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岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

カテゴリ:アーカイブから( 65 )

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2011全豪 開幕へ!!

~ポッサムは元気かな?~ ( 2011.01.17.初出 ) 


2011全豪オープンは初日を迎えました。

メルボルンとの時差はわずか2時間…11時から各コートで

試合が始まりますが、日本では午前9時です。

ご主人や子供さんを送り出した主婦たちも、ちょっと息抜きが

できる時間帯でしょうか。もっとも、二人暮らしの我が家でも

朝から洗濯機が回っていることが多いですから、子供さんが

いる家庭では、私が考えるほど主婦がのんびりできる時間では

ないのかもしれませんね。


何度も書きましたが、全豪は最もお気に入りの大会です。

気候は温暖、会場はWOWOW定宿のヒルトン・ホテルから

歩いて10分少々の距離、放送席もこれ以上は望めないという

絶好の位置にあります。仕事をする環境が最高なんです。

コメンタリー陣は、おかげさまでどこに行っても大事にして

もらえる一方、予算の関係でスタッフのホテルはワンランク

下げざるを得ないことが多いのですが、全豪だけは全員が

同じホテルです。こちらの環境もきわめて良好です。

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ホテルの食堂から公園が見えます。

「メシより寝たい」スタッフは足を踏み入れませんが、私は

毎朝6時半から7時の間にはこの窓際に座っていました。

新聞を読み、食事をしながら通りの向こうの緑を楽しむのです。

リリー、エバートン、ブライアン…顔なじみの給仕さんたちは

2006年から急に姿を見せなくなった私のことを心配している

かもしれません。「年も年だったからなあ…」と。ハハハ。

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天気が良くて、自分が第1試合が担当でない日は健康のために

遠回りをして会場入りしました。

公園を抜けて、その向こうにあるダウンタウンを目指すのです。

外側を回る1時間コース、それほど時間の余裕がないときは、

街のヘリを回る40分ぐらいのコースと、いろいろ取り揃えて

いました。ハハハ。

資料をつめたリュックを背負って歩くといい運動になります。

なにより、緑が豊かな森のきれいな空気を胸いっぱいに吸うと、

それだけでかなり幸せな気分になります。

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簡単に35度ぐらいまで気温が上がるメルボルンでも、朝晩は

それほど暑いわけではありません。…が、油断は禁物です。

皮膚がんによる死亡率が高いことでも分かるように、日差しは

気温以上に強烈なんです。うっかり、長い時間、戸外にいると

たちまち“ヤケド”をしてしまいます。髪が薄くなっている私は、

三日目ぐらいに頭皮がむけてきたことがありました。ハハハ。


全豪オープンは訪れるたびに会場の“顔”が変わっていきました。

もちろん“いい方に”です。コートなどの施設は毎年 どんどん

改善され、今では4大大会で一番充実しています。

初めの23年はハエが多くて、番組の冒頭でご挨拶する部分の

収録中に解説者の目のふちにとまったり口の中に入ったりして、

そのために撮り直しになったことが何度もありました。


選手たちも集中しにくかったろうと思いますが、いつのまにか

見事に姿を消しました。試合会場がある公園もフリンダース・

パークからメルボルン・パークと名前を変えています。

大会側には、“ウインブルドン”や“ローランギャロス”のように、

地名を大会の呼び名として定着させたい思惑があったのですが、

見事に失敗しています。ハハハ。

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変わらないのは、ホテルに隣接する公園で毎晩愛嬌を振りまく

小動物、ポッサムです。

リスのような、ねずみのような有袋類で保護の対象です。

昼間は木の上で眠り、夜になると地上におりて主に観光客から

食べ物をもらいます。闇の中で光る目、両手で食べ物を支えて

食べる様子がなんとも可愛くてたまりません。


今大会、私の関心は2点です。

ラファエル・ナダルがグランドスラム4大会を連続優勝する

可能性は30%ぐらいだと思っています。

3回戦の相手になりそうなフェリシアーノ・ロペスに勝てば

準々決勝までは問題ないと思いますが、そこから先はダビド・

フェレル(準々決勝)、ソダリングorマレー(準決勝)…

そう簡単ではないでしょう。直前に風邪をひいたという話を

聞きますが、メルボルンの暑さを考えるとスタミナが心配です。

ナダルのスタミナが問題になるなんて珍しいことです。ハハハ。


もう一人は錦織です。

ジャパン・オープンのときはいろいろな点で失望しましたが、

今回、注目するのはコーチがブラッド・ギルバートに変わった

らしいからです。定評ある戦略家だし、選手をその気にさせる

Mr.Motivator”としても知られています。錦織をどう導くか、

その手腕に興味があるのです。

錦織の試合中に周囲の人と話し込んでいる彼の姿を見ることが

多くなりそうです。そこで柳さんがあきれたように一言、「また、

試合を見てませんね」と言えば、私的には完璧です。ハハハ。


今日は、阪神・淡路大震災が起きた日ですね。

1995年のその朝、会場内のWOWOWの控室に着いたとき、

スタッフが地元局が流している映像にくぎ付けになっていた

ことを思い出します。

当時、芦屋市内のマンションに住んでいた母と長兄が心配で

妻に電話すると、「さっきから電話しているけどつながらない」

という話でした。

連絡がついたと聞いたのは、担当の試合を実況し終えて控室に

戻ったときでした。

関東大震災を経験している母、そのとき母のおなかにいた兄は、

ともに無事でした。


16年がすぎました。


*この年のナダルは準々決勝で

ダビド・フェレルに敗れました。

また、錦織は3回戦でベルダスコに

ストレート負けしています。


by toruiwa2010 | 2017-01-15 08:40 | アーカイブから | Comments(2)

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南を目指す!

~間もなく全豪が開幕~( 2011.01.11 初出 )


メジャーでは“南下する”はフロリダやアリゾナなど気候温暖な

土地に向けて各チームが出発することを意味します。

つまり、キャンプ・シーズンの到来です。

テニス界で“南に向かう”と言えば、新しいシーズンの開幕に

向けてオーストラリア、ニュージーランドなど、“南半球”に

出発することを意味しています。

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私も、1992年から2005年までの14年間、毎年ちょうど今頃、

南を目指したものです。

南半球は真夏です。真っ青な空に浮かぶ夏雲…“超寒がり”の

私にとっては、まさにパラダイス。年明け早々、子供のように

「もういくつ寝ると…」と出発を指折り数えて待ったものです。

ハハハ。


出発に当たっては、少々“テクニック”が必要です。

気温が7~8度の日本から軽く30度を超えるオーストラリアに

行くのですから、着るものの調節が難しいのです。


出かけるときは、Tシャツ、スポーツシャツ、夏物の上着に

ローランギャロスで買った薄手のハーフコートを羽織りました。

成田に着くとコートは畳んでスーツケースに入れて預けます。

再び成田に帰ってくるまで一切用がないのですから。ハハハ。

現地空港に着陸する前にはスポーツシャツも機内持ち込みの

ケースにしまいこまれます。帰国の時は、この逆になります。


最後の7,8年はほかの人たちより早めに日本を出てシドニーに

立ち寄っていました。有力選手たちが集まる前哨戦を取材して

情報を集めるためです。この“優遇”は私を大事に扱ってくれた

プロデューサーの好意でした。一人旅ですが、英語で最低限の

コミュニケーションはとれますから何の不安もありません。

ただし、一度だけ、「ああ、英語でケンカができたらなあ」と

思ったことがあります。


シドニー空港での通関のときです。

“食品を持っているか?”という質問には“yes ”にチェックを

入れておきました。クラッカー、ナッツ類、カップめん…

朝、時間がないときに部屋で食べるための食品を数日分、常に

持ちこんでいたからです。

いつもは問題なく通過できるのに、そのときだけ「これは何だ」と

聞かれたのはカップめんでした。説明すると「開けてみろ」と

言われました。


開けてしまったら使い物にならんじゃないか…と思いましたが、

抗議しても通じませんから、しぶしぶふたを開けると、係官は

ボールペンの先で中身をより分け、“褐色のかけら”を指して

「これは肉だから持ち込みは許可できない」と“宣言”しました。

「加熱・加工してあるよ」と言いましたが、認めてもらえず、

結局、5個のカップめんは没収され、彼のうしろのテーブルに

移されました。恨みがましく見送るしかありませんでした。

「どうせ、君の胃袋に収まるんだろう」と毒づきながら…。

ハハハ。

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まあ、しかし、オーストラリアは…と言っても、シドニーと

メルボルンしか知りませんが、気候も人の気持ちも穏やかで

外国人には優しい国だと思います。何より Tシャツ・短パンで

過ごせるのがうれしいです。


全豪に出る選手はもう全員がオーストラリアに到着している

はずです。“ショッキングな”暑さになることがありますから、

体をならしておかないと大変です。WOWOWのコメンタリーや

制作陣も何班かに分かれてメルボルンを目指しているでしょう。


私ですか?私は大嫌いな寒さから逃れて南に向かう…という

“特典”を楽しめなくなって6年目の1月を、震えながら東京で

過ごしています。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-01-14 08:16 | アーカイブから | Comments(0)

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売るものがなくなる?

~気をつけないとね、テレビ~ ( 2011.01.05 初出 )


暮れから正月にかけてテレビは“おせち”番組でにぎわいました。

ライブのものもありますが、事前収録の番組が圧倒的です。

画面に見えるタレントたちはハワイやグアムの浜辺でのんびり

甲羅干ししていたことでしょう。ハハハ。

テレビはファッション業界と並んで季節感のない職場です。

昔、人気番組だったフジテレビの「新春かくし芸大会」などは、

10月ごろから廊下に今日の収録予定表が張り出されていて、

「えっ、いま何月だったっけ?」とあっけにとられたものです。

1年中 番組作りに追われるテレビは忙しい職場の典型でしょう。

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今では24時間放送が当たり前です。ウィキペディアによると

1987年にフジテレビが始めたそうです。知りませんでしたが。

ハハハ。

初めから終夜放送だったわけではありません。

手元にある昔の番組表を見ると 19613月までフジテレビの

放送開始は驚くなかれ 午前11時!!

しかも、午後2時から5時近くまで放送を休んでいたのです。

シエスタか?ハハハ。

私が入社した1963年でも、早朝に放送を始めて0時前後の

放送終了まで、休みはなかったものの、午前9時、午後3時の

枠は古~い映画でお茶を濁していました。映画を見せるという

感覚ではなく、「どうせ誰も見てないから、映画“でも”流しとけ」

だったのです。

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テレビ局は番組を作って放送するのが商売ですが、営業的には

“時間枠”を売っているのです。当時は、深夜・早朝や主婦が

買い物に出かける時間は売れなかったのです。

しかし、24時間放送の時代の到来まで、あっという間でした。

経営陣がよく口にしたのは「どんなに頑張っても“24時間しか

ないことを忘れるな。テレビは“限界産業”なんだ」でした。

たしかにそうなんですが、経営者はそうやって社員の危機感を

あおって働かせたわけでしょう。ハハハ。


「フジテレビです。JOCX-TV

1963年7月、プロとして私がはじめて電波に乗せたのがこの

5秒のSID、つまり、STATIONIDENTIFICATIONでした。

これは、放送局やアマチュア無線など、電波を出していたら、

一定の時間をおいてアナウンスすることが義務付けられている

コールサインです。自分が何者かを告げるのです。

CM原稿などは、失敗した場合、スポンサーに損害を与えて

しまいますが、こちらは痛くも痒くもないので、当時の新人は、

大体このSIDでデビューしていました。


番組と番組の間をステーション・ブレークといいます。

なんでも略してしまうテレビの世界では“ステブレ”と呼びます。

そこに、SIDや局がやる事業の告知などにまじってスポット

CMが入ります。番組の提供はせずに、商品の宣伝だけをする

スポットCMはテレビにとっては営業収入の大きな柱です。


若い人はご存知ないと思いますが、かつて、“1時間番組

長さが59分でした。言っている意味が分かりますか?ハハハ。

たとえば、8時からの1時間番組は859分に終わり、60秒の

ステブレがあって、9時から別の番組が始まったのです。


しかし、“限界産業”は頭を使います。

アメリカで1時間番組を55(つまり54)にしてそのあとに

5(つまり4)の番組をはさむという“荒業”が生まれると、

すぐに真似をしました。なぜか?

こうすると、ステブレが増える、つまり 収入が増えるからです。

ハハハ。


昔は電波も局員も休んでいた深夜の時間帯もびっしりと番組で

埋め尽くされ、テレビはこれ以上売るものを増やせないという

ところまで来ています。新しいメディアの成長もめざましく、

それでなくても視聴率は頭打ちです。

一度書きましたが、制作費も交際費・打ち合わせ費も、社旗を

立てたハイヤーも使い放題の日々は遠く去りました。テレビが

“砂上の楼閣”となる日は案外近いのかも。


*ネットで番組が見られるようになりました。

全体に視聴率が低迷しているドラマも実はスマホで

見る若者が多いと聞きます。テレビが“冬の時代”を

迎える日はますます近づいているのかもしれません。

暖かい季節に現役だった私は幸せ者でしょう。


いくつか報告


新年に当たり、当ブログの体裁を少し変えました。

春ごろからエキサイト・ブログのアクセス・リポートの数字を

自分のアクセス数とすることにしました。従来のカウンターは

あまりにも数字が少ないからです。ハハハ。


秋になってその数字が多く表示されるようになり、調べると、

PCとモバイルを合算するようにしたからだと分かりました。

スマホで読む人の方がPCより多いことも知りました。

そこで、体裁もスマホのほうに合わせることにしたのです。

1行・28文字です。これまで40文字でしたから 一気に30%

減りました。この形で書くことにまだ慣れません。

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***ページ最下段にある表示を“PC”にした場合です。

“スマートフォン最適化版”に合わせるにはもっと短くする

必要がありますが、私の好みに合いません。ハハハ。


古い記事の更新も“自薦・厳選300は実情に合わないので

“アーカイブから”にカテゴリを改めました。


従来の形のまま掲載した46日の分も新しい形に直しました。

また、明日以降、記事そのものが短くなっていくはずです。

性格だし、“持ち味”なので一部、毒を含む書き方に変わりは

ないと思いますが。ハハハ。


本年もよろしくお願いいたします。
by toruiwa2010 | 2017-01-09 08:30 | アーカイブから | Comments(0)

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春高バレー 準決勝

~新しい歴史が始まった~( 2011.01.08 初出 )


春の高校バレーが始まっています。

去年までは3月下旬に開かれていましたが、今年から1月に

繰り上げられました。この結果、これまでは出られなかった

3年生が出られるようになったのが大きな変化です。

進学する選手は大変ですが、出場する大会数が増えることで

3年生のモチベーションは確実に上がるはずです。大会名称も、

選抜優勝大会から選手権に変わりました。響きがいいですね。


1964年東京オリンピックで一気に火がついたバレーボール・

ブームに注目したテレビは日本リーグの中継に熱を入れました。

フジテレビも例外ではありません。

視聴率が割合よかったこともあって、やがて実業団で活躍する

ことになる高校生の大会を作ろうという機運が盛り上がりました。


詳しいことは分かりませんが、当時の日本協会の前田豊会長・

松平康隆専務理事コンビがフジテレビを巻き込んだのだろうと

想像しています。二人とも、土日に声を聞かない日はないと

いうぐらいテレビで解説をしていて“お話上手”ですから。ハハハ。


決して悪い意味で言っているのではありません。ご両所ほど、

バレーボールをメジャーにするために力を注いだ人はいない

だろうと思います。そして、スポーツ・コンテンツが少ない

フジテレビにとっては“渡りに船”でもあったはずです。

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1970年に始まった大会は、視聴率こそ低調でしたが、会場の

熱気はものすごくバレー熱を広げるのに大きく貢献したのは

間違いないでしょう。

入社7年目、経験が必要な野球の実況にはまだ手が届かない

私のような若手にも大きなチャンスを与えてくれました。

日本リーグ、春高バレーの実況によって、少しは認められる

ようになったのですから、ありがたい存在でした。


選手とのコミュニケーションがうまくとれず、野球の取材に

手こずっていた私にとって高校バレーほど取材しやすかった

種目はありませんでした。

監督に連絡さえしておけば、望む情報はほとんどすべて手に

入りました。

体育館に入って監督に挨拶をすると すぐに「おーい、集合!」と

練習中の選手を集めて「フジテレビの岩佐アナウンサーさんだ。

春高の取材に見えた」と紹介してくれます。


キャプテンが「気をつけ、よろしくお願いします!」と大声で

言うと全員が声をそろえて同じことを“合唱”します。

そういうときや監督が注意を与えるとき、選手はずっと直立

の上つま先立ちになっていることがあります。1年生部員は

辛そうですが、すべてが強化につながっているのです。

練習が終わるころになると、監督が「誰かに話を聞きますか?」と

わざわざ聞いてくれます。始まる前と同様、集合した選手が

「気をつけ、ありがとうございました!」を“合唱”したあと、

「○○と△△と□□は岩佐さんからお話があるから残れ」と

言ってくれます。至れり尽くせり。プロ・スポーツでは絶対に

あり得ません。ハハハ。


いいことづくめのようですが、ときどき困ることもあります。

私たちがいると“やたら”張り切ってしまう監督がいることです。

レシーブの練習では極端に遠い所に強いボールを打ち込んだり、

ミスを続けた選手を泣き出すまで怒鳴りつけたりします。

思わずアドレナリンが出るのでしょう。おそらく、厳しさが

普段の数割増しになっていたはずです。ハハハ。

私たちが取材に行くことは、監督は歓迎しても、選手たちに

とっては迷惑だったかもしれません。


全国大会ですから、ディレクターやアナウンサーの数が足りず、

ネット局の応援を求めることになります。アナウンサーなら、

誰だって決勝をしゃべりたいものです。しかし、私はとうとう

決勝の実況はやれませんでした。

当時 大阪の大工大付属が強く、関西テレビのアナが男子決勝を、

女子決勝はフジの大先輩・山田アナが担当しました。

私の春高バレーは準決勝までで終わり、次の土・日は後楽園で

巨人の最後のオープン戦を見るのが定番のスケジュールでした。


バレーボールの解説者は“達者な人”が多かった記憶があります。

松平さんは“名物男”でした。男子監督としてりっぱな実績を

残しただけでなく、いつも、バレー人気を盛り上げるための

努力を惜しまない人でした。外国選手に“バルカンの大砲”など、

親しみやすいニックネームをつけ、“Aクイック・Bクイック

時間差攻撃など、技に名前を考えたり、バレーの面白さを

伝えることに一生懸命でした。明るいキャラクターとともに

バレーボール中継には欠かせない存在だったのです。

ただし、話好きな人だけにしゃべり出すと止まらない“欠点”と、

頭の回転が速い人なので、こちらの未熟さを見抜かれるのでは

ないかという“怖さ”がつきまといました。ハハハ。

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女子の試合では生沼スミエさんと数えきれないほど組みました。

日立製作所や日本代表として大活躍し、のちに初めての女性の

代表監督にもなった生沼さんは、いわゆる“美人アスリート”の

ハシリだと言っていいでしょう。本人はそんなことをまったく

鼻にかけることなく、記憶する限りでは化粧もほとんどして

いませんでした。

サッパリとして、どちらかと言えば男っぽい性格でしたから、

仕事で付き合うのに気を使うことはいっさいありませんでした。


キャリアを振り返ると呼吸が合った解説者5人の中に入ります。

うまい下手ではなく、彼女と組んだ仕事を終えたあと「今日は

失敗した」と思った記憶がないのです。

女性解説者にはありがちですが、選手に関してネガティブな

ことが言えないというマイナス点をのぞくとコンビを組んで

最高に仕事が楽しめる人でした。


古いビデオを見ると、70年代の実況では、「東京都体育館で

あります」「の対戦でございます」調のしゃべり方になって

いるのに驚きます。今 聞くと、大きな違和感がありますが、

当時はそれが普通だったのです。


今日は4時から準決勝が放送されます。

この時期に繰り上げた結果、レベルも上がっているようです。

40年前に戻って、黄色い歓声がこだまする会場で高校生たちが

必死にボールを追う姿を久しぶりに見ることにしましょう。


*昨日は…

ややこしくてすみません、201717日は女子準決勝、

下北沢成徳vs鹿児島女子の試合を見ました。両チームとも

よく拾って好ゲームでした。

成徳の監督、"胆力"がすごいと思いました。

劣勢でも簡単にタイムを撮らず、選手を信じ切る強い気持ちと

選手たちが自分たちのやってきたことを信じてプレーに徹する

姿にうたれました。


*生沼さんには何十年も会っていません。消息も聞きません。

どなたか、ご存知の方、教えてください。


いくつか報告


新年に当たり、テンプレート…といえばいいのでしょうか、

当ブログの体裁を少し変えました。


従来のカウンターはあまりにも数字が少ないので、画面には

出せませんが、エキサイト・ブログのアクセス・リポートを

信用することにしました。


秋になってアクセス数が前より多く表示されるようになり、

調べると、PCとモバイルを合算するようにしたためでした。

同時に、スマホで読む人が多いらしいことも分かりました。

そこで、体裁もスマホのほうに合わせることにしました。

1行・28文字です。この形で書くことにまだ慣れません。


***ページ最下段にある表示を“PC”にした場合です。

“スマートフォン最適化版”に合わせるにはもっと短くする

必要がありますが、私の好みに合いません。ハハハ。


古い記事の更新も“自薦・厳選300?”は実情に合わないので

“アーカイブから”に改めました。


従来の形のまま掲載した46日の分も新しい形に直しました。

また、連休明けから、記事そのものが短くなっていくはずです。


性格だし、“持ち味”なので一部、毒を含む書き方に変わりは

ないと思います。本年もよろしくお願いいたします。


by toruiwa2010 | 2017-01-08 08:21 | アーカイブから | Comments(2)

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クライフvs岡田武史

Xerox スーパーサッカー~ (2011.01.02 初出 )


WOWOWのプログラムガイドを何気なく眺めていて、今夜、

岡田武史監督とヨハン・クライフの対談があることを知った。

クライフはオランダが生んだ世界屈指のストライカーの一人、

伝説の男だ。今でこそ、読み方は“黙ってクライフ”だが、彼が

頭角を現したころはよく分からず、“クリュフ”と呼ぶ人もいた。

この男の名前を聞くたびに必ずよみがえる記憶がある。

“苦い教訓”を得た思い出だ。


たぶん、一度だけ彼が日本でプレーをしたとき、フジテレビが

中継し、私が実況を担当した。

1980年、2年目を迎えたゼロックス・スーパーサッカーに、

クライフが移籍したばかりのワシントン・ディプロマッツが

呼ばれて日本代表と戦った。当時、まだインターネットはなく、

海外のサッカー事情を知る手段は限られていた。

サッカー好きだったから、クライフは知っていたし、プレーを

見るのは楽しみだったが、実況となると資料集めが大変だった。


日本リーグがあったから日本でもサッカー雑誌は売られていた。

たしか、“サッカーマガジン”と“イレブン”…

しかし、情報は古く、使い物にはならない。洋書店を回って

海外の専門雑誌をかき集めたり、イヤーブックのようなものを

手に入れたりしてクライフについて“嗅ぎ”まわった。


試合当日、ディプロマッツの監督をつかまえ、たどたどしい

英語でクライフについての話を聞いたことを思い出す。

それでも手元に集まったのは、ほんのわずかの資料だった。

それは私にとって“トラの子”だった。

33歳で、当時の選手としては明らかに晩年だったクライフだが、

ディプロマッツの“売り”はほかにいないのだから、放送でも

彼を盛り上げていこうと考えて臨んだ。

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試合は、凡戦だったような記憶しかない。釜本が去ったあとの

日本代表にどんな選手がいたのかもまったく覚えていない。

はっきりしているのは、大きな“失敗”をしでかしたことだけだ。

情報が少ないのだから大事にしなければ…の気持ちが強すぎて、

誰だったか覚えていない解説者がよくしゃべってくれたことも

あって、私が資料を読むことはないまま前半が終わった。


「まあいいか。後半は初めからクライフを前面に押し出して

行けばいいや」と思い直した。

…、しかし!なんと!

後半開始と同時にスタンドからの不満の声を背に、クライフは

ベンチに下がってしまったのだ!

考えておくべきだった。情けなさにしばらく落ち込んだ。ハハハ。


クライフについては、テレビで見たある試合での一シーンが

忘れられない。

バルセロナで彼が監督、息子のジョルディがプレーヤーだった。

カンプノウでのビッグマッチでゴールを決めたジョルディが

父親のもとに走り寄る。両手を広げてクライフがしっかりと

ジョルディを抱きとめた。“監督と選手”ではなく、まぎれもない

“父と息子の姿だった。美しい映像だった。

    

クライフ関連ではないが、プレー以外でまぶたに焼き付いている

映像はほかにも二つある。


まず、'94年のワールドカップ・アメリカ大会で、マラドーナが

ゴールを決めたあと、カメラに向かってものすごい顔つきで

突進してくるシーン。訴えるものがあった。


もうひとつは、1999年のUEFAチャンピオンズ・リーグの

ファイナルで、途中ベンチに下がったマテウス(バイエルン・

ミュンヘン)が、マンチェスターUに逆転されたときに見せた

茫然自失の表情だ。


スポーツ中継では試合が中心になるのは当然として、監督や

選手の思いがけない一瞬の表情も見たいものだ。


ちなみに、“クライフ”の件から私が得た教訓は…

持ってる情報は早めに使え…。ハハハ。


いくつか報告


新年に当たり、テンプレート…といえばいいのでしょうか、

当ブログの体裁を少し変えました。


去年の春ごろからアクセスががくんと減って凹んでいました。

一人でも多くの人に読んでほしいと思っているからです。

あまりにも低い数字を平気で突き付けてくるカウンターを

最下段に追いやり、“いい数字”を教えてくれるエキサイトの

アクセス・リポート(画面には出せません)を信用することに

しました。“本家”が出す数字ですから疑いようがないし。

ハハハ。


眺めていると、こちらは秋になってアクセス数が前より多く

表示されるようになりました。調べると、PCとモバイルを

合算するようになったからです。

で、どうも、スマホで読む人が多いらしいことが分かりました。

そこで、わがスマホの画面を見ると、たくさんの行で最後の

数文字が次の行にこぼれています。“ぶさいく”です。ハハハ。


見た目を気にするタイプなので(w)、“体裁”をスマホのほうに

合わせることにしました。

1行・28文字です。これまでは40文字でしたから、かなり

短くなりました。文章を考えるときの心構えを少し変える

必要がありますが、まだ慣れません。


”自薦。厳選300?”は実情に合わなくなっているので今年から

”アーカイブから”に改めました。タイトルの後半にこの文字が

あったら、2011年以前の記事の再更新と思ってください。


従来の形のまま掲載した46日の分も新しい形に直しました。

また、連休明けから、記事そのものが短くなっていくはずです。


新しい年もよろしくお願いいたします。


by toruiwa2010 | 2017-01-07 08:30 | アーカイブから | Comments(2)