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岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

カテゴリ:芦屋から( 19 )

週末、慌ただしい旅をした。

行った先は芦屋だ。当面、芦屋以外に出かける予定はない。

そして、慌ただしくない旅も、たぶん、ない。ハハハ。

主たる用件は胃と腸の内視鏡検査の結果を聞くことだった。

検査当日に話してくれればいいのに…とだれもが思うが、

麻酔が残った状態で話しても頭に入らないからだそうな。

たしかにそうだね。前の記事を読めば合点がいくと思う。


予約の前日に東京を出た。遅れると厄介だもの。

まず、兄を見舞った。一週間ぶりだ。

看護師さんが微熱があると言っていたが、握手をすると

たしかに温かかった。

“熱”という単語を聞くとどうしても肺炎を連想する。

体力が落ちていると分かっているだけに怖い。


芦屋に行き、兄のマンションに寄ってポストのチェック。

郵便は私の住所に転送するように手配済みだが、芦屋に

来たときは念のためにポストをのぞくことにしている。

溜まったチラシの処理もしないといけないし。

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そのマンションには早くも引き合いがあったようだ。

売却を頼んだ不動産屋が、業者関係に情報を流したところ

食いついて来たそうだ。かなりのリフォームが必要だから

高くは売れまいと覚悟していたが、業者が売り出した価格は

私の想像を超えていた。そんな値段じゃ売れっこないよ…と

思っていたが、“蛇の道は蛇”と言うべきか、“餅は餅屋”と

言うべきか。ハハハ。


2社が下見に来たと言う。幸先がいい。


元町にホテルをとつていた。

東京を出るときは2泊の予定だったが、フロントで一泊に

変えてもらった。その後も胃の調子があまりよくないからだ。

いつまでもしつこいやつだ。たちの悪いものなのか?


チェックインをすませ、すぐに食事に出た。ホテルから近い

中華街には美味しそうなものが並んでいたが、重いものは

無理そうなので敬遠し、アーケードの中ほどのレストランで

コーンスープとビーフシチューを食べた。

デザートにショコラも。小さいやつだ。ハハハ。

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翌日、予約時間よりかなり早めに病院について待っていると

不動産屋から電話が入った。早くも1社からオファーがあり

その額は“言い値”から50万円引いたものだという。なぜ、

50万値切るのか、私には分からん。リフォーム代を加えたら

かなりの売り出し価格になる。で、それでも儲けが出るわけだ。


あとで知ったのだが、もう1社は「言い値通りで買いたい」と

言ってきたそうだ。

待てよ。それなら、もう100万円高くても売れたんじゃない?

素人はそう考えがちだ。しかし、この価格を提示したたから

買い手の“アンテナ”に引っかかったのだとも考えられる。

そこが“プロの勘”だろう。そういうことにしておこう。

ハハハ。


検査の結果は上々だった。

診察室に招かれてすぐ、「なーんにもありませんでしたよ」と、

医師はむしろ残念そうな口調で告げた。たくさんの写真を見せ、

どこにも問題はないと話してくれた。「大腸は5年、胃の方も

3年はカメラをやらなくて大丈夫」とも…。

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医師は“事実”を告げているだけだから、患者が有難がることは

ないのだが、思わず、「有難うございます」と言ってしまった。

ほっとした。絶対に何かあるはずだと思っていたもの。


駅前の市役所出張所で兄の印鑑証明をとって不動産屋に向かった。

「帰りに寄ってほしい」と言われていたからだ。

ほぼ“言い値通り”のオファーをしてきた2社から1社に決めた。


兄を見舞って帰京したあとも、不動産屋とのやり取りがあったが、

兄のマンションの売却にメドがついた。やれやれだ。

逆に、“消化器系に問題なし”も含め、あまりにもいいことづくめで

少し不安も感じていた。こんなにうまくいっていいのか?


ビンゴ!


by toruiwa2010 | 2017-07-12 08:19 | 芦屋から | Comments(3)

・・・つづき


断続的に“たちのわるい”胸焼けが起きることで不安になった。

本当は7月中旬まで1ヶ月ぐらいは兄の様子を見定めてから

東京に戻ろうと決めていたが、身体に何かが起きているなら

東京のかかりつけのドクターと相談するのが得策だと思った。

妻と話し合い、急だったが、30日に引っ越すことにした。

とたんに慌ただしくなった。


兄との間で、残念ながらもう戻ることがないマンションを

売ることになっていた。兄の思い入れの強いものについては

私の家で預かることにしたが、私も断捨離&終活中だから

量はごくわずかだ。残りは業者に引き取ってもらうしかない。

家一軒のクリーニング…初めての経験なので、どうなるのか、

費用がどうなるのかは まったく分からなかった。

引っ越しと合わせて、3軒に見積もりをしてもらって決めた。

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70万円から22万円まで、業者によってとんでもない差が

出ることが分かった。若いカップルの業者が、3日をかけて、

びっくりするほどきれいにしてくれた。

同時に、兄が最愛の母と暮らした思い出の場所は消えた。


見積もりに立ち会う合間を縫って、私は兄の施設にでかけた。

担当医師に会って、近く芦屋を去ること、見舞いに来る回数・

頻度が減ること、連絡があればいつでも駆けつけること…

などを話した。兄の“病状”に対応した治療の仕方については

入院時に十分な説明を受け、同意書にサインしてある。

“事情”を知っている医師は「心得ました」と応じてくれた。


27日、“大掃除”が行われているころ、私は病院にいた。

28日に上部・下部消化管内視鏡検査(胃と腸のカメラ)

やるのだが、大腸内視鏡の検査を受けるときには前夜から

入院することにしているのだ。まさか、兄と同じ病院に入り、

同じ病衣を着ることになるとは思いもしなかった。ハハハ。

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28日は早朝から下剤の入った薬液と水をたらふく飲まされた。

8時半ごろには私のおなかはすっかり空っぽになっていた。

それからの“待ち”の時間の長かったこと。

「お待たせしましたあ。岩佐さん、さあ、行きましょう」と

看護師さんが迎えに来たのは4時近くだった!


検査は麻酔?をかけて行われたため、まったく覚えていない。

深い眠りから目が覚めたとき、看護師さんが会計の仕方などを

説明中だった。麻酔が残っている状態で退院したみたいだ。

金を払った記憶がはっきりしないため、翌日、病院に行った。

東京都民として“跡を濁す”わけにはいかないもの。ハハハ。


「すでに払われている」と言われた。

精算するとき 請求書のバーコード部分を機械にかざすのだが

その記憶がない。聞くと、カードで払われていると言う。

しかも、すでに会計の窓口が閉じたあとだったから、地下の

救急の窓口で払っていると!


霧の向こうから、記憶が少し蘇ったが、全体はぼやけている。

怖いなあ。検査の結果は77日の診察のときまで分からないし、

いろいろ、不安が残った。


29日は銀行、不動産屋と会って今後のことを話し合った。

妻と一緒に兄の見舞に行った。マンション売却に伴う作業を私に

任せる委任状にサインをもらう必要もあった。字を書くことは

負担になるので気が気ではなかったが、頑張って書いてくれた。

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30日の引っ越し作業は順調に終わり、1時半の新幹線に乗れた。

新大阪を離れたのぞみの小さなテーブルには母の遺骨が載って

東京への旅を共にした。妻は“ふさわしい”袋を用意していたが、

今回は慌ただしく家を出たために持ってきていなかったので

遺骨が納まったのは成城石井のショッピングバッグだった。

父が亡くなったあと、1989年に芦屋に移った母にとっては

28年ぶりの帰京になった。


遺骨を東京に持って帰ることについては一度 話してあったが、

前日、兄を見舞ったときにこの話をすると、安心したような

顔をしていた。

近く、父と、幼くして失った娘が眠る多磨墓地に埋葬する。


地元駅について簡単な買い物を済ませたあと、口実を作って

妻を先に帰らせた。“寄り道”をして、東京に戻るときには

そうしようと、ずっと考えていたことを実行するためだ。

精神的に厳しいことの多かった単身赴任生活を支えてくれた

妻に感謝とねぎらいの花を贈る…50年を超える結婚生活で

一度もやったことがないので照れ臭かったが。ハハハ。

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心身ともにかなり疲れました。

しばらく(とりあえず、9日まで)休みます。


by toruiwa2010 | 2017-07-05 08:17 | 芦屋から | Comments(4)

6月30日、東京に帰ってきた。

そう、5ヶ月暮らした芦屋のマンションを引き払った。

予期せぬ出来事があって、予定を繰り上げた。

いろいろなことが起き、ローラーコースターのような“激動”の

芦屋暮らしだったが、最後の3週間もめまぐるしかった。


613日の深夜、強烈な胸焼けで目が覚めた。「初めて行った

焼肉がいけなかったんだ」と直感した。そうではなかったが。

翌日から3日連続で大事な用件が控えていたので焦った。

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14日、司法書士が兄の病室に来て、マンション売却の意志と

事務的な手続きを私に任せることを最終的に確認。

15日、兄は2ヶ月の入院を終えて施設へ転院。

16日、3月末に購入したが、一度も住むことなく売却した

マンションの“決裁”。

…体調が悪いまま、なんとか乗り切った。


17,18日は兄の見舞いに行かなかった。体調のこともあったが、

いずれ、私が東京に帰ったら、1ヶ月か1ヶ月半に一度しか

来られなくなると思うので“見舞いがない”状態に慣れてもらう

必要があると考えたからだ。

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19日は少し緊張して新しい施設に赴いた。

保証人を二人求められていたが、“二人目”に苦労し、妻の妹に

頼み込んで何とか体裁を整えてあった。

ここには書かないが、もう“一件”あって、兄の入所については

すべての条件を満たしていない状態だった。

「これではお兄さまを預かれない」と言われるかもしれないと

覚悟していた。その場合は、費用は高いが、施設が整っている

企業系の施設に再転院になるなあと。


さいわい、病院側に事情を説明し「何かあったら、私が責任を

持つから」と約束することで了解してもらうことができた。

見学のときから、病院と私の間に信頼関係があったからだ。


…やれやれと思ったその夜、ふたたび、胸やけに見舞われた。

前回よりひどかった。

0時を回っていたが、タクシーを呼んで救急外来に行った。

いろいろ検査してくれたが、結論は「朝一番で消化器内科を

受診してほしい」だった。

帰宅は午前2時だったが、横になっても眠れなかった。

一睡もできないまま、4時になるのを待って妻に電話をし、

来てくれるよう 頼んだ。


21日、指示通り、朝一番で病院に行くと、予約されていた。

あ、病院は つい先日まで兄が世話になっていた芦屋病院だ。

世間は狭い…という話じゃないか。ハハハ。

採血され、腹部のCTを撮られた。その結果、肝臓に小さな

影があると告げられた。か、か、肝臓!?

予想しない角度からボールが飛んできた気分だった。


肝臓の件は早く結論を得た方がいいと医師が言うので、翌日

造影CTをやってもらうことにして帰宅した。

このとき、翌週に胃と腸の内視鏡検査をやることも決めた。

胸やけの方は、妻の手料理のせいか、処方された薬のせいか、

その夜はよく眠れた。


しかし・・・。

22日の深夜、みたび 胸やけが襲ってきた。

23日、病院に行った。予約がないのでずいぶん待たされた。

しかし、クスリを変えてもらったことで この日から胸やけは

おとなしくしてくれているし、なによりうれしかったのは、

前日撮った肝臓の造影CTの結果が問題なしだったことだ。

いまさら、“肝臓”と言われたって、困るし。ハハハ。


*プロフィル用の写真を変えました。

 後ろのマンションに5ヶ月住んだ。


つづく・・・


by toruiwa2010 | 2017-07-04 08:17 | 芦屋から | Comments(2)

・・・つづき


翌日、銀行に行って話をしました。

窓口の若い行員は誠実に耳を傾けてくれました。ほかの用事を

済ませてから銀行に回ったため、話の途中で3時を回りました。

銀行の中にいて正面のシャッターが下りるのを初めて見ました。

彼はそのあとも本社の法務部ともやり取りをしていましたが、

この日は結論が出ず「行内で検討課題とさせてほしい」という

ことになりました。


数日後、電話がありました。最初の行員ではなく、数年前から

兄の“担当者”になっている人でした。

会話の中に思いがけない言葉がありました。“弁護士ではなく

私が兄の代理人になる”可能性をにおわせていました!

確認すると、その通りでした。


突然、道が開けました。…は正確ではないかもしれません。

この“道”は初めからそこにあったのですから。

高齢だったり、身体が不自由だったり、理由はともかく 本人が

銀行の窓口にいけないとき、誰かを代理人に選任する制度です。

私は銀行の窓口で何度も「方法はないか?」と尋ねましたが、

この話は一度も出ませんでした。行内で情報が共有されていない、

簡単には教えないというポリシーがある…どちらか不明ですが、

優しくないですね。超高齢者はこれから増えるばかりなのに。

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どちらにしても、トンネルの出口が見えたのですが、手放しでは

喜べません。超えなければいけない“壁”があるのです。

行員が兄の病室に来て私を代理人と認めるのを確認したうえで

書類に必要事項を記入してもらわなければなりません。

目が不自由な兄は書くことが苦手です。しかも、住所氏名は

いいとして、口座番号を小さい枠内に書くのは“至難”です。


祈るような気持ちでその場に立ち会いました。

幸いなことに途中から加わった彼の女性上司の判断もあって

残りの部分は私が書きこむことでOKになりました。

2日後、行内の審査を経て私は正式に兄の代理人になりました。

兄の口座にある預金を私が動かせるようになりました。

この日飲んだビールのうまかったこと!


その後、転居を予定して購入したばかりのマンションを売った

代金が振り込まれ、兄が施設に入るための費用、さまざまな

場面で生じる支払いなどに対応する資金面は万全になりました。

このときを含め、芦屋病院に入院中の兄のもとには、3組の

訪問者がありました。見舞いではなく“ビジネス”のためです。

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まず、証券会社の担当者。

兄が施設で過ごす期間は超長期になる可能性もあります。

備えとして、動かせる金を“最大限”にしておこうと考えました。

兄の同意を受け、証券を売って銀行口座に移すことにしました。

この“作業”にも、担当者が立ち会ってはっきりと意思表示を

しなければならないのです。


しかも、病室での面談中に本社のしかるべきセクションから

かかってくる電話に出て「第○○回の○○債権・○○口を

売ります」と言わなければいけないのです。記録に残すためだと

言われました。

耳が不自由な兄には とても難しいだろうと思いましたが、

「やってみる」と言うので実行に移しました。

このときも、担当者に同行した上司が、目の前で兄の意志を

聞いたからということで“電話”での確認は免除されました。


最後は司法書士の来訪でした。マンションを売ったときです。

購入したのは3月末でしたから、兄はまだ自力で歩き、面倒な

書類にもなんとか書きこんでいました。

しかし、転売したのは入院後でしたから、手続き的なことは

私が代行しました。5月末、売買契約書にサインする前日に、

司法書士は買い手に頼まれて“売る意志”と“弟を代理人とする”

ことを確認しに来たのです。

兄は明快に意思表示をしました。しかし・・・


これで終わらないのです。

それからおよそ3週間後の614日、ふたたび、司法書士が

やってきました。翌日には兄の転院、翌々日には売買の決裁が

予定されていました。用件は“最終的な意志確認”です。

あきれました。


たった3週間で売る意志がなくなったり、私を代理人にさせる

気がなくなったりするもんか。それとも何か。

あんたは、遺言書を作ったら死ぬ間際に意思を確認するのか!

…と毒づきたくなりました。もちろん、豊田真由子じゃないから

口には出しませんでしたが。ハハハ。


担当者は仕事としてやるべきことをやっているにすぎません。

多額の金銭が絡んでいるのですから念には念を入れ…というのも

理解できます。

しかし、相手をさせられたこの数カ月で、私の神経はすっかり、

すり減ってしまいました。トホホ。


by toruiwa2010 | 2017-06-30 08:15 | 芦屋から | Comments(0)

兄が急性肺炎で入院したのが417日です。

そのあと、実にさまざまなことがありました。

まず、入院が長引きました。その結果、足の筋肉が失われ、

自力で歩くところまで回復できないだろうと告げられました。

加えて、食べものを呑み込むのが困難になり“誤嚥”の可能性が

高くなった…などの理由で一人暮らしが絶望的になりました。


私はその“対策”に追われました。

24時間の介護が必要…となると 施設に入れる必要があります。

安心して任せる施設を探すのですが、兄の場合は“介護認定”の

申請から始めなければなりませんでした。入院した芦屋病院の

看護師長からはこれまで申請していなかったことが不思議だと

言われてしまいました。(1ヶ月後、“要介護5”と認定)


そして、同じ経験をされた方は多いと思いますが、兄のような

“超高齢者”たちに共通する大きな問題は資産の管理です。

私が2月に芦屋暮らしを始めてからいろいろ話をするうちに、

兄がかなりの資産を持っていることが分かりました。

「それだけあるなら、ちゃんとした施設に入ればいいのに」と

訴えましたが、このときは 首を縦に振りませんでした。

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しかし、入院し、厳しい現実を知って 兄も覚悟を決めました。

施設に入るためには金がかかることも理解しました。

3月ごろから私が通帳と印鑑を預かっていましたが、「それなら

難しいことなどないじゃないか」などと言わないでください。

そんなに簡単な話じゃないんです。ハハハ。


キャッシュカードはあるのですが、暗証番号が分かりません。

そんなはずはないのに「登録していない」と言い張ります。

暗証番号の登録なしにカードが発行されることはありません。

使う機会がないまま忘れてしまったのでしょう。

本人の誕生日や両親の誕生日など、考えられる4桁の数字を

いくつか紙に書いて 見せましたが、思い出せないのです。


そうなると、本人が窓口に行かなければお金は動かせません。

何度も銀行に通い、事情を説明し、「本人不在で動かす方法は

ありませんか?」と尋ねましたが、答えはいつも同じでした。

困り果てました。これでは、資金はあるのに、しかるべき施設に

入れることができません。当初 考えていた施設は莫大な費用が

かかります。当面は私が立て替えることも可能ですが、期間が

長引けば対応できません。私たち夫婦の“今後”も考えなければ

ならないからです。

冷たいようですが、私には妻に対する責任もあります。


“成年後見人制度”を思い出し、弁護士事務所に相談に行きました。

…私が兄の後見人になることを考えていましたが、無理でした。

そのためには、兄が認知症などのために判断能力がないことが

“条件”になります。目はほとんど見えず、耳もとても遠いですが、

判断力は正常です。家庭裁判所の目をごまかす自信はありません。

ハハハ。


次に、兄が弁護士と契約を交わして、弁護士に兄の財産を管理する

“代理権”を持ってもらう…という方法がうかび、その方向で銀行と

話してみることにしました。


つづく・・・


by toruiwa2010 | 2017-06-29 08:20 | 芦屋から | Comments(0)

食べ歩き…と書けば 食通orグルメがおいしいものを求めて

レストランや居酒屋をうろついている印象があるが、違う。

この年で単身赴任の私の場合は、バランスのとれた食事を

摂るためだから、ある意味 必死だ。どんなにおいしくても

味が濃かったら、行く回数は限られる。土地柄で しばしば

出くわすめっぽう高い店も同じだ。


5ヶ月を超えたから、さすがになじみの店が何軒かできた。

和食の“鈴(ベル)”魯耕(ろこう)”は週に一度は魚を食べろ

との妻からの厳命を守るために通っている。

5時開店が有難い家族経営のは家庭の料理が食べられる。

全権を掌握して切り盛りするおかみさんとそれを補佐する

娘さんはすぐ近くでスナックも経営しているようだ。

味もまずまずで、一時は毎週 通った。

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“魯耕”は5時半開店だから、東京にいれば4時半には食事が

終わっている我が家にはちょっと厳しいが、おいしいので

月に一度は訪れる。ここの“名物”は土鍋で炊く銀シャリだ。

ただし、少なくても2合を炊くから、夫婦で行くときしか

注文できない。炊き立てのこのご飯に厳選された生たまごを

かけると最高なんだけどなあ。ハハハ。

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50歳ぐらいの小柄なおやじさんがキッチンを仕切っている

こじゃれたピザ屋を見つけた。LIBERTE(リベルテ)だ。

店の内装や食器類に店主の“こだわり”が見える。使い込んで

いい感じになっている調理器具を眺めるだけで楽しい。

月に数回、一人でやってくる超高齢の客をそっとしておいて

くれるのも嬉しい。


電気窯で焼くピザは普通の店のものとは一味も二味も違う。

薄くてパリパリ…お菓子感覚で味わえる。

電気で焼いたものはあまり好きではないのだが、この店のは

“クセ”になる。数少ない経験の中では最高にうまい。特に、

ピザもいいけどこってりしたのは苦手という人にお勧めだ。

ほうじ茶味のプリンがあったら食べなきゃ損だぜ。ハハハ。

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この街で出会った最高の店はトラットリア“ALLEGRO”だ。

たしか、この辺にイタリアンがあったはずだ…と歩いていて

見つけた。外見は8年前と同じだが、経営者が変わっていた。

週末は開店と同時に予約客でいっぱいになる。家族で訪れる

客が多いから店内はにぎやかだ。カウンターの一人客には

その賑わいがうれしく、5月以降、ほぼ毎週 通っている。



ナポリ風の石窯で焼いたピザがストライクゾーンの真ん中に

ズドーンと入ってきた。東京でよく出かける店にくらべると、

サイズが一回り大きくて 一人で食べるのは厳しい。前菜から

うまく量を調節しないとえらい目に合う。ハハハ。

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マルゲリータとクワトロ・フォルマッジが気に入っている。

トッピングの多いものは苦手なのだが、6月に入って注文する

ようになった“マルゲリータ 生ハムとルッコラ“は絶品だった。


ほかの客は知らないが、私がこの店で一番気に入っているのは

“インサラータ・ミスタ(ミックス・サラダ)”だ。ボリュームが

たっぷりで、妻のもうひとつの指令「野菜を食べてね」への

文句のない回答になる。これだけを食べさせてくれるのなら

一日おきにでも通いたいくらいだ。


私の限られた経験では食べたものに“はずれ”はなかった。

店の雰囲気、ホール・スタッフの接客にも文句はない。


ドルチェも、どれもおいしかったことを付け加えておく。


諸事情により、明日は更新を休みます。


by toruiwa2010 | 2017-06-27 08:17 | 芦屋から | Comments(0)

週明け、あまり書くことがない。

今週は、そのうちに…と書き溜めていた

“芦屋通信”をまとめて更新することにする。

推敲が足りていない。誤字脱字はご容赦を。


今日のディナー

メインは竹園のコロッケとメンチカツ

タコ唐草の皿にのせてレンジ30

ホイルで軽く包んでトースター 1分?

レタス、ルッコラ、ミニトマトのサラダ 

サトウのごはん 1/2      以上。

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“料理”をするのでビールはその前に飲み切った。


コロッケ、メンチカツは75

もっとホットに仕上げれば違うと思う。

サラダは90点 優等生だね。

これは外食のときもできるだけ作って食べるよ。

サトウのごはん…おいしかったという記憶が間違いだったね。

まだ、あるので、ふりかけなどでごまかしながら食べきる。


明日はスパゲッティを作る予定。


これからお兄ちゃんのところをのぞいてくる。

昼間から、見守り携帯には反応するけど、玄関のピンポンや

電話に出ないんだ。

では、では。             TO 17/02/03


今日の朝食

トマト、ヨーグルト

ホットサンド(チーズ+ハム)

目玉焼きを乗せる予定だったけど、油をひかなかったため

うまく剥がせなくて断念。

要領が分かってきたら、レタスも乗せる。

ハムとチーズが“ベスト”ではなかった。 TO 17/02/04

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1月末、一緒に芦屋に来て私の一人暮らしが軌道に乗るまで

手伝ってくれた妻が東京に戻って行った夜と翌朝のメールだ。

一定の決意をしてきたのだから、このころはちゃんとしていた。

それから5ヶ月が過ぎようとしている。


昔の人は“初心忘るべからず”と言ったが、諸般の事情があって

残念だが、初心はどこかに行ってしまった。ハハハ。

“気持ち”はあるし、時間がないわけではないのだが、精神的に

疲れることばかりで、お惣菜でごまかすことが多くなった。

当初は“週2回”と決めていた外食が“週3回”になり、最近は

4回になることもある。あと少しだからいいかと。

調理器具も調味料もしっかり持ってきたというのに情けない。


4月中旬から毎日欠かさず兄の病院を見舞ってきた。

病院は芦屋の山の上に立たっているから、よく晴れた日には

大阪湾を挟んで、遠く紀伊半島が見えて気持ちがいい。

ただし、年寄りが歩いて通うのはきつい。行きはどうしても

タクシーを頼むが、帰りは途中で買い物をしながら40~50

かけて歩くようにした。汗をかかないようにかなりゆっくりと

歩いているが、いつの間にかびっしょりになっている。

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5月ごろから“悪い習慣”が定着してしまった。

早めに帰宅したときには昼間からビールで乾杯するのだ。

P チーズ、ナッツ、ノリなどを肴に350mlのスーパー・

ドライを楽しむ。6月に入ってから、これにハーゲンダッツの

ミニアイスクリームが加わった。マカデミアナッツ、うまいね。


外食と決めている日はほかにもうやることもない。

知らぬ間にたまったストレスを解消するには このささやかな

“酒盛り”は最適だね。

そんなわけで、週に一度のペースで6パックを下げて芦屋の

坂を登って家に帰る。“楽しみ”のためだから苦にならない。

ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-06-26 08:04 | 芦屋から | Comments(2)

先週の木曜日に兄が新しい施設に移りました。


この日は朝から少し緊張しました。

9時半の退院に備え、それまでにすべての対応を終えるために

8時半過ぎには病院につきました。朝のテレビがてんびん座の

星占いは第3位で“何事もスムーズに進み…”となっていたのが

心強かったです。ハハハ。

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最後だからと、看護師さんたちが風呂に入れてくれました。

爪も切り、新調のパジャマに着替えて準備は終了です。

担当の先生に会えたのでお礼もできました。看護師さんたち

一人一人にはきちんと挨拶ができませんでしたが、駐車場まで

見送りに来てくれた看護師長と握手をしたときには、思わず

涙があふれてしまいました。本当によくしてくれましたから。


芦屋病院は兄も気に入ったようで数日前には「この病院に

戻ってくるにはどうすればいい?」と聞かれて困りました。

「もう一度、肺炎になれば」と答えると、冗談が通じたのか、

笑っていましたが。


新しい施設への移動は“福祉タクシー”を頼みました。少しずつ

増えているようですが、病院のベッドからストレッチャーに

乗ったまま運んでくれます。若い女性のドライバーでした。

看護師の資格も持っていて、道中、何があっても安心です。

2ヶ月ぶりに外の空気に触れて気分がいいのか、兄はずっと

視力をほとんど失った目を窓の方に向けていました。


施設では4人部屋になるので、プライバシーを保つことは

少し難しくなりますが、“完全に独りぼっち”よりは周囲に

人の気配がある方が兄のためにはいいと思っています。

しかし、個人的な話はしにくくなることが予想されたので、

転院の前日に、考えていた“儀式”を実行しました。


私たち兄弟の父親は明治生まれの九州男児でした。

仕事と酒以外に目が向かず、妻に優しい言葉をかけるという

タイプの男ではありません。

想像でしかありませんが、私より14歳 年上の兄は私たちが

知らない、“耐える母”をたくさん見ていた可能性があります。

私たちとは比べ物にならない“母思い”の姿勢はその経験から

来ているのではないかと思います。


母は2003年の暮に亡くなりました。兄はその遺骨を今でも

自分のマンションに置いています。岩佐家の墓は東京の

多磨墓地にあるのですが、そこに埋葬してしまうことが

耐えられないのでしょう。気持ちが分かるので、私たちは

反対しませんでした。

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しかし、兄が施設に入ったことで事情が変わりました。

残念ですが、自分のマンションに戻ることはないでしょう。

いずれ、このマンションも手放すことになるので、母の骨を

そのままにしておくことはできません。私が東京に引き上げる

タイミングで持ち帰り、埋葬することになります。このことは

兄も理解してくれました。


先週の水曜日、兄のマンションに寄って母の遺骨が入った箱を

きれいなハンカチで包んで病院に向かいました。

少し雑談したあと、いよいよ明日転院することになると話し、

「母さんのお骨を持ってきたよ。お別れしておこうか?」と

枕元に置きました。


ビックリした顔をしていましたが、手を取って箱に添えると

“あー”、“あー”と何度か声をあげ、「ありがとう」という言葉を 

二度 口にしました。お骨を運んだ私に対してではなく明らかに

母に向けた感謝の言葉でした。母への強い思いがその言葉で

語られたとき、思わず、涙が噴きこぼれました。


このとき、写真を撮りました。

ここには載せませんが、入院以来はもちろん、最近の数年間で

一番いい顔をしています。安心したような、穏やかな表情です。

メールで妻に送ると、「いいことをしましたね」という返信が

ありました。2月以来の苦労が報われた気がしました。
by toruiwa2010 | 2017-06-20 08:05 | 芦屋から | Comments(4)

今週の木曜日に兄は入院している市立芦屋病院から西宮にある

“施設”に転院することになりました。


紹介を受けて先月29日に見学した際、「お世話になりたい」と

伝えたとき、“最低でも1ヶ月待ち”と言われていました。

“療養型病院”として、とても評判がいいのです。

肺炎の治療が終わったため、兄は“急性期”の患者を対象とする

芦屋病院に長く居続けることはできません。ベッドが空くまで

23週間、どこかで待機することになる…そう覚悟しました。


病院の中に“地域連携”というセクションがあって、退院後の

ことを考えてくれます。そこの看護師さんが「南芦屋浜病院に

そういう患者を預かるベッドがある」と教えてくれました。

偶然ですが、そこは母が息を引き取った病院です。脳溢血で

寝たきりになった母の病室に兄は朝昼晩 通って食事の世話を

していました。いわば縁のある病院だし、私も3回、見舞いに

行ったところなのでなじみがあるし、そこで待機できるのなら

ありがたいなあと思っていました。


ところが、意外に早く“朗報”がもたらされました。

ワンクッションなしに、直接 転院できることになったのです。

この場合、ベッドが空いた…ということは、人が亡くなった

ことを意味するのですから手放しで喜ぶことはできませんが、

環境の変化が一度で済むのは兄にとってはありがたいことだし、

弟としても嬉しいことでした。

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どの施設にお世話になるにしても、転院したあとの兄の様子を

見届けたら東京に引き上げる予定ですが、一度、芦屋を離れたら

それほど頻繁に関西に来ることはないでしょう。それだけに

どの施設にするかについては大いに悩みました。


まず、普通の病院ではなく、特別な施設に入るためには費用が

発生します。当初、第一候補に考えていたのは某大企業経営の

“老人ホーム”でした。1000万円単位の入居金を払えば、月額は

20万円台ですが、そうでなければ、兄のケースだと月に40

50万円が必要になるのです!


それでも、見学したときに目にした施設の清潔さや働く職員の

感じよさに気持ちが動き、兄の資産なら対応できると考えて

”第一候補“にしていました。

ただし、ひとつだけ不安材料がありました。

看護師は24時間常駐ですが、医師がいないことです。近くの

病院と連携しているものの、不安は残ります。


そんなとき、芦屋病院・地域連携の看護師さんが西宮の施設を

教えてくれたのです。

24時間 医師がいることと費用が安いことも大きな魅力でしたが、

実際に清潔さと静かな環境を見たとき、迷わず決断しました。

ここなら、安心して兄を任せられると。


入院から2ヶ月、芦屋病院には大変お世話になりました。

主治医は若い先生でしたが、重篤だったと思われる兄の生命を

つなぎとめてくださいました。少しも“義務的”と感じさせない

ナースたちの看護ぶりと合わせて感謝したいと思います。


兄はよく頑張りました。

入院当初にはよほど苦しかったのか、「早くあの世に行きたい」と

弱気なことを言ったこともありましたが、どこに秘めていたのか、

強い生命力を見せて、ここまで回復してくれました。

新しい環境にうまくなじんでくれることを祈ります。


おめでとう、ラファエル・ナダル


Nadal d. Wawrinka 62 63 61


録画で全仏決勝を見た。ナダル、圧巻のV10だった。

許したブレークポイントはたった1

バブリンカにつけ入るスキを与えなかった。

決勝でこのスコアで勝つのは相当のことだ。

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2005年の初優勝を実況したが、プレースタイルを

考えると、全盛期は長くないだろうと思っていた。

30代でこの強さを維持しているとは想像しなかった。

致命傷化と思っていた故障を克服してこの快挙。

こういうところが"チャンピオン"だね。おめでとう!


by toruiwa2010 | 2017-06-12 08:49 | 芦屋から | Comments(2)

・・・つづき


転居に向けた準備


4月に入ると、兄が私たちに買い物を頼むようになりました。

「駅前のバーガー屋でフレッシュネスバーガー」、「セブン

イレブンで中華丼」…「一人で大丈夫。買い物にも行ける。

誰の助けも必要ない」と言い張っていた兄が私たちに何かを

頼むのはかなり珍しいことでした。


迂闊なことに、それが“サイン”だとは気づきませんでした。

気持ちも身体も弱っていることに。

転居の日が近づくにつれて環境が大きく変わることへの不安が

膨らんでいったようです。私たちが家の中で動き回ることも

不安を増幅したかもしれません。


10日にじっくり話し合った結果、私の判断でしばらくは転居を

見送ることにしました。


この時点で兄の部屋はかなり整理されて生活環境も衛生的には

大幅に改善されていました。

1週間、ノンストップで助けてくれた妻は東京に帰りました。

すべては、私がこちらに来た21日以前の状態に戻ることに

なりました。つまり…。


兄は一人暮らしを続ける。私は東京に戻って見守りケイタイで

兄の安全を日常的に確認する。なにか“異変”を察知したら次兄に

連絡し、家までチェックしに行ってもらう…兄が一人暮らしに

こだわるのなら、このようなルーティンでその通りにさせて

あげよう。冷たいようだけど、万一のことがあっても、それは

長兄の選択だから…と納得しよう。

そう考えることにして、私も“あとかたづけ”をすませ、4月末に

芦屋を引き払うことに決めました。


兄の家でまとめてあったペットボトル、新聞、衣類などのゴミを

それぞれの指定の日に出しに行ったり、新居に予定していた

マンションに取り付けたカーテンをはずしたり、リビングに

敷く予定で注文してあったカーペットを受け取りに行ったり…

“あとかたづけ”としてやることはたくさんあるのです。


すべてがひっくり返った!


しかし、4月中旬に事態が一変しました。

兄が救急車で病院に運ばれたのです。次兄の家にいるときに

熱が出たそうです。重い肺炎を発症していました。

419日に次兄から電話がありました。

「いざと言うときに人工呼吸器を使わない。心臓マッサージは

行わない」などについて意見を聞きたいということでした。

この時点で入院から丸2日が経過していました。私への連絡が

遅れた理由は分かりません。


急いで病院に駆けつけ、話し合って“延命処置は行わない”旨の

同意書にサインをしました。最悪の事態を想像して、思わず

涙がこみ上げました。

兄の様子はそれほど深刻には見えませんでしたが、高齢ですし、

もともと、間質性肺炎という病気をもっていたこともあって

医師からは「いつ、危険な状態になるか予断を許さない」旨を

告げられました。

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毎日、病院に通いました。ナースステーションで最初に聞くのは

「昨日は熱は出ましたか?」でした。明け方に3839度の熱が

10日ほど出続け、抗生剤でなんとか平熱に下げていたからです。

正直に言うと、私はこのとき覚悟を決めていました。年齢的にも、

とてもこの危機を乗り越える体力はないだろうと。

しかし、兄はすごい回復力を見せました。時間はかかりましたが、

とうとう肺炎を克服しました。

「間質性肺炎はそのままですが、肺炎の治療は終わりました」と

医師から告げられたのは516日、入院からちょうど1ヶ月が

過ぎていました。


手放しでは喜べません。

長い入院生活で足の筋肉が落ちた兄はもう歩けません。

食べ物を飲み下す力が弱っているために固形物を食べることも

できません。“誤嚥”…食べ物が気管に入って窒息する可能性が

高いからです。

したがって、残念ですが、もう、一人暮らしはできません。

老人ホーム、養護施設…いくつもの施設を見学に行きました。

帯に短し、たすきに長し。

費用がリーズナブルだと思えば、清潔感に欠けている。

職員の感じがとてもいいところは費用がベラボーに高い。

気に入った施設は看護師が常駐しているものの医師が不在。


しかし、最後に見に行った“療養型病院”は別格でした。

進行はゆっくりだと説明されましたが、間質性肺炎と

糖尿病を持っているので、“医師が常駐”は最大の魅力です。

病院ですが、外来・救急患者が来ることはなく、きわめて

静かな環境にも惹かれました。

希望する個室はなくてすべてが4人部屋という点に不満が

あったのですが、「独りぼっちより、誰かがそばにいる方が

いいと思う」という妻の言葉に背中を押されました。


なにより、“老人ホーム”スタイルの施設にくらべると

費用もはるかに安くてすみます。弟としては、これまで

つましい生活をしてきた兄にせめて“最後”はぜいたくを

させてやりたいと思っていましたが、倹約家の兄としては

この選択の方がうれしいでしょう。


問題があります。目下“満床”…ベッドが空いていないのです!

最低でも一か月待ちです…と言われました。6月中旬には

退院できる状態ですから、ベッドが空くのを待つ間をどこで

過ごすかということです。***


つづく・・・


***今週から来週にかけて大きく動きそうです。

時期を見て、又、報告します。まあ、あまり関心は

ないと思いますが。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-06-06 08:31 | 芦屋から | Comments(6)