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岩佐徹のOFF-MIKE

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ノボトナが亡くなった~アーカイブから~17/11/23

この記事にあるように、1993年のウインブルドン決勝の

CHOKE”を知っているからか、いつも悲しげに見えた。

ノボトナが死んだ。49歳、がんだった

人の命のはかなさを思う。


ヤナ・ノボトナ 殿堂入り

1998 ウインブルドン女王~(2005.07.10.初出 )

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人柄は地味でしたが、今は珍しいサーブ・アンド・ボレーの

華麗なプレース・タイルで多くのファンがいたチェコの

ヤナ・ノボトナがテニスの殿堂に入ります。


*「CHOKEについて考える」に書いたことと

ダブる部分がありますが、ご了承ください。


去年、彼女は女子35歳以上の部門(ダブルス)に出場するため、

ウインブルドンに戻りました。1998年に念願の優勝を果たした

思い出の舞台…そして、失意のどん底を味わった悪夢の舞台へ。


1990年代、女子のトップ・プロの中で、どうしてもグランド・

スラムがとれない選手として常に名前を挙げられていたのが

ノボトナでした。

現在では、特に女子としては珍しいアグレッシブなプレー・

スタイルの彼女は 人気もありましたが、その一方、ここ一番で

力を出せずに、“choker”(勝負どころで萎縮する選手)という

レッテルを貼られていました。


テニス・ファン、中でもノボトナ・ファンが忘れられないのが、

1993年のウインブルドン決勝(vsグラフ)でした。

ファイナル・セット4-1、しかも、自分のサーブで5-1にする

ポイントまでありながら、そこからの逆転負けでした。

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セレモニーで、ケント公夫人から「大丈夫よ、ヤナ。あなたは

来年必ず戻ってくるわ」と優しい言葉をかけられたノボトナは、

たまらず夫人の肩に顔をうずめて泣きじゃくりました。

「我慢できなかったんです。夫人はお友達だったし…とても

素敵な方でした」


ウインブルドンを主催するオール・イングランド・クラブは、

マスコミに対して、この写真を使わないで欲しいと“圧力”を

かけたこともあったそうですが、この“できごと”は彼女には

一生ついて回ることでしょう。本人も分かっています。


「子供時代からのすばらしいDVDを友人が作ってくれました。

美しい思い出の数々…勝っても負けても、ウインブルドンの

一部であることは特別です」

…ノボトナが今 そう言えるのも、5年後のウインブルドンで

トージャを破って、ようやくグランド・スラム・タイトルを

手に入れたからでしょうね。


彼女のプレー・スタイルは、チェコの先輩、ナブラチロワを

真似たものと思われがちですが、そうではないようです。

「当時のチェコでは、亡命してからの彼女は存在しないのと

同じで、私たちが映像や結果を知ることはありませんでした。

私はシングルスよりダブルスのほうがうまかったし、攻撃的な

プレーをさかんにやっていました。積極的にネットへ出る方が

勝つチャンスがあると思っていました。今、試合を見ていて、

ネットに出る選手がいると思わず『そうよ、それ、それ』って

テレビの前で言ってしまうんです」


代理人から殿堂入りのニュースを聞かされたとき、たまたま、

チェコの家族を訪ねていたのだそうです。

「あのとき、家族と一緒でよかったわ。だって、私にとっては

最高の栄誉ですもの」

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現地時間の今日、アメリカ、ニューポートにある

「テニスの殿堂」でセレモニーが行われジム・

クーリエ、ヤニック・ノアらと並んで殿堂入りの

表彰式が行われる予定です。


by toruiwa2010 | 2017-11-23 08:16 | アーカイブから | Comments(0)
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