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岩佐徹のOFF-MIKE

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実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

カテゴリ:岩佐徹的アナウンス論( 124 )

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・・・つづき

最悪だった絶叫

若いアナにありがちな、状況を考えずに絶叫することが視聴者に嫌悪感を与えるのだと
思います。口で言うほど簡単ではありませんが、アナの絶叫が視聴者の気持ちの
高まりと“シンクロ”すれば違和感はないはずです。

私が、“絶叫中継”を嫌う理由はうるさいからだけではありません。今のアナウンサーや
解説のテンションが見ている側のそれと一致していない場合が多いからです。
彼らが騒げば騒ぐほど、そこで起きている感動やオドロキを味わう“権利”を視聴者から
奪うことになっているからこそ“拒絶反応”が起きるのです。違いますか?

“その時、その場面は実況者や解説が独占しているのではなく、視聴者と共有している”
…この点を忘れてはいけないでしょう。
その、共有している瞬間をともに楽しみ、喜びを分かち合うにはどうすべきかを考えれば、
落としどころは自然に決まってくるはずです。
私は、WOWOWに移ったころから「スポーツの感動はプレーそのもの中にあるのだから
言葉で飾ることはやめよう」と決めました。
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“見たまま”から“絶叫”まで

日本のスポーツ実況は、放送局がNHKしかないころに始まりました。もちろんラジオです。
おそらく、見たままを言葉にするところからスタートしたのだろうと思います。

神宮球場どんよりとした雲、黒く低くたれた空、カラスが
1羽、2羽、3羽、4羽、風雲いよいよ急を告げております


戦前の六大学野球で松内則三アナが残した“名実況”です。
もちろん、実際に聞いたわけじゃありません。しかし、子供のころは、NHKのラジオしか
ない時代でしたから スポーツが大好きな少年だった私は、各種のスポーツ中継に熱心に
耳を傾けたものです。声と名前が初めて一致したのは、アナウンサーとしては野球殿堂に
入った志村正順さんがいました。野球と相撲を主に担当した スポーツ実況の歴史に残る
名アナでした。

その後も、続々と花形スポーツ・アナが生まれました。
ヘルシンキのオリンピック、白井義男対ダド・マリノの世界フライ級タイトル・マッチは
フィリピン・マニラから、古橋広之進が1,500メートル自由形で18分19秒の世界記録を
樹立した場面はロサンゼルスから…など、遠くの出来事を目の前で起きているかのように
伝える実況に聞き入りました。ただし、ラジオの時代には、あくまで目に映ったことを
言葉にするという流れは基本的に変わりませんでした。
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やがて、テレビの誕生です。
まだ学生のころのことですから、細かいことは覚えていないのですが、ある有名な作家が
新聞にこんな主旨のことを書いていました。
「これまでなら『横綱・照国が西から登場しました』と言うところだろうが、○○アナは
『西から登場したのは横綱・照国』と言った。これがテレビの実況である」と。

…音声だけのラジオと映像があるテレビでは実況の仕方に違いがあってしかるべきだと
言いたかったのでしょう。なるほど。
しかし、全体としては、ラジオ的な実況を続けるアナが圧倒的に多かったと思います。
そのうち、業界内からも視聴者からも「見りゃ分かることをしゃべる必要はない」という
“例の声”が出始めました。ちょうど、私がフジテレビに入ったころです。
当時のアナウンサーたちは「じゃあ、何をしゃべり、何をしゃべらないのか?」について
まだ迷っていました。

実は、この「見りゃ、分かる」をどう考えるかはとても難しいところなんです。
言葉通り、画面を見れば、現場で何が行われているかがすべて分かる人もいるでしょう。
一方、本人は分かっているつもりでも、理解が間違っている人もいれば、全く分からない
人もいるはずです。先輩たちが迷っていたのは“落としどころ”でしょう。
また、画面ですべて見えていても、実況がないと物足りない競技もあります。
ボクシングなど、格闘技が典型的な例ですね。

雰囲気的に、ないとおかしな競技もあります。
競馬中継に実況がないと落ち着きませんよね。お金がらみですから、アナウンサーには
絶対ミスはできないというプレッシャーがかかりますが。

最後は、似ていますが非常に微妙な「盛り上げるため」の実況があります。ハハハ。
見えているけど、アナウンサーの実況で視聴者の興奮をさらに高めよう、というわけです。
その延長線上に ここ10年ぐらい激増している“絶叫中継”があるのではないでしょうか?
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年齢的なことでしょうが、ビッグイベントのたびに暑苦しくて仕方がありません。ハハハ。
世界水泳、世界陸上、サッカーやバレーのワールド・カップ…
まず、スタジオの司会陣が熱すぎて!! 
誰が どう ではありませんが、生理的に受付けないんですからしょうがないですよね。
「この演出が本当に必要か?」「視聴者はこれが好きなのか?」と考え込んでしまいます。
アナウンサーたちの気持ちを考えると複雑な部分もあります。絶叫や過剰な描写が局の
方針による場合もあるでしょうから、アナウンサーだけを責めることはできないのです。

かつては“事実を伝える”ことにこだわり、絶叫を排していたNHKでさえ、サッカーや
高校野球の中継で若いアナウンサーが金切り声で叫ぶようになりました。
民放はと言えば、テレ朝・森下アナや日テレ・村山アナを除くと 騒々しいアナウンサー
ばかりで、どこにも逃げ場がありません。
立派なキャスターに出世したため、水泳や陸上で、独りよがりの古館節を聞かないで
すむようになったのは大きな救いでした。ハハハ。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-01-14 09:04 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(2)
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・・・つづき

スポーツ実況


フジテレビ時代に8年半のブランクがありましたが、それを除いても、私のスポーツ・
アナウンサー暦は33年になります。引退して6年もたつのに、今も折に触れていろいろと
発信し続けるのはそれだけ、実況についての“思い入れ”が強いということでしょう。

楽しさを伝えたい

フジテレビからWOWOW出向の初期にかけてマイクの前を離れていた時期もスポーツの
“周辺”で仕事をしてきました。ディレクター、記者、デスクなどです。
一貫して考えていたのは「スポーツの楽しさを伝えたい」でした。
つまり、私たちには、現場に足を運べないテレビの前の人たちに、今行われている試合の
面白さ、楽しさを伝える“義務”があると思うのです。
これはスポーツを実況する人たちすべてが考えるでしょうが、そのためにどうするか…
によって、それぞれの実況スタイルや、実況に対するスタンスが決まって来ます。

WOWOWでアナウンサーに戻ったとき以来考えていたのは有料であることも踏まえて、
“スポーツといえども、エンターテインメントだ”という事です。
もともとアナウンサーに課せられた使命といえば、“事実を正確に伝える”ことでしたが、
今ではそれだけではすみません。
視聴者に“楽しい”、“面白い”と感じてもらえなければ、合格点はもらえないのです。
そのための方法は千差万別ですが、ここでは“私の場合”を書いていきます。
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*さりげなく

常に、“さりげなく”実況しようと考えて放送に臨みました。当然、絶叫やオーバーな表現、
事前にコメントを用意することなどはこの中には入りません。
今の若手アナにはいわゆる“絶叫型”が多く、現役時代の私はその対極に位置するアナと
捉えられていたようですが、ビデオを見ると、恥ずかしいほど大きな声を出していることが
結構あります。なぜ“癒し系アナ”と呼ばれるグループに入れられていたのか、
ちょっと不思議な感じがしないでもありません。

どっちにしても、それは他人さまが決めることですからお任せするしかありません。
少なくとも、“さりげなさ”の対極にあるのが“絶叫”でしょう。

「数字を上げるためなら、金に糸目はつけない。何をやってもいいから」と、1995年の
バレーボール・ワールドカップ中継を任された親しいプロデューサーは、実に思い切った
プランをぶち上げました。バレー中継の経験が浅かった三宅アナをメインに据えたほか、
ネット局から“絶叫系”のアナウンサーを二人呼んだのです。
私は当時すでにWOWOWに出向していましたが、古巣で会った彼が「どうですかね」と
聞いてきたとき、「そんなの無理だよ」と答えました。もう、彼の中で答えは出ているのに
白々しいと思いつつ。ハハハ。

長い間、バレーボール中継をしてきた自分の局のアナウンサーを切り捨てて、やたら声を
張り上げるアナウンサーばかり集めてうまく行くはずがないと思っていました。
分からないものです。ふたを開けてみると、三宅アナをのぞけば、テクニックも何もない
やかましいだけの放送(ハハハ)が前回大会を大きく上回る視聴率を稼ぎ出したのです。
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世間では、古館のプロレス実況が“元祖”のように言われていますが、私の認識では、
“絶叫中継”が誕生したのはこのときです。あっという間に、各局が足並みをそろえて、
スポーツ中継はこのスタイルになっていきました。
絶叫の理由ですか。いくつか考えられます。

・局の方針に従っている
・かっこいいと思っている
・視聴者の共感を得ていると思っている
・盛り上げる方法をほかに知らない
・この場面を伝えるにはこれ以外にないと思っている・・・


思いつくのはそんなところです。どれも“治療法”がありません。ハハハ。
年配のアナウンサーには抵抗があっても、若い人にはそれが“普通”となっている以上、
ためらいなく、“悪の道”二踏み込んでいくのでしょう。ハハハ。
視聴者の中には「盛り上がれる」と、歓迎する人もいましたが、拒絶反応もありました。
特にサッカー中継が増え始めたころから強いのに、なぜ、なくならないのでしょうか?

まず考えられるのは“当人に自覚がない”ことです。
アナウンサーなら誰だって自分の放送は録画して見るものです。見て、そう感じるか?
たぶん 自分が絶叫派に分類されているとは夢にも思わないアナがかなりいるはずです。
それほど、自分のことは案外見えないものだし「俺が絶叫派なら○○だって、△△だって
(岩佐だってもふくめて)」と言うのではないでしょうか。ハハハ。

本人に自覚がないのに 気の毒にも“絶叫系”に分類されてしまった人たちはもしかすると
きわどい場面だけでなく、常に目いっぱいの声を出している、解説者の領域に入り込んで、
押し付けがましい話をするなど、視聴者に「うるさいなあ」と思わせる前提があるのかも
しれません。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-01-09 09:23 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(18)
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・・・つづき

プロミネンス

考えてみてください。
40年ほど前に、当時の 三枝、きよしから今のさんま、ダウンタウン、ナインティナイン…
に至る関西弁の氾濫を予想した人がいたかどうかを。
“共通語”とされる言葉を歯切れよく話す東京人に なぜ、彼らが受けたのか?
言っていることがよく分かるし、それがとても面白いからでしょう。
“相手に伝わる”ようにしゃべるためには、プロミネンスを大事にしなければなりません。
意味は“突出、際立つこと”ですが、アナウンスの世界では、“文章の中で大事な部分”に
なります。
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01/06  11:28AM
「知りたがり」で『小泉元首相みたいに「有言実行」して
内輪もめを抑えられますか?』とカズこと渡辺和洋アナ。
のっぺらぼうに読んじゃったね。ハハハ。
「みたいに」で切って間をとらないと、意味が正確に
伝わらない。たまたまならいいが、読解力を疑われる
読み方しちゃダメだ。


“のっぺらぼう”は 私流の表現で失敗でした。
伝わりにくかったかもしれませんが、文章全体を同じ調子で読んでいた、ということです。
そして、もしかすると、私が間違っているかもしれません。
この文を「“有言実行”そのものに抵抗があるのではないか?」と言いたいと解釈するか、
「“小泉式の有言実行”ではうまく行かないのではないか?」なのか…微妙なところですが、
読み方が違わなければいけないのです。
私は瞬間的に前者だと思ったので読み方(文章の切り方)を間違えたと判断しましたが、
渡辺アナのお読み方はどちらかと言えば後者でした。
たぶん、後者、つまり小泉流の少々強引なやり方はダメ、が正解でしょう。
渡辺アナにはお詫びしなければいけません。引退して6年半…鈍ってるんです。ハハハ。

こんな具合で、書かれている文字を音にするだけではアナの役目は果たせないのです。
内容を理解して、何を言いたいか、力点はどこにあるかをつかんで読み方を変えなければ
いけないのです。
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たとえば「きのう、私はCDを買いに渋谷に行った」という文章では、“きのう”、“私”、“CD”、
“渋谷”のうちどれを際立たせるかで聞く人の受け取り方が違ってきます。
いつ行ったかが大事なら“きのう”が、何を買ったかが大事なら“CD”が際立つように
読まなければいけません
そして、特定の言葉を際立たせる(普通は“立てる”と言います)ためには、声の大小、
トーンの高低、スピードの変化、前後の間(ま)など、いくつかのテクニックを使います。

私たちがニュースなどを読む場合には、下読みのときに、その文脈から 立てるべき言葉の
横に印をつけたりしていましたが、初見(しょけん=原稿のでき上がりが遅いなどの理由で
下読みなしに読むこと)ではそれができません。それでも、夕方や深夜、競争の激しい
時間帯のキャスターをつとめる人たちなら、苦労することなくやりこなすでしょう。
もし、“立て方”を間違えたときには、すぐに気づいて言い直すはずです。
これができない人は、少なくとも読み手としては“まだまだ”ということです。
もっとも、今は手元に原稿があっても主としてプロンプターで読んでいますから、彼らが
どんな工夫をしているのかは分かりません。古い時代のアナですから。ハハハ。

話がそれましたが、この“プロミネンス”を頭に置いて関西系芸能人たちのおしゃべりを
聞いてみると あれだけ機関銃のような早口であっても、ちゃんと大事な言葉やフレーズは
耳に残っていることが分かります。中身が伝わります。
つまり、アナウンサー的ではないものの、“自然に”プロミネンスができているのです。
いくら面白くても何を言おうとしているかが分からなければ、東京に出た彼らがこれほど
受け入れられることはなかったはずです。
テレビの普及で、標準語(または共通語)は、日本の隅々まで簡単に届くようになって、
昔にくらべると特に若い人たちの間ではナマリは少なくなっているようですし、逆に、
関西弁が標準語に迫る勢いで全国に広まりつつあるのが現状ではないでしょうか。

信じられないほど鼻声でしゃべる女性アナがキャスターを務めたことがありました。
滑舌の悪い活字出身のキャスターが大勢います。不思議ではありません。
容姿をふくめて、その人がしゃべることが視聴者に伝わっている限り、まったく
問題にはならないのです。
ナマリはないほうが、声はいいほうが、滑舌もいいほうがいいに決まっています。
しかし、それより「伝えたいことを伝わりやすく伝えること」のほうがはるかに大事だと、
私は考えているのです。
それには、発声やアクセントなどに気をとられることなく、自分の気持ちを伝えるのに、
最もしゃべりやすい方法、つまり、“自分の言葉”で話すのがベストだろうと思います。

つづく・・・

見つけた!

テレビはBSやCSの普及で視聴者の選択肢が大きく広がりました。
しかし、具体的にどんな番組を放送しているかについて知ろうと思えば、
それぞれのプログラムガイドを入手しないと難しいです。
一般紙では有料衛星放送の情報提供も十分ではありません。

今朝の朝日新聞には WOWOWの女性アナ、CSのサッカー中継で有名な
倉敷アナの記事が別々のページに載っていました。
少しずつ変化し始めているようです。
by toruiwa2010 | 2012-01-08 09:14 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(2)
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アナウンスについて考える

元アナウンサーが書いているブログですから、ときどきアナウンス論も登場します。
たいした理論ではありませんが、機会あるごとに、アナウンスについて考えていることを
読んでもらっています。本当は同業の後輩が多少でも参考にしてくれるといいのですが、
誰だって、耳に痛いことは聞きたくないわけで…ハハハ。

2002年に自費出版した「「WOWOWの岩佐ですが なにか?」や旧ブログ、そして
このブログと、およそ10年、アナウンスについてはたくさんの記事を書きました。
読み返しつつ、改めてまとめてみようと思います。当然、どこかで読んだ、という記述が
そこここに出てくるでしょうが、ご容赦ください。
当面、土・日、祝日はこの関係の記事を更新して行く予定です。
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伝わることが大事

さて、アナウンサーに限りません、テレビやラジオでしゃべろうという人たちにとって
一番大事なのは「今、伝えたいことを相手に伝わる言葉、話し方でしゃべる」ことです。
以下は、私がまとめた“つもり”の文章です。すでにどなたかがおっしゃっているかも
しれないほど常識的なことです。ダブっていても私の責任じゃありません。くれぐれも
「パクったな」とは思わないでください。ハハハ。

“相手に伝わる言葉、話し方”は、つまり“分かりやすい言葉”、“自分の言葉”です。
放送局と言えば、テレビの草創期、NHKしかなかったころや、民放が発足しはじめて
NHK出身者が各局で指導的立場にあった時期にはもっとせまい意味だったと思います。
“正しい日本語、標準語で”です。
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しかし、私の考えは違いました。
系列の若いアナウンサーたちの研修でも、早い時期から「それはできるほうがいいが、
どうでもいい」と教えていました。意味が通じればナマリも OK、気にすることはないと
考えていたのです。
中学から高校にかけて大阪で5年間過ごしたせいか、関西弁に対するアレルギーもなく、
むしろその柔らかさが好きだったからかもしれません。
アナウンサーになって、プロ野球を取材しているうちに 関西弁、広島弁、福岡ナマリが
ごちゃ混ぜになった、球界独特の“共通語”が親しみやすくていいと思ったりしたことで、
方言やナマリに対して まったく抵抗はありませんでした。

“ラ抜き言葉”や“語尾上げ”は、間違っている、人に不快感を与える、“お馬鹿さん”に
聞こえる…などの理由で大嫌いです(ハハハ)が、「あとは神経質にならないでいいんだ。
そのとき自然に出てくる素直な言葉を大事にしようよ」が、私の基本的な考えです。
私自身、放送の中で普段の“しゃべり言葉”を平気で使いました。あえて、です。
とても大きいという意味で「“うんと”大きい」とか「笑っちゃいますねえ」とか・・・。
「アナウンサーは正しい日本語の継承者」といった堅苦しい考え方が身についた世代の
先輩アナは苦々しく思っていたかもしれません。しかし、そこにこだわり過ぎた結果、
“機械のようだ”と言われました。誉められているわけではありません。ハハハ。
それでは意味がない。私は人間らしく聞こえなければ伝わらない、という考え方でした。

現役を引退してから他人のしゃべりを聞くことが多くなり、結構、ナマリの強い人や
“正しい日本語”とはほど遠い言葉を使うアナが活躍していることに気づきました。
アナウンサーに求めるものが時代とともに変わっているのです。当然でしょう。

フジテレビに入社した私は どんな言葉でしゃべるにしても、その場の雰囲気がきちんと
伝わることが第一だと思っていましたから、“正しい日本語で”は、そう主張する人たちに
お任せして、自由にしゃべらせてもらうことにしていました。自分の思いを伝えようと
するときに約束事に縛られたのではうまく行きませんからね。ハハハ。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-01-07 09:33 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(11)