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岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

カテゴリ:アーカイブから( 81 )

HPをスタートしたのは20034月でした。

その年の9月に伝説の「リーガ・ゲッツ!」を書いて

大騒ぎになり、2ヶ月休んだことがあります。

それ以外には 夏休み、正月休みはあったものの 長期間の

“休載”はありませんでした。

しかし、さすがに「さらば WOWOW」のあとはしばらく

記事を書く気分になれなくて、2週間ほど休みました。


ご無沙汰でした ( 2005.10.01 初出 )

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月が替わりました。

10月は1年の中でも節目の月です。

私個人にとっても、9月末から今月初めにかけてはいろいろと

“記念日”がありました。


28日は67回目の誕生日でした。

この日、循環器内科の専門の医師に診察していただきました。

高血圧が気になるからです。

「年齢の割りに動脈の弾力がなくなっている」、別の言い方で

「動脈硬化」というデータが出て、かなり へこみました。ハハハ。

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心電図をとるとき、看護師さんに生年月日を聞かれました。

私が答えると、それをデータ用紙に書き込みながら「えっ!

お誕生日なんですか?おめでとうございます」と言われました。

この年齢になると嬉しくもないですが。


そう言えば、先日、電車の中で高校生ぐらいの女の子に席を

譲られました。生まれて初めての経験でした。

疲れているように見えたか、いかにも「お年寄り」と映ったに

違いありません。「軽くヤバイ」と思いました。ハハハ。


29日で、前立腺がんの手術から1年たちました。

おかげさまで 術後の経過は今のところきわめて順調です。

ぜひ、このまま、転移も再発も起きないで推移して欲しいと

願っています。話に聞くと、前立腺というのは恥骨の裏にあって

目視しながら手術することはできないと言います。

執刀医が“神の手”を持っていたことに感謝です。ハハハ。


「容疑者 室井慎次」を見ました。

映画ですから“できすぎ”と思う部分もありますが、「このまま

突っ張ってるとロクでもないことになる」と分かっていながら

自分の考えを曲げない、まことに不器用な“室井”という男の

生きざまをわが身と重ね合わせて見てしまいました。

柳葉敏郎にくらべ、はるかにみっともないことは明らかですが。

ハハハ。

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信念を貫いて目的を果たし、なおかつ支持する人たちの手で

新しい生き場所を得る室井、意地を張っては見たけど哀れな

“蟷螂の斧”に終わった私…

私にも本当の値打ちがあったら、こんなに結果が違うことは

なかったのでしょうがね。


そして、予定通り30日でWOWOWとの契約が終了しました。

帰国の翌日、時差の影響で早朝に目が覚め、「ちょうどいい」と

思ってWOWOWに出かけました。デスクを片付けるためです。

誰かに会ったらいろいろ説明しなければならず、相手も話し

づらいだろうと思って、その時間を選んだのです。これでも

結構“気配りの男”なんです。ハハハ。


赤坂にある会社に着いたのは午前3時半でした。

そんな時間だというのに、守衛さんに聞くと、10分ほど前まで、

スポーツ部に人が残っていたそうなので、危ないところでした。

ハハハ。


こうして、処理すべきことはすべて処理を終え、残されたのは

会社への挨拶だけでした。帰国直後の気持ちとしては、足が

向かないのではないかと思っていましたが、役員室と連絡を

とった上で30日に出かけました。最後に、お世話になった

会長、社長にきちんと挨拶をし、区切りをつけることができて

よかったです。

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889月に出向して以来続いてきた17年間のWOWOWとの

お付き合いが終わりました。何かが音を立てて崩れたみたいで、

寂しくないと言えば、ウソです。

大事にしてもらいました。いい思いをさせてもらいました。

「望まれている」と感じて大きな仕事もやらせてもらいました。

アナウンサーとして過ごした15年は充実したものだったと

言っていいでしょう。

仕事に関する限り50代、60代が一番幸せだったと言える私は

果報者だと思います。


「さらば WOWOW」以来、大勢の方から励ましのメールを

いただきました。時間を追って増えていく書き込みも、もちろん

読ませていただきました。

ホテルをチェックアウトする直前に更新したのは、部屋を出る

直前までPCに向かっているかもしれない同僚スタッフにも

見つからないためでした。ハハハ。

日本に帰るまで余計なことは知らない方がいいと考えました。

それでも、成田に着いたとき、「ブログを読んだ社員から誰かの

携帯に連絡が入っているかもしれないなぁ」と心配になって、

荷物が出てくるなり、逃げるように帰路につきました。

誰のところにも連絡はなかったようです。ハハハ。


みなさんからの メールやブログへの書き込みがどれだけ

私に元気を与えてくれたことか。

先日、「WOWOWのアナウンサーと加入者の距離」について

書きましたが、温かい、身にあまる言葉が並んだ文章を読んで、

アナウンサー冥利に尽きる思いでした。


「これだけの人が応援してくれていたんだ」と、今更ながらに

驚き、かつ「これなら、もう少しがんばれたじゃないか」とも

思いましたがあとの祭りでした。

でも、皆さんのお気持ちはとても嬉しかったです。

本当にありがとうございました。「永久保存」にします。


大勢のWOWOWの若い仲間たちからは、「食事でも」と

誘われました。「有難いけど、今はそんな気分じゃないので、

10月になってもその気持ちがあったらまた声をかけとくれ」と

答えるのが精一杯でした。ハハハ。


帰国した夜、我が家にWOWOWの後輩が一人やってきました。

思いがけない訪問でしたが、「帰ってくれ」とも言えず(ハハハ)

上がってもらいました。

「電話やメールではなく直接『お疲れさま』と言いたかった」

そうです。

飛行機ではあまり眠れなかったために、かなり疲労を感じて

いたのですが、身にしみる嬉しい言葉でした。

「いろいろなことを教えていただきました」と語る彼の眼が

赤いのに気づいて、こちらも目頭が熱くなってしまいました。



正直言って、まだ気持ちの整理はつきません。

しかし、月が替わったことで、強引にでも気持ちを切り替えて

前に向かおうと考えています。

多趣味ではありません。せいぜい、麻雀と映画鑑賞、読書…

ぐらいでしょうか。

映画や展覧会を見に出かける、週に一回は外食をする、年に

数回の小旅行をしよう…そこまでは決まっています。

タップリある時間を有意義に、楽しく過ごすには不十分です。

どうしましょう。ハハハ。

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ブログに「ハードに働いてきた人は仕事を辞めたあと3年で

体調を崩す」との書き込みがありましたが、「さらば…」から

半月足らずで「このままでは鬱になってしまうかも」という

危機感を覚えたのは確かです。

“仕事人間”だからではなく 実況が持つ麻薬のような喜びを

知っているからでしょう。

とりあえず、“引退宣言”を「ひとまずマイクを置きます」に

変えさせてください。チャンスはほとんどないと思いますが、

自分にできることの間口は広げておきたいのです。

オファーをお待ちしています。ハハハ。


いずれにしろ、“毎日が日曜日”という状態に埋没しないように

しなければ、と肝に銘じています。

お騒がせし、ご心配をかけましたが、持ち直してきましたので、

どうかご安心ください。


書き忘れていました。

朝のごみ出しと新聞の取り入れが私の担当になりました。

ハハハ。


今日、ブログを再開しました。

まだ、「ハハハ」という心境になりきれていませんので(ハハハ)

テニスねたはぼちぼち書かせていただきます。楽しいと思えれば

続けます。思えなかったら…、できるだけ がんばってみます。

ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-09-18 08:21 | アーカイブから | Comments(0)

さらば、WOWOW ( 2005.09.13 初出 )

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全米が終わりました。

連日、好天に恵まれ、しかも中盤から終盤にかけて好ゲームの

連続でした。きっと、堪能されたことと思います。


さて、突然ですが、この全米を最後に実況生活を終えることに

なりました。まだ、9月いっぱいは契約期間が残っていますが、

そのあと、更新しないことで合意したものです。

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92年全豪の中継から始まったテニス中継は、またたく間に

WOWOWの看板番組になり、それからまる14年、私はずっと

テニス中継にかかわってきました。

ほかにアイス・ホッケー、ボクシング、サッカー、ゴルフなどの

中継を経験しました。

アナウンサーとして働いたのは、フジテレビで1810ヶ月、

WOWOW15年ですからフジの方が長いのですが、中身の

濃さからいえば、断然WOWOWです。

プロ野球のような メジャーなものはやれない代わりに、

WOWOWでかかわったものは、競技としてはマイナーかも

しれませんが、ほとんどすべてが世界レベルのものでしたから、

ワクワクしながら放送することができました。


また、地上民放局では準決勝、決勝ぐらいしか放送しませんが、

WOWOWは大会を丸ごと放送するというやりかたでしたから、

仕事量が多く、やりがいもありました。

外国で行われる試合を放送するため海外に行く機会も飛躍的に

増えました。今回が73回目の海外出張で、トータル1,360日を

海外で過ごしたことになります。


…できれば70歳まで実況を続けたいと願っていました。

そうすると グランド・スラムの中継が50回を超え、海外出張も

1,500日を超えるなあ、と考えていたのですが、残念ながら

夢は果たせませんでした。どうでもいいことですがね。ハハハ。

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WOWOWの岩佐ですが なにか?」

とぼけたタイトルの本を自費出版したのは200211月でした。

私のアナウンサー生活を振り返り、実況についての考え方を

まとめたものです。

(興味がおありでしたら、YAHOOにあるブログのカテゴリ

“MY BOOK”をどうぞ → http://bit.ly/2h2ocEb


初めは、普通に出版するつもりでしたが、熱心に探すわけでは

ありませんから出版社を見つけることができず、結局は自分で

好きなようにやれる「自費出版」を選んだのです。


出せる費用に限界があり、500冊限定ということになりました。

配った相手はほとんどが知り合いか、WOWOWを見ている

人たちでしたから、おかげさまで、多くのひとが「面白い」と

言ってくれました。

思えば、それから2年間ぐらいが我が人生のハイライトだった

かもしれません。ハハハ。


そこで何があったかといえば「リーガ、ゲッツ!」です。ハハハ。

会社や仕事仲間、視聴者の皆さんに迷惑をかけたのですから

笑ってちゃいけないんですが、考えもしなかった狂乱の嵐に

遭遇して、笑うしかないだろう、という感じです。

それが理由ではないでしょうが、それを“きっかけ”にしたかの

ように、あらゆることが下降カーブを描いていきました。

テニスの番組作り方に不満を感じるようになり、サッカーでも

制作陣との間に考え方の違いが出てきました。

今回も、自分がWOWOWのテニス制作の一員である感じが

しませんでした。悪影響が出てはいけないと考え、スタッフや

コメンタリー仲間にも話しませんでしたが、日本を出る前に、

会社との間で“これが最後”と決まっていたからかもしれません。


言い続けてきましたが、私は“楽しくなければテレビじゃない”の

フジテレビの出身ですから(ハハハ)、仕事をする以上、楽しい

環境でやりたいと思ってやってきました。

しかし、だんだん、世代の違いから来るものもふくめ 仕事の

現場で「楽しくないなあ」と感じることが増えてきました。


今回も、突き詰めれば“ソフト”について 互いの考え方の違いを

修正することができず、契約を延長しないと決めたものです。

契約をめぐっての交渉は、あまり好きではありません。

自分の考えを伝えるとき、どうしても、相手が間違っていると

言わなければならないケースが出てきますからね。

誤解のないように申し上げておきますが、“互いが合意した”

もので、決してWOWOWに非があるわけではありません。

私の頑固な性格が今回のことの大きな原因になっていると

言ってもいいでしょう。

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悪運が強いのか天が見捨てなかったのか、最後の仕事になった

全米オープンはいい試合をたくさん担当することができて

アナウンサー冥利につきました。

おかげさまで、気分よくマイクをおくことができました。


そして10月からは、年金生活に入ります。ハハハ。

お若い方には申し訳ないのですが、私の年齢だと、それなりの

年金がいただけます。フジテレビの“企業年金”を合わせると、

贅沢さえしなければ十分に暮らしていけます。

明らかにガタが来ている体の手入れをしながら、時間をかけて

「さて 何ができるのか」を考えたいと思っています。


私は、WOWOWのアナウンサーは地上波に比べ、視聴者との

距離が近いと感じながら仕事をしてきました。

そして、自分の予想をはるかに超えて実況を続けられたのは、

みなさんの応援があったからだと思います。この場を借りて

お礼を申し上げます。ありがとうございました。


最後になりましたが、テニスのコメンタリー仲間やWOWOW

若い友人たちに、なにも話さないまま今日を迎えることになり、

申し訳ない気持ちです。

この年令まで元気にやってこられたかげに、みんなの支えが

あったことを忘れません。長い間、ありがとう。


それでは 老兵は静かに消えることにいたします。ごきげんよう。


こういう事情ですので、このブログもしばらく休みます。

気力を取り戻し、テニスへの興味を持ち続けられるようなら、

いずれ再開したいと考えています。保証の限りではありません。

ハハハ。



この記事を更新するタイミングについては

スタッフに気を遣ったつもりでしたが、

あにはからんや!



分かってほしいと思った人たちの胸には届かず、

むしろ逆効果だったケースもあり、帰国後に

改めて話し合うつもりでいたらしい会社側は

"最後通告"と受け取りました。


物事、なかなか、思い通りにはいかないという

典型的な例になってしまいました。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-09-17 08:15 | アーカイブから | Comments(2)

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決して美しいわけではないのですが、ニューヨークは世界中で

一番好きな街です。その魅力については、何度も書きました。

最後に訪れたのは2005年全米オープンのときです。

この大会がWOWOWでの最後の仕事になりました。

この時点では、まだ誰にも辞めることを話していませんでした。

自由行動になった大会最終日の翌日、一人で外出しました。

街を目に焼き付けておきたかったのです。

センチメンタル・ジャーニー…


A Holiday in New York ( 2005.09.12 初出 )


…「ここだよ」と言われてタクシーを降りるともうはっきりと

潮のにおいがしました。

例年なら、予備日の月曜日は本を買いに行くぐらいで あとは

ゴロゴロして過ごすのですが、今日はなぜか水のあるところに

行きたい、と思ったのです。

行った先は サウス・ストリート・シーポートです。

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イースト・リバーにかかる一番南側にかかる橋、ブルックリン・

ブリッジに近い波止場です。

前にも行った事があるはずですが、記憶が定かではありません。

みんな そうなるんですから笑わないように。ハハハ。

何年か前に来て座ったのはこのあたりかな、と思うところに

腰を下ろし、川面を渡ってくる風に吹かれて、読みかけだった

ジェフリー・アーチャーの“Sons of Fortune”「運命の息子」の

残りを読んで時間をつぶしました。


試合に向けて準備をすることも、絶対に風邪を引かないように

気遣うことも必要がなくなりました。

何にも縛られるず、好きなように時間を過ごせる…こんなに

贅沢なことはありません。

1時間ほどたつと、おなかがすいてきました。近くのカフェに

入りました。「SEQUOIA日本語にすると「せこい屋」

あまりよくないか?ハハハ。


席についてみると、それほど空腹ではないことに気づきました。

結局、注文したのはバドワイザー()、マンハッタン・クラム・

チャウダー、そしてサラダでした。

あえて選んだ陽だまりの席から道行く人を眺めながら おいしく

いただきました。

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もう一度、川の近くに戻って読書を続けます。目が疲れると

川を眺めます。

そんなとき頭に浮かぶのは、今後のことではありません。

年寄りはみんなそうかもしれませんが、私の思いは“過去”に

向かいます。ハハハ。


恥多き人生ですが、WOWOWに出向してからの実況人生には

大きな満足感があります。

思い返せばたくさんの出来事があり、ブログを何本書いても

追いつかないでしょう。

多くの同期生が“悠々自適”の人生を送っている中、この年齢で

いい仕事、いい仲間に恵まれました。とかく一言 多いために

(ハハハ)、先輩たちから睨まれていたフジテレビ時代にくらべ、

若い仕事仲間に“望まれて”仕事をする喜びを味わえるように

なりました。こんなに幸せなことはありません

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最後は、水上タクシーに乗ってミッド・タウンに帰りました。

波が高いために、上のデッキに出られなかったのは残念ですが、

イースト・リバーから眺めるマンハッタンは、私の気持ちを

惹きつけて放しません。今夜は、全仏で“デビュー”して以来

気に入っているベトナム料理を食べに行きます。

部屋でゴロゴロしていることを思えば、とても有意義な休日に

なりました。


So,that’s the end of my sentimentaljourney.


by toruiwa2010 | 2017-09-16 08:11 | アーカイブから | Comments(2)

6ヶ月&10年が過ぎた

~大震災と同時多発テロ~( 2011.09.11 初出 )

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地震が起きたときに「あ、これはちょっと…」と わずかでも

恐怖を感じたのはあのときが初めてだったような気がします。

311日午後246分、私は昼寝から目覚めたところでした。

揺れ始めたことで目が覚めたのかもしれません。

初めは「すぐ収まるだろう」とタカをくくっていましたが、

2分半から3分は続いていました。とても長く感じました。

不気味に揺れが続くうちに「これは…」と思い始めたのです。

震度5強の東京でさえそう思ったのですから、震度7だった

被災地のみなさんがあの時間をどんな気持ちで過ごしたかは

想像できません。

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直後に海岸地帯を襲った巨大津波。

メディアだけでなく、個人が撮ったビデオが自然の恐ろしさを

細かく記録していました。夕方から夜、そして翌朝…繰り返し

流されるその映像を前に言葉を失いました。


ビジュアルとしては、震災から2ヵ月半後に、駆け足で訪れた

被災地の様子がダブります。巨大な龍のように津波が走って

行ったあとが戦争直後の焼け野原のようになっていた名取、

あまり被害の跡が見えない駅前から少し車で走っただけの

港に破壊し尽くされた建物群が残されていた石巻、何棟かの

ビルが根こそぎ横倒しになり、鉄骨だけになった3階建ビルの

屋上に乗用車が裏返しになって乗っているのが見えた女川港…

“自然の猛威”や“津波の恐ろしさ”と 文字にしただけでは真実が

伝わらない光景がありました。

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今でも、そのとき目にしたものはときどきよみがえります。

こわいのは 正直に書くと、しだいに“遠い”できごとになろうと

していることです。

頑張ってほしいと願う気持ちも、応援する心も、変わらずに

持ち続けているつもりです。“他人事”というのではないのです。

しかし、半年が経過したいま、本当の意味での当事者ではない

“もどかしさ”を感じます。


それは、政府・行政の動きが相変わらず鈍いこととも関係が

あると思います。菅政権の対応がもっと素早く、被災地からの

復旧・復興のつち音が伝わってきていれば、今頃、日本全体に

“前向きな”明るい空気があふれていたはずです。

風貌にだまされているかもしれないと思いつつ、野田新総理の

人柄には、少し期待を持ちました。

しかし、では、“テキパキ”と復興が進み始めたか…と言えば、

そうではありません。

菅前総理は、「お盆までには全員を仮設住宅に…」と大見得を

切っていましたが、いまだに、避難所での生活を続ける人々が

6000人いるそうです。要介護者が30%増えた、と聞きました。


もちろん、国を預かる立場が難しいことは分かります。

私たちが口で言うほど簡単ではないのでしょう。

それにしても 鉢呂大臣の愚かな発言は論外として、流された

家や店を建て直そうと思っても、国や県の方針が決まらないと

実行に移せない、風評被害によって、福岡で予定されていた

「ふくしま応援ショップ」のオープンが中止になった、丹精を

込めた野菜が、牛が出荷できるかどうかは放射線量の計測の

結果が出ないと分からない…これだけ理不尽な目に遭っても

じっと耐え続ける東北の人たちの我慢強さには感心しますが、

もっと怒ってもいいのではないでしょうか?

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野田政権は「福島の再生なくして日本の再生なし」などと、

“キャッチコピー”を口にして悦に入っている場合ではないと

思います。議論をする、法を整備する…それも大事でしょうが、

新総理がやるべきことは、その中で、被災者の胸に“明かり”が

ともるような手を打って行くことです。


乱暴な言い方をすれば 何でもいいのです。

忘れられている”“見捨てられていると感じ、それでも耐える

人たちに、「政府は自分たちのことを考えてくれてる」と感じて

もらう“何か”をすることです。

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震災が発生したとき、現地には雪が残っていました。

朝の気温が零度以下になることもしばしばでした。

短い春が過ぎ、猛暑の夏を越えて、いま、秋を迎えています。

東北の冬はきっと駆け足でやってくるのでしょう。それまでに、

被災地の人々が、はっきりと“明日への希望”を抱いていられる

ことを心の底から祈ってやみません。



時差の関係で、アメリカ東部が911日の午前846分を

迎えるのは今夜です。

10年前、全米オープンが終わって2日たったその日そのとき

チェックアウトのため、ホテルのフロントに並んでいました。

世界貿易センタービルに飛行機が衝突した初め、それだけを

聞いたときは“小型飛行機”だと伝わっていました。

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それ以上の情報は持たぬまま、ホテルの前に出てスタッフが

集まるのを待ちました。

空港に行くのに予約してあったミニバスがなかなか来ません。

このとき すでに市内でも渋滞が始まっていたのでしょう。

このままでは飛行機に間に合わないと思い、プロデューサーと

相談して、タクシーで空港に向かうことにしました。


最初のタクシーに乗ったのは柳さんと私、たまたまそばにいた

女性スタッフ、Hさんの3人でした。

マンハッタンから“出て行く”道の渋滞はそれほどでもなく、

順調に走った私たちの車は何事もなく クイーンズボロー・

ブリッジを渡りましたが、このとき、警察官が検問の準備を

始めているのが分かりました。


タクシーの中でラジオが聞こえていたはずですが、私の耳では

早口の英語をとらえることはできず、この時点でも「旅客機が

ぶつかったらしい」程度の情報しか得ていなかったと思います。

フリーウェーから、遠くに、WTCのビルがベージュ色の煙に

包まれているのを茫然と眺めながら、空港に向かったことを

思い出します。

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私たちが通過して間もなく、マンハッタンへの出入りが完全に

禁止され、スタッフと離れ離れになってしまいました。

そのあと、空港は閉鎖され、私たち3人は空港近くのホテルに

泊まることになりました。

問題がありました。Hさんは妊娠2ヶ月でしたが、私たちに

割り当てられたのはたった一部屋だったのです!


キングサイズのベッドと貸出し用のエクストラベッドを前に、

どうしたものか 迷いました。家族でもないのに、同じベッドに

寝るわけにはいきませんから。ハハハ。

しかし、私たちが困っているのを見たHさんが「端と端なら

いいですよ」と言ってくれました。

体が小さくて寝相もよさ“そうな”柳さんにベッドを譲り、私が

エクストラに寝ることで一件落着となりました。


晩御飯はホテルのレストランで食べました。

連絡がついたプロデューサーが「代金は会社がすべて持つと

言ってますから、おいしいものをいっぱい食べてください」と

伝えてくれましたが、残念なことに、顔ぶれは少食の柳さん、

華奢な体つきのHさんに加え、私も大食漢ではありません。

しかも、3人とも酒はほとんど飲まないのです。

せっかくの“お墨付き”なのに惜しいことをしました。ハハハ。

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“激動の一日”…疲れが出たのか、柳さんは部屋に戻るとすぐ

横になり、私たちも睡魔に勝てず早々とベッドに入りました。

…エクストラベッドは湿っぽい匂いがして嫌な予感がしては

いたのですが、夜中に猛烈な“かゆみ”で目が覚めました。

案の定だったのです。ハハハ。


…しかし、3000人を超える死者を出したこの“同時多発テロ”で

私たちが受けた実質的被害はそれだけでした。生命の危険を

感じた瞬間はありません。

それでも、発生時に 現場からわずか数キロのところにいた

ということで、この出来事の記憶が薄れることはありません。

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あの日から10年がたちました。

写真は“9.11”の朝、Hさんのお腹にいたお子さんです。

10年という時間の長さを表していると思います。


by toruiwa2010 | 2017-09-10 08:09 | アーカイブから | Comments(0)

島田紳助さらばじゃ

~楽しんだ オーキニ~ ( 2011.08.24 初出 )

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思うことは山ほどありますが、率直に書くなら「しゃあないな」

しかありません。会見では“体裁”を整えていましたが、中は

ボロボロだったでしょう。彼が言う通り、ピークをきわめた

実感はあるでしょうが、芸の世界で一度でも頂点に立ったら、

そこで満足するのではなく、退きぎわを頭に入れつつ、それを

キープしたいと思うのが普通の感覚だと思います。

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「けじめとして」や「後輩への戒め」を素直に受け取ることは

できません。昨日の会見では出なかった話がほかにもたくさん

あるのではないか…と勘ぐってしまいます。

舞台を降りた紳助はいわば“落ち武者”です。イエローを含めた

ジャーナリズムはかさにかかって袋叩きしてくるでしょう。

今週以降、さまざまな、あること・ないことが週刊誌などに

登場するだろうことは想像に難くありません。

スターの座にあれば反論もできますが、これからの島田紳助は

打たれるに任せるしかないのです。


中学から高校にかけて関西で過ごした私は、関西弁にまったく

抵抗がありません。よしもとや松竹系の芸人が大好きです。

そんな私には、今でも現役で活躍していてもおかしくない、

横山やすし、横山ノック、上岡竜太郎…本物の“プロ芸人”を

さまざまな理由で失ったことが残念でたまりません。


200410月に紳助が傷害事件を起こしたときには「ほんま、

ええ加減にしいや」と書きました。当時の彼は絶好調でした。

だからこそ落とし穴にはまったのかもしれませんが。

圧倒的な頭の回転の速さ、抜群の“間”に加えて、辛口トークの

奥に見せる人や物への優しさ、温かさ…多くの人が言うように

下品なところはあるものの 芸人として好きでした。

しかし、謹慎に入った時点で、復帰できても かつての鋭さが

戻るはずはないと思いました。


歌とか、落語のようにひとりで勝負できる分野ならともかく、

司会者として タレントや素人の出演者を、押したり引いたり

しながら番組を進めるのが彼の“芸”ですから、相手に対して

圧倒的に優位に立たないと成立しません。あの事件が起きて

芸人としての紳助は終わったと思いました。

しかし、さいわいなことに、このときは、ファンはひとりの

天才的な芸人を失わずに済みました。


薬物使用や傷害事件にかかわった場合でも、歌手や俳優などは、

多少のバッシングはあっても、それほど大きな影響を残さない

ケースがあります。しかし、ときに“バカ”を演じて見る人を

笑わせる芸人の場合は深刻です。

それを思えば、かなり“すんなり”復帰できたのは奇跡と言って

いいのでしょう。

あのとき、紳助はもっと学んでおくべきだったのです。


1970年代、関西だけでなく関東でも人気番組だった毎日放送の

「ヤングおー!おー!」が懐かしいです。

笑福亭仁鶴、桂三枝の司会、さんまをはじめとする若手芸人が

元気いっぱいに飛びまわる中に「ボク、体 弱いねん」と怯えて

見せるギャグで笑わせていた紳助もいたのです。

竜助と組み、猛烈な速さのマシンガン・トークで漫才ブームを

駆け抜けて行ったのはそれから間もなくのことです。


内容的には、竜助の力不足もあって紳助一人が頑張って笑いを

取って行く印象がありました。

揃って力のあるダウンタウンが出てきたとき、「負けた」と思い、

漫才を辞める決意をしたと、よく話していました。その決断を

松本にだけは話した…と言うのも分かります。

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今回は“復帰”はありません。

誰が見ても危なっかしいところはあったのですから、誰かが

親身にアドバイスをすべきだったのでしょうが、あそこまで

“大物”になってしまうと簡単じゃないということでしょうか。


昨日の夜9時ごろ、紳助が10時から「今後の活動」について

記者会見を開くという情報がネット上に出回っていました。

なんだ、なんだ!

日曜日の「行列…」は生放送でしたが、おかしなところは

ありませんでした。

頭に浮かんだのは二つの可能性です。


“黒い交友”でよからぬ噂もあったので、その絡みなのか。

そうだとすれば、かなり深刻な話なのでしょう。

事務所の社長が同席するとのことでしたから“解雇・引退”の

可能性が一番 濃厚でした。


もう一つは、府知事・市長選への立候補でした。

改編まで1カ月あることを考えるとタイミングが悪すぎますが、

そう考えたのは会見が10時にセットされていたからです。

「鑑定団」の放送が終わる時間です。

選挙戦出馬を発表すれば放送できなくなりますから、テレ東に

義理を感じてこの時間にしたのではないか…と”疑い”ました。


正解は前者でした。

親密さがにじむメール…微妙ですが、事務所がダメだと言い、

当人が認めたのなら他人がとやかく言うことではありません。

自分が女性に暴力をふるった事件に次いで2度目です。厳しい

ようですが、どんな話術を使っても世間は納得しないでしょう。

島田紳助の”美学”は島田紳助にしか通じません。

天才的なトークが消えました。せっかくの才能を粗末に扱った

という結果になりました。


「行列…」と「深イイ話」、「鑑定団」は毎週 見ています。

生理的にダメだという女性が多いようですが、私は好きでした。

攻撃的な絶妙トークが聞けなくなるのは残念でなりません。

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全国ネットだけでも週に5そのすべてが紳助ありき

作られていますから、テレビ局は大騒ぎでしょう。

最も“代わり”がきかないのは「TBS感謝祭」だと思います。

ほかの番組は”模様替え”などをしてなんとか続けられるかも

しれませんが、年に二度のこの番組はそうはいきません。

200人の回答者を相手に5時間以上の長丁場を仕切って行く

たしかな“腕”を持ったタレントはほかにいません。

9月のどこかで予定があったはずですが、TBSは上を下への

大騒ぎになっているはずです。


「鑑定団」を抱えるテレ東も途方にくれていることでしょう。

スタートしたころは石坂浩二と2人司会だったと記憶しますが、

途中からは紳助一人で進行させていました。あれだけ地味な

番組が続いているのも、彼のトークの力によるものです。

これもまた“余人をもって代え難し”です。


菅はいいよなあ。“余人の方がもっとよし”だもの。ハハハ。
by toruiwa2010 | 2017-09-09 08:20 | アーカイブから | Comments(6)

ああ、母局が袋叩きに…

~“お好きなように”としか~ ( 2011.08.05 初出 )

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・・・つづき


ツイッターには、こんな書き込みまであった。


自民党議員が鬱陵島視察で入国拒否された問題で、

自民・石原幹事長、「重要な時期のメンバー欠落

望ましくない」と弁明。

これに対して三議員は幹事長の許可を得たと

述べていると「産経ニュース」で報道。

入国拒否をした韓国より自民党を批判。

やはり韓国寄りということか?


どうしても“フジテレビ=韓国寄りとしたいグループは万事が

この調子だ。どんなに小さなことでもフジテレビ叩きに結び

付けようとする。百歩譲って、意図的に報道したとしても、

フジテレビにどんな利益があると言うのか?

重箱の隅…。



逆に、“だからこそ”フジテレビは細心の注意を払わなければ

いけないのに、韓国との対戦を“韓日戦”などと平気で表記する

体たらくだ。怒られるのは当たり前だろう。バカたれが!!

しかも、一度じゃないからあきれてものが言えない。

普通はホームチームが先だが、国と国の対戦では日本を先に

表記するのが常識ってものだ。

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2chほどではないが、ツイッターでも、匿名性の陰にかくれ、

数をたのんで自分の考えをそれこそ“ゴリ押し”するケースが

目立っている。フジテレビを叩き、スポンサー企業に対しての

不買運動を呼び掛ける連中も同様だ。


過激な意見を発信する人の99%が匿名だ。

その意味では、日曜日の“デモ”に注目していたが、どうやら

中止になったようだ。“韓流放送ばかりで正当な報道を行わない”

フジテレビに抗議するデモ…とのことだった。

“口先だけ”と言われる人たちにどれほどの行動力があるかが

見えると思ったが、その意味で中止は残念だ。


実名で発言する“有名人”もいる。

山本太郎、高岡蒼甫、ふかわりょう…いったい、どうしたのだ?

深く考えた挙句の行動ならいい。しかし、周囲にあおられて

アドレナリンが流れた結果、“ヒーロー”気取りで動いたのなら

“悲劇”ではないか。


2002ワールド・カップを思い出す。

フジのAアナが放送中に「韓国サポーター、感じ悪いです」と

リポートした。それまで2chでの評判はそれほどよくなかった

アナだが、いきなり「Aは神だ」的な書き込みが殺到していた。


今回、ネットをさまよっているとき、今度は彼が叩かれている

ことを知った。あるブログの中で「今日の私の任務はバスケ

韓日戦」と書いたことが非難の対象になったらしい。

中には“国賊”という言葉さえ。


あるときは神、あるときは国賊…いやはや。


何をどう説明しても、一度 こうだと思い込んだ人の考えを

変えることは難しい。「お好きなように」と言うしかない。

日本は誰が何を言っても許される自由の国だから。


注意 !

コメントは、基本的に自由。

ただし、感情的なもの、悪意に基ずくものと

私が判断するコメントは削除の対象。


by toruiwa2010 | 2017-09-03 08:19 | アーカイブから | Comments(4)

ああ、母局が袋叩きに

お好きなようにとしか~ ( 2011.08.05 初出 )

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災害、原発事故に関しては菅政権だけでなくテレビ・新聞など

マスコミに対しても大ブーイングが起きている。

「正確な情報・知識はネットでしか得られない」という意見が

無視できないほど増えているのは残念なことだが、言われても

仕方がない部分もあると思う。

ツイッターやフェースブックで知った記事や動画を見て、なぜ、

この手の情報がマスメディアには出てこないのだろうか、と

疑問に思うことがしばしばある。

怠慢なのか、無視しているのか…

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マスコミ不信からネットに走る人の多くは 大手メディアの

報道が自分たちの疑問に答えてくれないことに不満を覚え、

隠しているのではないかと疑いを持ち、次第にそれが増幅して

行くのだと思う。そのことは、よく理解できる。


一方、ネット上にあふれている情報に怪しげなものが多いのも

事実だろう。

サイト主が不明、検証されているか否かが不明、初出がどこの

誰なのかが不明…

にもかかわらず、ツイッターやフェースブックでは、それらの

すべてがまるで“事実”であるかのごとく無秩序に拡散されて

いることが多く、見ていて恐怖を覚える。


世界フィギュアのときも、災害発生直後も、先日の「27時間

テレビ」などでも、中身は違うが、似たような現象が見られた。

「浅田真央や安藤美姫よりキム・ヨナを前面に出している」、

「総理の会見中に不要発言をしたのはフジテレビAアナだ」、

「深夜のバスケットは岡村いじめだ」事実誤認、あるいは、

根拠のない情報が“愉快犯”や「そうであればいい」と思う人の

手で広まった。一度 立ち止まり、できれば 確認をしてから

行動に移れないものか。

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なによりも、今の日本では「我こそ良識。正義の味方なり」と

言わんばかりに、国の悪口を言わなければ、原発反対を口に

しなければ、そして、憂国の士気取りで将来を悲観しなければ、

すなわちすべて“悪”、その逆はすべて“善”という構図になって

いることが恐ろしい。


広島・長崎の原爆投下、終戦…メモリアル・デーが続くこの

時期は“にわか”が数多く出現する。にわか“反核”、にわか“反戦”。

どちらも賛成だ。異論はない。しかし、これまでずっとそう

思っていた、言い続けてきたかのごとく 声高に叫ぶ必要はない。

いまは、反原発一色だ。日本中探しても、特定のつながりが

あったり 既得権益があったりしなければ、少なくとも 徐々に

脱原発へと考えない人間はいないはずだ。


ツイッターを見ると、マスコミの中でもフジテレビの評判が

すこぶる悪い。“母局”だから目につくだけかもしれないが。

何度も断っている通り、出身局ではあっても、フジテレビに

“借り”はいっさいない。だから、かばい立てする義理もない。

しかし、言われていることが“その通り”なら仕方がないが、

多くは腑に落ちないから どうしても一言 言いたくなるのだ。

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韓国寄り…とわけのわからぬ“言いがかり”が一部ではすでに

定着している。内部にいた者さえ気づかぬうちにそんなことに

なっていたとは!ハハハ。

1963年に入社したとき、韓国文化放送(MBS)のオフィスが

社内にあったし、40年以上前から業務提携を結んでいるのも

事実だが、だからどうなんだ?


キム・ヨナをひいきにしている、K-popや韓流ドラマをごり押し

しているとの批判も絶えない。

キム・ヨナは世界一流のスケーターだし、KARAや少女時代は

歌も踊りもうまく、顔は“整形臭”がぷんぷんするが、見事な

プロポーションは“目の保養”になるから見る。別に彼女たちが

韓国人だからじゃない。

ドラマは10年、15遅れているから見ない。

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いやなら見ない…

視聴者の手には、単純かつ楽な“報復手段”があるのだ。

テレビ局を一番苦しめるのは視聴率の低下だ。特定番組の特定

スポンサーの不買運動などやってないでテレビを消せばいい。

選ぶ局を変えてもいい。

フジが視聴率争いで独走するのは、多くの人が見るからだ。

韓流ドラマを含めて…。

見た結果、“洗脳”された…という話は聞いたことがない。


ついでに書いておくが、韓流ドラマ編成の陰に電通の圧力…

という議論には賛同しない。あくまで その時間に放送すると

ありがたい視聴率が取れるからだ。


韓国寄りの理由として株主に外国人(暗に韓国?)が多いことが

指摘されている。事実なら法律違反だろう? なぜ、総務省が

黙っているのか? 会長・社長が国会に呼ばれたという話も

耳にしないが。

どうしても気に入らなければグループで株を買い、株主総会に

行って追及すればいい。意見表明の方法はいくらでもある。

ネット上で見かけた根拠の薄い話を拡散することにどんな

意味があるのだろうか。


つづく・・・


by toruiwa2010 | 2017-09-02 08:17 | アーカイブから | Comments(0)

Dr Pepper がまだあった!

~思い出す至福の瞬間~ ( 2011.07.28 初出 )

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コンビニの裏で製造から一定時間を過ぎた弁当が捨てられる。

朝の飲食店街では大量の食べ残しがゴミとして処分される。

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“飽食の時代”と言われて久しい。

貧富の差が拡大する一方だとも言われる。

しかし、今の日本で“最下層”とされている人たちの暮らしさえ、

戦後 数年 あるいは十数年、国民が味わった、耐え難い貧しさ、

特に飢えとはくらべものにならないと思う。


どこの家庭でも、育ちざかりの子供を抱えた母親たちが食料の

確保には苦労した。リュックに着物などを入れて 食べものと

交換するために農家に出かけていた。一枚一枚、着ているものを

はがして売ることから“タケノコ生活”と言われた。

法律的に認められていない行為だったから、私の母も警察官の

姿を見れば物陰にかくれ、恐怖と闘いながら往復をしたようだ。


“無邪気な小学生(低学年)だった私は、アメリカ兵が乗った

ジープなどを見かけると、友達と一緒にあとを追って「ギブ・

ミー・チュウインガム」と声をかけたものだ。優しい青年が

多かった米兵が手持ちのガムやチョコレート、ビスケットを

恵んでくれることがあったからだ。

こうして手にした“戦利品”は普通には流通していないものだから

子供たちにとって宝物だった。

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国内で終戦を迎えて除隊し、家に戻った長兄は英語が話せる

ことが幸いして進駐軍(のちに駐留軍)PXに職を得た。

PXとは、進駐してきた米軍の軍人やその家族のための売店だ。

多くは基地内にあるのだが、一部は銀座などの繁華街にあった。

兄はときどき、思いもかけない“おみやげ”を持って帰った。

コカコーラ、バヤリース・オレンジ、ハーシーの板チョコ、

リグレー・ガムなどだった。

親しくなった米兵などに頼んで購入してもらったのだと思う。

厳密にいえば、これも“違法”なのだろう。


子供の舌にコカコーラ独特のにおいと味はなじまなかったが、

すぐに慣れた。“中毒性がある”などと言われたものだ。ハハハ。

逆に、バヤリースは甘美な味だった。どちらもボトルの形が

ユニークでたちまちトリコになったのだが、当時の日本では

なかなか手に入るものではなかった。兄や母からも「友達に

話さないほうがいい」と言われていた。ハハハ。


ガムとチョコの記憶は“におい”から始まる。

外側の包みを開け、内側で輝く銀紙を破ったとき、パーっと

鼻の穴に広がる甘い匂いはまさに“至福”のものだった。

戦後の厳しい時代に育ったのは不幸だったかもしれないが、

あの瞬間の喜びを知らない今の子供たちは逆に幸せじゃない

かもしれないとも思う。ハハハ。

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この記事を書くことになったきっかけは、妻の買い物のお伴で

スーパーに行ったときに、棚で見つけたドクター・ペッパーの

ボトルがバヤリースの記憶につながったことだった。


この飲み物との“出会い”は1973年夏のアメリカだった。

建設中のダラス・フォートワース空港を取材するために訪れた

テキサスで初めて口にした。

飲んだ瞬間“おえっ”となった。薬品のような味だったからだ。

テキサスを本拠とするメーカーの製品で、近く日本でも発売を

開始すると、取材を手伝ってくれていた現地の人から聞いた。

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すぐ、「これは絶対に売れない」と話した。ハハハ。

コカコーラより“薬品臭”がきつかったし、こんなものが日本人の

口に合うわけがないと思ったのだ。

帰国後しばらくして、日本でも売られていることは聞いたが、

飲んだことはなかった。“飲む気”もなかったし。

売れているという話も聞かなかった。やがて、記憶からも消え、

ドクター・ペッパーは日本から撤退したものだと思っていた。


だから、スーパーの棚にボトルを見つけたとき、ビックリした。

誰が飲むんだ?ハハハ。


一口飲んだり食べたりしただけで、以後、一切口にしていない

飲食物はほかにないと思う。

妻は「何かあった気がする」と言うが、思い出せないらしい。

つまり、ないのだ。まさか、彼女が作ったもので…?いやいや、

それなら、互いに忘れるはずないもんなあ。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-08-27 08:15 | アーカイブから | Comments(0)

2冊買っちまった功罪

1240ページ 読了近し~(2010.05.25初出 )

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英語とドイツ語…同じ本を2冊買ったことがあります。

そんな“ヘマ”をするぐらいですから二つの出版社から出ている

ペーパーバックを二冊とも買ったことは、両手の指では数え

切れないほどあります。学習しないのです。

読み終えていればそんな愚かなことは起きないのでしょうが、

買ったあと本棚に並べている状態だと、デザインが違うものが

あったりするので、だまされるのです。

現役の終盤には、海外出張の前に、本棚の まだ読んでいない

本の背表紙をデジカメで撮っていくようにしていました。

「怪しい」と思ったら画像でチェックするのです。

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「クレーマーにあらず ふたたび」(2010.02.10 旧ブログ)に

“ジョン・グリシャムの「Playing for Pizza」を読み終えたあと、

ローテーションとしては、ジェフリー・アーチャーの順番…

と書きましたが、本当はケン・フォレットの「World Without

End」が先でした。

しかし、この本は厚さ5cm1240ページの超大作なんです!!

大作であることを承知で買っておきながら情けないのですが、

読み始めるにはちょっとした“勇気”が必要です。


結局、グリシャムのあとマイクル・コネリーの「Scarecrow」、

次にアーチャーの「Paths of Glory」を読み終えました。

エドモンド・ヒラリーの初登頂より30年も前にエベレストに

挑んだ男たちの物語です。

アーチャー独特の、展開の速い書き方は、読んでいて心地よく、

読み始めてからほぼ2週間弱で読了しました。たぶん、私の

読書歴の中で“史上最速”です。ハハハ。


読みやすいものが2冊続いたので、いよいよフォレットに

“挑戦”することにしました。“ボリューム”を考えたら数ヶ月

かかることを覚悟しなければなりません。

別の“勇気”も求められます。何を隠しましょう、ヨーロッパ

中世の話(歴史)にきわめて弱いのです。ハハハ。


ケン・フォレットは、私が好きな作家に共通するいくつかの

特徴を持っています。ストーリーが分かりやすい、話の展開が

とてもスピーディー、難しい単語が少ない…などです。

全作品を読んでいたのですが、数年前“The Pillars of the Earth”

(「大聖堂」)だけはどうしても物語の世界に入っていけなくて

序盤でギブアップしました。今でも残念に思っています。


今回の“World Without End”(「大聖堂-果てしなき世界」)は、

その続編ともいうべき作品です。Amazonから届いたとき、

その分厚さに圧倒され、あと回しになったのですが、今回は、

せっかく購入したのだからこの際、と意を決しました。


しかし、問題がありました。

1200ページを超える大作は重さが850グラムあります。

数字的にはビックリする重さではないものの、電車の中や、

映画館などで読むために持ち歩く本としては“非常識”でしょう。

ハハハ。


悩んでいると、妻が助け舟を出してくれました。

実は、この本も“二重買い”をしていて、不要になった1冊は

妻が“装飾品”として持っていました。「もう一冊、あるから、

“分冊”にしたら?」と言うのです。

つまり、いくつかに分解したら…というわけです。

一瞬迷いましたが、アイディアを頂戴することにしました。

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分かりにくいかもしれませんが、いちばん右が“原本”です。

“普通”のペーパーバックは400ページ前後です。そこで

1200ページ超あるこの本も三つに分けることにしました。

左が 表紙と一緒に残した初めの三分の一、中央は残りの

三分の二です。


1200ページの量と重さに対する恐怖が消えました。

この“改造本”は快適です。ハハハ。

“第2からは妻がボンドを使って製本してくれたため、

見た目もよくなりました。まるで、もともと、“そういう”

本だったみたいです。ハハハ。

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オリンピックがあったのでペースをつかむのが大変でしたが、

それでも少しずつ読むスピードが上がって行き、2ヶ月少々で、

間もなく読み終えるところまで来ました。


古い物語だし大聖堂が舞台だし、フォレットにしては難しい

単語が多いのですが、苦労したのは最初の50ページほどで、

物語が動き始めてからはいいペースで読めました。

正直に言うと、読み始めて4日目ぐらいには一度ギブアップ

しそうになりました。

しかも、ダン・ブラウンの新作「Lost Symbol」やスティーグ・

ラーソンの注目の本、「Millennium」(3部作)も届いていて、

「早く、読んでくれ」と話しかけてきます。

この誘惑に負けないようにするのは大変でした。ハハハ。


どうやら、ゴールにたどり着けそうなのは、「同じ作者の本を

2冊も途中で挫折できるか!」と自分を鼓舞したからです。

すでに文庫本も出ています。

中世イギリスを舞台にした超大河ドラマはかなり面白いです。

「これでもか」とばかり、主人公を次々に襲うたくさんの苦難…

Mっ気のある方にはぴったりかもしれません。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-08-26 06:38 | アーカイブから | Comments(0)

いや、懐かしいものに再会!

1992 Dacis Cup Final( 2011.06.24 初出 )

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1992年デビス・カップ決勝:USAvsスイス。

フェースブックに友人が投稿しているのを見つけました。

およそ20年ぶりか。いや、実に懐かしい。


この年からテニスを中継し始めたWOWOWはデ杯のSF

決勝も現地から中継しました。熱がこもってました。ハハハ。

アメリカvsスウェーデンのSFはミネアポリスで行われました。


USA d.Sweden 4-1

Switzerland d.Brazil 5-0

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そして、決勝の舞台はダラス・フォートワースでした。


SwitzerlandMarcROSSETJakob HLASEK

USAJimCourier,Andre Agassi,Pete Sampras,John McEnroe


…優勝を狙うアメリカの4人は“DreamTeam”と呼ばれました。

当時のランキングでは①クーリエ、③サンプラス、⑨アガシ、

マッケンローは20位でした。チャンやワシントンではなく

マッケンローを選んだのはダブルスを考えたためです。


問題はシングルスでした。

ランキング的にはクーリエとサンプラスで文句なしでしょうが、

ゴーマン監督はデビス・カップに強い実績を買って、アガシを

シングルスに起用することにしました。

世界ランク3位のサンプラスはマッケンローと組んで慣れない

ダブルスに出場することになったのです!


決勝が始まる前日から街はムードが最高潮でした。

TVカメラがうろうろしていました。実は

マッケンローの妻はハリウッド女優、テータム・オニールです。

チームに合流する直前、3人の子供を連れてアパートを脱出し、

一方的に別居宣言をしました。

…と書くと、オニールが子供を連れ出したと思うでしょうが、

連れ出したのはマッケンローのほうだったのです。ハハハ。


日本のワイド・ショー並みに追いかけるシーンを初めて見ました。

そのせいで、マッケンローは大会中、チームの会見に一度も

同席しませんでした。


スイスからもかなりの数の応援団が来ていました。

彼らはアルプスで放牧する牛の首につけるカウ・ベルを大量に

持ち込んでいましたから、結構な騒音でした。ハハハ。

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初日のシングルス、まず、アガシがラセックにストレート勝ち、

クーリエがロセにフルセットの末、逆転負けして11

デ杯の常ですが、ダブルスが大きなポイントになりました。


2日目のダブルス。

90年全米オープンで優勝してはいましたが、21歳になった

ばかりのサンプラスは経験が乏しく、不慣れのせいもあって

動きの硬さが目立ちました。

1-2セットをタイブレークで失い、第3セットを取り返して

セットカウントは1-2、まだピンチは続きます。


苦しむアメリカを救ったのは、第3セットのあとの休憩という

デビス・カップ独特のルールでした。

放送席にいた私たちは知る由もなかったのですが、アメリカ・

チームのロッカーはものすごい熱気に満ちていたようです。

場内で応援していたアガシやクーリエも加わって、もうひとつ、

意気が上がらないサンプラスを励まし続けたそうです。

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SF(vsスウェーデン)のダブルスも1-2からの逆転劇でした。

英語では“pep talk”といいますが、士気を鼓舞するための仲間の

“おしゃべり”は効果がてきめんのようです。ハハハ。

コートに戻ったサンプラスの動きはよくなり、マッケンローにも

負けない活躍で続く2セットを取って、貴重な1ポイントを

アメリカにもたらしました。


結局、3日目のシングルス第1試合でクーリエがラセックを

下してアメリカは2年ぶりにデビス・カップを取り戻しました。

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今朝、友人のフェース・ブックで懐かしいものを見つけました。

この試合のごく一部がyoutubeに投稿されていたのです。

いやいやいや…まさかこんなところで自分の声に出会うとは

思いもしませんでした。

19年前、柳さんも私も声が若いわ。ハハハ。 http://bit.ly/iXZbzq

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そして、もうひとつ、思いがけないものに出会いました。

マッケンローのサーブで試合が決着した瞬間、実況の私は

「アメリカ 王手!」と一言しゃべったあと黙りました。

割れんばかりの場内の歓声を聞いていただくために。

“黙る勇気”を実践し始めたのはもう少し時間がたってからだと

思っていましたが、このとき、すでにやっていたんですね。

さすが、です。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-08-20 08:25 | アーカイブから | Comments(2)