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岩佐徹のOFF-MIKE

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実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

<   2012年 04月 ( 32 )   > この月の画像一覧

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・・・つづき

ケネディ暗殺


1963年7月、3ヶ月に及ぶ養成を終え、プロのアナウンサーとしてはじめて電波に
乗せたのがこの5秒のSID、つまりSTATION IDENTIFICATIONでした。
今はほとんど効かなくなりましたが、当時は、一定の間隔でアナウンスすることが
義務付けられていたコールサインです。
CMスポットなどだと、ミスをした場合、スポンサーに損害を与え、営業部が謝罪に
行かなければなりません。SIDは痛くも痒くもないので、そのころの新人はこれで
デビューすることが多かったのです。

開局5年目を迎えていたフジテレビは、その頃営業成績があまりよくなかったのか、
本来ならCMスポット(収入あり)が入るべきところに事業部のスポットや局からの
お知らせ(収入なし)がたくさん入っていて、新人はしばらくはそんなものを中心に
仕事をしていたような気がします。

10月ごろから泊まり勤務が始まりました。
2、3回先輩についてもらったあと一本立ちしたわけですが、その年の11月22日は、
私の何度目かの泊まりの日でした。
最後の映画が終わったあと、翌日の番組の案内や視聴者への「おやすみなさい」の
挨拶などをして仮眠室のベッドにもぐりこんだのは、2時ごろでした。
しかし、少しまどろんだかなと思ったころ、警備員にたたき起こされました。
いきなり、「ケネディが撃たれたので起きてください」と言うのです。
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頭がぼうっとしたまま、とにかく報道部に顔を出すと、「ダラスを遊説中のケネディが
狙撃され、危険な状態に陥っている。放送開始を早めるので、マスター(主調整室)の
ブースで臨時ニュースを読んでくれ」と、デスクから指示されました。
途端に頭はすっきりし、同時に心拍数も一気に上がりました。
「これまで天気予報ぐらいしか読んでないのに、大丈夫かなあ」と、気の弱い新人は
急激に膨れ上がる不で胸がいっぱいになったのです。ハハハ。

よほど情けない顔をしていたに違いありません。デスクが、「心配するな。まもなく
Hが来るように手配してあるから」と、笑いながら言いました。
「ああ、先輩が来るなら安心だ」と、ほっとしたものです。
それ以後、11月になると、どうしても、あれから何年という話になるため、いやでも
そのときの警備員の声と、途方にくれた一瞬のことを思い出すことになるのです。

泊り明けの千鳥足

もちろん、泊まりのたびにこんなに劇的なニュースに出会うわけではありませんが、
間違いなくこの日は泊まりだったと記憶している日が、もう一日あります。
それは、1964年11月29日で、露木の結婚式があったので忘れません。
披露宴のあと局に戻って泊り勤務に入った私と先輩女性アナに、同期生が2、3人
合流して、式の話、仕事の話、局内の噂話などで盛り上がったのはいいのですが、
その夜最後の仕事を終えたあと、酒盛りになってしまいました。

みんな若く、話自体が楽しくて とても、「明日もあるからオレは先にやすむよ」と
言い出せる雰囲気ではなく、とうとう朝まで付き合う羽目になりました。
もともと酒が強いほうではありませんから、朝一番の仕事に向かうときにも、酔いは
まだしっかりと残っていて、頭はがんがんするし、壁伝いでなければ廊下も歩けない
ありさまで、正直言ってあれほどあせったことはありません。ハハハ。
深酒することはほとんどない私にとっては、人生で唯一の千鳥足経験でした。
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先輩の中には、もっと豪傑がいました。
酔っ払ってスタジオにたどりついたものの、声を出すまで時間があったのが災いして、
すっかり寝込んでしまい、仕事を“飛ばして”しまったのです。
私は入社1年半でしたから、そんな理由で事故(放送上のミス)でも起こしていたら、
アナウンサー人生もその瞬間に終わっていたでしょう。声をしぼり出してなんとか
仕事を終えることができたとはいえ、まったくの冷や汗ものでした。ハハハ。

事故といえば、私が入社したころは、提供スポンサー名や、15秒のCMコメントを
生で読むことが多く、忘れたり、読み間違えたりと、ナマだからこその事故がたくさん
ありました。“犯人”はアナウンス部に備え付けの「事故簿」ノートに書き込むのが
規則でした。失敗したことに落ち込んでいる上に文字で残ることがとても苦痛でした。

「赤裸々」を「アカハダカ」、雪上車」を「ユキジョーシャ」、「干物」を「ホシモノ」、
「放水車」を「放れグルマ」...と、枚挙に暇がありません。
私は、幸いなことにこのたぐいのミスはほとんど記憶にないのですが、それはまさに
“幸い”だっただけでしょう。
“君子 危うきに近寄らず”で、その場で確認できない疑わしい言葉は使わないで、
ほかの言葉に置き換えるなど、かなり注意深くしていたからです。

ただし、放送以外の雑談の中で、「伏魔殿」を「フシマデン」と言って、後輩たちから
思い切り突っ込まれたことがあります。子供のころ そのようにルビが振ってあるのを
読んだか、「く」と「し」を見まちがえて、そのまま覚えてしまったかでしょう。
とにかく思い込んでいましたから、もし放送中に出会っていれば、自信をもって
「フシマデン」と読んでいたに違いなく、そういう機会がなかったのは全くツキが
あったとしか思えないのです。
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ほかにも、はっきりと間違えたことがあります。
超音速旅客機、コンコルドの“お目見えフライト”を羽田空港から中継したときに、
その飛んでいるさまを、「まるでカイチョウ(怪鳥)のようです」としゃべりました。
「ケチョウ」が正解なのはもちろんですが、しばらくしてから、先輩から「あれは、
判りにくいと思ってあえて言ったのかな?」と聞かれるまで 自分のミスにまったく
気づかず、しかも、あまりの恥ずかしさに気が動転してしまったのか、事故簿への
書き込みも忘れてしまうというお粗末さでした。ハハハ。

言葉の間違いや思い込みによるミス、読み間違いはいつ起きてもおかしくありません。
経験があることですから他人や後輩にも優しくしなければいけないのですが、なぜか
現役を去った今のほうが他人のミスに敏感です。つい先日も「とくダネ」を見ながら
2度も間違った言葉遣いに気づいてしまいました。

04/26のツイート
言葉尻をとらえるつもりはないが、小倉クン、
「上告もありうる」と言ったかな?
それ、正しいのかね?「控訴」の間違いだと思うが。
情報番組をこれだけ長くやっていて、その程度か。
いやいや、わざわざ、訂正しなくてもいいけど。
ハハハ。
(“控訴”と言うべきところ:訂正はなかった)

倉田クン、「みなさん、チカシイ」はおかしい。
間違えたという自覚はあるんだろうね。ハハハ。
(問いかけに対するパネリストの答えが“近かった”とき)


…不治の病気だね、これは。ハハハ。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-04-30 07:10 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(8)
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・・・つづき

フジテレビ入社


1962年6月のある日、放送研究会の仲間だった西橋正泰君と 河田町にあった
フジテレビに向かいました。この日、アナウンサーの願書受付が始まったのです。
土砂降りの雨の中 到着すると、まだ受付の準備が整っていませんでした。
いまほどではなくても、“アナウンサーの試験”ですから、当然、行列ができていて
10番目か20番目だろうねと話しながら行っただけに、いささか拍子抜けでしたが、
譲り合った末に、私が1番、西橋が2番で受け付けを終えました。

数日後におこなわれたのは簡単な原稿を読むだけの1次音声テストでした。
控え室で目を通すと、「只管」という文字がありました。どう読むのかまったく判らず
あせりました。部屋に呼び込まれ、画面で見覚えのある先輩アナウンサーの顔が
目に入った途端、ひざががくがくと震え出す始末です。ハハハ。
なんとか度胸をすえて、「只管」も「ただただ」と読んで終わらせました。
帰宅してから調べた結果、この字は「ひたすら」と読むことが分かりました。ただし、
私の人生でこの文字に出会ったのは、あとにも先にもこのときだけです。

この年の試験は、役員面接まで含めると7次ぐらいまでありました。
そのたびに、フジテレビの玄関ホールに張り出される結果の発表を見に行くのですが、
受験番号“1番”ですから、模造紙の左上隅に“1”がなければそれで終わりです。
分かりやすいといえばこれほど分かりやすいこともありません。ハハハ。
逆に、「なかったらどうしよう」と、毎回怖い思いもしました。
そして3次が終わった段階での合格者は、間がゴッソリぬけて1、2、147、235…と、
なっていました。147は露木君、235は能村庸一…2番の西橋をのぞくと、結果的に
同期になった顔ぶれです。
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入社もあと、先輩たちから、「1次音声の1番、2番が終わったとき、審査員みんなで、
今年はレベルが高いという話になったよ」と言われました。 
西橋君は役員面接の段階で受験を辞退して商社を目指しましたが失敗し、最終的には
NHKに入りました。地方と東京を行ったり来たりしつつ、やわらかい声とたくみな
読みとで活躍し、最後はアナウンス室次長までつとめた優秀なアナウンサーでした。

口はばったいですが、私もそれなりのアナになったのですから、先輩たちが“今年は
レベルが高い”と感じたのも無理はなかったと思います。ハハハ。
「あのとき、西橋が辞退してなかったらオレが危なかったね」…かなりあとになって、
言ったことがあります。露木が「いや、彼は報道系だったし、岩佐はスポーツだから、
落とされるとしたらむしろオレだったんじゃない?」と、応じました。
思えば、「もし西橋が辞退してなかったら」、露木か私のどちらかの、その後の人生は
大きく変わっていたかも知れません。思えば 人生の“分岐点”は実に微妙なところに
あったのだと実感します。

同期生

結局、男女あわせて700人が受けて合格したのは7人、倍率は100倍でした。
女性4人は残念ながら長続きせず、結婚などを機にあいついで辞めてしまいました。
当時のフジテレビの女性アナには2年契約という“前近代的な縛り”がありました。
最長でも4年でアナウンサーをやめることになっていましたから、やる気を起こせと
言っても無理があったと思います。

露木は早稲田、能村は青山学院のそれぞれ放送研究会の出身でした。
両校のクラブ同士が仲良しだったこともあって、入学間もないころから、「早稲田に
露木あり」という噂は聞いていました。
入社後の養成(アナウンサーの訓練)でも上司の評判がよく、能村と私とは明らかに
扱いが違いました。ハハハ。
順調にのびて、志望通り報道畑で花を咲かせて行き、長い間フジの顔として大きな
足跡を残しました。
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能村も多才な男でしたが、緊張するタイプだったようで、最終の健康診断でも血圧が
異常に高く出て、「緊張性のモノだろうから、しばらく横になってなさい」と医者に
言われて、「これで落とされたらワヤだなあ」とボッソリ、ぼやいていました。
映画や芝居が好きで、特に歌舞伎役者の声色をやらせたら専門家もうなるほどでした。
早々とアナウンサーから足を洗い、「鬼平犯科帳」など時代劇のプロデューサーとして
大きな実績を残し、テレビ時代劇の歴史をベテランの専門家から聞き書きした大著、
「実録 テレビ時代劇史」があります。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-04-29 06:12 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(4)
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火曜日に長野県伊那市にあるとか遠城址公園に桜を見に行きました。
日帰りであわただしかったものの、好天に恵まれて、いい旅でした。
情緒には欠けますが、ボリューム的には堪能しましたから文句はありません。
ハハハ。


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by toruiwa2010 | 2012-04-28 14:58 | ギャラリー | Comments(0)
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・・・つづき

神宮での実況練習など


しかし、大学入学後のオリエンテーションで校舎をまわっていたとき、通りかかった
放送研究会の教室に呼び込まれて入会を誘われた瞬間、幼いころからの記憶の断片が
一度にフラッシュバックして、ためらわずに手続きをしました。
そして、発声練習に始まった週2~3回のレッスンを受けて行くうちに、先輩たちの
評価もよかったりして、ますます“アナウンサーになりたい”という気持ちは強固な
ものになって行ったのです。
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2年生になると、練習の成果を試すべく、当時の大きなテープレコーダーをかついで
神宮球場に行き、六大学野球を材料に実況の練習をやりました。
忘れないのはその年(1960年)の秋の慶早戦(慶応ではこう呼んでいました)です。
学生にとっては普段でも興奮する対戦ですが、早稲田が勝てば早稲田が優勝、逆に
慶応が勝てば両校による決定戦という、最高に盛り上がる対決になっていました。

早稲田が第1戦を制して王手をかけましたが、第2戦は慶応が取り返して1勝1敗、
さらに第3戦も慶応が勝って、ついに決定戦にもつれこんでしまいました。
その決定戦は引き分けに終わって、翌日 再戦とになり、もう そのころには
どちらの学生も“いけいけ状態”になっていて、試合が終わると、そのまま 翌日の
試合のために行列を作るという状況でした。

さて、決定戦の再試合は両校譲らず、迎えた延長10回裏、実況の順番が私のときに、
慶応はノーアウト満塁という絶好のサヨナラのチャンスをつかみました。
しかも、打順は のちに巨人に入った4番・渡海でしたから、テープレコーダーを
3塁側ダッグアウトの上において、オモチャのようなマイクをにぎりしめた私の声は、
この上なく上ずっていたと思います。ハハハ。
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このとき、早稲田の石井連蔵監督は、ライトとレフトを入れ替えました。
右打ち強打の渡海の打球はレフトに飛ぶ確率が高いと読み、肩の弱い伊田をライトに
まわしたのです。適切な際はいだったと思います。ところが、初球を打った渡海の
打球はなんとそのライトに飛びました。
3塁ランナーは、のちに阪神の監督になった脚の速い安藤統夫です。誰もが「これは
サヨナラ勝ちだあ、優勝だあ」と思ったそのとき、肩が弱いはずの伊田が素晴らしい
ボールをキャッチャーに返してホームを狙った安藤を刺しました。ダブルプレー!!

前後はともかく、「タッチアウトおーっ」という実況だけは、妙にぴったりと、まるで
プロのアナウンサーのように決まったことを思い出します。ハハハ。
結局、この試合も引き分け、レギュラーの3戦を含めると、実に6戦目で早稲田が
勝ってようやくけりがつきました。大学野球史に残る早慶6連戦です。
私にとっては、生で見たスポーツで初めて感動した試合でもあり、アマチュアながら
アナウンサーとして、部分的にでも実況がうまくいったという快感は忘れられない
ものになったのです。

スポーツとの出会い

スポーツとの最初の出会いは、小学校のころのプロ野球でした。
昭和20年の入学ですからすぐに終戦、ものが少ない時代で、遊びといえばメンコ、
べーごま、そして野球でした。すぐ上の兄が六大学野球に連れて行ってくれることも
ありましたし、 家から20分ぐらいの上井草球場でパ・リーグの試合があるときに、
外野の外側の土手をよじのぼって、タダで見たりした記憶があります。

また、夏の後楽園で行われる都市対抗野球は、父が“通し切符”をくれましたので、
連日 近くのパン屋でイチゴジャムをたっぷりぬってもらった食パン1斤を抱えて、
小学校3、4年生のころから、ひとりで通ったものです。
別府星野組、藤倉電線、熊谷組といった当時の強豪チームに声援を送り、夕方になると、
応援用にもらったウチワを5本、6本と抱えて帰りました。当時の我が家には山ほど
ウチワがあったものです。ハハハ。
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そのころ 学校の近くに、戦後派手なデビューをした青バットの大下弘が住んでいて、
私たちの校庭でシーズン前のトレーニングをしている姿が雑誌に載ったりしました。
生まれてはじめてみたプロ野球の試合で、大下がホームランを打ちセネタースが勝ち、
単純な小学生は大の大下ファン、セネタースファンになっていましたから その写真は
しばらく、私の宝物でした。

「将来何になりたいか」というテーマの作文では当然のように「職業野球の選手」と
書いたぐらいの野球少年でしたが、球場にはそうしばしば行けるわけではなく、まだ
テレビもなくて、頼るのはラジオだけでした。
見よう見まねでスコアブックをつけながら、志村正順さんをはじめとするNHKの
アナウンサーたちの名調子に耳を傾けた記憶が鮮やかによみがえります。
憧れの大下が、今も残る7打数7安打した試合も興奮しながら聞いたものです。

その後も、ヘルシンキのオリンピック、白井義男とダド・マリノによるボクシングの
世界フライ級タイトルマッチ、古橋広之進が1500メートル自由形で18分19秒の
世界記録を樹立した場面など、遠くの出来事をまるで目の前で起きているかのように
伝えるアナウンサーの声にイメージをふくらませて聞きほれたたラジオの全盛時代、
それに続いたテレビの登場が私のスポーツ熱に拍車をかけました。
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オリンピックやワールドカップはもちろん、興味が持てなかったプロレスをのぞく、
ありとあらゆるスポーツをテレビを通して楽しみました。
もちろん、そのころはまだ、そのラジオやテレビの向こう側、つまり送り手の側に
自分が回ることなど、想像もしませんでしたが。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-04-28 08:05 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(8)
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長野県伊那市の高遠へ桜を見に行ってきました。
井の頭線の車内広告を見て行きたいと思いつつ何年も過ぎていました。
今年も開花情報をにらみつつ出かけるタイミングをはかっていましたが、妻が悪性の
風邪をひくなど、見送らざるを得ない状況でした。
たぶん、土、日が満開だったのでしょうが、大混雑だろうと敬遠しました。さらに、
月曜日はマージャン、火曜日は黒田、水曜日はダルビッシュが登板の予定…と、
私のスケジュールもぎゅう詰めだったのです。ハハハ。
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しかし、現地の日曜日にボストンで雨が降り ヤンキースの試合が中止になりました。
黒田の登板がうしろにずれた結果、火曜日がフリーになったのです。恵みの雨。ハハハ。
風邪の“名残り”で声が出にくい妻に「どうだろう?」と聞くと、「声が出ないだけで
大丈夫だ」と言うのでGOになりました。雨は嫌いですが、こういう雨なら大歓迎です。

まず、8時25分に立川を出る“スーパー特急あずさ5号”で行くことを決めました。
そのためにどうすればいいかをNAVITAIMEで検索すると、吉祥寺8時発の中央快速に
乗ればいいと教えてくれました。しかし、“慎重居士”の私は 立川駅で指定席券などを
購入する時間も考えて 7時51分発の電車に乗れるように、時間を読んで家を出ました。

前日は雨でしたが、当日は朝からいいお天気でした。そりゃそうでしょう。“好天アンド
桜の見ごろ“を条件に出発日を決めてるんですから。ハハハ。
順調に吉祥寺から乗り込んだ中央快速は結構混んでいました。下りだからすいていると
思ったのは浅はかでした。それはいいのですが、電車が国分寺駅を出発したとたんに
急停車しました。何かが挟まったようです。

初めは余裕があったのですが、なかなか発車しません。待たされている間に、立川に
着いているはずの時間まで過ぎてしまいました!
「こりゃダメだ。次の“あずさ”まで立川で30分待ちになるなあ」と覚悟しました。
しかし、やがて発車した電車が立川に着くと、“あずさ”も遅れていました。同じ線路を
走っているのですから当然だったわけですが。やれやれ。ハハハ。
ホームで買った自由席券で乗りこみ、次の八王子からは並んで座ることができました。
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電車はまず西に向かいます。
甲府近くまでは、まだ雪を戴く富士山がくっきりと見えていましたし、甲府を過ぎて
北西に向きを変えるとアルプスが見えました。なんどか小海線の旅をしていますので
その起点になる小淵沢近くの山並みにはなじみがあって懐かしかったです。

岡谷で乗り換えです。高遠城址がある伊那市に行くにはここから飯田線で南下します。
帰宅してから地図を見て、コースとしてはとても効率が悪いことを知りました。ただし、
ほかに選択肢はないのですから仕方がありません。ハハハ。
飯田線は大体1時間に1本しかなく、帰りは吉祥寺で食事をすると決めていましたから
時間が大事な要素になってきます。贅沢ですが、タクシーを使うことにしました。
10分ぐらい走ったときから真正面に見え始めていた城址公園までかなりかかりました。
“いなかの道は近くて遠い”の典型でした。ハハハ。
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小高い丘の上にある公園には桜がびっしり…ついでに人もびっしり。ハハハ。
今年は新宿御苑も京都の桜も見送りましたから、神田川沿いを除けば、初めて本格的な
桜を見たのですが、圧倒されました。パンフレットには1500本と書いてありますが、
感覚的にはもっと大きなボリュームでした。
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残念ながら、これだけ見事な桜があるのに“プレゼン”がよくないですね。
なぜ、こんなところに提灯つるすねん!と思わず関西弁で突っ込みました。ハハハ。
ブルーシートを敷いての花見も興をそぎます。気持ちは分かりますが、そういう花見は
どこかよそでやってほしいですね。数年前、京都の円山公園でも同じ経験をしました。

上空が見えないほどの桜に埋もれて、頭の中には森山直太朗が歌う「さくら」のサビの
部分が何度も何度もリフレインしていました。

♪さくら さくら 今、咲き誇る
刹那に散りゆく運命(さだめ)と知って…


言葉の選択が素晴らしい!

十分に堪能しましたが、種類も少なく、もう一度行こうとは思いません。
ええ、旅に出られる回数は限られていますから、厳選主義なんです。ハハハ。
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予定通り、吉祥寺のイタリアン「ピッツェリアGG」で食事をしました。
ネット検索で見つけて、1月に一度行きました。ナポリ風ピザは絶妙だったのですが、
残念なことにここはパスタがないので、その後は行っていませんでした。
先日、友人の生島淳さんと食事をしたのですが、彼が友人の推薦で決めたのが偶然にも
この店だったのです。2人の“スポーツ話で盛り上がろう”会は恒例になりましたが、
“90分”という、この店の時間制限が恨めしいです。ハハハ。
ただし、このときに おいしさは再確認してあったので行くことにしたのです。
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生ハムとルッコラのシンプルなサラダがいいです。
ピザはマルゲリータとクワトロフォルマッジの2枚、最後にパンナコッタ…。
全部、おいしかった!
満腹の腹ごなしを兼ねて井の頭公園駅まで歩きました。

7時20分に家を出て帰宅は6時40分…85点の旅でした。

そのほかの写真はいずれギャラリーに。
by toruiwa2010 | 2012-04-27 08:09 | 旅に出る食べに行く | Comments(2)
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04/25のツイート
NYYvsTEX:黒田とダルビッシュの対決が近付く。
先発メンバーを見るとほぼベストだ。TEXの中軸は
すごいね。NYYの中軸はいまいちだがジーターの打率、
グランダーソンのHR,スウィッシャーの打点に驚く。


ヤンキースの黒田博樹とレンジャーズのダルビッシュが直接対決しました。
およそ10000キロ離れたボストンで日曜日に降った雨のおかげで、日本の野球ファンは
いい夢を見ることができました。
「こんな時代が来るなんて、ねえ、岩佐さん」天国でパンチョが言っているでしょう。
ヤンキース・タジアムのどこかに彼がちょこんと座っているような気さえします。
見せてあげたかったなあ。
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“対決”と言っても、それぞれの打線が相手ですから、互いを意識することはそれほど
ないのかもしれません。意識するのは相手打者でしょう。
数日前に、ダルビッシュがヤンキース打線については「タイガースに投げられたので、
そこまで怖さを感じていない」と話したそうですが、“君子危うきに近寄らず”だよ、と
言っておきたいですね。もちろん、悪気はないでしょうが、この言葉が英語に訳されて
伝わったときのことを考えたら、相手を刺激するようなことは言わない方がいいのです。

…そこまで書いたところで試合開始になりました。
開幕から1試合平均 6点以上を叩き出しているヤンキース打線を相手に“見下ろし”で
投げていました。イランの血が混じっているとはいえ、同じ日本に生まれて育ったのに
メンタリティがわれわれとは違いますね。松坂も向こうっ気の強さを見せていましたが、
どこか“取ってつけた”感じがあったのに対して、ダルビッシュは本物みたいです。
“そこまで怖さを感じない”発言は単なる強気ではなかったようです。ハハハ。

黒田もよかったと思います。“ここまでの12失点中、1回に6点”というデータ通りに
先頭打者ホームランを浴びました。スコアを見ると、3回までに9点も失っています。
1試合は無失点ですから、データは実質2試合でのものです。
もっと悪いのは3回の失点です。2死からフォアボール&盗塁、ハミルトンのヒットで
点を取られました。ベンチが一番嫌がる失点パターンです。
粘りのピッチングで試合を作りましたが、味方の援護点がなかったために勝ち投手には
なれませんでした。こういう日もあります。
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メジャーに行ってからのダルビッシュは、ワインドアップからノーワインドアップ、
そして昨日はセットポジションから投げていました。4試合目で3種の投球フォームも
彼らしいですが、球の勢いやけキャッチャーのサインに何度も首を振ったところまで
“らしさ”が見られました。ハハハ。

現地テレビのデータでは、投球の70%以上がストレート系だったそうです。
「ファストボールが右にも左にもムーブするのが素晴らしいね」とあちらの解説者が
言っていましたが、コントロールもよかったのでカーブやスライダーがますます威力を
発揮しました。三振の数も多くなるわけですが、7回にマーティンのヒットをはさんで
三つのアウトすべてを三振で奪ったところは鮮やかでした。
こういうとき、アメリカのコメンテーターは「struck out the side」と言います。

コントロールがいい…は“ストライク先行”程度の意味ですが、微妙なところの制球が
十分だったとは思いません。ヤンキースの中軸に対しても目をつぶりたくなるボールが
何球もありました。打ち損ねたり見逃したりしている、とツイートしましたが、それは
たぶん、私の見方の間違いで、手元でこまかく変化している証拠なのでしょう。

最も危なかったのは、もちろん2-0とリードして迎えた3回です。
先頭のチャベスがヒットのあと、マーティンのフォアボールでノーアウト1・2塁。
最後の一球、右打者の外角低めのきわどい絶妙なカーブをボールと判定されたことが
尾を引いたかもしれません。続くジーターのバントは自分が追わなければいけないのに
棒立ちでした。フィールディングのいい彼にしては珍しいことです。無死満塁。
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しかし、ダルビッシュの精神力の強さは半端じゃないようです。
長打もあって警戒しなければいけないグランダーソンをブレーキのあるカーブでこの日
唯一の見逃し三振に仕留め、続くロドリゲスはサードゴロでダブルプレー!!
無死満塁のピンチで三振とゲッツー…守備側が理想とする形でしのぎました。
グランダーソンが見逃したカーブは日本でいう“はちまき”…つまり、ホームベースの
外側を巻いた“ボール”だったかもしれません。そして、Aロッドが打ったボールは
“危ない球だった”とつぶやきましたが、私の間違いで、“立派な”2シームでした。
この回の無死満塁をしのいだ場面は試合のハイライトでした。
ちなみに、監督が最も気に入ったのも“走者を背負ってのピッチング”だそうです。

7回が終わったとき、100球を超えていましたが、続投すると思っていました。
なにしろ、当ブログはデビュー戦で110球投げたのを見てから「彼の契約書の中には
“100球を超えても下りない”という投球数についての特別条項があるに違いない」と、
かたく信じていますから。ハハハ。
ただし、9回の続投は“ランナーを出したら交代”が約束ごとになっていたと思います。
そのためにクローザーがいるわけだし、“打つべき手を打ってチームを勝利に導く”のは
監督のしごとですから当然です。

ネーサンが1球で試合を終わらせました。
レンジャーズのヤンキース戦完封は2000年以来12年ぶりだそうです。2人がかりの
完封ですが、英語ではこういうとき“combined complete game”と言います。
2007年、中日が日本ハムを相手に日本シリーズで完全試合を達成しましたが、あれも、
山井と岩瀬による“combined perfect game”です。
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元広島カープで レンジャーズのNo1ピッチャー、ルイスはこの日の試合前 地元記者に
「今日の彼はやるよ。本当に準備ができてるんだ。きっと、アグレッシブな投球をする。
ストライクを投げ、バッターに向かって行き、フォアボールは少ないと思うよ」と
話していたそうです。ビンゴ!ハハハ。

今回は スタンディング・オベーションに対してtip(帽子のひさしにさわる)したあと、
その手を上げてファンにあいさつしました。やっぱり、このほうがいいです。
有=Yuですから、プラカードも作りやすいようです。
“Yu the man”…大物だねえ。やるじゃないか。男だねえ。特に意味はないのかと。
“Yu so cute”…有ってかわいい。
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タイガースに続いてヤンキースもしっかり抑えたのですから、ファンのボルテージは
今後、ますます上がって行くでしょう。
ボールに違和感を持っている雰囲気がなかったことも明るい材料です。
この試合で唯一 ネガティブな印象が残ったのはキャッチャーのナポリとの“呼吸”です。
後半に何度かサインが合わず、ダルビッシュの嫌いな間合いが生まれていました。
投げたい球を投げさせてくれる、余計なところでマウンドに来ない…ダルビッシュが
キャッチャーに望む条件を満たしてほしいですね。ハハハ。

日本が自信を持ってメジャーに送りこんだ2人のピッチャーの対決はダルビッシュに
軍配が上がりました。ファンとしては、胸が躍ると同時に どちらかが打ちこまれる形で
決着がつくのはつらいなあと思いながら見ていました。結果は、2人とも内容のいい
ピッチングをしてくれてよかったです。
残念なのは、地区が東西に分かれているために、対戦数が少なく、次の対戦は8月に
予定されるヤンキー・スタジアムでの4連戦まで待たなければなりません。できるなら
黒田にリベンジの機会を与えたいですね。
ちょうどお盆の時期でもありますし、“4連戦”ですから直接対決はなくても、ケガさえ
なければ、連戦中に2人が登板する確率は極めて高いです。このシリーズのチケットは
間違いなく“プラチナ”化することでしょう。ハハハ。

えーと。読んでみて面白かったらでいいんですが、お気持ち次第で
記事の右下にある「イイネ」アイコンをクリックしてください。
控えめにお願いしておきます。ハハハ。

by toruiwa2010 | 2012-04-26 09:31 | メジャー&野球全般 | Comments(11)
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断じて“クレーマー”ではないと何度も宣言している。
そう見えるかもしれないが、私のツイートは愚痴に過ぎない。Complaintなのさ。
つぶやけばそれっきり…あとは引かない。わざわざテレビ局に電話をしたりはしない。
面倒だし。ハハハ。

フィギュアの国別対抗戦の期間中に書いた愚痴をいくつかと、その言い訳を…。

圧力団体か?

04/20のツイート
テレ朝のニュースでペアの高橋・トラン組の技を訂正。
「ツイスト・スピンと放送しましたが、スロー・ジャンプの
間違いでした」と。
うるさいオタクが大勢で電話をかけたのだろう。
選手を「こづ」とか「ジュベ」と呼んで喜ぶ連中だ。
バカじゃないのか。


「はい、フジテレビ・スポーツ部です」と電話を取ったKディレクターが応じた。
“プロ野球ニュース”で自分の担当する試合の放送が終わった深夜のオフィスには
ほかに私がいるだけだった。はじめは丁寧だったKのもの言いがすぐに変わった。
「うん、うん。で、何が言いたいの?」
「それは、おたくの意見でしょ?うちはうちの考えでやってるんだから」
「うん、うん。来るなら来れば?」
「おう、待ってるわ」
…威勢よく受話器をおくと「また酔っぱらいだよ。どうせ、来やしねえくせに」と
うそぶいて帰りじたくに取りかかった。
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その通り、相手は酔った勢いでカッコつけているだけで、来た“ためし”はないのだが、
スポーツ部に限らずそんな電話はしょっちゅうかかってくる時代だった。
ときには社員のこうした態度が問題になることもあって、いまでは、社員教育を徹底し、
年配の社員を集めた視聴者応答室などで外部からの苦情に対応している。
「XXというドラマでXXが着ていたシャツはどこに行けば買えるか」、「XXとXXが
デートしたカフェはどこにあるのか」など他愛のない問い合わせもあるが、放送内容に
抗議したり、間違いを指摘したりする“苦情”も混じってくる。

冒頭のツイートに書いた“訂正”内容はこまかなところで言葉が違うかもしれないが、
とにかく、間違えたのはフィギュアスケートの技の名前にすぎない。
間違いはもちろんいけないが、応対部門が電話口で謝れば“普通は”それで終わる話だ。
しかし、テレ朝はニュースの中で謝罪した。なぜ そうなったか、その経緯がある程度、
想像できたので上記のつぶやきになった。
電話が“殺到”したのだろう。「フィギュアを知らんのか」、「訂正しろ」、「謝れ」…と。
スポーツを愛する気持ちはいいが、度を超えている。圧力団体化してどうするのか。

Lily_0215というオタクが“あなたも相変わらずバカですね”と私宛に言ってきた。
“君も電話したの?”と返してやった。ハハハ。 
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実況・解説について

04/20のツイート
テレ朝では森下アナの実況力が図抜けている。
その次に来るのは若手の進藤アナだ。
本来、視聴者にいい放送を提供することを優先して彼を
使うべきなのにどうもインタビュアーになっているようだ。
悪しき年功序列。どの局にもあるのだが。 

ペアの実況は進藤アナが担当するようだ。
もっと前面に押し出す方がいい。森下の次のエースに
なるのはこの男で間違いないのだから。妙な「政治」で
若手の芽を摘んではダメだよ。いま、どんどん大きな
舞台を踏ませるべきなのさ。 


局としての考え方もあるから、外野がとやかく言うのは控えたほうがいいと思うのだが、
視聴者のためには“実力第一主義”であってほしい。多少はぎくしゃくしたとしても、
“悪しき年功序列”にとらわれてベストのものが提供できないよりはいいのではないか。
この局では 早くから若手の進藤潤耶アナに注目し、成長を楽しみにしてきた。
口跡がよくて 経験の割に視野も広いと感じる。けなすばかりじゃないんだぜ。ハハハ。

04/20のツイート
どこかに本田と佐野の中間ぐらいのテンションで話す
解説者はいないものかと、小一時間。
なお、テレ朝はここからが放送の勝負と考えている。
前半でCMを多く消化して後半は出来るだけ入れない
ように構成。視聴者に逃げられるからね。 


ファンによれば内容はあるらしいのだが、話し方が“ぼそぼそ”で楽しくない本田と
松木安太郎並みの“居酒屋トーク”ぽい佐野…。松木はサッカーだから我慢できるが、
フィギュアという競技にあの解説は願い下げだ。
“ポエム”より、タチが悪い。ハハハ。


嫌いなものは嫌い!

04/19のツイート
その男(女)が顔を出したら、声を出したら
チャンネルを変える、音を消す・・・
日本一暑苦しい元テニス選手、日曜の朝、
「喝!」と叫ぶ元野球選手、某時代劇俳優の娘、
「ラジオの女王」とか言ってる元局アナ、
世界陸上の人気俳優。見るものがなくなるわ。

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3月まで大ヒットドラマの主役だった下品な顔の女優、テレビ黎明期から活躍している
長寿トーク番組の女性司会者、これまた品のない顔&物言いで“芸能界のご意見番”を
気取る女性歌手、すがすがしい朝にも真っ黒に日焼けした顔を見せる大物司会者…と、
このカテゴリーのリストは続く。
“おとなげない”と言われようが、嫌なものは嫌なんだもの。ハハハ。
by toruiwa2010 | 2012-04-25 07:23 | フィギュアスケート | Comments(7)
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It’s a perfect game !!

04/22のツイート
SEAvsCWS:ハンバーが21人目の完全試合達成。
9回先頭打者に3-0になったあとストレートと
切れのいいスライダーで三振に仕留めた場面が圧巻。
最後の打者が三振したときキャッチャーが横に
逸らしたが間に合ってよかった。敵地でオベーション!

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途中からでしたが、65年の野球観戦で初めて大記録が達成される瞬間を見ました。
フィリップ・ハンバーはメジャー7年目、去年の9勝9敗が最高というピッチャーです。
去年ホワイトソックスに来てから先発に回った彼にとっては完投もこれが初めてでした。
96という球数はデービッド・コーンが1999年に達成したときの88に次いで2番目に
少ないのだそうです。制球が抜群でした。3ボールになったのもたった3回…そのうち
2回が最後の2人というところに彼の緊張ぶりがうかがえますが。

9回の先頭打者にははっきりしたボールを続けて3-0になりました。
ストレート二つで3-2とし、最後は切れのあるスライダーを空振りさせました。
「どんな状況でも4点リードの試合で先頭打者にフォアボールはあり得ない」と考え、
開き直って投げた 3-0からの3球はすべて力のある球で、見事だったと思います。
この試合、9番だった川崎が27人目の打者になるはずでしたが、代打を送られました。
メジャーでの実績がないのですから仕方がないですね。
代わって打席に入ったブレンダン・ライアンは3-2からの外角のスライダーにバットを
出しかけて止めました。…“止めたつもり”でした。ハハハ。

しかし、判定は「振った」!
このボールを右後方に逸らしたキャッチャーが必死で追い、「振ってない」と抗議して
スタートが遅れたライアンを1塁に刺しました。やれやれ、です。ハハハ。
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インタビューを受けているハンバーに
後ろから近寄ったチームメイトが頭から
バケツの水を。プラクティカル・ジョークだね。
受け答えしている選手のシューズのひもを
結んでしまう。パイをぶつける。
試合中にロッカーの私服をバスタブにetc


…アメリカ人は 口で言うジョークだけでなく、アクションを伴った冗談も好きです。
水をかけるのも、インタビューの受け答えに集中している同僚の足元に四つん這いで
忍び寄って、左右のシューズのひもを結んでしまうのも定番です。ハハハ。
これは実害がありませんが、私服をバスタブにつけられるのは相当こたえるようです。
シーズン最後の試合の日に挙式を予定している選手が持参した式服を水浸しにされる
こともよくありますが、最悪でしょう。
メジャーでは、最終戦のあと教会に行って式を上げる選手が多いのです。結婚記念日を
調べると、9月最終や10月第1週の日曜日という選手が結構いるはずです。
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Looks very happy

04/19のツイート
川崎がグラウンドを元気に走り回る姿は
現地コメンテーターにも好評のようだ。
気の毒だが彼ぐらいのパワーだと、
あの球にも力負けする。絶好球だったのに。
何か工夫をしないとレギュラーは無理だと思う。
ここまで頑張っているのは見事だが。


Mr.Energyとか言われている、と言うので誰が言い始めたのかと、アメリカのサイトで
“Kawasaki Mr.Energy”とググって見ましたが、オートバイのカワサキ関連以外には
1件もありませんでした。ま、そんなもんですね。ハハハ。

川崎もメジャーのロースターに残ったんですから、常時出場したいところでしょう。
しかし、ウエッジ監督がアクリーやライアンに代えて彼をレギュラーとして使うことは
よほどのことがないかぎり考えられませんし、シーガーに代えてサード…というのも、
彼の肩では無理があります。
結局は、代打・代走と レギュラーが休むときの要員に甘んじるしかないと思います。
救われるのはベンチにいても楽しそうなことです。そもそもメジャーを目指したのが
“イチローさんのそばにいたいから”なら、そうかもしれません。ハハハ。
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ハンバーが完全試合をやったとき、6回の打席でセーフティ・バントを試みたようです。
6回なら問題になるとは思いませんが、8,9回にノーヒッターやパーフェクトペースを
破るためのセーフティ・バントは“仁義”に反します。誰かが、ちゃんと話してあれば
いいのですが。


You’ve got balls?

04/20のツイート
今日のダルビッシュはキャッチャーが
変わったこともポイントだ。
その日のピッチャーのいい球を中心に
組み立てるタイプだそうだ。
日ハム・鶴岡に似てるのかな? 


ダルビッシュ3度目の先発は強力打線のタイガース戦でした。
いまのコントロールでは心配だなあ、と思っていましたが、その点はまずまずでした。
フォアボールが5個もあったのに?と思うかもしれませんが、問題なのは1個だけで、
あとのフォアボールは過去2試合の“どうにもならない”レベルではありませんでした。
気持ちよく投げている印象があります。キャッチャーが変わったことの効果でしょうか。
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ストレートはコンスタントに150キロ±を記録していました。121球中の118球目でも
151キロ出ていました。それだけでなく3番・カブレラ、4番・フィルダーに対しても
力負けしていませんでした。“だからこそ”、この試合 投げる割合が多かったカーブや
スライダー(カットボール)が余計に効果的だったのだと思います。特に ストレートとの
球速差が出るカーブは今後も十分使えるという手ごたえを感じたはずです。

フォアボールで問題だと思ったのは4回、フィルダーに与えた1個だけです。
まさか、“びびった”とは思いませんが、2-0とリードしている場面で、4番とはいえ、
先頭打者にストライクゾーンで勝負できませんでした。強気のダルビッシュですから、
勝負に行ったけど、微妙なところが入らなかっただけだ、ということでしょう。
日本人の私たちにもそう見えました。しかし、首脳陣やファンはどう見たでしょうか。
“逃げた”という印象を与えたとしたら、まずいです。

巨人の監督時代の長嶋茂雄は、ある日のデービー・ジョンソンのプレーが気に入らず、
シャワーから出てきたところをつかまえてバスタオルをはぎ取り「タマはあるのか」と
(女性の方、失礼!)怒鳴りつけました。
ダルビッシュの言動はアメリカ球界や野球ファンが注目しています。
“He's got no balls”と思われたらリスペクトしてもらえません。ハハハ。


My apology

04/20のツイート
フィギュアの放送を待ちながら斎藤佑樹の
ピッチングを消音で見る。
長く見てきたが彼ほどなぜ勝てるのかが
よくわからないピッチャーは初めてだ。
投球術があるようには見えないがこれだけ
安定した投球をするのだからあるのだろう。
プリンス・ハンカチーフに謝らねば。w。

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15勝以上して 日ハムが好成績をおさめたら、素直に謝る。
…開幕前、栗山監督が斎藤を開幕戦に先発させることを決め、“差しおいた”形になった
武田勝に謝ったと聞いたときに、そう書いた事を忘れてはいません。
この日、初めてじっくりと斎藤のピッチングをテレビで見ました。技術的なことまでは
よく分からないのですが、私には“つかみどころのない”ピッはーです。

けなしているわけではありません。
つかみどころがないために相手打線を苦しめているのですから、これは長所と言っても
いいのです。ピッチャーとしての資質の一つでしょう。
対戦するチームにとっては、ひとつひとつの球には力を感じないのに、気がついたら
5回まで0点、7回を終わって1点に抑えられている…そんな感じです。
手垢のついた“持っている”という言葉は使いたくありませんが、ある意味、すごい
ピッチャーだなあ、と思います。

いまでも、そのうちどこかのチームが“つかまえる”と思っています。プロだもの。
ただし、自信はまったくありません。このペースのままだと、斎藤佑樹の“15勝”は
現実のものになりそうです。まだ早いですが、“心の準備”を始めねば。ハハハ。

*今朝になって、松井秀喜がタンパ・レイズとマイナー契約するかも、という
噂が飛び交っていることを知りました。ヤンキースの専門テレビYESのリポーターが
話しているようです。朗報ですね。

by toruiwa2010 | 2012-04-24 06:40 | メジャー&野球全般 | Comments(4)
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04/19のツイート
国別対抗戦:ソトニコワが来るのでとりあえずは
見るが、どうも「わくわく感」がない。テレ朝は
盛り上げに必死だ。浅田真央が出ないのだもの
当然か。プロモーションでもエキシビションに
安藤美姫が出る事を盛んに アピールしている。
辛いなあ。

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世界選手権で終わりだと思っていましたが、まだありましたね。ハハハ。
2009年に日本で第1回が行われたとき、国別対抗戦は何となくエキシビションぽくて
大会の“格付け”が低く、私も見なかったような気がします。
それにしても、大会のプロモーションなのに競技終了後のエキシビションに出る選手を
メインに据えたテレビ朝日の苦肉の策…フジテレビだったら何を言われたことか。
ま、ふだんが大事ってことですけどね。ハハハ。

テニスでは シングルスよりダブルス、ダブルスよりミックスをプレーするときの選手の
表情が和らぎます。ミックスでは笑顔が絶えません。
フィギュアでも、団体戦は賑やかです。ただし、外国勢は大いに楽しんで、ふだんより
いいパフォーマンスをすることが多いようですが、日本人は ややもするとチームの中で
自分が背負っている責任を考えてしまいがちです。
SPでの小塚のミスはそんなことが原因のような気がします。

04/20のツイート
今日は全体に点が出てるんだね。
高橋自身が「それほどの出来じゃないよ」という
ジェスチャーだった。自分をわきまえている
ところがいい。
この青年、スケールが大きくなったなあと感じる。

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SPもよかったし、フリーの演技はさらによかったですね。高橋には酔わされました。
選手として、と同時に人間として一回り成長した雰囲気が体から発散されていました。
パフォーマンスも見事でした。楽曲と滑りの完璧な一体化…。

「♪べよーん びよーん ぶぶぶよ~ん」

出だしの三つの音をそんな風に言葉にしたツイッターがあり、笑ってしまいました。
たしかに、この通り!ハハハ。
エディ・ルイスの「Blues for Klook」。
私も、寝る前に必ず一回は聴くようにしていますが、おかげで心地よく眠れます。
いままで一度も聞いた記憶がないのが不思議なほどの名曲です。

ルイスの専門はオルガンらしいですが、これは明らかに違いますね。
音楽は詳しくないのですが、エレキギターのように聞こえます。とにかく、一つ一つの
音が“生きて”います。
ドラマーのケニー・クラーク(Klook)にささげたこの曲は7分を超えますから、高橋が
使っているのは編曲…というより、“切り張り”したものです。

面白いのは、もと曲と高橋バージョンの違いです。
聴く者、あるいは彼の演技を見る者は、“♪べよーん…”と表現された最初の三つの音に
惹きつけられるわけですが、もともとの演奏では高橋版の2倍近くかかっています。
最初の音から次までが約8秒、次の音まで4秒…さらに四つ目の音が出るまでになんと
10秒かかっているのです。→ http://bit.ly/JYMVM3
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気づいている人も多いでしょうが、高橋版は 5秒、8秒、13秒に“変曲”されています。
少しずつ縮められているのです。もとの曲の味わいは損なわれていませんが、ルイスは
「あれは、俺の曲じゃないね」と言っているかもしれません。
まさか、こういう演奏をしたものが別にあるわけじゃないですよね。あったら、かなり
恥ずかしい話ですが。ハハハ。

国別対抗戦はジャッジの気分がよかったのか、最後まで盛大に得点が出た大会でした。
日本はめでたく金メダルを獲得しましたが、オリンピック本番には高橋・トラン組が
出られない上に、シングルが各国一人ずつになるようですから簡単じゃありません。
団体戦ならではの面白さがあってお祭り気分で楽しく見られます。
この大会を見て一番気に入ったのは、圧巻のフリー演技を終えてKiss&Cryに座った
高橋を他国の選手も祝福していた場面です。スポーツマンのいい面が出ましたね。
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by toruiwa2010 | 2012-04-23 07:39 | フィギュアスケート | Comments(8)
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アナウンサーになろう

いったい、いつ頃からアナウンサーになりたいと思ったのでしょうか?
はっきり意識したのは1959年に入学した慶応大学で たまたま放送研究会に誘われて
入った時からですが、伏線、あるいは潜在意識は幼いうちからあったと思います。

小学校のころ、国語の時間などに教科書を児童に読ませたいと思った時、担任はよく
私を指名していました。理由は定かではありませんが、多分私の声がボーイソプラノで
よく通ったからだと思います。甲高いその声のせいで、よくからかわれていましたから、
本人は好きではありませんでした。しかし、教師たちにはなぜか好評で、音楽の先生は、
嫌がる私を当時人気だった杉の子子供合唱団(安西愛子さん主宰)に連れて行き、
強引に放り込んでしまったほどです。ハハハ。
本人が乗り気じゃないのですから、長続きするわけもなく、有楽町の毎日ホールでの
発表会に2度ほど出ただけで早々とやめてしまいました。
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5年生の年の卒業式で送辞を読みなさいと言われた時には、「君の声はよく通るから」と、
明瞭な説明がありました。自分がつくった文章に先生が手を加え、会場となる講堂で
リハーサルをやらされました。
何度もやらされることを覚悟していましたが、講堂の隅で聞いていた担任は、「もう少し
大きな声でもう一度」と言っただけで、わずか2回で無事合格でした。
つまり、よく聞こえたのでしょう。ハハハ。

中学生のころは、新聞記者だった父とその仕事を強く意識するようになっていました。
その頃、父は50代前半の働き盛りでした。日曜日ごとに仲間が我が家に来て酒を飲み、
仕事の話で盛り上がっていました。
大阪での印刷・販売を始めた読売新聞の編集局次長時代は、私たちが住む社宅の近くに
独身寮あったせいで、寮の食事だけでは足りない若い記者やカメラマンたちがほぼ毎晩
きていました。父は帰宅していないことが多く、相手をするのは母や私たち兄弟でした。

もちろん、仕事の具体的な内容は理解できるわけもありませんが、そんなときに聞く
彼らの日常は、実態はわからぬまま、中学生の私をとりこにするのに充分すぎるほど、
刺激的、かつ魅力的なものに映りました。

東京日々新聞を振り出しに、父は、民報、時事新報、読売新聞、産経新聞、東京新聞、
中日新聞と渡り歩きました。やめる時の理由はそれぞれですが、どれひとつとして、
後の私のような わがままによるものはなく、しかも、次の仕事が決まるまでそれほど
時間がかからなかったと、周りの人たちは言っていました。ハハハ。
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中学生だった私にも「…つまり、それだけ能力があり、人から好かれ、ネットワークを
持っているということなのかな」と分かりました。
それは、“尊敬”というより、「自分もそうありたい、そういう職業につきたい」という、
“あこがれ”に近かったでしょう。そして、この頃の私はすっかり「新聞記者志望」で
気持ちが固まっていたのです。

大阪に住んで2年目、高校に入ると状況が大きく変わりました。
中学時代は遊び半分でやっていたバスケットボールを本格的に始めたのはいいのですが、
激しいトレーニングについて行けず、たちまちダウンしてしまったのです。
病名は肋膜炎で、回復までに時間がかかり、結局、留年することになりました。
復学したあと新聞部に入ったほどですから この段階でも「新聞記者志望」に変わりは
なかったのですが、病後であることをすっかり忘れて部活に夢中になった挙句、今度は
肺結核でふたたびダウンして西宮の療養所に送られてしまいました。ハハハ。

1年後に復学(3度目の1年生)したものの、この病歴では、新聞記者の仕事の厳しさには、
とても耐えられないだろうと思わざるを得ませんでした。
そのあとの高校生活は目標が持てず、また、その年令でクラスメイト全員が2才下では
話が合わず、登校拒否でもしたい心境の毎日でした。
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そんな日々が1年半ほど過ぎたころ とうとうガマンしきれず 父に泣きついて、東京で
中学の2年間を過ごした学校の高等部に転校させてもらうことにしました。
明星学園は当時から制服もないとても自由な雰囲気の学校で、妙に大人びた生徒が多く、
かつてのクラスメイトの弟や妹がいたりして居心地がいいに違いないと考えたのですが、
“ビンゴ”でした。

その夏、修学旅行で東北に行ったあとの夏休みに友人が電話をして来ました。
修学旅行の記録映画をつくるのでナレーターをやってくれないかとの依頼でした。
「仲間で話し合ったけど、君の声はよく通るし分かりやすいということで一致した」と
言うのです。またしても“声がよく通る”…。このとき、頭の片隅に「もしかすると
これを生かして、アナウンサーという選択肢もあるのかな?」という考えが浮かんだ
ような気がします。

「テレビもマスコミだし」とも考えましたが、具体的な目標として固まったわけでは
ありませんでした。

つづく・・・
by toruiwa2010 | 2012-04-22 08:00 | 岩佐徹的アナウンス論 | Comments(2)