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岩佐徹のOFF-MIKE

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翻訳された文学とは何か? 2~アーカイブから~17/10/15

村上春樹落選

~翻訳文学のむつかしさ…~( 2014.10.14 初出 )

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2014/10/09のツイート

ノーベル文学賞はフランス人作家に!! 

ハルキスト、残念。今年こそ、今年こそと

騒ぎすぎじゃないのかなあ。


村上春樹について…正確には「1Q84」を読んだ印象について

書きたいことは書き切ったと思っているので「もう書かない」と

決めていたはずですが、この時期になるとどうしてもなにか

ひとこと 言いたい気持ちを抑えられません。

厄介な性格であることも認めますが、毎年、受賞者発表を

はさむ数日間、テレビや新聞が“大騒ぎ”するからいけないのです。

断固、私は悪くありませんっ!ハハハ。

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メディアが騒ぐのは…テレビ的には“おいしい”からでしょう。

熱狂的なファンがカフェに集まり、発表のタイミングに合わせて

カウントダウンし、ハルキ・ムラカミと告げられなかった瞬間、

揃ってガックリ肩を落とす…など、映像的に面白いのです。

本屋だって、必ず話題になるのは有難いことだと思います。

♪もしかしてだけど…(by どぶろっく)、いや、♪マジな話、

ずっと、受賞しないで今の状態が続くことを願っているかも。

ハハハ。


1Q84」が村上文学のすべてではないでしょうが、悲しいかな、

それしか読んでいません。私には 一体何を言いたいのかが

まったく理解できなかったし、少しも面白くなかったので

文学としては評価しません。

一方、「分かる」と主張し、喝采する人たちがいるのも事実です。

だからこそ、彼の本は発刊されるたびに他を圧倒する勢いで

売れるのでしょう。

多くの人が称賛する比喩についても書きたいことはたくさん

ありますが、たしか、去年も書いたので、自重しておきます。

お望みなら、また、来年にでも。ハハハ。


今日 書きたいのは、文学における翻訳の難しさについてです。

日本人が読む日本語で書かれた村上作品と、外国人たちが読む

それぞれの国の言語に翻訳されたものは別物だと思います。

審査員が受賞者・候補者の作品を何語で読むのか知りませんが、

何語にせよ、他国の言葉に訳されたものがノーベル賞の対象に

なることには以前から疑問を持っています。

たとえば、村上春樹が描きたい世界を 外国人が英語などに

置き換えて表現できるはずがありません。

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日本語では実に多様な言い方がある“色”を考えれば分かります。

緋色、茜色、朱色、丹色(にいろ)、くれない、朱鷺色、べんがら色、

サンゴ色、あずき色赤だけでも何十種類もの言葉があって、

作家がその中からどれかを選んで使うときにはそれぞれの

“思い”があります。歴史的、文化的な背景もあります。

外国人の審査員にそのニュアンスが理解できるとは思いません。


「吾輩は猫である」は決して「I am a cat」じゃないでしょ?

ハハハ。

「木曽路はすべて山の中である」…どんな英語を持ってきても

島崎藤村の“心”が伝わるとは思いません。


文学の価値を判断するとき、物語だけでなくそこに込められた

作家の思想や精神が評価の対象でしょう。そのとき、日本人が

読む原作と外国人が読む翻訳されたものとでは、尺貫法と

ヤード・ポンド法ほどの違いがあると思います。ハハハ。

“翻訳”が原作の単語一つずつを外国の言語に置き換えるだけで

成り立つのなら問題はありませんが、そうではありませんね。


村上は、日本人として生まれ育った人生を基盤にして物語を

つむぐのだと思います。一つ一つの言葉を選びぬき、さらに

哲学や思想を作品に織り込んでいくはずです。外国人である

翻訳者がどんなに頑張っても“村上春樹”にはなれません。

自分が持っている日本語の知識を駆使して置き換える言葉を

選ぶしかありません。しかも、そののとき、そこには翻訳者の

考え方や人生が必ず反映されるはずです。

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たとえば…です。

英語版1Q84」を100ページほど読んだことがあります。

作家志望の天吾に雑誌編集者・小松がこう言う場面があります。

「俺が望んでいるのは、文壇をコケにすることだよ」


読者が日本人なら“文壇”には周辺情報がたくさんついて来ます。

文学の世界で“一定”のグループを指す言葉だし、“ムラ”的な

ニュアンスもあり、ステータスやテリトリーといった意味合いも

含んでいるでしょう。


こう訳されていました。


I’d be doing it to screw the literaryworld.


うーん、どうなんでしょうね。literary worldが日本社会の中で

文壇が占めているポジションを伝えているでしょうか?

じゃあ、どう訳せばいいの?と聞かれても困りますが。ハハハ。


村上自身も十分に納得したとは思いません。

その証拠のように、数行後には同じ言葉を“でくくっています。

原作は文壇のままです。英語版で“literary world”としたのは、

日本では、この言葉が独特のニュアンスを持っていることを

伝えたいからでしょう。

作家が自らの母国語で書いたものと他人が自分の国の言葉に

置き換えたものでは大きな違いが生まれます。両者が生まれ

育った環境や個人のキャリアが違うから当然です。


同じ芸術でも 音楽や絵画・彫刻は作品自体が共通言語ですから

誰もが同じものさしで価値を判断できますが、文学は違います。

翻訳した瞬間に“別物”になるのです。

極論すれば、いつか、村上春樹がノーベル賞を受けることが

あったら、それは翻訳者に贈られるべき性質のものだと思います。

キリっ!ハハハ。


過去の受賞者を見れば、英語圏以外の国籍の作家はたくさん

いますから、言語の違いなどまったく問題にしていないことは

明らかですが、翻訳された作品でその価値が判断されることに

私は納得しません。特に、アジア系の作家たちが公平・正当に

ジャッジされたとは思えません。

つまり、私は川端康成や大江健三郎の受賞にも首をかしげて

いるのです。大胆不敵。ハハハ。


*以下は、昨日の記事と完全に重複するので割愛します。


by toruiwa2010 | 2017-10-15 06:15 | アーカイブから | Comments(0)
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