英樹は凄いなあ。

ブリヂストン招待の最終日や全米プロの2日目(特にバック9)

爆発力を見ていると“ゾーン”に入っていた。

日本でならともかく、世界のゴルフの舞台で“勝って当然”と

思わせるのは驚嘆すべきことだ。


数年前にはマナーをとやかく言われたこともあったが、もう

誰も何も言わないだろう。松山自身も努力しているフシがある。

笑顔も見えるようになったし、周囲に溶け込もうとしている。


ホールアウトからだいぶ時間がたっても涙を流す松山を見て

こちらの胸にもこみ上げるものがあった。いい涙だったね。

近いうちに必ず次のチャンスが来るだろう。

d0164636_08145261.jpg











21年ぶりのフジテレビの中継を見て、私は思い出に浸った。

マスターズ、全米、全英にくらべると注目度は少し落ちるが、

私にとってはとても懐かしい大会だ。1981年にフジテレビが

初めて中継したとき、実況したからだ。


70年代半ばまではゴルフ中継のメイン・アナだったが、後半は

後輩Mアナに譲っていた。知識に自信がないし、100を切るか

どうかの腕前では当然だ。

しかし、全米プロの放映権を獲得したとき、プロデューサーが

私のところに来て「やってほしい」と言った。私からメインの

座を奪った後輩は器用な男であまり努力をしないタイプだった。

プロデューサーはそれが気に入らず、「これは“メジャー”だから、

君にやってほしいのだ」と考えたのだ。まあまあ、しっかり

準備するタイプだったからね。ハハハ。

d0164636_08141096.jpg








アトランタ・アスレチック・クラブで行われた大会はラリー・

ネルソンが優勝し、青木功が4位に入った。

翌年の春、報道部に異動した私は長いことゴルフの実況とは

縁がなかった。フジテレビはその後も全米プロの中継を続けたが、

低視聴率がネックになり、1994年を最後に手を引くことにした。

買い手を見つけられなかった代理店は再びフジテレビに行き、

こう言って頭を下げたと聞いた。

「今年はタダでいいです。来年はX000万円でお願いします」。


結局、その2年でフジは権利を手放した。あとを引き継いだのが

WOWOW1997年から放送を始め、そこに出向中の私がいた。

代理店が売り込みに苦労している話は幹部に伝えてあったが、

フジが“2年分として払った金額の4倍をふんだくられていた。


…それはともかく、開局から6年目のWOWOWにはゴルフを

実況できるアナがほかにいなかったので私がやることになった。

奇しき因縁。ハハハ。

2000年までの4年間担当したが、ウイングドフット、サハラー、

メダイナ、バルハラを舞台に優勝者はデービス・ラブⅢ世、

ビジェイ・シン、タイガー・ウッズ(2連覇)と華やかだった。


2001年からはNHKから来た島村アナが担当した。WOWOW

移籍後はクラブに触れてないし、知識が豊富な彼がやるのは

これも当然だった。ただし、気の毒なことに、彼の担当した

数年間の大会は内容が乏しかった。当時の仲間が顔を合わせると、

決まって「岩佐さんはついていたんだね」という話になる。

ま、そういうこと。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-08-14 08:17 | スポーツ全般 | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。