ブログトップ | ログイン

岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

カテゴリ:テニス( 86 )

d0164636_1158731.jpg
1ヶ月前に骨折して以来、ブログの更新が事実上できなくなっています。
それにもかかわらず、1日平均で450件ほどのアクセスがあって、ありがたいと思いつつ、
ビックリしていましたが、昨日のアクセスは1日で5291件に達しました!
嫌韓・嫌フジテレビ騒動の中で8月19日にマークした当ブログの最高記録、4645件を
大きく上回り、あっさり更新してしまいました。
d0164636_11582955.jpg
午前10時を過ぎるあたりから、左側にあるカウンターの数字が見るたびに増えて行き、
11時までの1時間で300件、驚く暇もなく、次の1時間は なんと1000件を超えたのです!

…こういうときは何かあります。
4645件のときは、私が書いていることに批判が寄せられ、それが広まった結果でした。
しかし、今回は思い当たる節がまったくありません。
ツイッターで助けを求めたところ、まず、「“錦織”ではないか」という反応がありました。
テニス界の大きなニュースが伝えられるたびにファンがこのブログに“足を運ぶ”傾向は
これまでもありました。この日、錦織圭が世界ランク1位のジョコビッチに快勝したので
そのせいではないかというのです。

なるほど…しかし、それにしては、アクセスが異常です。
私のことを記憶しているテニス・ファンがそんなに多いはずはありません。ハハハ。

次に、もっと有力な情報がもたらされました。
ヤフーのHPにシャラポワが発する声についての記事があり、その関連記事の中に私の
古いエントリーがリンクされていたのです。これなら分かります。
そして“正解”だったようです。夕方、新しいトピックに押されてHPからシャラポワの
記事が消えたとたん、アクセスの増加が止まりましたから。ハハハ。

それはそれとして、ついでですから、テニスがらみのことを少しだけ書いておきますか。

Basel
SF Nishikori d.Djokovic 26/76/60
F Federer d.Nishikori 61/63


決勝の相手フェデラーには歯が立たなかったようですが、錦織の活躍は快挙でした。
男子は「トップ100の選手だったら世界No1に勝つ可能性は常にある」と言われます。
しかし、実際に勝つのは、現在32位の錦織にとっても並大抵のことではないはずです。
d0164636_11584689.jpg
それにしても、錦織は“リッパ”になりましたねえ。
ジャパン・オープンでフェレル戦を見ましたが、あまりいいところがありませんでした。
丁寧さが足りず、粘りも欠けているように見えて、この辺が限界か…という印象でした。
唯一、成長の跡をうかがわせたのはサーブです。威力が増し トップ・クラスの選手並みに
フリー・ポイントが取れるようになったのは大きな意味を持っています。
多くの選手がサーブの改良によってランク・アップした実績を残していることを考えると、
明るい材料ですね。

なんの重みもありませんが、私が考える今後の課題は三つです。

サーブのさらなる向上。
試合中の集中力の持続。
体づくり。


ジョコビッチ戦をyoutubeで少し見ましたが、短いセグメントの中でも体を折るシーンが
ありました。トップ100に入ったころ、「陣営が想定した以上のスピードでランクが上がり、
体作りが間に合わないのではないか」と書きました。今も、まだ、理想の状態にはなって
いないのではないかと思います。スポンサーや大会に遠慮せず、スケジュールをうまく
管理して、フィジカル・トレーニングに集中できる時間を作ってほしいと思います。
大きく飛躍する前の短い休憩は賢い選択になるはずです。

シャラポワのうねり声について、“今更感”が漂うクレームがついているとか…
なにを言ってるんだろうね、というのが正直な感想です。この問題は10年以上前に結論が
出ていたんじゃなかったのかと言いたいです。たぶん 彼女以外にも大きな声を出す選手が
増えたために議論が再燃しているんでしょう。
全米で、相手がまさにボールをヒットしようとしているときに“威嚇”するような大声を
出したセレナとは違います。
d0164636_11591237.jpg
プレーするときに自然に出る声をどう制限するのでしょうか。
そんなことは出来っこありません。ヤフーが取り上げていた記事も何を言いたいのかよく
分かりませんでした。きっと、波紋が広がるようなことにはならないと思います。

ちなみに、リンクされていた私の記事は、初め 6年前に書き、今年の4月に
アーカイブとして更新したものです。興味があれば、こちらから。⇓

http://bit.ly/edpA9A

by toruiwa2010 | 2011-11-07 12:02 | テニス | Comments(14)
d0164636_7254143.jpg
決して美しいわけではないのですが、ニューヨークは世界中で
一番好きな街です。その魅力については、何度も書きました。
最後に訪れたのは2005年全米オープンのときです。
この大会がWOWOWでの最後の仕事になりました。
この時点では、まだ誰にも辞めることを話していませんでした。
自由行動になった大会最終日の翌日、一人で外出しました。
目に焼き付けておきたかったのです。センチメンタル・ジャーニー…

「A Holiday in New York」2005.09.12

…「ここだよ」と言われてタクシーを降りると潮のにおいがしました。
例年なら、予備日の月曜日は本を買いに行くぐらいで あとはゴロゴロして過ごすのですが、
今日は、なぜか水のあるところに行きたい、と思ったのです。
行った先は サウス・ストリート・シーポートです。
d0164636_7261711.jpg
イースト・リバーにかかる一番南側の橋、ブルックリン・ブリッジに近い波止場です。
前にも行った事があるはずですが、記憶が定かではありません。
みんな そうなるんですから笑わないように。ハハハ。
数年前に来て座ったのはこのあたりかな、と思うところに腰を下ろし、川面を渡ってくる
風に吹かれながら、読みかけだったジェフリー・アーチャーの新作“Sons of Fortune”
「運命の息子」の残りを読んで時間をつぶしました。

試合に向けて準備をすることも風邪を引かないように気遣うことも必要がなくなりました。
何にも縛られることなく、好きなように時間をすごせる…こんな贅沢なことはありません。
1時間ほどたつと、おなかがすいてきました。近くのカフェに入ります。
「SEQUOIA」…日本語にすると「せこい屋」…あまりよくないか?ハハハ。
いざ、席についてみると、それほど空腹ではないことに気づきました。
結局、注文はバドワイザー(生)、マンハッタン・クラム・チャウダー、サラダでした。
あえて選んだ陽だまりの席から道行く人を眺めながら おいしくいただきました。
d0164636_7264885.jpg
もう一度、川の近くに戻って読書を続けます。少し、目が疲れると川を眺めます。
そんなとき頭に浮かぶのは、今後のことではありません。
年寄りはみんなそうかもしれませんが、私の思いは過去に向かいます。ハハハ。

恥多き人生ですが、WOWOWに来てからの実況人生には満足感があります。
思い返せばたくさんの出来事があり、ブログを何本書いても追いつかないでしょう。
多くの同期性が“悠々自適”の人生を送っている中で、この年齢になっても いい仕事、
いい仲間に恵まれました。とかく一言多いために(ハハハ)、先輩たちからにらまれていた
フジテレビ時代にくらべ、若い仕事仲間に“望まれて”仕事をする喜びを味わえるように
なりました。こんなに幸せなことはありません
d0164636_727880.jpg
最後は、水上タクシーに乗ってミッド・タウンに帰ってきました。
波が高いために、上のデッキに出られなかったのは残念ですが、イースト・リバーから
眺めるマンハッタンは、やはり私の気持を惹きつけて放しません。
今夜は、全仏でデビューして以来気に入っているベトナム料理を食べに行きます。
部屋でゴロゴロしていることを思えば、とても有意義な休日になりました。

So,that’s the end of my sentimental journey.

ホテルに戻ったあと、夜にかけて、思いを込めて視聴者への
“別れの言葉”をつづりました。


人気ブログランキングへ

d0164636_1032692.jpg
by toruiwa2010 | 2011-09-17 07:28 | テニス | Comments(2)
d0164636_934723.jpg
長かった全米オープンが終わりました。同時に、これが柳さんの最後の解説になりました。
放送の最後になって、突然 アナウンサーが「柳さん、本当に長い間お疲れさまでした」と
告げました。その前に、「柳さんは今大会で勇退されます」という話はなかったと思います。
柳さんからは特に挨拶はありませんでした。視聴者は戸惑ったとことでしょう。
たぶん、柳さんからの注文があったのだと思います。シャイな人ですから。
 
d0164636_9481869.jpg
1992年にWOWOWは全豪オープンを放送しました。テニス中継の第一歩でした。
帰国して間もなく、全仏オープンの放映権を獲得しました。担当のプロデューサーから
「解説をどうしましょうか」と相談を受けたのは3月ごろだったと思います。
全豪は、制作を請け負った会社の推薦で内山勝(現日本テニス協会専務理事)、坂井利郎、
平井健一さんが解説をしてくれました。全仏は、地上波で放送するテレビ東京の協力で
坂井・平井コンビにお願いする予定でした。しかし、放送ブースが確保できず、第2週は
東京のスタジオでコメントをつけるため、独自の解説者が必要になったのです。
当時 テニス中継は少なくて 大した情報は持っていなかったですが、NHKが日本選手権を
放送したときの柳さんの解説が印象に残っていました。それを話すと、プロデューサーは
「感触を探ってくれませんか」と頼んできました。本来なら、それこそプロデューサーの
仕事ですが、できたばかりの放送局でしたから…。ハハハ。

交渉は得意ではありませんが、早速 お話をしに行きました。初めから大乗り気でした。
「ずっと、そういう仕事をしたかったんですよ」と…。 すぐに話がまとまりました。
WOWOWと解説者・柳恵誌郎のきずなが生まれた瞬間です。
もっとも、私が柳さんと初めてコンビを組んだのは、そのあとの全米オープンでした。
全仏のとき、柳さんは女子の試合を担当し、男子の担当は神和住純さんだったからです。
d0164636_949620.jpg
数試合 終わったところで「これは…」と思いました。
センス、呼吸、話せること・話せないこと…実況していて心地いいのです。
長い実況人生の中でこういう人は数えるほどしかいません。
野球:豊田泰光、サッカー:奥寺康彦 早野宏史 信藤健仁、アイスホッケー:遅塚研一、
そして、テニスでは柳 丸山淳一(森田あゆみのコーチ) 遠藤愛…いいコンビだったと思う
解説者たちにはこれらの点が共通しています。
柳さんについても「きっと、いいパートナーになれる」と確信が持てました。
d0164636_9494269.jpg
中でも“呼吸”はビックリするほどピッタリ合いました。たぶん 性格的な相性については
2人ともいいとは思っていなかったでしょうが、放送上は驚くほどよかったのです。
ダバディが参加する前、解説者とアナウンサーが放送開始の挨拶と当日のカードの展望を
していた時期がありました。1分半か2分でしたが、柳さんと私が組むと、90%は1回の
収録で済みました。内容も時間もぴったりと。
私の“腕”もありました(ハハハ)が、柳さんが臨機応変で話をまとめてくれるからです。
2人が担当する日はスタッフもカメラマンも仕事が楽だったはずです。
中には、5回も6回も撮り直すコンビがいたのですから。ハハハ。

私はWOWOWで14年間 テニスの実況を担当しました。ざっと計算してみると どんなに
少なく見積もっても柳さんとは250試合以上 一緒に放送したことになります。
はじめは、私があまりにもテニスを知らないことに茫然としたことでしょう。しかし、
2年目に入って間もなく、少なくとも私はある“感覚”をつかみ始めました。
「いいコンビになる」いう感触とは別のものです。
d0164636_9514431.jpg
「ここでこう聞いたら、柳さんはこんな答え方をするはず」「ここではこんな聞き方を
してはいけない」「ここで自分が黙ったら、柳さんはきっとこの状況に応じた話をするに
違いない」etc
この感覚をつかむと、実況アナは 仕事が大幅に楽になります。
それ以後は、柳さんと組んだときは大船に乗った気分で放送席に臨めました。
最後の数年、4回戦ぐらいまでは、基礎的なデータしか用意しませんでした。そのほうが
たくさんの引き出しを持っている柳さんから“らしい”話を聞けるからです。

柳さんは放送の前夜に、担当する試合のシミュレーションをするのが習慣でした。
選手の基礎的なデータをベースにして、ファースト・ポイントからの試合展開を頭の中で
組み立てるのです。本人は「最後のポイントまでやる」と言っていましたが、眉つばです。
すぐに寝こんでしまう人ですから。ハハハ。

“すぐ寝る”“少ししか食べない”の二つは柳さんの大きな特徴です。
「昨日は眠れなかった」と言うのを聞いた記憶がありません。時差ボケがきつい私が
頭にくるほど、朝 顔が合うたびに「昨日もよく寝た」と“ほざく”のです。ハハハ。
d0164636_95222100.jpg
心拍数が30~40しかないあたりはいかにも実績を残したアスリートらしさがあるのですが、
その“少食”ぶりはあきれるほどです。
その場に居合わせた誰もが“普通”と思う量の食事が運ばれてきたとき、柳さんの口から
「わあ、多い。多すぎるよ、これは」という言葉が必ず発せられるのです。
女の子だって平気で食べてしまう程度のものですからやってられません。ハハハ。

わき道にそれてしまいました。話を元に戻しましょう。
「柳さん、このあと、試合はどうなるんですか?」と聞くのが好きでした。
柳さんは「これまではこうだった。これからはこうなって行くんじゃないでしょうか」と
今後の試合展開を予想してくれます。
その予測通りになるかどうかは関係ありません。
私もそうですが、視聴者は 柳さんの予測を聞いてイメージをふくらますことができます。
この“予測”こそが、柳さんとほかの解説者の違いだったと思います。

もうひとつ、豊富な知識と冷静な分析力を持ったベテラン解説者と単なるテニス好きの
お爺ちゃんの両面を併せ持っていたところもほかの人にない魅力でしたね。
口はばったいようですが、“お爺ちゃんのお守”と“解説者のお相手”の両方を大過なく
こなせたのは、“年の功”だったかもしれません。
おかげさまで柳・岩佐はWOWOWの“爺爺コンビ”として、多くのテニス・ファンから
支持していただいたと信じています。
はいはい、中には“老害”という意見もあったことは承知しております。ハハハ。
実は、「柳さんが全米で勇退する」と、少し前にスタッフから聞かされたとき、ある妄想が
頭に浮かびました。
d0164636_957341.jpg
最終日、男子決勝に備えて柳さんが控室を出る。少し“疲れた”ブリーフケースをさげ、
20年間を振り返りながらスタンド下の通路をゆっくりと歩いて行く。
エレベーターに乗り、エレベーターを降りた柳さんがWOWOWのブースのドアを開ける。
センターコートを見下ろす放送席でヘッドセット・マイクをつけて座っているのは…
数日前、ニューヨークに着き、一切コンタクトせずに準備をしていた私、岩佐徹。

ろれつは回らなくなっていますが、サンプラス、アガシ、チャン、サフィン、クエルテン、
フェデラー、ナダル、グラフ、セレス、サンチェス、ノボトナ、ピアス、カプリアティ、
ヒンギス、エナン、クライシュテルス、ダベンポート、ウイリアムズ姉妹、シャラポワ…
2人で見続けてきた選手たちの思い出話を交えながら、ジョコビッチvsナダルの激闘を
きっと楽しく伝えられたと思います。
ま、WOWOWにはそこまでのイマジネーションを持った男はいなかったわけで。ハハハ。

話は尽きませんが、そろそろまとめましょう。
20年間ですか。とんでもない長さですね。
うらやましい限りですよ。おそらく分かっていないと思いますが。ハハハ。
ジョコビッチvsフェデラー、ジョコビッチvsナダルがともにいい試合でよかったです。
お疲れさまでした。一度お会いしたいです。

Men’s Final
Djokovic d.Nadal 62/64/67/61


第3セットを落としたときには、腰のトラブルもあって
リードはしていても、形勢は五分…いや、むしろ、ナダルが
少し有利とさえ見えました。
しかし、今のジョコビッチには勝負弱さも精神的なもろさも
ありません。

最大のライバルを突き放して全米初優勝を果たしました。
対ナダル6連勝ですか。グランド・スラム年間3勝も…。
コート上の態度には揺るぎない自信があふれています。
対戦相手のファンにとっては憎たらしいほどでしょう。
d0164636_9575593.jpg
ナダルにしてみれば、目の上のタンコブ…
それも、相当に大きなタンコブになりました。ハハハ。
シーズンを通して、悪くても半分は勝てるようにしないと、
2人の差は広がるばかりです。

サンプラスvsアガシ、フェデラーvsナダルはテニス史に残る
ライバルリーだと思いますが、ジョコビッチvsナダルにも
その系譜に加わるチャンスは十分あるはずです。
そのためには 来年に向けてジョコビッチ対策をコーチとともに
しっかりと練り上げてほしいと思います。なによりも、11回も
ブレークされたサーブを何とかしないと勝負になりません。
それができなければ“打倒ジョコビッチ”が果たせそうな選手は
ほかに見当たりません。
…ということは、今後数年はジョコビッチの独走が続きます。
そんなことはテニス・ファンが望むところではないでしょう。
Vamos Rafa !

人気ブログランキングへ

d0164636_1032692.jpg
by toruiwa2010 | 2011-09-14 10:07 | テニス | Comments(58)
d0164636_21391863.jpg
Women's Final
Stosur d.Serena W. 62/63

女子決勝は山場の少ない試合だった。
ストーサーがここまで強くなっているとは想像もしなかった。
セレモニーを終えてストーサーがコートの出口に差しかかったとき、
マイクを手にしてハグしたアリシア・モリクのほうがオーストラリアの
将来を背負う選手として大きな期待がかかっていた。

オーストラリア女性の全米優勝は1973年のマーガレット・スミス・コート
以来のことだそうだ。
積極的に攻めるというゲーム・プランを実行しての優勝を讃えたい。

見事な決断をした、この試合の主審もほめておきたい。
ストーサーがボールをプレーする前にセレナが大きな声を出した。
hindrance・・・相手のプレーの邪魔をしたと判断された。
プレー中に帽子が飛ぶのと同じことだ。
ショットが見事なウイナーだったし、セレナの地元、アメリカでの
大会だけに難しい判断だったと思うが、主審のファインプレーだった。
あれを認めてしまうと、テニスの形が変わってしまう。声の大きい
選手が有利になる。練習メニューの中に“発声”を入れることになる。
ハハハ。

勇気ある決断をした主審に拍手を。(07:40AM 加筆)

d0164636_2140337.jpg
…昨日の記事にそう書きました。

「主審のファインプレー…」に対して“クレーム”がありました。
放送席の説明も十分ではなかったので、無理もありません。
普通、帽子が飛んだり、チェアに雑な置き方をしていたタオルが風に飛ばされてプレーが
中断したり、全豪でビーナス(?)がヘアにつけていたビーズを落したりしたとき…などは、
“警告してポイントのやり直し”だったと思います。現場を離れて6年もたつので記憶が
少しあいまいですがご容赦ください。ハハハ。

しかし、“故意”と判断されたら、即失点です。

この試合の主審はギリシャ人のエヴァ・アスデラキさんでした。彼女にとって、グランド・
スラムの決勝を裁くのは初めての経験でした。“初めて”だったことは関係ありません。
終始はっきりしたアンパイアリングだったと思います。
彼女が、“故意”だとして、ストーサーにポイントを与えたのかどうかは分かりません。
大多数の記事は、「意図的なhindrance(妨害)だったのでペナルティーを課した」という
ニュアンスで書いていますが、現時点では、まだ誰も判断理由を聞いていないはずです。

US OpenのHPに出ている記事が少し引っ掛かります。
主審がストーサーのポイントとしたのは「グランド・スラム・ルールの指示するところに
従って」と書かれているからです。
私は“否定的”ですが、この書き方からは、GSでは、有無を言わさず、相手のポイントに
なるというニュアンスが感じ取れます。(確認できません)

どちらにしても、主審は、根拠なしに判断したわけではありません。しかも、迷わず、
毅然とした態度でジャッジを下しました。「拍手を…」と書いた理由はそこにあります。
ざっと読んだ限りでは、このジャッジに異議を唱える記事はどこにも見当たりません。
セレナの“荒れかた”がそれほどひどかったからでしょうが。ハハハ。
大事なポイントでしたから、どうしても判定が気に入らなければ、セレナはトーナメント・
レフェリーを呼んで抗議することもできたのです。それをしなかったのは彼女の選択です。
とにかく サーブが35%しか入らず 惨めなプレーで12ポイント連続で失って第1セットを
落としたセレナにはフラストレーションがかなりたまっていたのでしょう。
自分を抑えることができませんでした。
d0164636_2140263.jpg
「あなた、前にもここで私をコケにした人じゃないわよね。***
私のこと 見るんじゃないわよ。廊下で私を見たら そっぽを向くのよ。
自分の意見を言ったらコードバイオレーションですって!こないだチェックしたけど、
ここはアメリカなのよ。どうしたらそんなことができるわけ?どうにもなんないわ。
どうにもなんないわね。あんたは他人が憎いのね。負け犬だわ。
内面が醜いのよ」

かなり意訳していますが、おおむねそんな意味のことを主審にぶつけました。
d0164636_21411947.jpg
***明らかにセレナの思い違いです。
「前にもここで…」は2年前の全米準決勝(vs クライシュテルス)での騒ぎを指しています。
試合の終盤でフットフォルトを取られました。東洋系の女性の線審でしたが、このときも
セレナは大爆発。「このボールをあんたの“おし○”に突っ込んであげましょうか」…
おかげで高額の罰金を課せられ、2年間の執行猶予となっていました。
奇しくも、全米の決勝は、ちょうど、その“執行猶予”の最後の試合だったわけです。
改めて罰金を取られる可能性は大ですし、グランド・スラムへの出場が禁止されることも
考えられます。1度や2度じゃないから、心証は著しく悪いのです。ハハハ。

ウインブルドンなどで、good loser だなあ、と思ったこともあるのですが、今度ばかりは
救いようがありません。
試合終了後、主審と握手をしなかったのもよろしくないですね。
セレモニーを待つ間 ストーサーの隣に来て話しかけていましたが、ストーサーは明らかに
当惑していました。ネットをはさんで反対側にいた彼女にはセレナの言葉がよく聞こえて
いたでしょうから、当然です。“正体”を見ちゃったんですから。ハハハ。

知りませんでしたが、ストーサーは3回戦(vs Kirilenko)で全米史上最長の3時間16分、
第2セットでは17-15という、これも最長タイブレークを勝ち抜いています。
その粘りが初のグランド・スラム優勝という形で実を結んだのでしょう。

今日、アメリカテニス連盟はセレナ・ウイリアムズにたいして
罰金2000ドル(16万円)を課したそうです。
「ストーサーのラケットが触れたことによって、セレナが声で
プレーを妨害したと判断した」ものです。
それ以上のペナルティはないようです。


ついでと言ってはなんですが、準決勝でジョコビッチに
逆転負けしたフェデラーの2011年はとうとう、グランド・
スラムのタイトルがないまま終わりました。
2003年から年間、最低でもひとつは獲っていたのですが、
偉業に終止符がうたれたことになります。

人気ブログランキングへ

d0164636_1032692.jpg
by toruiwa2010 | 2011-09-13 05:06 | テニス | Comments(22)
d0164636_83247.jpg
全米が終盤を迎えています。日程が厳しいですね。
さすがに、男子ボトム・ハーフの選手に4日間連続で
プレーさせるわけにはいかないので決勝は月曜日に
したようですね。ボランティア、警察・消防などの
要員確保が大変ですから、本当は、なんとか14日間で
終わらせたいのでしょうが、無理なものは無理ですね。
選手にはいいコンディションでプレーしてほしいです。
d0164636_831451.jpg
舞台となっているニューヨークの思い出は尽きません。
グランド・スラムのときに試合以外のこともたくさん
書きましたが、その中から、自分で好きな2本を…。

「Magic Hour」2005.09.04


昨日はウイリアムズ姉妹対決の実況を終えた後、2時間ほどで会場を出ました。
全豪の会場へは歩いていきます。全仏は大会側が用意するシャトルバスを利用しますから、
スタッフが運転する車で会場に行くのは全米だけです。
私はいつも助手席に座ります。別に、決まっているわけではないのですが、いつの間にか、
“岩佐爺”の席として暗黙の承認を得ました。ハハハ。
d0164636_833773.jpg
5分ほどで、国内線用のラガーディア空港の横を通過します。
タイミングによっては、私たちが走るフリーウエイぎりぎりの高さに左前方から飛行機が
舞い降りてきます。横風を受けるときは微妙にゆれながら…。実際には、必要な高度を
保っているはずですが、必ずと言っていいほど誰かが「低いっ!」と声を出します。ハハハ。

マンハッタンに近づいたのは7時10分ごろ…ちょうど、西日が摩天楼の向こうに沈もうと
していました。十分に美しい光景でしたが、15分か20分あとだったら、ビルに明かりが
灯りはじめ、摩天楼が最高に美しく見えただろうになあと、惜しい気もしました。
ニューヨーカーたちは“マジック・アワー”とオブそうですが。
時間を選んで帰ることもできませんから、仕方がありませんが、ナショナル・テニス・
センターで一日を過ごして、ホテルに向かうときに、この時間帯に遭遇すると、疲れが
いっぺんに吹き飛ぶ思いです。

日没直前の薄明り中で、ビルの明かりがどんどん増えていくさまは、まさにマジックです。
フランク・シナトラの“New York,New York”が聞こえてきそうな気がしますね。ハハハ。
d0164636_835290.jpg
飛行機が下りてくるところもビルに明かりがつくところも、日本でだって見ようと思えば
いくらでも見られる光景ですが、舞台がニューヨークだと、特別な感じがしてしまうから
不思議です。

長い出張では“中だるみ”に近い状況になることもありますが、こんな 日常的なようで、
じつは非日常的な光景を見ることで勇気をもらい、仕事での失敗や、いやみな書き込みも
無視して「明日もまたがんばろう」という気になるのです。ハハハ。
いつかきっと、7時半に会場を出るように画策してみましょう。


「Laughters and Tears」2005.09.06

私のグランド・スラム中継は今回で42回目になります。勝負の世界でたくさんの 勝者と
敗者を見てきました。テニスに限らず、どんなスポーツでも、喜びに沸く勝者を見るのは、
こちらも嬉しくなるぐらい気持ちのいいものです。
一方、敗者…これは、見るのがつらいです。スポーツとして取材を始めてから、よほどの
ことがない限り、敗れた選手には近寄らないようにしてきました。
「敗者はそっとしておく」は私なりのルールがったのです。
d0164636_842226.jpg
ところが、最近はマスメディアの要求が厳しいせいか、個人競技でも、チーム競技でも
必ず、記者会見に応じるように義務付けられていることが多いです。
テニスの場合、勝者であれ敗者であれ、希望さえすれば、ATP、WTAを通じて、試合後の
選手をプレス・ルームに呼ぶことができます。正当な理由がない限り、選手は断れません。
断わると罰金です。大金を稼いでいる選手たちの中には、まれに、罰金覚悟で会場から
“とんずら”することがあります。ハハハ。

罰金のほかに、彼(または彼女)に対するマスコミの論調は 当然 厳しいものになりますが、
彼らはこんなとき、新聞など読みませんから、痛くもかゆくもないのです。ハハハ。

世界のトップ・プレーヤーになると、インタビューするチャンスは極めて少ないですから、
大会のときには、負けた選手にもここぞとばかり質問が飛びます。
中には、かなり辛らつなものもあって女子の中には泣き出す選手もいます。
試合に関係のない、意地の悪い質問が続いたとき、カプリアティやグラフが顔を覆って
会見室を出て行ったこともありました。
d0164636_845163.jpg
写真は、アーサー・アッシュ・スタジアムのスタンド下の通路です。
ジュニア選手とコーチでしょうか、歩きながらコーチがジェスチャーをまじえてしきりに
話しかけていました。放送席に向かうときに、こんな光景をよく見かけます。
これからコートに向かう選手、試合が終わった選手たちは、選手ラウンジからの行き帰り、
この通路を歩くのです。試合後の選手の場合、うしろ姿を見ただけで 勝ったか負けたかが
分かります。

はじけるような笑い声をひびかせたり、肩を落とし、とまらない涙をこらえたりしながら
コーチのうしろを行く選手たちの姿をどれだけ見てきたことでしょう。
勝った選手は、二日後の次のラウンドに備えなければいけません。
負けた選手は、大会本部で小切手を受け取って会場をあとにすることになります。

この通路を歩くたびに思い出すことがあります。
90年代の半ばのことです。私は、解説者と一緒に、男子決勝を実況するために放送席に
向かって歩いていました。そのとき、うしろから、「キュッ、キュッ、キュッ」と靴音が
聞こえてきました。誰かが走ってくるのです。

「誰だろう」と思っていると、私たちを追い越して行ったのは なんと1時間足らずのちに
決勝の開始を控えたピート・サンプラスだったのです!!
普通はあまり考えられないことです。
アップの一種なんでしょうが、「こんな時間に走るんだ」とびっくりしました。
同時に「ドラマは、コートの上だけで起きているわけではない」ことも改めて教えられた
気がしました。

ちなみに、スタッフの一人が指摘していましたが、ここの天井部分には 話題になっている
ア・ス・べ・ス・トが使われているようです。一部はむき出しです。
この建物ができてから8年間、毎年吸っていたかもしれません。おっそろし!

2005年全米オープンは私にとってWOWOWでの最後の
仕事になりました。現地にいるスタッフには一言も話して
いませんでした。
これが最後か…と思いながら書いた、この2本には、私の
感傷もにじんでいます。ハハハ。


d0164636_19471962.jpg
      期間限定公開:2001年全米オープンで優勝したときの写真。ハハハ。

人気ブログランキングへ

d0164636_1032692.jpg
by toruiwa2010 | 2011-09-10 08:05 | テニス | Comments(10)
d0164636_8335735.jpg
ハリケーン“アイリーン”の直撃をうまくかわして始まった今年の全米オープンは後半に
なって天候が崩れているようですね。このままでいくと、終盤の日程が厳しくなります。
大会側はどうしても日曜日にすべてを終えたいでしょうから、男子のボトム・ハーフは
木曜日から4日間連続で試合をすることになりそうです。

昨日は、女子QFの話を書きました。今日は男子のQFについて…

2001 US Open Men’s QF
Pete Sampras d.Andre Agassi 67(7)/ 76(2)/76(2)/76(5)


テニス・ファンと自称する人なら、この試合のことは必ず覚えているはずです。
これを知らなかったら、ファンなんて言わせません。ハハハ。

2人とも30歳を超え、アガシはまだトップの力を維持していましたが、サンプラスには
“引退”の2文字がささやかれていました。
そうは言っても、グランド・スラム史上最多の通算13勝(当時)を挙げていたサンプラスと
わずか5人(当時)しかいなかった生涯グランド・スラマー、アガシの対戦です。
この二人がグランド・スラムのQFで顔が合う…という事実に、若手の時代からトップに
駆け上がって行くまでを見守った者としては複雑な心境でした。

もっとも、地元の全米オープンでしたから、ファンもマスコミも私のセンチメンタルな
感情などいっさいお構いなし、当日は朝から大変な盛り上がりを見せていました。ハハハ。
もちろん、私自身にとっても この2人の対戦を実況するのはテニス・アナとしては最高の
仕事でしたから、気合が入っていました。大きな大会でこのカードが実現するチャンスは
だんだん少なくなっていましたからなおさらです。

2人は幼いときからテニスを通して互いを知っていました。
“陰と陽”ほどではありませんが、口数少なく余計なことは言わない男と、目立つことが
大好きで思ったことは口にするタイプの男…性格的には正反対に近い二人でした。
私の印象では、初めのうち、あまりにも性格が違うためにアガシの方が“敬遠”している
ように見えました。しかし、サンプラスが1990年の全米で先にグランド・スラムを獲り、
No1にもなったあたりから、むしろいい友人関係を築いていったように思います。
それはとりもなおさず、アガシが素直に相手を認めリスペクトを示したからでしょう。
決してべたべたした関係ではありませんでしたが、ツアーでトップを争う2人としては
珍しい友人関係でした。
d0164636_8343614.jpg
同時に、プレー・スタイルが対照的だったことも含めて これ以上はないライバル関係でも
あったのです。「2人でコートに出て行くとき、電気が走るんだ」と口をそろえていました。
それが、このライバルリーのすべてを物語っていたような気がします。

Head to Head Sampras 20-14 Agassi

1989 Rome AGASSI 6-2 6-1
1990 Philadelphia SAMPRAS 5-7 7-5 ret
1990 U.S. Open SAMPRAS 6-4 6-3 6-2
1990 ATP Finals AGASSI 6-4 6-2
1991 ATP Finals SAMPRAS 6-3 1-6 6-3
1992 Atlanta AGASSI 7-5 6-4
1992 French Open AGASSI 7-6 6-2 6-1
1993 Wimbledon SAMPRAS 6-2 6-2 3-6 3-6 6-4
1994 Key Biscayne SAMPRAS 5-7 6-3 6-3
1994 Osaka SAMPRAS 6-3 6-1
1994 Paris Indoor AGASSI 7-6 7-5
1994 ATP Finals SAMPRAS 4-6 7-6 6-3
1995 Australian Open AGASSI 4-6 6-1 7-6(6) 6-4
1995 Indian Wells SAMPRAS 7-5 6-3 7-5
1995 Key Biscayne AGASSI 3-6 6-2 7-6
1995 Canadian Open AGASSI 3-6 6-2 6-3
1995 U.S. Open SAMPRAS6-4 6-3 4-6 7-5
1996 San Jose SAMPRAS 6-2 6-3
1996 Stuttgart Indoor SAMPRAS 6-4 6-1
1996 ATP Finals SAMPRAS 6-2 6-1
1998 San Jose AGASSI 6-2 6-4
1998 Monte Carlo SAMPRAS 6-4 7-5
1998 Canadian Open AGASSI 6-7 6-1 6-2
1999 Wimbledon SAMPRAS 6-3 6-4 7-5
1999 Los Angeles SAMPRAS 7-6 7-6
1999 Cincinnati SAMPRAS 7-6 6-3
1999 ATP Finals AGASSI 6-2 6-2
1999 ATP Finals SAMPRAS 6-1 7-5 6-4
2000 Australian Open AGASSI 6-4 3-6 6-7(0) 7-6(5) 6-1
2001 Indian Wells AGASSI 7-6(5) 7-5 6-1
2001 Los Angeles AGASSI 6-4 6-2
2001 U.S. Open SAMPRAS 6-7(7) 7-6(2) 7-6(2) 7-6(5)
2002 Houston SAMPRAS 6-1 7-5
2002 U.S. Open SAMPRAS 6-3 6-4 5-7 6-4

10数試合を実況する幸運に恵まれましたが、どれもスコア以上に内容の濃い試合でした。
とくに、1ポイント1ポイント、手に汗を握った1995年全米決勝と並んで4セットともに
タイブレークになったこの2001年全米QF、最後の対戦になった2002年全米決勝…
この3試合は、今でもまぶたを閉じれば激しかった二人のプレーが浮かんできます。

取り上げた試合では1-3セット連続でタイブレークのあと、第4セットもタイブレークに
なることが決まったとき、スタンドが総立ちになった光景が目に焼き付いています。
スタンディング・オベーションはいつ見ても感動しますが、このときはざわざわっと音を
立てるように鳥肌が立ったことを思い出します。***
d0164636_8352038.jpg
“がっぷり四つ”という言葉がこれほどピッタリくる試合もないのではないでしょうか。
ファースト・ポイントから終了まで緊迫感が満ちていました。ファイン・ショットが続き、
両者ともに、一度もサーブを落とさないまま試合が終わりました。勝ったサンプラスが
アガシに与えたブレーク・ポイントはわずかに3本でした!
2人合わせてトータル・ポイントは338、ウィナーが178本、エラーは59本しかなかった
この試合は“QF”だったにもかかわらず、多くのテニス関係者が全米オープン史上最高の
試合の一つに挙げています。

こういう試合を実況したあとは体内を激しくアドレナリンが駆け巡ります。ハハハ。
その興奮を引きずったまま控室に戻ったとき、迎えるスタッフの目がうるんでいました。
彼らも試合の終盤をスタンドで見たのだそうです。普段は、それぞれの持ち場を離れる
ことなどめったにないのですが、このときはプロデューサーから粋な許可が出たのです。

メジャーのワールド・シリーズ、バレーボールのワールド・カップ、ボクシングの世界
タイトル・マッチ、ミラン・ダービー、UCL、EUROと、さまざまな種目で最高レベルの
試合を実況しましたが、終わったときに これほど満足感に包まれた試合はそんなに多くは
ありません。そして、全米の歴史に残る試合を制したサンプラスが決勝でヒューイットに
完敗したこと、大会終了後にあの同時多発テロが起きたこと…この年の全米オープンは
忘れがたいものになりました。
d0164636_8361751.jpg
第4セットのタイブレークに入る直前、2人がプレーを始める構えに入っている中で1分間
続いたスタンディング・オベーションは前例のないものでした。
スポーツの感動はプレーそのものの中にある…それが私の持論です。
しかし、ときに 思いがけない場面で感動を覚えることもあります。このオベーションは
間違いなくその一つです。
「身震いがしたよ。あんなことは経験したことがなかったね」とアガシは話しています。
d0164636_8371583.jpg
再放送しないかな、WOWOW。
あの試合は10年後の今でも見せる価値があると思うけどな。特に、“昨日今日”のテニス・
ファンに、“大人のテニス”とはこういうものだと分かってもらうには絶好だと。ハハハ。

***はいはい、“鳥肌が立つ”は恐ろしい思いをしたときの表現…と、ものの本に
書いてあることは知ってます。でもね。でも、このときは素晴らしい感動の中で
“実際に”鳥肌が立ったんですから。ハハハ。

人気ブログランキングへ

d0164636_1032692.jpg
by toruiwa2010 | 2011-09-08 08:39 | テニス | Comments(10)
d0164636_738571.jpg
全米オープンテニスは2週目を迎え、女子は今日から準々決勝に入ります。
…2004年が思い出されます。9日目のナイト・セッションでした。

何があってもポーカー・フェースのセレナがこのときばかりは表情を変えました。
文字通り主審に詰め寄って「What’s going on?」…
「どうしたっていうんですか?」という感じです。
その迫力は“ハリケーン・セレナ”がNYをおそったみたいでした。ハハハ。
d0164636_7444388.jpg
無理もありません。場面は、勝負を決めるファイナル・セットの第1ゲームでした。
カプリアティのサーブでジュース。ここでセレナが打ったバックはダウン・ザ・ラインへ。
スタジアムで見ていた誰もが、「ナイス・ショット」と思うようなエースでした。…いや、
そのはずでした。実況していた私も「イン」と思って 次のポイントへ向けてのコメントを
しようとしたとき、雰囲気がどこか変でした。

スコア・ボードにカプリアティのアドバンテージを表わす“ad”がついています!!
このあたりまでは、プレーしていた二人とも「in」のつもりで動いていたと思います。
しかし、私が“ad”に気づいたのとほぼ同時に、一度はポジションについたセレナが
「No,no,no」と大きく叫びながら、審判台に向かって歩き始めたのです。

ここで、私は、大きなミスをしてしまいました。
「問題なく 入っている」ことを示す最初のスローVTRを見たあと、セレナの表情、仕草を
見るため、モニター画面から目を離してコートに向けてしまったのです。 
ボールが着地したのは主審からは遠い位置で、しかも、誰もが「はっきり入っている」と
思ったほどでしたから、オーバールールがあったとは思いもしませんでした。
カプリアティのポイントになったのは、きっと、私からは死角になるライン・パーソンが
「アウト」のコールをしたか、「イン」のジェスチャーのあと、自分から「アウト」と訂正
したのだと判断したのです。
それだけでなく、カプリアティが次のサーブに入る直前、ライン・パーソンが「イン」の
ジェスチャーをしている逆サイドからのスローが出たのも見のがしてしまいました。
d0164636_7383572.jpg
実際は、主審がライン・パーソンのコールを「アウト」に変更したのです。
いま、ビデオを見ると、セレナの「どうしたの?」に対して「I overruled it」と答える
口の動きが分かります。
しかし、私は、試合が終わるまで、オーバールールに気づきませんでした。
視聴者をミスリードしたことになり、申し訳ないことをしました。

試合の方は、その後も、セレナに気の毒なジャッジが続きました。このセットだけでも、
四つはあったでしょう。すべて、試験的に使っていたホークアイの画像で視聴者の前に
はっきりと映し出されました。
Human error =“人間的なミス”はスポーツにつきものですが、これほど、一方の選手に
不利に出てしまうのは珍しいことです。
d0164636_7403983.jpg
会見に現れたセレナは、こう話しました。
「言い訳をするつもりはありません。ストレートで勝たなければいけませんでした。
決していいプレーをしたなどとは言いません。馬鹿みたいなプレーぶりだったし、彼女は
いいプレーをしました。私は墓穴を掘ったのです」
…この年のウィンブルドン決勝でシャラポワに負けたときにも「あざやかな敗者」だった
セレナは、このときも見事でした。

ただし、これだけは言いました。
I’m extremely angry. I feel cheated.I feel like robbed」…
「猛烈に怒ってます」以後は、一語一語をうまく日本語に置き換えることはできません。
ニュアンスとして、「勝ったはずなのに、ほかの誰かの手で横取りされた気がするわ」と
言いたいのだと、私は受け取りました。そう言っても当然だと思える大きな誤審でした。
セレナの強打をよく拾ったカプリアティのガンバリは、勝者の名に値すると思いますが、
“誤審”が、その勝利に影を落としてしまったことは否めません。
d0164636_7405849.jpg
その意味で、この夜 いやな思いをした人は数知れないでしょう。不幸な出来事でした。
トーナメント・レフェリーは、この夜遅くに、オーバールールは間違いであったと認め、
この主審は、今大会では、以後 主審をつとめないとする声明を出しました。

Capriati d.Serena W. 26/64/64

この試合こそが、現在のビデオ判定導入のきっかけになったのです。

主審を務めたのはマリアナ・アルベスさんでした。それまで、グランド・スラムの大きな
コートではあまり見かけない人でした。
当時の自分のブログを読み返すと「カプリアティ戦の時も何故この人かな?と思った」と
書いています。
d0164636_7413714.jpg
アンパイアは技量や実績などによって、ゴールド、シルバー、ブロンズ…と、ランク付け
されています。騒ぎのあと、彼女はシルバー・バッジだったと知りました。そうなると、
ますます、何故、彼女があの試合を任されたのか不思議でした。経験豊富な一流審判でも
カプリアティvsセレナは“裁く”のが難しい試合ですから。ハハハ。

その後、アテネ・オリンピックで発覚した身分証偽造“事件”にからんで、3人の審判が
要員から外されたために、アルベスさんの“位置”が上がっていたのだと聞きました。
あるベテラン審判は「職を解かれたアンパイア達がいれば、あの試合を彼女が担当する
ことはありえなかった」と語っていたそうです。

…アルベスさんの審判としてのキャリアはこのときに終わったものだと思っていました。
しかし、彼女は“タダもの”ではなかったようです。私が現役を離れた翌年、2006年の
全豪オープンを何気なく見ているとき、アンパイア席に座っている彼女を発見!ハハハ。

あまりにも致命的な誤審で非難の嵐を浴び、審判としてのランクも下げられていましたが、
今では、グランド・スラム決勝の主審を務めることもあります。
ポルトガル人です。いわゆる“テニス大国”出身ではなく、しかも、過去に大きな失敗を
したにもかかわらず ここまで地位を回復してきたかげには、地道できびしい努力・忍耐が
あっただろうと思われます。
小泉元総理ではありませんが、「よくがんばった、おめどとう」と、心から祝福したいです。
ハハハ。

人気ブログランキングへ

d0164636_1032692.jpg
by toruiwa2010 | 2011-09-07 08:15 | テニス | Comments(8)
d0164636_818549.jpg
スポーツ観戦を楽しみにしている人は多いです。
見ているうちに特定のチーム・選手を応援するようになります。
アスリートを応援していると、どうしても避けられないのが
“引退”です。
中には、異常に選手寿命が長い選手もいますが、競技ごとに
“常識”とされる年齢に近づくと力が落ちて、表舞台から
去って行くアスリートが大部分です。

たくさんの“別れ”を経験しましたが、一番つらかったのは
ピート・サンプラスでした。


「ああ、サンプラス!」2003.08.22


90年代のテニス界を支配してきた男、ピート・サンプラスがついに正式に引退を表明する
ことになりました。彼が所属するIMGによりますと、USオープン初日の月曜日の午後に
記者会見が予定されています。そして、その日のナイト・セッションに先立って行われる
特別のセレモニーでファンに別れを告げることになります。
d0164636_8191426.jpg
サンプラスについては、ウインブルドンを欠場しても、USオープンを辞退してもたいした
感慨が沸かないと語っていたことなどから、残念ながら引退は「するかどうか」ではなく
“時期”だけの問題だろうと思っていました。今朝のニューヨーク・タイムズ紙に二人の
記者が、同じようなニュアンスで「月曜日のスピーチで引退を表明するだろう」と書いて
いましたから、覚悟はしていましたが、そのときがすぐそこに迫っているという事実を
突きつけられて、なんとも言えないさびしい気持ちになっています。

サンプラスについては思い出されることが山ほどあります。病床にあったコーチを思い、
涙を流しながら放った200キロ・サーブなどでクーリエに逆転勝ちした’95年の全豪QF、
体調が悪く、胃の中のものをもどしながら、ときにラケットを杖代わりにして体を支え、
辛うじてコレチャを振り切った’96年全米QF、そして、子供のころからライバルだった
アガシとの数々の名勝負…。思えば史上最多14のGSタイトルのひとつ目が90年の全米、
最後が去年の全米、ともにライバル、アガシを破ってのものでした。
しかも、その輝かしい経歴の最後の結果が「グランド・スラム優勝」というのも、多少の
異論はあっても、多くの人がGOAT(=史上最高のプレーヤー)と認めるサンプラスらしい
ところでしょう。

はじめは、あまりにも強烈なサーブ・アンド・ボレーと、感情を表に出さない性格から、
「退屈だ」などと見当違いの批判を浴びていた時期もありましたが、安定したプレーと
すばらしいコート・マナーで次第にファンの心をつかんでいきました。風格のある真の
チャンピオンだったと思います。
d0164636_8194286.jpg
'93年の全豪で通訳を介してですが、インタビューをする機会がありました。3分という
短い時間でしたが、私にとってはいい思い出です。
記者会見では、いつも、まともな質問には丁寧に、ピントのはずれた、あるいは、失礼な
質問には厳しい表情で対応していました。言葉の量ではなく、目にモノを言わせることが
多く、かなりのベテラン記者でも一目置いている感じがありました。

実況人生の中で、単に“好きだから”ではなく“尊敬できる選手だから”しゃべりたいと
思ったアスリートはそうたくさんはいませんが、グラフ、アイス・ホッケーのグレツキー、
今、ヤンキースのクレメンス投手、長島、王、マラソンの瀬古、バスケットのジョーダン、
ジョンソンぐらいです。

14のグランド・スラム・タイトル、6年連続の年末1位…これほどの選手は二度と出ない
かもしれません。'92年からGSをフォローし始めた私はサンプラスのほぼ全テニス人生を
見ることができ、じつにしあわせだったと思います。
はるかに歳下ですが100%尊敬できる選手でした。
それだけに、開幕の月曜日はつらい日になりそうです。


「さようなら、ありがとうサンプラス」2003.08.27

とうとうサンプラスに「さようなら」を言うときを迎えました。
夕方6時からの会見、インタビュー・ルームはもちろんいっぱいでした。広報関係者から
「入れなくなるかもしれない」と脅されて早々と入室していたおかげで、はじめから彼の
表情を見守ることができました。
「ウインブルドンに出るための練習を始めても燃えるものがなかった。そのときが来た
のかなと思った」と語ったように、かなり前から覚悟ができていたのでしょう、表情は
思ったよりさっぱりしているように見えました。
d0164636_82083.jpg
そして、はじめのほうで「100パーセント引退です」と言い切りました。
それは、たとえば、マイケル・ジョーダンのように引退したあと、再び戻るようなことは
したくないと心に決めていたからでしょう。
2度、少し胸にこみ上げるものを感じているように見えるときがありました。
それは、彼の人生とテニス・キャリアに及ぼした両親の影響について語り始めたときと、
これから行われるセレモニーに向かう気持ちを聞かれたときでした。

控えめで物静かなご両親でした。
92年から彼をフォローしていますが、彼の両親が試合会場に来たという記事を読んだのは、
小さな大会に一度と2000年、史上最多となる13個目のグランド・スラムがかかったあの
ウインブルドンの2回だけでした。
「怖くて見られない」のと「息子の邪魔をしたくない」との思いからです。
ウインブルドンで初優勝したとき ラジオを聞いていた長女が知らせに行くと父親は2階で
新聞を読んでいたといいます。
サンプラスが「自分の庭のようにしているウインブルドンに一度来てほしい」と、何度も
招いたのですが、同じ理由で断り続けていました。
「いい人間、そしてすばらしいテニス選手になろうとしてきた。このように育ててくれた
人たちに感謝したい」ともサンプラスは語っていました。
d0164636_8202844.jpg
記者会見は比較的淡々と済ませたサンプラスですが、ナイト・セッションで入場したとき、
長く、長く続いたスタンディング・オベーションにはそういうわけには行きませんでした。
きっと、いろいろな思いが脳裏をよぎったのでしょう。

90年、史上最年少の19歳で初優勝したこと、翌年QFで敗れたあと、「プレッシャーが
すごかった。負けてホットした」と言ってしまい、クーリエをはじめとする先輩たちから
きつい非難を浴びたこと、彼自身が「負けてよかった試合があるとすればこの試合」と
語ったことがある92年全米の決勝(vsエドバーグ/「はじめて負ける悔しさを知った」)、
兄のように慕っていたガリクソン・コーチの死、「一緒にコートに出て行くとき、電気が
走った」ライバル、アガシとの95年全米のファイナル、96年の苦しかったコレチャ戦、
無敵状態だったウインブルドンでの3連覇、そして4連覇、それに続いた、グランド・
スラムどころか、いかなるタイトルもとれなかったどん底の2年2ヶ月、17シードで臨み、
奇跡に近い復活優勝をはたした去年の全米…第三者の私でさえすぐに頭に浮かぶ、
強烈な思い出がこれだけあります。
d0164636_8204986.jpg
コートの上に立ち尽くす彼の胸に去来したのはこの程度のものではなかったはずです。
これだけ盛大な拍手に値する実績を残した自分を誇らしく思い、また幸せに感じたかも
しれません。こみ上げる涙をおさえることができませんでした。
40年アナウンサーをしてきて、放送中に泣いたことはありませんが、今日だけは初めから
自信がもてませんでした。あの、人前もはばからず、涙にくれるサンプラスを見たときが
一番危ない場面でした。

それにしても、彼が同世代の才能ある一団から抜け出して頂点を極めるところを見続けて
こられた私たちは幸せでしたね。「ありがとう」と言いたい気持ちでいっぱいです。
かつて、グラフが引退したときにも同じような感慨がありましたが、今後、これだけの
実力と人間性を併せ持つ偉大なチャンピオンにめぐりあうまで私たちはどれだけの時間を
必要とするのでしょうか。

お疲れさまでした。
アナコーン・コーチやベッカーも言っていたように、夫としての、そして父親としての
人生の第2章が幸せに満ちたものであることを祈ります。

そして、最後に、マッケンローが気持ちを込めて言った「We respect you」を、テニスを
愛する者の一人として私からも言わせてほしいと思います。
d0164636_8212541.jpg
2002年の全米優勝を最後に試合をしていませんでしたから、
引退は“既成の事実”でした。覚悟はできていたのです。
それでも、実際に“引退”が現実のものとなると、寂しさは
たとえようのないものでした。

引退セレモニーは柳恵誌郎さん、遠藤愛さんと実況しましたが、
お二人もサンプラスをリスペクトしていましたから、感動で
胸にこみ上げるものがあるのか、質問に反応していただけない
時間帯がしばしば生まれて困りました。ハハハ。


おことわり

東京も猛暑が続いています。
世間さまに合わせて、今日から3日間はお盆休みです。
アーカイブの更新だけとさせていただきます。あしからず。
今日まで、USオープンねた、明日と明後日は27日開幕の
世界陸上に合わせたねたの予定です。


人気ブログランキングへ

d0164636_1032692.jpg
by toruiwa2010 | 2011-08-15 08:26 | テニス | Comments(4)
d0164636_7411065.jpg
蚊が嫌いです。
耳元でブーンと音がすると、見つけて“処理”するまで
見ているドラマの筋はどこかに飛んでしまいます。ハハハ。
かゆみが長く続くタイプなので困るのです。若いころは
腕や首筋に赤い“班点”をいつもつけていたものです。
20年近く前、“魔法の塗り薬”に出会いました。


「かほどうるさき…~世の中で嫌いな音は?~」2009.08.25


世の中に かほどうるさきものはなし ぶんぶといいて夜もねられず

江戸時代の狂歌です。
“世の中で、蚊ぐらいうるさいものはない。ブンブンという音で寝られない”が表向きの
意味になりますが、狂歌ですから、当然、“裏”があります。
つまり、“世の中でこれほどうるさいものはない。口を開けば「文武」ばかりを言う”と、
松平定信の政策を批判したものとされています。うまいものです。

私は、現代に生きていますから、裏の意味はどうでもいいのです。ハハハ。
素直に、表の意味でこの一首を受け止めます。
実際、世の中で嫌いな音は?と聞かれたら、たぶん、誰もが真っ先に挙げると思われる
「黒板を爪で引っかく音」と並んで「耳元で聞こえる蚊の羽音」と答えるでしょう。
夏の夜、闇の中で顔の周辺から「ブーン」という音を聞くと“パニック”になります。
腕を除く全身をタオルケットで包み、息を潜めて顔に止まるのを待ちます。
d0164636_742246.jpg
止まっても、まだ動きません。一拍おいて、“ここだ”と思われるところに手のひらを
叩きつけるのです。一拍おくのは“奴”が針を刺してホッと一息つくまで待つためです。
ハハハ。
2,3回トライして仕留められなければ、電気をつけて“捜索”することになります。
目を凝らし、壁の白い部分で、小さな黒い“点”を見つけるのはかなり難しい作業です。
どうしても見つからないときは、タオルケットを抱えてリビングに行き、ソファで寝ます。
もちろん、キンチョールをたっぷりと噴霧してから。ハハハ。

“蚊の羽音が嫌い”というのは、正確ではないかも知れません。
蚊に刺されることによって生じる“かゆみ”が、私の場合、2週間も3週間も続きます。
“羽音”は“かゆみ”に直結し、それが耐えがたいのです。
しかも、どういうものか、同じ部屋に妻と2人でいても、刺されるのは常に私なんです!
汗のかき方やにおい、血の濃さ…何が理由なのか分かりませんが。

そんな私の強い味方はアメリカでもらったTemovate(テモバーテ?)という軟膏です。
“すぐれもの”です。1日数回、2,3日塗ると、かゆみは最小限に抑えられます。
「それなら、いいじゃないか?」と言われそうですが、これが相当“悩ましい”のです。
この軟膏を手に入れたのが1992年だというところが…。ハハハ。

全米オープン・テニス中継のために滞在したニューヨークのホテルか試合会場か、場所は
ハッキリしませんが、ダニに食われました。上半身を何箇所も…。
一番タチが悪かったのは、ワイシャツの襟でも隠れない首筋に、三つ並んだ“痕跡”です。
まるで、オリオン座のようでした。ハハハ。
d0164636_749340.jpg
あまりにもかゆみがひどかったので、スタッフに頼んで専門医に診てもらうことにしました。
予約を取って、マンハッタンのクリニックに行くと、パンツ一枚の上に手術着のような
ものを着せられ、全身を慎重に診てくれました。
診察を終えたドクターは処方箋を書いたあと、「会場周辺に棲んでいる動物についている
ダニが“ライム病”(Lyme disease)の菌を持っている可能性がある。こちらでも検査を
するが、結果がでるまでに時間がかかる。日本に帰ったら、しかるべき病院で継続して
診てもらうようにしなさい」と、厳かに告げました。

帰国後の検査で “異常”は見つからず、ほっとしましたが、なによりも、処方された
軟膏の効き目のすごかったこと! 腫れもかゆみも劇的に消えていきました。
このTemovateは、以後、虫刺されに弱い私の強力な味方になったのです。
しかし、数年が経過すると、そのまま使い続けていいのかどうかが気になり始めました。
「処方箋で手に入れたのだから無理だろうな」と思いつつ、マンハッタンのドラッグ・
ストアで現物を見せて「ほしい」と言いましたが、予想通り「処方箋がなければダメだ」と
断られてしまいました。「似たようなものはないか?」と尋ね、勧められたものを買って
帰りましたが、Temovateとでは、効き目がまるでちがいます。

…結局、アメリカでも日本でも、この軟膏以上の薬には出会うことはなく、ずるずると、
今日まで来てしまいました。
風邪薬、痛み止め、下痢や嘔吐の薬…アメリカの薬品は効き目が強烈です。
その分、副作用も警戒しなければいけないのですが、背に腹はかえられません。
17年たった今も使っています。死ぬまで“大丈夫な”量が残っていますから安心です。
医者や薬剤師には叱られそうですが。ハハハ。

それにしても、「羽音がブーンと鳴る虫だから“蚊”という文字が出来た」とか。
ほんとですかね。

どこから入りこむのか、気づくと刺されている…
昨日の朝も、そうでしたが、“秘薬”の効きめは絶大で
かゆみは間もなく収まりました。
ドクターの処方箋を手にして、マンハッタンのドラッグ・
ストアで購入してから19年になります。大丈夫なものは
大丈夫なんですね。ハハハ。
d0164636_7471791.jpg
10日ほど前にも刺されました。数時間後妻が使っている
ソファにとまっているところを見つけ右手を叩きつけたところ、
血が飛び散りました。私の血です。ハハハ。



おことわり

“普通の人間が寝ている時間”のコメントはしばらく
承認制とします。ご了承ください。
悪意に基づくもの、感情的なものと“私が判断”したら、
承認しません。削除します。悪しからず。

常識を超えて長いものはご遠慮願います。
自分のブログかツイッターで披歴してください。


人気ブログランキングへ

d0164636_1032692.jpg
by toruiwa2010 | 2011-08-14 07:49 | テニス | Comments(16)
d0164636_9105283.jpg
今年最後のグランド・スラム、全米オープンが近づいています。
会場はニューヨーク郊外、ラガーディア空港に近いフラッシング・
メドウズのナショナル・テニス・センターです。
ほかのグランド・スラムにはない“お祭りムード”のテニスも
楽しいですが、舞台となるニューヨークの魅力に惹かれます。


「ニューヨーク・ニューヨーク」2003.08.21


ニューヨークに来ました。快晴、気温30度+、フツーに夏の終わりを迎えていました。
この街に初めて来たのは1973年、もう30年も前のことになります。
「豊かさへの挑戦」と「新エネルギー時代」という二つの番組で使う映像を撮るために、
ディレクター役の私とカメラマンの二人でアメリカとカナダを45日間 回ったのですが、
その出発点がニューヨークだったのです。

当時のニューヨーク特派員は報道部時代に私をかわいがってくれていた先輩でした。
そのころ、アメリカ発のニュースと言えば90%がワシントン発で、ニューヨーク支局員の
主な仕事は、日本から来る社員の面倒を見ることでした。そして、先輩の説明によれば
「俺の中では接し方を3段階に分けているけどお前はAランクだ」とかで、カメラマン
ともども自宅に泊めてくれさえしました。
d0164636_9111112.jpg
ニューヨーク滞在初日の夕方、マンハッタンの南西 ニューヨーク湾に浮かぶスタテン島へ
連れて行ってくれました。そこからマンハッタンの南端、バッテリー・パークへ向かう
フェリーの上から見た、夕日を受けて輝く摩天楼の美しさは息を呑むほどでした。これも
当然「Aランクだからこそ」のサービスでした。

翌日、仕事を終えて街を歩いていると、いきなり「ちょっとここに入ろうか」と言って
劇場のようなところに私たちを連れ込みました。前方に大きなスクリーンがあったので
すぐに映画館だと分かりました。ただし、普通の映画じゃないんですよ、これが。
あとで“3大傑作のひとつ”だと聞きましたが、いきなり始まったアメリカン・ポルノの
“ド迫力”にただ圧倒されるばかりでした。
これについては先輩も「Aランクだから」とは言わず、「アナウンサーとして、社会勉強に
なったろう」と涼しい顔でした。ハハハ。

アメリカは“移民の国”といわれますが中でもニューヨークは“人種の坩堝”です。
ニューヨーカーと観光客の区別もつきにくいのか、タイムズ・スクエアで信号待ちをしていて
道を聞かれたときにはびっくりしましたが。

そんな形で始まったニューヨークとの付き合い、70年代終わりから80年代初めにかけての
大リーグ中継時代、東の拠点がこの街でしたから 来た回数も50回を超えているでしょう。
d0164636_9113819.jpg
決して美しい街ではありません。そして、一昨年のテロや先日の大停電は極端としても、
かつてはとても物騒な街でした。白昼、すれ違いざまに女性のネックレスをむしりとる
荒っぽい手口のひったくりや、窓口にある数百、数千ドルだけを狙っての「銀行強盗」が
日に何十件も(!)起きた時期がありました。
はるかに治安がよくなった今でも、夜一人でわき道にそれることはしたくありません。
東京にそんな街があるとすれば歌舞伎町ぐらいのものでしょう。それでも、私はこの街が
好きですね。

どこが?と聞かれると、きちんと答えるのが難しいです。
一番ぴったり来るのは、平凡ですが、やはり“活気”でしょうか。街を行く人がみんな
“アメリカン・ドリーム”を胸に秘めているかのような雰囲気を漂わせています。そして、
たとえ信号が赤でも自分の責任でラッシュの車の間を縫って渡っていく“J-ウォーク”も
好きだし、人種を含むすべてが“混沌”、“雑然”としているところにも共感を覚えます。
さらに パリもそうですが、どこを切り取ってもニューヨーク…この感じもまたいいですね。
思えば、そのあたりは開幕が近い全米オープンの特徴と実によく似ている気がします。
d0164636_9115824.jpg
今年のホテルは3年ぶりでインター・コンティネンタルに戻りました。
ここもオフィシャル・ホテルで、かつてはアガシが泊まっていました。今回は欠場ですが、
“運がよければ”クルニコワとエレベーターで一緒になることもあるホテルです。ハハハ。
スタッフは、去年までの国連ビルに近いミレニアム・ホテルの方がよかったと言いますが、
私は街なかにあって、どこに行くにも便利なこのホテルが好きです。

どなたかがおっしゃったとおり、高齢者ですから、最近はスタッフが私の健康をかなり
気にしている気配があります。当然ですよね。私だって「柳さん、大丈夫なのかな?」と
いつも気になりますから。ハハハ。

ですから、こちらもそれなりに気を遣って、時間の取れるときにできる限りメディカル・
チェックを受けるようにしています。去年の全米の前は胃カメラをやり、今年の全豪の
あとには大腸の内視鏡検査を受けて、「問題なし」のお墨付きをもらいました。今回は、
このところ気になっていた「めまい」が脳と関係あるのかどうかをはっきりさせたくて、
脳のCTスキャンをやることにしました。結果は「何の心配も要りません。年齢から来る
スキもありません」とのことでした。
私の脳はまだしっかりと中身が詰まっているようです。ハハハ。

さて、ニューヨーク初日は8時にダウン、0時半起床!でした。
これから街を少し散歩したあと昼寝をして少しでも睡眠時間を稼いで、スタッフが揃う
明日までには時差ぼけを解消しないといけません。やれやれ。

最後に訪れたのは2005年でした。
全米が終わったらWOWOWとの契約を延長しないと
決めていたので、1分、1秒を楽しむような気持でした。
この年、日本を出る日に更新したのが次の記事です。
一部、最初の記事とダブりますが…。



「思えば遠くへきたもんだ」05.08.23

4回目のUSオープン・テニスのためにニューヨークに向かいます。
世界一の街でしょう。パリやローマに比べて、特別美しいわけでもなく、観光スポットが
多いわけでもありません。しかし、フジテレビ時代の1973年にはじめて訪れて以来、私の
心を捉えて放さない街です。全米以外にも メジャーや女子テニスの最終戦などを含めると
40回以上は行っていると思います。

メジャーのころ泊まったホテルは今はもうありません。
いつも、どこかで工事が行われているのは東京と同じです。落ち着きませんが、それは、
この街が「生きて」いる証のようにも思えます。

ケネディ空港でイエロー・キャブ(タクシー)に乗ってマンハッタンに向かうあたりから、
早くも胸がはずみます。遠くに摩天楼が見え始めたら、もうたまりません。ハハハ。
ニューヨークの何が、これだけ人の気持ちを惹きつけるのでしょうか?
ひとつは、やはり活気でしょうかね。東京も活気がある街です。2000年に行った香港も
恐ろしく活気にあふれた街でした。しかし、ニューヨークの活気はひと味違います。

弱肉強食…とは少し違いますが、知恵と行動力のあるものには無限のチャンスがある。
だからこの街では、みんなが明日を、あるいは遠い将来を見据えて、絶対にオレはやって
みせる、私はがんばる、と自分に言い聞かせながら生きているように見えます。
もちろん、その陰で夢破れる人もたくさんいます。最近はそれほどでもないようですが、
70年代から80年代にかけて、紙袋に身の回り用品のすべてを詰め込んで通りをうろつく
大勢の「Shopping Bag Lady」たちの姿があったものです。
d0164636_9155085.jpg
とにかく、ニューヨークに行くといつも思うのは、行き交う人のすべてが「アメリカン・
ドリーム」を信じているように見える、ということです。「映画の見すぎだ」と言われて
しまいそうですが。ハハハ。

限りない混沌、猥雑、融合…ニューヨークの魅力はその辺にもあるのではないでしょうか。
東京でも多くの外国人を見かけますが、人種の坩堝・ニューヨークは、ケタが違います。
ハハハ。
外国を訪れると、どんな国でも まわりには「イタリア人だ。フランス人だ」と思わせる
“その国の人”がいるものですが、ニューヨークでは アメリカ人とアメリカで働いている
外国人、観光客を区別することが困難です。「みんな、ニューヨーカー」なんでしょうかね。
ハハハ。

タクシーに乗ると、運転手がフリーハンドの無線で誰かと交信していることがありますが、
どこの言葉か分からないことが多いです。聞くと、インド、パキスタン、旧東欧諸国…
中には、まったく聞いたこともないような国のこともあります。
それほど、この国、この街は世界中からの移民を受け入れているということになります。
昔、タイムズ・スクエアで信号待ちをしているときに、観光客から道を尋ねられたことが
ありましたっけ。
人種だけでなく 豊かさも貧しさも、そして、世界の一流品からきわめて怪しいものまで…
この、絶妙な混ざり具合があの独特な活気、熱気を生むのではないでしょうか。
d0164636_9163347.jpg
1973年に初めてニューヨークに行ったとき、フジテレビの特派員が面倒を見てくれました。
荷物を解いてすぐに連れて行かれたのは、マンハッタンの南にあるスタッテン島でした。
そこから、ニューヨーク湾をわたるフェリーで戻るときに見た、西に傾いた太陽を受けて
輝く摩天楼の美しさには息を呑みました。その瞬間からこの街にほれ込んだ気がします。

実際は鉄とコンクリートのかたまりに過ぎないのに、なぜ、あれほど美しいと感じるのか
いまだによく分かりません。離れたところから見ると 汚いものがすべて隠れてしまうのは
確かですがね。
d0164636_917086.jpg
これほど好きなのに、そして、これだけの回数訪れているにも拘わらず、マンハッタンの
中で知っているところはごく限られています。
3rd Avenueから7th Avenue、34丁目ぐらいからセントラル・パークの南側59丁目までが
おおよその「守備範囲」です。ハハハ。
このスペースの外に行くのは、メトロポリタン、リトル・イタリー、ソーホー、マジソン・
スクエア・ガーデンなどに行くときぐらいです。
行きたくても行けない人にとっては地団太踏みたくなる“もったいなさ”でしょうね。
まあ、仕事で行ってるわけですから。ハハハ。

14日間で大会が終われば、翌日はフリーです。
帰国するためにホテルを出るのは火曜日の朝8時ごろです。
柳さんと私を除く若手は、日曜日の夜から月曜日、まるまる一日、出発時間ぎりぎりまで、
ニューヨークを満喫しています。そのスタミナはすごいです。ハハハ。
間違いなく、どこに何があるかは彼らの方がはるかに良く知っていることでしょう。

全米オープンのために初めてニューヨークに行ったのは1992年でした。
そのときには、「とりあえず今年は放送する」という感じでしたが、その後も契約の更新を
重ねて、気がついたら今年は14年目。よくぞ、ここまで来たものだなあ、と思います。
放送もそうですが、私もまさかこんなに長くテニスの中継を続けることになるとは想像も
しませんでした。

4大大会の最後になる全米は、のんびりした全豪、粋な全仏、伝統のウインブルドンとは
対照的に、お祭りにも似たにぎやかなグランド・スラムです。
まさに、ニューヨークの混沌、猥雑、融合などを見事に映した“ザックバラン”な大会と
言えるでしょう。

紹介したかったニューヨークの魅力を半分も書けないうちに「締め切り時間」になって
しまいました。ハハハ。

いざ、ニューヨークへ。
次は、世界最大の都会からお届けします。

人気ブログランキングへ

d0164636_1032692.jpg
by toruiwa2010 | 2011-08-13 09:20 | テニス | Comments(4)