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岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

カテゴリ:blog( 82 )

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先日、75歳になりました。
晴れて“後期高齢者”の仲間入りを果たしたことになります。
いえいえいえ、「おめでとう」などと言わなくて結構です。めでたくないし。ハハハ。

すでに後期高齢者用の健康保険証も使い始めています。
これまでのものより大きく、かなり悪趣味なオレンジ色のケースに入っているので
目立ちます。これじゃ。病院の受付で出したときに“ばればれ”じゃないですか。
ハハハ。
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身体の中にはいろいろ不具合があるのに、日々 変化する世界で働いてきたせいか、
“見た目が若い”ので年齢を言うと驚かれることが多いです。
あ、先日書いた通り、脳は「30歳と言われても分からない」と専門のドクターの
“折り紙”がつくほど若いですが。ハハハ。

半月板損傷の手術から5ヶ月が過ぎましたが、リハビリはまだ続いています。
週5日のペースです。時間が惜しいなとは思うものの、“日課”になっているので
通うことはそれほど苦になりません。

2週間ほど前に朗報がありました。
右ひざ手術の一ヶ月後に「左も手術したほうがいい」と宣告されていましたが、
“拒否”して、筋肉を強化することで“逃げ切ろう”と努力を続けてきました。
先日、MRIを撮ったところ、「本当に痛みはないんですね?」と念を押された上で
「それなら、“勘弁”しましようか」と言われました。
無罪放免ではないのですが、起訴猶予。ハハハハ。

病院でのリハビリ以外に自宅でも教えられた「科目」をせっせとこなしています。
辛いのはバイク漕ぎです。単調です。30分がとても長く感じられます。
しかし、効果は出ているようです。最近、負荷を一ランク上げて漕いでいます。
足に力がついていることが分かるのは嬉しいものです。

ひざに負担をかけたくないので、ウォーキングをやめていますが、理想の体重を
キープできています。脂っぽいものや塩気の強いものは避けながら、好きなものを
食べているのに太らないのは有難いことです。
しかも、大好物の甘いものも適当にたべながら、ですから、言うことなしです。
ハハハ。
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誕生日のおやつに登場したのは旗が立ったロールケーキでした。
お子様ランチじゃないっつうの。

先日、買い物のお供で吉祥寺に行ったときには、Top’sのチョコレートケーキと
ユーハイムのバウムクーヘンを買いました。もちろん、一気に食べるのではなく、
残りは冷凍庫に保管中です。恐ろしい。ハハハ。
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75歳まで生きるとは思いもしなかったなあ。さて、いくつまで生きるんだろう?
数年前に脳内メーカーで「推定死亡日」を尋ねたところ、その“お告げ”は…

岩佐徹さんは生まれて68年と333日経過しています。
死亡推定日は2010年1月3日です(その時点で残り2年強)。
71歳でその生涯を閉じます。


“算出される死亡予定日はあくまで目安です”という注意書きがありました。
…当たり前じゃ、ボケ!と思ったものです。ハハハ。
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悪運強い男はそんな年齢では死にません。何事もなく“その日”を通過したとき、
改めてやってみました。

岩佐徹さんは、生まれて71年と98日経過しています。
死亡推定日は、2020年7月17日です。(その時点で残り10年)
81歳でその生涯を閉じます。


いきなり、10年半 長生きできることになりました。ありがたき幸せ。ハハハ。

…と、そのときは思ったのですが、2020オリンピックが決まった今は違います。
開幕が7月24に予定されているのに、1週間前に死んだんじゃ話にナリモハン。
こうなったら、元気にそのときを迎えられるようにがんばります。
招致に反対する人も多かったようです。その理由に理解できるものもあります。
しかし、私のように“モチベーション”になる年寄りもいることをお忘れなく。
ハハハ。

誕生日の夜は肉を食べに行きました。
「行きたいところに付き合う」と妻が言うので、少し前に見つけてあった店に。
井の頭線沿線駅の近くにある鉄板焼きの店です。
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サラダ、鉄板で焼くだしまき、ステーキ(100gr)、ガーリックライス…
すべて、大満足でした。
いつもそうなのかどうか知りませんが、一人のシェフが20人ほどの客の注文を
さばいていました。手順に無駄がなく、カウンターから見ていると感動があります。

関西弁で“帰り際”を意味する店名どおり、“いにしな”に、きれいなお姉さんが
ドアを開けて見送ってくれました。リピーターになること間違いなさそうです。
もちろん、食ベ物のおいしさに惹かれて…です。ハハハ。

昨夜は、我が家“テッパン”で私の大好物のスパゲティでした。
誕生日の翌日だからでしょうか。翌々日の今夜はいったい何?ハハハ。
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プレゼントではありませんが、妻が“岩佐マトリョーシカ”を作りました。
どことなく、“やっぱり75歳だね”という感じに仕上がっています。ハハハ。


やい、こら、WACOAL!
年寄りの目に毒なCMを流しやがって。
どうせなら、この刺激に慣れるために、
もっと頻繁に流さんか!
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ま、そんな調子で、もう少し、“やんちゃな爺さん”というスタンスで
ブログもツイートもやっていこうと思います。よろしく。ハハハ。

by toruiwa2010 | 2013-09-30 09:42 | blog | Comments(14)
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メモによると、2003年4月30日にWOWOWの会長・次期社長と会食しています。
3日後にはヨーロッパに向けて出発することになっていました。マドリードから
チャンピオンズ・リーグの準決勝、レアルvsユベントス、続いて、ミラノに移って
インテルvsミラン…サッカーファンなら見たくてたまらない、アナウンサーなら
実況したくてたまらない顔合わせが待っていました。当然、高揚感に包まれる一方、
寂しい思いもありました。
 
実は、このとき、WOWOWが長く放送してきたUEFAチャンピオンズ・リーグの
権利を失うことが決定的だったからです。すでにセリエAも奪われていましたから、
これでは充実した気持ちで実況出来るものがなくなるなあという思いだったのです。

この会食の数日後、そのころ始めたばかりのHPの2回目にこう書いています。
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…それにしても、会長、次期社長と契約のアナウンサー!
この会社そのものの懐の深さがうかがえるではありませんか。
ほんとは翌日の予定だったのと、当日の朝、雨模様だったために
私はジーパンでした。朝、オフィスに着いたあと会長の秘書から
「今夜、いかがですか」と聞かれていささかあわてました。
画面に出るとき以外はほとんど上着を着ない私は普段とても
ラフな格好をしています。新聞記者だったオヤジもやはり、
ネクタイを締めるのが嫌いで黒いワイシャツにノーネクタイが
トレード・マークでした。私の結婚式さえ!
アメリカのフォード大統領が来日してサンケイ新聞を訪問したとき、
社長から「せめて、今日だけはネクタイを」と言われてデパートに
買いに行ったという逸話を持っているほどです。
親子とは妙なところが似るものですね。

まだ書けない話もいろいろ出たのですが、お二人にお願いしたのは
たった一つ、「来シーズンも私がサッカーをしゃべれるようにして
ください」ということでした。


“まだ書けない話”とはずいぶん思わせぶりですが、このとき会長と次期社長に
ぶつけた言葉は、ここに書いた「来シーズンも私が…」ではなかったのです。
本当は「こうなったらスペイン・リーグの権利を獲りに行くべきです」でした。
まだ、仕事の仲間しか読んでいないことは分かっていましたが、誰の目に触れるか
分かりませんから、その通りには書けなかったのです。ハハハ。

二人も真剣に耳を傾けてくれました。
誤解しないでください。「“私が進言したから”会社がリーガ獲得に動き始めた」と
言っているわけではありません。いかに私が大物アナウンサーでも(冗談ですよー)、
一社員の言葉で会社の最高幹部が簡単に動き出すことはありません。サッカーの
最大コンテンツ、UCLの権利を失うことはWOWOWにとって大ピンチを意味して
いましたから、二人は“次は何か”を模索していたはずですし、その中にリーガも
あったでしょう。私の進言が彼らに“アクション”を起こさせたように見えるのは
単にタイミングが合っただけなんです。
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数週間後だったと思います。社内のどこからともなく、「リーガの権利を獲得すべく、
OとNが動いているらしい」といううわさが流れてきました。サッカー番組担当の
プロデューサーと権利関係を担当する社員でした。仲が良かったOを“つつく”と、
すぐに認めました。「絶対に他言しない」ことが条件でしたが。
それからは、息を殺して、二人の言動を観察しました。ハハハ。

直接聞けばいいのですが、それでは相手を苦しめることになるので、言葉の端々や
ちょっとした動き・表情から、交渉が進んでいるかどうかを探りました。
Oは気持ちの優しい男でしたから、ときどき“ヒント”をくれました。それらを
つなぎ合わせると、少しずつですが、前進していることが伝わってきて、期待が
大きく膨らみました。他言できない苦しさも味わいました。

そして、8月中旬、全米オープン・テニスに向けて出発するころ、わずかな情報や
彼らの動きなどを総合すると、獲得できる可能性がかなり濃厚だと判断しました。
そう判断した私が何をしたか?

極秘交渉を見守った数ヶ月間、決まったら、記事を書こうとずっと考えていました。
大きなコンテンツを次々に失うWOWOWに対してガッカリし、応援もしてくれた
加入者にビッグ・ニュースを伝えるとともに、激しく落ち込んでいたスタッフと
その喜びを分かち合うための記事です。
ニューヨークについてからはテニスの取材であまり時間が取れません。ですから、
出発前から“そのとき”のための記事を書き始めたのです。

じりじりする思いで待っていた私に電話がかかったのは大会5日目の早朝でした。
そそくさと電話を切って原稿を仕上げ、東京の担当者に送りました。
東京は金曜日の夜でした。普通なら社員はほとんどいなかったはずです。しかし、
大きなコンテンツの権利獲得に加えて、開幕を直後に控えていたためにその対応を
検討する必要があって、社内には大勢の社員が残っていたようです。
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私が送った原稿は、通常通り、若い担当者が目を通しただけでWOWOWの公式
ホームページに載せられました。
ほぼ同時に、私のHPでも同じ記事を更新しました。大騒ぎになるとも知らず…。
ハハハ。

ほどなく、WOWOWがリーガの権利を獲ったという情報がファンの間に広まると、
ハチの巣をつついたような騒ぎになりました。特に、長くCSでリーガを見てきた
マニアックなファンには青天のへきれきだったようです。WOWOWに抗議の声が
殺到し、HPにも大量の非難のコメントが書き込まれました。

リーガの放映権がCS からWOWOWに移ることを知った彼らは、まず、大好きな
K&Kコンビの解説・実況で見られなくなることを嘆き、次に、その喜びを奪った
WOWOWへの怒りが生まれたのでしょう。抗議のために訪れたWOWOWのHPで
目にした私のコラムは、燃え盛る火にガソリンをぶっかけるように、彼らの怒りを
増幅させる作用をしたのです。まったく予期しないことでした。

不幸だったのは、権利獲得を早々に知ってしまったこと、記事がほぼ出来上がって
いたことです。あと数時間遅ければ、テニスの会場に出かける時間が来て、原稿を
送れなかっただろうし、そのうち、日本の“騒ぎ”がニューヨークに伝わってきて、
この書き方ではマニアックなファンを刺激すると判断し、間違いなく、コラムの
更新を思いとどまったはずです。
しかし、誰にとっても不幸なことに、コラムは陽の目を見てしまいました。ハハハ。

そして、それが引き金になって 悪名高い2chに“岩佐徹を糾弾するスレ”という
そら恐ろしいスレッドが立つなど、私個人も手厳しく非難されました。
「死ね」「ぬっ殺す」という言葉が自分に向けられたのは人生でこのときだけです。
書いた本人は、文章のどこを読み返してみても悪いところはないと思うのですが、
反響のすさまじさは想像を超えていて、戸惑うばかりでした。
私のブログ史の中で“暗黒の時代”と呼んでいる数ヶ月です。ハハハ。
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意図したわけではないのですが“結果として”嘆き悲しむリーガ・ファンの神経を
逆なでし、その傷口に塩をすりこむ形になりました。
“WOWOW糾弾”の流れができて、まず、WOWOWのHPからコラムが削除され、
続いてBBS(コメント欄)も閉鎖されました。
私のHPもかなり荒れてしまい、結局、コラムを削除し、BBSも閉じました。
もっとも、WOWOWの方はそのままでしたが、私のHPでは、コラムもBBSも
2ヶ月ほどで元に戻しました。こっそりと。ハハハ。

いずれにしても、“つんのめった”私のコラムによって開幕直後のリーガの放送に
すっかり水を差し、契約者を増やそうと目論んだ会社の思惑も外れました。
WOWOWに大きな迷惑をかけという思いが強く、「サッカー中継からおりたい」と
会社に申し出ましたが、スタッフや上層部に慰留され、少し休んだあと戻りました。

毎年、この時期が来ると複雑な気持ちになります。
今日は私が名付けた「リーガ・ゲッツ記念日」(ハハハ)です。
あれから10年が過ぎました。

コラムを読んでいない人も多いでしょう。今はどうなっているか知りませんが、
少し前までは、2chに「徹底討論WOWOW専用批判要望」というスレッドがあり、
1000件を超えて新しいスレッドが立てられるたびに“奇特な”誰かがその冒頭に、
全文を書き込んでいました。「おれたちはこの恨みは決して忘れない。忘れさせない」
という、強い意志を感じたものです。
ご心配なく。私がこの日を忘れることはないでしょう。理由は全く違いますが。
ハハハ。
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2chに行くのが面倒かもしれません。旧ブログのArchiveにも入れてありますので、
興味があったら、こちらからどうぞ。少しの間、読めるようにしておきます。
( http://bit.ly/pd4nxW )


この記事は一昨年の元旦にExcite Blogに移ってから
ちょうど1000本目になります。
ワード2枚半平均は書いていますから、2,300文字…
トータルでざっと230万文字になります!
このエネルギーをほかのことに使っていたら…と
考えないでもない今日この頃です。ハハハ。

by toruiwa2010 | 2013-08-30 07:57 | blog | Comments(14)
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I’m old,but,very young at brain?

相変わらず、せっせとリハビリに通っています。
待ち時間がたっぷりあるのでできるだけ本を読むことにしていますが、ときどき
目を休めるために本を閉じて周囲を見回します。ある日、壁に貼られたお知らせが
目に入りました。毎週水曜日に脳神経外科の先生が病院に来ているというのです。
以前から、脳ドックを受けたいと思っていたので、さっそく、受診しました。

三点、気になっていました。
一つは、1年半ほど立ちくらみが起きていましたが、最近、強くなっているのです。
数秒間、目の前が真っ暗になることがあります。もちろん、「来るな」と思ったら
何かにつかまるようにしていますが、年齢的なこともあって大いに気になります。

もう一つは、50歳を過ぎたころに機会があって脳のCTスキャンを受けたときに、
「小さな梗塞のあとがありますね」と言われていたことです。年齢が若かったので
ずっと、そのままにしていたのです。
この病院では両ひざに続いて3度目のMRI検査を受けました。
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外部から招かれて診療に来ている40代半ばの医師はパソコン上の画像を見ながら
テキパキと分かりやすく診断結果を話してくれました。
「梗塞のあとらしきものはない」と明快に言ってもらえたのが嬉しかったです。
絶対に「ある」と言われると覚悟していましたから。
頭の中のモヤモヤがすっきりと晴れた気がしました。
そして、説明の途中で医師が言った一言は何よりもありがたいものでした。
「カルテで年齢を見なければ、30歳だと言われても分かりません」!!!

勇気を得て、気になる三点目を聞きました。“アルツハイマー”になる可能性です。
恐る恐る「萎縮はどうでしょうか?」と質問すると、画像を示しながら、「まったく、
委縮はありませんね」と断言してくれました。
聞いたか?この私に“じじい”だの“老害”だの“耄碌”だのと的外れな言葉を
投げつけた無礼な若者どもめ。さまあ見ろという気分で診察室を出ました。

そうか、30歳の脳か…どおりでブログもツイッターも“青臭い”わけだ。
しかも、MRIを見れば、わが脳は怒りの形相だ。ハハハ。


我、Early birdなり

リハビリは週に4日のペースです。
早起きは苦手の方なので当初は午後の時間帯に行っていました。…と言っても、
2時からの午後の診療を受けるには11時45分に家を出て整理番号を受け取ります。
番号札が受付のカウンターに置かれるのが正午なんです。
正午から2時まで読書して過ごしますが、だんだん、この2時間がもったいないと
思うようになりました。ハハハ。

最近、“時間効率”が上がるテクニックを学びました。
11時30分ごろ、病院に着くように行くのです。待合室は患者がいっぱいです。
しかし、この時間に待合室にいるのは診察を待っているか、恐ろしいほど時間が
かかる会計を待っている人たちです。
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私は、血圧を測り、プリントアウトされた紙を添えて診察券を出し、「リハビリだけ
お願いします」と言って受付をしてもらいます。
午前の診療は1時半までですから、手術直後から私を担当してくれている療法士の
受け持ち患者がこの時点で何人待っているかが問題です。人数x20分待つことに
なるからです。ハハハ。

ツキがあれば“現在進行形”の人だけだったり、待っているのが1人きりだったり
しますから、祈るような気持ちで地下にあるリハビリ室に降りていきます。
この通院形式に変えてから、病院のかなり“滞在時間”が減りました。平均すると
3時間かかるのですが、1時間で会計をすませて病院を出るときがあります。

しかし、週に一回はどうしても午前中に行かなければいけません。主治医の院長に
ヒザの周辺をきれいにする注射を打ってもらい、“謹んで”お話を聞くためです。
午後の時間を手術にあてている院長の診察は午前中だけです。従って、午前中に
行かなければいけません。
しかも、担当患者が多いですから彼の診察日は“門前 市をなす”。ハハハ。
しかも、診察時間が長いです。たとえ話が好きだから長くなるのです。
ある意味“むだに”長いところは当ブログによく似ています。ハハハ。

ですから、順番が少しでも後になると気が遠くなるほど待つことになります。
ですから、みんな早い順番を狙って早朝から病院に行きます。
人を待つのもエレベーターを待つのも嫌いな私も当然早く行きます。
5時半ごろに家を出ます。しかし! しかし、信じられないことに、その時間に
出かけても常に“先客”がいます。
70代の男性と40代と思われる女性の不思議な“カップル”です。早いときには
4時半ごろには並んでいるそうですから驚きます。
口が悪い私は「バカじゃないの」とからかうのですが、負けるのが嫌いらしいです。
勝てっこないとあきらめています。ハハハ。

7時に病院の玄関が開き、中に入ってさらに待ちます。
7時半になると、整理番号の札が配られます。私は“不動の3番”です。
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そんなわけで“朝の1番”は取れないものとあきらめていました。
しかし、先日、病院に着くと、なぜか二人の姿がありません!
彼らの“存在”は患者の間で広く知られていますから、「どうしたんだろう?」と、
あとから来た人たちもみんな不思議がっていました。
まあ、私にとっては、来なかった理由はなんだっていいんです。
おかげでNo1が転がり込んできました。記念に写真を撮りました。ハハハ。

そんな私に封書が届きました。
中には新しい健康保険証が入っていました。
あと1ヶ月ほどで、いよいよ“後期高齢者”の仲間入りです。トホホ。
by toruiwa2010 | 2013-08-22 08:47 | blog | Comments(6)
                         お知らせ   
              
                 7月29日から8月4日まで1週間、
                早めのお盆休みとさせていただきます。
                お盆の時期は忙しくなりそうなので。
                ハハハ。

                ツイッターはほぼ”通常営業”です。
                よろしかったらどうぞ。
                こちらも辛口ですから、覚悟のほどを。
                ハハハ。

                https://twitter.com/toruiwa

by toruiwa2010 | 2013-07-31 07:33 | blog | Comments(0)
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清水崑…50歳以上の人なら名前を聞いただけで誰の事かが分かるでしょう。
若い人でも、今は吉川晃司が出演している清酒「黄桜」のCMにアニメのかっぱが
使われていたことをかすかに覚えているかもしれません。
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清水崑は、そのかっぱを書いた“初代”の漫画家です。
2代目の小島功の描くかっぱはかなりお色気たっぷりでしたが、清水崑のかっぱは
きわめて素朴だったと記憶しています。

岩佐家にはなぜか彼が描いた父の“肖像”があります。
清水崑は朝日新聞に風刺漫画を描いていました。父は東京日々(のち毎日)、読売、
産経新聞を渡り歩いた新聞記者でしたが、接点はなかったはずです。
この絵は父を祝うパーティのために描かれたものです。70歳近くでしたが元気で
バリバリ仕事をしていました。そのころは産経新聞で編集総長をしていたはずです。
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4月に芦屋の長兄のところで見て、なつかしさに胸がいっぱいになりました。
大きなパネルになって飾られたこの絵の前で父の横に“座らされた”照れ屋の母が
周りの人に頭を下げまくっていた姿を思い出したからです。
母にとっても嬉しい一日だったのでしょう。家に残っている写真の中で飛び切りの
笑顔を見せています。亡くなったとき、迷うことなく遺影に使いました。
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母が亡くなってから10年になりますが、お骨は今も長兄が守っています。
我が家の墓は多磨霊園にありますから、納骨してしまうと、89歳の兄は墓参りが
できなくなるのです。
…書いていて、鼻の奥がつーんとしてしまいます。人はみな老いる。そのことを
強く実感する今日この頃です。ハハハ。
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そうは言いつつ、“日常的に”じめじめとしているわけではありません。
親孝行をしそこなった“罪ほろぼし”のつもりで年に数回 思い出すだけです。
たとえば、長嶋茂雄、松井秀喜両氏の国民栄誉賞W受賞のときです。

パーティから4年後の1971年、父は勲四等旭日小綬章なるものを頂戴しました。
そういうことは好きじゃないはずなのにと思っていましたが、理由がありました。
早稲田大学新聞の先輩でジャーナリストとしても尊敬する阿部賢一さんという方に
勲一等瑞宝章の打診があり、「岩佐君、一緒にどうだい?」と言われたらしいのです。
長嶋・松井の関係に似ている間柄ですから断れなかったわけです。ハハハ。
彼らの受賞セレモニーのときに書くつもりでいて忘れました。
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明日でその父の死から25年になります。
先日、2年ぶりで墓参りに行ってきました。平日の午後でしたが、人影は少なく、
サツキが咲き誇り、緑が濃い霊園は気持ちがいいです。
広大な敷地ですから、“住所”を握りしめていても迷ってしまうのが難ですが。
ハハハ。

妻が父の好きだったマルボローひと箱と菊正宗の一合瓶を買っておいてくれました。
自分の親でもないのに気がきくなあと感謝・感心したのですが、見事に供えるのを
忘れました。細かいことを気にしない父ですから問題はないのですが。ハハハ。


リハビリ、2ヶ月

06/04のツイート

今日はリハビリ&院長診察のため
5時過ぎに起床しました。
なにかがおかしいです。

おかしいのは体じゃありません。
20分のリハビリのためにこんなに
早起きしなければいけない仕組みです。


4月12日に手術をしたあと、15日から始まったリハビリは病院が休みの日曜日と
担当の療法士が休みの日以外は“皆勤”しています。
午前中にバイクを漕ぎ、午後出かけるのがいつものパターンですが、週に1,2日、
どうしても午前中に行くことになる日があります。
まず、院長の診察を受ける日です。手術で忙しい院長の診察は午前中だけなのです。

もう1日は日本人投手が投げる試合の開始が日本時間の午前11時のときです。
西海岸で7時に始まるナイトゲームです。見終えてから出かけるとか帰りがかなり
遅くなります。それは嫌なので、早い時間に行って10時半ごろまでに帰ることを
選択します。
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ただし、早いもの順ですから、少しでも“若い番号”をもらわなければいけません。
必然的に早起きすることになります。
最近は6時15分に家を出て6時半には病院に着くようにしています。
それでも大体5番ぐらいです。先日、前の女性患者と話していたら、「5時半に
来ても、いつも1番の人が必ずいる」と言っていました。どうも、5時ごろに来て
いるらしいのです。どんだけヒマやねん!ハハハ。
リハビリが始まるのは9時、所要時間は20分前後ですよ。なにかがおかしいと
思うのも無理がないでしょう?

仮に5番目でも、前の4人の中に担当の療法士が私と同じ人が2人いたら、私の
順番は3番目になるのです。病院の入り口前に並んだ列を見たとき、気になるのは
人数ではなく、担当療法士がかぶる人がいるかどうかです。“いつも1番”の人が
実はそうなんです。宿敵です。
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バイク漕ぎは30分と決めています。
はじめは20分を2回やっていましたが、療法士と話して30分・1回にしました。
ペダルをこぐ作業は単調で退屈ですが、10メートル先のベランダのゼラニウムを
眺めながらひたすら時間がたつのを待ちます。
タイマーを見つめて漕ぐと先が長すぎて絶望的になるので、今は音楽を聴きながら
漕いでいます。井上陽水、高橋真梨子、小椋佳、ライオネル・リッチ―、ケニー・
ロジャース、アン・マレー…好きな歌手の曲をいやとういうほど聴いています。
いい曲ばかりですが、もう一つテンポが上がらないので、もう少し“乗れる”曲を
探さなければ。ハハハ。

先週から、ハーフスクワットがメニューに加わりました。
膝にはかなりの負担がかかります。
「(MRIで損傷が認められる)左ひざが心配です:と話すと、
院長は「やってみたらどうですか?痛みがなくなることもあるし、悪くなったら
手術をすればいいじゃないですか?」と。
他人事だと思って気安いぜとは思いません。むしろ、そう言って貰って踏ん切りが
つきました。出来れば、これをやることで痛みが和らいでほしいと願いつつ、日に
5セットぐらいやっています。

そして、今日は診察日です。間もなく、6時15分に家を出ます。
帰宅は、おそらく11時過ぎでしょう。20分のリハビリと院長に
ヒアルロン酸の注射をしてもらうのにそれだけの時間がかかるのです。
やっぱり、どこか・・・。ハハハ。
by toruiwa2010 | 2013-06-10 05:34 | blog | Comments(3)
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by toruiwa2010 | 2013-05-03 07:13 | blog | Comments(6)
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2003年3月31日に今のマンションに越してきました。
翌4月1日、赤坂の会社(WOWOW)で一人の青年と会いました。
2週間ほど前に、メールをもらっていた若者です。テニス解説者、柳恵誌郎さんの
紹介で、何度かメールをやり取していましたが、会うのは初めてでした。
最初のメールで「手伝いますからホームページをやりませんか」と持ち掛けられ、
かねてから、やっている人がうらやましいと思っていたので、少しためらった上で
やってみることにしました。この日は基本的な打ち合わせのために会ったのです。

しゃべることが商売でも文章を書くことには慣れていませんでしたから、初めは
せいぜい週に1,2回しか更新できないだろうと思っていました。書ける材料が
見つからないと思っていたのです。しかし、4月下旬までにスタートできるなら、
すぐにチャンピオンズ・リーグのSFを現地から実況するし、その1ヶ月後には
全仏オープンが開幕するので、書くことがありそうだと考えてこの時期にしました。
なにごとも最初が肝心ですから。ハハハ。

青年がいろいろデザインを考え、トップ・ページからBBSまでテスト版を作って
メールで送ってくれます。少しずつ修正してもらって、岩佐徹の名に恥じない(?)、
なかなか上品なHPができ上がるまでに3週間近くかかりました。ベースは彼の
センスの良さですから感謝の気持ちでいっぱいでした。
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まず、HPのタイトルを“岩佐徹のon-air/off-air”としました。ギャラリーやBBS、
LINKSといったコンテンツの中にあったのが今も使っている“OFF MIKE”です。
英語として成立するかどうか知りませんが、“マイクを離れて”という意味を込めた
私の造語です。そこに、初めは週に1回、ブログ的な記事を書いていたのです。
当時のHPにはそういうスタイルが多かったようですが、私のHPには“表紙”が
ありました。画面の右下にタイトル、左上にClick me to enter(クリックして
お入り下さい)。“強くクリックしないでね”と添えました。
そして、中央に“岩佐アイコン”をデザインしました。私にポインターを合わせて
クリックすると中に入れるわけです。
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このアイコンは前の年に自費出版した「WOWOWの岩佐ですが なにか?」という
本の表紙や名刺、ツイッターにも使った、いわば私のTM(トレードマーク)です。
本の装丁をしてくれた妻のデザインで、私らしいかなと気に入っています。
ユーロ2000でベルギーに行ったときに撮った写真がベースです。

クリックするとトップ・ページに入り、そこには “toru’s voice”がありました。
季節やイベントごとの挨拶を書くところです。第1回のvoiceにはこう書きました。

テニス/サッカー・ファンの皆さん、ご機嫌いかがでしょうか?
WOWOWで実況をしている岩佐徹です。
95年からインターネットを利用し始め、3,4年たったころから
ホームページをやってみたいと考えていました。しかし、自分の
知識や能力ではとても無理だとあきらめていました。

今回、縁あって手伝ってくださる方と出会うことができて、
バタバタと立ち上げへ向けて作業を始めました。
どうせなら、サッカー、チャンピオンズ・リーグの準決勝、
テニスのグランド・スラム、全仏オープンと続くこの時期に
オープンするのが賑やかでいいのではないかと考えたのです。

自分がHPを持つことなど、不可能だと思っていただけに、
もちろん嬉しいのですが、なにか夢を見ているような心境です。
立ち寄って下さるのは大部分が私のことをご存知の方だと思います。
どうぞ楽しんでください。
そして、まだ整理し切れていませんので「こんなことをやってみたら
どうだ?」など提案、アドバイスをお願いします。
                 2008年4月27日  岩佐 徹

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そうです。当ブログは、その原点から計算すると、明日で満10年を迎えるのです。
7年目に入るとき「せめて10年は続けたい」と書いた記憶がありますが、めでたく、
その日を迎えることができました。感慨深いですし、手あかのついた言葉ですが、
自分をほめてやりたいです。ハハハ。

10年間にはいろいろなことがありました。挫けそうになることもしばしばでしたが、
そのたびに皆さんの励ましで立ち直れました。on-air/off-airのころから続く方、
OFF MIKEが独立してYAHOOに移ってからの方、Exciteで開設した2011年から
来るようになった方…読者歴の長短はさまざまでしょう。皆さんがこのブログを
支えています。そちらにその気がなくても。ハハハ。

予想した通り、初めは苦労しました。材料が見つからないのです。見つかっても、
それを文章にすることも簡単ではありませんでした。多くのWOWOWの視聴者が
開設当初からBBSにせっせと書き込んでくれましたから、日に何度も覗きに行き、
そのたびに、更新されないままのOFF MIKEのページを見て焦りました。
少しずつペースをつかんで調子が出てきて、やっと楽しめるようになりました。

自分が考えていることを公にすることには、ためらいもありますが、受け入れて
貰ったことが分かったときの喜びがたまりませんでした。
開設から1ヶ月後のローラン・ギャロスの期間中などは、夜中でも目が覚めると、
起き上がって書いたりしていたほどです。

苦労したそんな日々から10年…いまでは書くことを楽しんでいます。
ワード1ページ分を書くのもやっとだったのが、よほどのことがないと、短くても
2000文字は書いてしまいます。「なっげえなあ」と思っている人もいるはずです。
YAHOOで独立したときから記事に番号をつけるようにしましたが、この記事が
3570本目です。2000文字平均として、700万文字を軽く超えています。
楽しくなかったらこんなに続きません。ハハハ。

これまでのご支援にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
いずれペースがダウンする日が来るでしょうが、それまでは、誰に何を言われても
マイペースで思ったままを書き続けていきましょうか。岩佐徹の“持ち味”のまま。
ハハハ。
by toruiwa2010 | 2013-04-26 09:24 | blog | Comments(26)
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変形性膝関節症?

去年の暮れぐらいから右ひざの調子がよくありませんでした。
歩けない、というほどではないのです。しかし、立ち上がるとき、歩き始めるとき、
最初の数歩で痛みを感じました。もしかして…と思って検索するとまさにビンゴ!
“変形性膝関節症”の症状として書かれていることがほぼすべてあてはまります。

特に悪化することもなかったのですが、痛みがあるのだから放っておかない方が
いいだろうと思って、近所の外科に行きました。数年前に妻がかかって、印象が
よかったと聞いている小さなクリニックです。
呼ばれて診察室に入ると、見るからに信頼できそうな先生でした。症状を話すと、
Gパンの上から膝を触り「腫れはありませんね」と言われました。
このとき「うん?」と思いました。Gパンの上から?大丈夫かな?ハハハ。
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しかし、先生自らレントゲンを撮り、その説明も丁寧でした。
「膝の骨が少し変形しています。軽度の関節症ですね」との診断でした。「普通は、
両足に出るんですがねえ」とも言っていました。
そして「そういうことですから、特に治療はしなくて大丈夫。ただし、長い距離を
歩くのは控えた方がいいでしょう」と言われて帰宅しました。

将来に備えて足の筋肉を鍛えるために続けてきたウォーキングができなくなるのは
困りました。代わりに推奨されたのが水の中を歩くことと“自転車こぎ”でした。
プールに通うのは面倒なので初めから眼中にありません。ハハハ。
前から自転車こぎ(エアロバイク)には興味がありました。冬場や雨・風が強いとき、
外に出なくても運動ができるのは魅力的です。歩いて15分ぐらいのスーパーに
商品があることも分かったので、いずれ買おうと決めました。

セカンド・オピニオン

ところが、ぐずぐずしているうちに、ヒザの痛みが少しずつですが増してきました。
これは“セカンド・オピニオン”を求めるべきだと考えて、2年前の骨折のときに
世話になった病院に行くことにしました。
外部の大学病院から来ていた私の担当医がまだいたのは幸いでした。無口ですが、
診断も処置も的確な先生でしたから。
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初診ではないものの新しい症状ですから、改めて問診票を書かされ、それをもとに、
診察の前にレントゲン撮影の指示が出ました。
出来上がった写真を見ながら、Gパンをまくり上げ、足を抱え込むと様々な角度に
動かして“痛みの有無”を確認し、「MRI検査をしましょう」との指示が出ました。
ただし、「僕はもうここにいませんが、ちゃんとした先生に引き継いでおきますから
安心してください」と言われました。異動の時期ですから仕方がありません。

半月板損傷

後日、MRI検査のあと診察室の前で待っていると、20分ほどで声がかかりました。
“ちゃんとした先生”は50歳前後で、「経験のある先生だ」とほっとしました。
求められて、もう一度症状の説明をすると、画像を見ながら先生はこう言いました。
「結論から言うと、ミギヒザガイソクハンゲツバンソンショウ(外側半月板損傷)で
手術ということになりますね」!!??

「かなり、ズタズタに切れてます」という“ダメ押し”もありました。ハハハ。
まいりましたねえ。予想もしない宣告でした。半月板損傷はアスリートのケガだと
思っていましたからね。
すこし呆然としている私に先生は模型を手に半月板の位置や機能、関節鏡を使った
手術のことなどを話してくれました。
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「手術は急いだ方がいいんでしようか?」
「それはね」と言いかけた先生はチラッと視線をカルテに落とすと、「仮に虫歯が
見つかったとしましょうか、徹さん」と続けました???
おや、そう来ますか、という感じでした。少しもそちら系の男性には見えないので
虚を突かれました。ハハハ。
「放っておいていいでしようかって話ですよ。悪くなっても別にいーと言うんなら、
放っておいてもいいでしょう。でも普通は、虫歯があったら、できるだけ早く手を
打つ方がいいに決まってますよねえ」

だんだん、先生の会話の進め方に慣れてきました。ハハハ。
「はやめにお願いすると、いつが空いてますか?」
「ウチはね、徹さん、この手の手術を年間1000件以上やってるんです。
ちょっと待ってよ。年365日だろ。休みもあるから300で割ると…え、えーって
思うでしよ。ええ。日に3件以上、手術をしてるんです。だから、空いてるかって
聞かれれば、“空いてる日”はないんです。でも、なんとかなります。どうしますか、
今週でもいいですよ」

「先生、実は金曜日に京都に行く予定があるんですけど…」と、遠慮がちに言うと、
間髪をいれずに「京都は行きましようよ」と答えが返って来ました。その“間”が
腕のあるお笑い芸人のツッコミのように絶妙で笑ってしまいました。ハハハ。

話好きなのはいいとして、待っている患者に申し訳ない気持ちでふと目をあげると、
先生の後ろに立っていたベテラン看護師が気のせいか、少しうんざりしているのが
見えました.ははーん、この先生いつも話が長いんだ、と思いました。
それはいいけど、3月いっぱいでほかの病院に移った先生、「ちゃんとした先生って
言ってたのに、“ややこしい”先生に引き継いだんじゃないでしようね。ハハハ。

12日に入院してその日に手術、14日に退院(2泊3日)というスケジュールが決まり、
診察室を出て、なにげなくドアの横に貼られた名札を見てビックリ。
そこにあったのは、なんと「院長先生」の名前だったのです。
院内に貼ってあった切り抜きに「匠」と紹介されていました。名医らしいのです。
こりゃまた、失礼しました。ハハハ。

入院&手術

12日の朝入院して午後4時過ぎから手術が行われました。
全身麻酔です。前立腺手術のときにも経験がありますが、点滴用の針を利用して
麻酔薬が入り、スーッと闇の世界に吸い込まれて行くときの心地よさは最高です。
毎晩、あの感じで眠りが訪れたら言うことなしですね。ハハハ。
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もちろん、手術の間のことは何も記憶がありません。
ストレッチャーで部屋に戻りベッドに移るとき「はい、そのままお尻をずらして…。
うまい、うまい」などと乳幼児に言い聞かせるような語調の看護師さんの声から
記憶があります。
「大丈夫?」と話しかけてきた妻に時間を聞くと6時過ぎでした。なんだかんだで
2時間近くかかったことになります。
朦朧としているうちに院長とともに手術室に入っていた先生が説明に来ました。
外側の半月板を三分の一ほどと、内側の半月板を少し削ったそうです。

痛みはたいしたことありませんでしたが、思うように動けないのが苦痛でした。
希望は翌々日 退院するとき、車いすではなく自分の脚で歩いて帰ることでしたから
少し焦る気持ちもありましたが、じっと耐えて時間の経過を待つしかありません。
点滴が始まりました。私の血管は看護師泣かせです。見つけにくいのです。
今回も最初の看護師さんは2回失敗した挙句、「すみません、ダメです」と針を抜き、
「代わります」と言って去って行きました。ハハハ。

代わって現れた30代前半と見える看護師は1回のトライで成功してくれました。
“へこみ”気味に見えた最初の看護師さん、何事も経験ですから気にしないで。
ちなみに、私は次のときのためにiPhoneで写真を撮っておきました。
転んでもただでは起きない。少し違うか。ハハハ。

脱水症状にならないようにと、点滴には水分補給の目的もあるようです。
夜から未明にかけて、頻尿気味になりました。起きられないので数年ぶりに尿瓶の
お世話になりました。“将来”に備えて、慣れておくのはいいことかもしれません。
トホホ。

ほとんど眠らないまま、夜が明けました。
特に指示されていたわけではないのですが、ベッドの端に座って足を床におろし、
何度も感触を試します。メスが入ったはずのところはあまり痛みませんが、右膝に
体重をかけるとヒザの裏に痛みを感じました。手術した右足がうっ血しないように、
クッションの上に置いて寝ましたから、筋を無理に伸ばした形になったのでしょう。
「うわあ、これじゃ松葉づえか車いすが必要になるなあ」と気分が重くなりました。
病気に関しては、悪い方に悪い方に考えるタイプです。ハハハ。
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しかし、時間の経過とともに、少しずつコツをつかんで伝わり歩きなら、なんとか
数歩歩けるようになり、トイレにも行きました。
回診の先生も経過は順調だと太鼓判を押してくれました。ガーゼ交換を写真に撮る
私に苦笑しながら、看護師さんに協力まで指示していました。ハハハ。

リハビリ開始

夕方には、リハビリの担当者が来て今後の計画を説明してくれたあと、車いすで
地下にあるリハビリ・センターに連れていかれました。
その途中、「ひざのけがはリハビリが大事です。できれば毎日でも来てほしい」と
言われて落ち込みました。そんなに“おおごと”だとは思っていなかったからです。
でも、やらなければ、歩くことに支障が出ると脅されたらやるしかありません。
マッサージや軽い運動をした結果、それまであった症状は少し改善しました。
結果が出ると嬉しいものですね。これだけで、「よし、リハビリをがんばろう」と
思いましたから、現金な話です。ハハハ。
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しばらくは片方だけでも松葉づえがあった方がいいという結論が出て、すぐに、
身長に合わせたもので訓練を始めました。人生で初の松葉づえです。
消灯の時間まで、何度も練習をしたあと、この日はよく眠りました。

翌朝、目が覚めると、右足の感覚が違っていました。ヒザの裏の痛みが薄れたのが
大きな理由です。松葉づえを使ってすいすい歩けるし、杖がなくても、かなり楽に
歩けました。「これなら、要らないんじゃないかな」とさえ思いました。長足の進歩。
ハハハ。
結局、「初めは使った方がいいですよ」と看護師に諭され、退院のときは杖をついて
病室を出ました。

2泊3日…昔なら大怪我なんでしょうが、気抜けするほど短い入院生活でした。
半月板損傷など自分には縁のないけがだと思っていました。連想する名前と言えば、
松井秀喜、本田圭佑、高橋尚子、貴乃花…“超”がつく一流アスリートですからね。
そう言えば、「激しくぶつけたり、強くひねった覚えがありません。これはやはり
年齢的なものですか?」と聞いた私に“例の”院長先生はこう言いましたっけ。
「いや。じゃあ、松井や本田やQちゃんは年寄りかって話になるじゃないですか。
そうじゃないでしょ?」

…たしかに。ハハハ。
この先生、長いドクター生活の中で、どう言えば病状や治療・手術の説明が患者に
届くかを模索してきたのでしょう。
手術の説明のときにもこんな言い方をしていました。
「難易度は3段階あります。不謹慎だと思われるかもしれませんが、レストランに
行ったと思ってください。メニュー(手術の難易度)は、お茶にケーキ、スパゲティ、
フレンチのフルコースの三つです。ちょっとお腹に入れるだけ、小腹がふくれる、
お腹がいっぱいになる…今回のはこのうちのお茶とケーキです。ただし、ウチは
レストランじゃなくて病院ですから、最高に自信のあるお茶とケーキを出します。
満腹度(手術の効果)には差があります。お茶とケーキを食べたあともう少しお腹を
満たしたいと思ったら、別のメニューを検討しましょう、と言うことです」

“お茶とケーキ”はおいしかったです。つまり、手術はうまくいきました。
レストラン(病院)を出ました。このあと、空腹(痛みが残る)と感じるかどうかは
今日からのリハビリにかかっています。できるだけ、毎日、通うつもりです。
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そんなわけで、土・日は休みました。
しばらくはリハビリに集中します。
ブログの更新が滞ることもあります。ご了承ください。

by toruiwa2010 | 2013-04-15 06:54 | blog | Comments(21)
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先週、東北の被災地を訪ねました。
2011年5月以来ですから、1年10か月ぶりです。

去年も行くつもりでしたが、各種報道で復興が遅々として
進んでいないことを知っていたために、北に向かうことを
ためらってしまいました。

被災地は縦に長く、広いですから闇くもに出かけても仕方が
ないと思い、2年前と同じところを回ることにしました。
そもそも、この3地区に行こうと決めたのは、震災発生時に
テレビで見た名取の住宅や田畑を飲み込み、猛烈な速さで
走っていく津波の光景や、襲って来た津波に木の葉のように
漁船が翻弄される港の光景が目に焼き付いていたからです。
交通機関がやられて、行けるところも限られていたために、
上記の3か所になったのです。

名取・閖上

仙台で在来線に乗り換えて名取までは15分ほどです。
駅周辺はそれほど大きな被害を受けませんでした。
ほんの数キロ離れたところを走る東部有料道路があの津波を
食い止めてくれたからです。
駅前でタクシーを捕まえて「2年前にこんな場所に行った。
同じころに連れて行ってくれませんか」と頼みました。
2年前と同じ場所の写真を撮って比べたかったのです。
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実際は、記憶が怪しく、運転手さんも要領を得ないため、
連れていかれたのは全く違う場所でした。
しかし、海が近い閖上(ゆりあげ)地区の日和山神社から
眺めた光景は2年前とほとんど変わりませんでした。
がれきが取り除かれた替わりに生い茂っている雑草が
時間の経過を物語っていました。

神社は40段ほどの石段の上にありました。
高さはおそらく7~8メートルでしょうが、あの日の津波は
あっという間に小さなお社を押し流したそうです。
津波の高さは軽く10メートルを超えていたことになります。
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新しく祀られたお社に向かって手を合わせました。
正直に書くと、新聞やテレビで特集を組んでいるとき以外は
ややもすると震災のことを忘れている自分がいます。
「どこかで“他人のこと”なのだろうか」と思っていましたが、
石段を上がるとき、思いがけず鼻の奥がツーンとしました。
やはり、そう簡単にあの衝撃を、恐怖を、被災者の苦しみを
忘れられるものではないのです。

周辺に新しく建てられたと思える家はありませんでした。
2~3メートル、“土盛り”をしないといけないのですから、
簡単な話ではありません。
駅に向かうとき、荒れた土地に黄色い建物がありました。
運転手さんによると、それは老人ホームで、入居者が
60人ぐらい亡くなったということです。数字には感情が
こもっていませんが、建物を目の前にして聞くと、冷静な
気持ちではいられませんでした。

石巻から女川へ

仙台に戻り、駅前からの高速バスで石巻に向かいます。
石巻駅周辺は2年前より人の気配を多く感じました。
港までは直線にして2キロぐらいですが、駅のあたりでも
胸ぐらいまで水が来たそうです。
タクシーで女川に向かいましたが、石巻港に続く商店街は
かなり、立ち直っているように見えました。
2年前はどの店も海水をかぶって惨憺たる有様だったのに。
震災以前とは比べようもないのでしょうが、わずかな活気でも
少しホッとします。

運転手さんと道中、いろいろ話をしながら行きました。
家が高い所にあったために自分は被害を受けなかったが、
女川にいくたびに「頭が痛くなる」と話していました。
きつい東北弁で語られる言葉が胸に響きました。
たしかに、3階建てビルが横倒しになっていたり、屋上に
車が打ち上げられていたりした2年前の光景を思い出すと
うなずけるのです。

山に包まれているような女川町は、海べりから家が立ち並び、
奥へ奥へと延びています。その地形のせいで、押し寄せた
津波は水かさを増して海から離れた町まで届いたようです。
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2年ぶりの女川町はがれきや壊れた建物の撤去と整地作業は
進んでいるようでしたが、かつてここに住んでいた人らしき
姿はほとんど見られませんでした。
町立病院の駐車場から見下ろすと、整備が進んでいるだけに
人が生活している“匂い”がしないことに息をのみます。
石巻から、車でおよそ20分です。わずかな距離の差ですが、
被害の差はとてつもなく大きかったようです。
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この駐車場は高さが10数メートルありますが、襲った津波は
18メートル近くあり、とめてあった車が流されたそうですから、
いくら土盛りをしても追いつきません。再び、この町で人々が
生活を営むのは相当に難しいのかもしれません。

石巻に戻って日和山公園に行きました。震災のとき、多くの
住民が避難した小高い丘の上にあり、四方が見渡せます。
ここも、整備は進んでいますが、“生活”が戻っているという
印象はありませんでした。
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交通費と食事代ぐらいしかお金を使っていませんし、私などが
東北に足を運ぶことが何の足しになるのか分かりません。
女川に行くとき、運転手さんがこんな話をしていました。
「震災の3ヶ月ほどあとに名古屋から来た老夫婦を乗せた。
東北に行くことが観光気分のように見えないかと心配していた。
実際に見て初めて分かることもある。その印象をぜひ周囲の人に
話してもらえば東北の人間として嬉しい」…

2年前も、今回も、“後ろめたい”思いは私にもありましたから、
お二人の気持ちがよく分かりました。
写真やテレビの映像だけでは分からないことが、現地に行くと
よく分かります。“10メートルの津波”だけで浮かぶイメージは
限られていますが、閖上の日和山神社や女川町立病院の駐車場で
「津波はここを軽々と越えていった」と聞くと、その恐ろしさが
実感できるのです。

何ができるわけではありません。
名取、女川、石巻…多くの人が命を落とした場所に向かって手を
合わせるだけでした。それでも何もしないよりはいいかと…。
by toruiwa2010 | 2013-03-25 09:03 | blog | Comments(8)
うかつなことに風邪でダウン!

しばらく休みます。

再開は明日(水曜日)を予定しています。

by toruiwa2010 | 2013-01-26 06:46 | blog | Comments(9)