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岩佐徹のOFF-MIKE

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実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

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・・・つづき


翌日、銀行に行って話をしました。

窓口の若い行員は誠実に耳を傾けてくれました。ほかの用事を

済ませてから銀行に回ったため、話の途中で3時を回りました。

銀行の中にいて正面のシャッターが下りるのを初めて見ました。

彼はそのあとも本社の法務部ともやり取りをしていましたが、

この日は結論が出ず「行内で検討課題とさせてほしい」という

ことになりました。


数日後、電話がありました。最初の行員ではなく、数年前から

兄の“担当者”になっている人でした。

会話の中に思いがけない言葉がありました。“弁護士ではなく

私が兄の代理人になる”可能性をにおわせていました!

確認すると、その通りでした。


突然、道が開けました。…は正確ではないかもしれません。

この“道”は初めからそこにあったのですから。

高齢だったり、身体が不自由だったり、理由はともかく 本人が

銀行の窓口にいけないとき、誰かを代理人に選任する制度です。

私は銀行の窓口で何度も「方法はないか?」と尋ねましたが、

この話は一度も出ませんでした。行内で情報が共有されていない、

簡単には教えないというポリシーがある…どちらか不明ですが、

優しくないですね。超高齢者はこれから増えるばかりなのに。

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どちらにしても、トンネルの出口が見えたのですが、手放しでは

喜べません。超えなければいけない“壁”があるのです。

行員が兄の病室に来て私を代理人と認めるのを確認したうえで

書類に必要事項を記入してもらわなければなりません。

目が不自由な兄は書くことが苦手です。しかも、住所氏名は

いいとして、口座番号を小さい枠内に書くのは“至難”です。


祈るような気持ちでその場に立ち会いました。

幸いなことに途中から加わった彼の女性上司の判断もあって

残りの部分は私が書きこむことでOKになりました。

2日後、行内の審査を経て私は正式に兄の代理人になりました。

兄の口座にある預金を私が動かせるようになりました。

この日飲んだビールのうまかったこと!


その後、転居を予定して購入したばかりのマンションを売った

代金が振り込まれ、兄が施設に入るための費用、さまざまな

場面で生じる支払いなどに対応する資金面は万全になりました。

このときを含め、芦屋病院に入院中の兄のもとには、3組の

訪問者がありました。見舞いではなく“ビジネス”のためです。

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まず、証券会社の担当者。

兄が施設で過ごす期間は超長期になる可能性もあります。

備えとして、動かせる金を“最大限”にしておこうと考えました。

兄の同意を受け、証券を売って銀行口座に移すことにしました。

この“作業”にも、担当者が立ち会ってはっきりと意思表示を

しなければならないのです。


しかも、病室での面談中に本社のしかるべきセクションから

かかってくる電話に出て「第○○回の○○債権・○○口を

売ります」と言わなければいけないのです。記録に残すためだと

言われました。

耳が不自由な兄には とても難しいだろうと思いましたが、

「やってみる」と言うので実行に移しました。

このときも、担当者に同行した上司が、目の前で兄の意志を

聞いたからということで“電話”での確認は免除されました。


最後は司法書士の来訪でした。マンションを売ったときです。

購入したのは3月末でしたから、兄はまだ自力で歩き、面倒な

書類にもなんとか書きこんでいました。

しかし、転売したのは入院後でしたから、手続き的なことは

私が代行しました。5月末、売買契約書にサインする前日に、

司法書士は買い手に頼まれて“売る意志”と“弟を代理人とする”

ことを確認しに来たのです。

兄は明快に意思表示をしました。しかし・・・


これで終わらないのです。

それからおよそ3週間後の614日、ふたたび、司法書士が

やってきました。翌日には兄の転院、翌々日には売買の決裁が

予定されていました。用件は“最終的な意志確認”です。

あきれました。


たった3週間で売る意志がなくなったり、私を代理人にさせる

気がなくなったりするもんか。それとも何か。

あんたは、遺言書を作ったら死ぬ間際に意思を確認するのか!

…と毒づきたくなりました。もちろん、豊田真由子じゃないから

口には出しませんでしたが。ハハハ。


担当者は仕事としてやるべきことをやっているにすぎません。

多額の金銭が絡んでいるのですから念には念を入れ…というのも

理解できます。

しかし、相手をさせられたこの数カ月で、私の神経はすっかり、

すり減ってしまいました。トホホ。


by toruiwa2010 | 2017-06-30 08:15 | 芦屋から | Comments(0)

兄が急性肺炎で入院したのが417日です。

そのあと、実にさまざまなことがありました。

まず、入院が長引きました。その結果、足の筋肉が失われ、

自力で歩くところまで回復できないだろうと告げられました。

加えて、食べものを呑み込むのが困難になり“誤嚥”の可能性が

高くなった…などの理由で一人暮らしが絶望的になりました。


私はその“対策”に追われました。

24時間の介護が必要…となると 施設に入れる必要があります。

安心して任せる施設を探すのですが、兄の場合は“介護認定”の

申請から始めなければなりませんでした。入院した芦屋病院の

看護師長からはこれまで申請していなかったことが不思議だと

言われてしまいました。(1ヶ月後、“要介護5”と認定)


そして、同じ経験をされた方は多いと思いますが、兄のような

“超高齢者”たちに共通する大きな問題は資産の管理です。

私が2月に芦屋暮らしを始めてからいろいろ話をするうちに、

兄がかなりの資産を持っていることが分かりました。

「それだけあるなら、ちゃんとした施設に入ればいいのに」と

訴えましたが、このときは 首を縦に振りませんでした。

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しかし、入院し、厳しい現実を知って 兄も覚悟を決めました。

施設に入るためには金がかかることも理解しました。

3月ごろから私が通帳と印鑑を預かっていましたが、「それなら

難しいことなどないじゃないか」などと言わないでください。

そんなに簡単な話じゃないんです。ハハハ。


キャッシュカードはあるのですが、暗証番号が分かりません。

そんなはずはないのに「登録していない」と言い張ります。

暗証番号の登録なしにカードが発行されることはありません。

使う機会がないまま忘れてしまったのでしょう。

本人の誕生日や両親の誕生日など、考えられる4桁の数字を

いくつか紙に書いて 見せましたが、思い出せないのです。


そうなると、本人が窓口に行かなければお金は動かせません。

何度も銀行に通い、事情を説明し、「本人不在で動かす方法は

ありませんか?」と尋ねましたが、答えはいつも同じでした。

困り果てました。これでは、資金はあるのに、しかるべき施設に

入れることができません。当初 考えていた施設は莫大な費用が

かかります。当面は私が立て替えることも可能ですが、期間が

長引けば対応できません。私たち夫婦の“今後”も考えなければ

ならないからです。

冷たいようですが、私には妻に対する責任もあります。


“成年後見人制度”を思い出し、弁護士事務所に相談に行きました。

…私が兄の後見人になることを考えていましたが、無理でした。

そのためには、兄が認知症などのために判断能力がないことが

“条件”になります。目はほとんど見えず、耳もとても遠いですが、

判断力は正常です。家庭裁判所の目をごまかす自信はありません。

ハハハ。


次に、兄が弁護士と契約を交わして、弁護士に兄の財産を管理する

“代理権”を持ってもらう…という方法がうかび、その方向で銀行と

話してみることにしました。


つづく・・・


by toruiwa2010 | 2017-06-29 08:20 | 芦屋から | Comments(0)

食べ歩き…と書けば 食通orグルメがおいしいものを求めて

レストランや居酒屋をうろついている印象があるが、違う。

この年で単身赴任の私の場合は、バランスのとれた食事を

摂るためだから、ある意味 必死だ。どんなにおいしくても

味が濃かったら、行く回数は限られる。土地柄で しばしば

出くわすめっぽう高い店も同じだ。


5ヶ月を超えたから、さすがになじみの店が何軒かできた。

和食の“鈴(ベル)”魯耕(ろこう)”は週に一度は魚を食べろ

との妻からの厳命を守るために通っている。

5時開店が有難い家族経営のは家庭の料理が食べられる。

全権を掌握して切り盛りするおかみさんとそれを補佐する

娘さんはすぐ近くでスナックも経営しているようだ。

味もまずまずで、一時は毎週 通った。

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“魯耕”は5時半開店だから、東京にいれば4時半には食事が

終わっている我が家にはちょっと厳しいが、おいしいので

月に一度は訪れる。ここの“名物”は土鍋で炊く銀シャリだ。

ただし、少なくても2合を炊くから、夫婦で行くときしか

注文できない。炊き立てのこのご飯に厳選された生たまごを

かけると最高なんだけどなあ。ハハハ。

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50歳ぐらいの小柄なおやじさんがキッチンを仕切っている

こじゃれたピザ屋を見つけた。LIBERTE(リベルテ)だ。

店の内装や食器類に店主の“こだわり”が見える。使い込んで

いい感じになっている調理器具を眺めるだけで楽しい。

月に数回、一人でやってくる超高齢の客をそっとしておいて

くれるのも嬉しい。


電気窯で焼くピザは普通の店のものとは一味も二味も違う。

薄くてパリパリ…お菓子感覚で味わえる。

電気で焼いたものはあまり好きではないのだが、この店のは

“クセ”になる。数少ない経験の中では最高にうまい。特に、

ピザもいいけどこってりしたのは苦手という人にお勧めだ。

ほうじ茶味のプリンがあったら食べなきゃ損だぜ。ハハハ。

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この街で出会った最高の店はトラットリア“ALLEGRO”だ。

たしか、この辺にイタリアンがあったはずだ…と歩いていて

見つけた。外見は8年前と同じだが、経営者が変わっていた。

週末は開店と同時に予約客でいっぱいになる。家族で訪れる

客が多いから店内はにぎやかだ。カウンターの一人客には

その賑わいがうれしく、5月以降、ほぼ毎週 通っている。



ナポリ風の石窯で焼いたピザがストライクゾーンの真ん中に

ズドーンと入ってきた。東京でよく出かける店にくらべると、

サイズが一回り大きくて 一人で食べるのは厳しい。前菜から

うまく量を調節しないとえらい目に合う。ハハハ。

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マルゲリータとクワトロ・フォルマッジが気に入っている。

トッピングの多いものは苦手なのだが、6月に入って注文する

ようになった“マルゲリータ 生ハムとルッコラ“は絶品だった。


ほかの客は知らないが、私がこの店で一番気に入っているのは

“インサラータ・ミスタ(ミックス・サラダ)”だ。ボリュームが

たっぷりで、妻のもうひとつの指令「野菜を食べてね」への

文句のない回答になる。これだけを食べさせてくれるのなら

一日おきにでも通いたいくらいだ。


私の限られた経験では食べたものに“はずれ”はなかった。

店の雰囲気、ホール・スタッフの接客にも文句はない。


ドルチェも、どれもおいしかったことを付け加えておく。


諸事情により、明日は更新を休みます。


by toruiwa2010 | 2017-06-27 08:17 | 芦屋から | Comments(0)

週明け、あまり書くことがない。

今週は、そのうちに…と書き溜めていた

“芦屋通信”をまとめて更新することにする。

推敲が足りていない。誤字脱字はご容赦を。


今日のディナー

メインは竹園のコロッケとメンチカツ

タコ唐草の皿にのせてレンジ30

ホイルで軽く包んでトースター 1分?

レタス、ルッコラ、ミニトマトのサラダ 

サトウのごはん 1/2      以上。

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“料理”をするのでビールはその前に飲み切った。


コロッケ、メンチカツは75

もっとホットに仕上げれば違うと思う。

サラダは90点 優等生だね。

これは外食のときもできるだけ作って食べるよ。

サトウのごはん…おいしかったという記憶が間違いだったね。

まだ、あるので、ふりかけなどでごまかしながら食べきる。


明日はスパゲッティを作る予定。


これからお兄ちゃんのところをのぞいてくる。

昼間から、見守り携帯には反応するけど、玄関のピンポンや

電話に出ないんだ。

では、では。             TO 17/02/03


今日の朝食

トマト、ヨーグルト

ホットサンド(チーズ+ハム)

目玉焼きを乗せる予定だったけど、油をひかなかったため

うまく剥がせなくて断念。

要領が分かってきたら、レタスも乗せる。

ハムとチーズが“ベスト”ではなかった。 TO 17/02/04

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1月末、一緒に芦屋に来て私の一人暮らしが軌道に乗るまで

手伝ってくれた妻が東京に戻って行った夜と翌朝のメールだ。

一定の決意をしてきたのだから、このころはちゃんとしていた。

それから5ヶ月が過ぎようとしている。


昔の人は“初心忘るべからず”と言ったが、諸般の事情があって

残念だが、初心はどこかに行ってしまった。ハハハ。

“気持ち”はあるし、時間がないわけではないのだが、精神的に

疲れることばかりで、お惣菜でごまかすことが多くなった。

当初は“週2回”と決めていた外食が“週3回”になり、最近は

4回になることもある。あと少しだからいいかと。

調理器具も調味料もしっかり持ってきたというのに情けない。


4月中旬から毎日欠かさず兄の病院を見舞ってきた。

病院は芦屋の山の上に立たっているから、よく晴れた日には

大阪湾を挟んで、遠く紀伊半島が見えて気持ちがいい。

ただし、年寄りが歩いて通うのはきつい。行きはどうしても

タクシーを頼むが、帰りは途中で買い物をしながら40~50

かけて歩くようにした。汗をかかないようにかなりゆっくりと

歩いているが、いつの間にかびっしょりになっている。

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5月ごろから“悪い習慣”が定着してしまった。

早めに帰宅したときには昼間からビールで乾杯するのだ。

P チーズ、ナッツ、ノリなどを肴に350mlのスーパー・

ドライを楽しむ。6月に入ってから、これにハーゲンダッツの

ミニアイスクリームが加わった。マカデミアナッツ、うまいね。


外食と決めている日はほかにもうやることもない。

知らぬ間にたまったストレスを解消するには このささやかな

“酒盛り”は最適だね。

そんなわけで、週に一度のペースで6パックを下げて芦屋の

坂を登って家に帰る。“楽しみ”のためだから苦にならない。

ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-06-26 08:04 | 芦屋から | Comments(2)

気づくのが遅かったなあ

~アナウンサー冥利について~

( 2011.04.28 初出 )

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東北を襲った大震災のあと、被災地を励まそうと日に何度も

流れていた「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん空の星を」は

1960年代前半に坂本九が歌って大流行した曲です。

桑田佳祐・福山雅治を初め、豪華なメンバーによる応援歌を

聞くにつけ、被災地を実際に訪れた歌手たちの活動を見るに

つけても、歌が持っているパワーに圧倒されます。


歌と同様、書物にも人の心に沁みたり、勇気を与えたりする

絶大な力がありますね。

ヒット曲を持っている歌手、長く読み継がれている本を書いた

作家の影響力にはいつも感心してしまいます。

特に歌手の場合は 自分の歌によって人々が笑顔になったり、

感動して涙を流したりする場面を目撃することが多いですから、

そのたびに“歌手冥利”ということを思うでしょう。

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今のアナウンサーたちは、私が現役のころにくらべたら遥かに

名前も顔も知られていて、アイドル並みの人気者もいます。

それでも、人に感謝されたり、感動を与えたりすることは

そんなに多くはないでしょう。まして、そのアナウンスが

5年後、10年後まで記憶に残ることはめったにありません。

少なくとも、私はありません。


「いや、…のときの実況はよかったですよ」とごくたまーに

言われることもありますが、それは、試合そのものの印象が

強いのであって、私は“おまけ”にすぎません。ハハハ。


数年前、「冥利」という記事を書いたときにも引用したのですが、

きっかけは古いHPの掲示板に書き込まれたコメントでした。

…以前、視聴者プレゼントで岩佐さんの本も頂いたのですが、

その本もわたしにとってとても大切な本です。

久しくネットもやってなかったことや、前ほど熱心にサッカー

中継を見なくなった事もあり、岩佐さんがサッカー中継から

退いたことを知りませんでした。わたしはもうWOWOWには

加入していないので、岩佐さんの今の声を聴く事はできません。

学生時代、サッカー中継に興奮、かつ感動できたのも岩佐さんの

実況があったからこそだと、WOWOWから離れて、今でも

思っています。

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“本”は、2002年に自費で出版したささやかなものです。

推敲が足りなくて、句読点の誤りや文章のおかしなところが

多数あって、恥ずかしいかぎりの本ですが、大事にされている

ことを知ったときは、「出してよかった」と思いました。

ただし、アナウンサーが本当の“冥利”を感じるのは、やはり

実況の場でしょう。大きな試合を担当したり、プレーの描写や

解説者とのやりとりがうまくはまったりしたときに「よくぞ、

アナウンサーになった」と思うものです。


残念なことに、実況を聞いたときの感動は長く続きません。

実況のスタイルがどんどん変わっていくからです。そのため、

昔から“名アナウンス”とされているものも数年後には色あせて

聞こえます。若いころに聞いて印象深かった実況をいくつか

テープで聞いたことがありますが、“古色蒼然”…やめておけば

よかったと思いました。

直木賞作品のあとに紫式部…は極端ですが、夏目漱石を読む

気分と言えばいいでしょうか。


それぐらい、実況スタイルは変化しているのです。

文学や音楽はそれでも人に感動を与えますが、実況はなかな

か難しいです。フジテレビの後輩に「実況は消える芸術」と

言い放ち、自分の放送をテープに録らない男がいて、当時は

あきれたものですが、今になって「なるほど」と思わないでも

ありません。ハハハ。

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「あれはよかったですね」と褒められたものでも、今聞くと、

「なんだ、これは」とスタイルの古さに唖然とし、「もうちょっと、

うまくしゃべれるんじゃないのか」と思うことが多いです。

“門外不出”にしたいと思うことさえあります。ハハハ。


具合が悪いことに、誉められるのは、劇的ゴールが決まったり

(サッカー)、ナイスショットが決まったり(テニス)したときに

実況をやめて拍手・歓声を生かした場合が多いので微妙です。

自分のスタイルとしてやったのですから後悔などしませんが。

ハハハ。


ある立場・境遇で自然に受ける恩恵や幸福…

広辞苑によれば、“冥利”はそんな意味で使われるようですから、

私に限ってはヘッドセット・マイクをつけ、わくわくしながら

放送席に座ることがすでに冥利だったとと言っても言い過ぎでは

ないかもしれません。

それに気付くのがきわめて遅かったのは“痛恨のきわみ”ですが。

ハハハ。 


by toruiwa2010 | 2017-06-25 08:13 | アーカイブから | Comments(0)

先週のTowel Offがごく一部で好評だったので

調子に乗って、こんな話もあるよ…と。

MLBファン同士が集まったときに持ち出せば

どや顔できるかも。ハハハ。


おもしろい話でしょう?

~メジャーの周辺から~

( 2011.04.27 初出 )

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どのチームも20試合前後を消化して、メジャーも少しずつ

本格化してきました。TBS「サンデーモーニング」は 張本某が

柱の陰から肩をゆすって姿をあらわす時間になると、ほかの

チャンネルに回していますが、相変わらず「メジャーなんて

どうってことない」と毒づいていることでしょう。ときどき、

高校生だってやらないような凡ミスもやらかしてくれるので、

かばいきれないこともありますが、やはり、メージャー・

リーガーのパワーとスピードは魅力にあふれています。


70年代から80年代にかけてのめりこんだメジャーについては、

今も愛着があります。ツイッターを見ると、日本にも大勢の

ファンが生まれ、中にはかなりマニアックな人もいるようです。

選手の持ち味からファームの事情まで細かい情報を持っている

ことにビックリします。私は、なんとなくテレビをつけている

だけですから。ハハハ。

文字通り“草分け”的存在だったパンチョ伊東さんが今の日本の

“メジャー事情”を知ったら、何と言うでしょうかね。

「いやー、岩佐さん、驚きましたねえ」…


CSに加入するほど熱心ではないし、「なぜ、このカード?」と

文句を言いながら、NHKの中継を見ています。副音声ですが。

ハハハ。

解説者・アナウンサーには書きたいことがいろいろありますが、

今日はやめましょう。

明けても暮れてもプレーの実況と分析ばかりでは飽きるので、

もう少し、メジャー周辺の面白い話を紹介してほしいとだけ

注文しておきます。

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たとえば、ヤンキー・スタジアムでデレク・ジーターが打席に

入るとき、テープに収めたPAアナ、ボブ・シェパード(今年

亡くなった)の声が流れます。

ジーターが、何があっても“神の声”と呼ばれたシェパードの

アナウンスで打席に入りたいと望んで生前に録音しておいた

ものです。こういう話は聞く者の胸を打つと思いますが、

NHKでは紹介しましたかね?


ほかにも、たとえば、こんな話は?…


MAGIC MUD

お手元の英和辞書を開いてみてください。

BASEBALLには二つの意味がありますね。ひとつはもちろん、

正岡子規の造語、「野球」、もうひとつは「野球で使う球」です。

ハハハ。

He picked up a baseball(彼はボールを拾い上げた)という

使い方をします。FOOTBALLも同じです。初めて知ったとき、

目からウロコでした。

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街でタクシーを拾って「球場に行ってください」のつもりで

“Ballpark,please”と言って“Which ballpark?”と聞き返された

ことがあります。大きな街だと、メジャーの球場とアメフトの

球場がありますからね。


テレビでアメリカのベースボールを見ていて、審判から新しい

“ベースボール”を受け取ったピッチャーが日本ほどそれを

“こねない”ことにお気づきでしょうか。

あれには秘密があるのです。


事の発端は遠く1920817日にさかのぼります。この日、

ヤンキースのC・メイズが投じた一球が、インディアンズの

R・チャップマンの側頭部を襲い、翌日、息を引き取るという

痛ましい事件が起きました。

メイズはボールに傷をつけて(ball-doctoring)投げる投手として

知られていました。空気抵抗を多くして変化を鋭くさせるのです。


この事件を受けてメジャー・リーグ機構は、ball-doctoring

禁止し、常に新しいボールを使うことを決めました。問題は、

新しいボールは滑って、握りにくいことです。

噛みタバコの汁や靴磨きのクリーム、水に溶かしたグラウンドの

土など、各チームともいろいろなものを試しましたが、肝心の

革が変質してしまうなど、うまくいかなかったようです。

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1938年のある日、フィラデルフィア・アスレチックスの3

ベース・コーチだったレナ・ブラックバーンは、試合の合間に

塁審から「困ってるんだよ」と愚痴を聞かされました。

数日後、趣味である釣りに行ったとき、ふとひらめいたブラック

バーンは川底に手を伸ばしました。

何度か試みた末に「これは」と思えるものを見つけたのです。

球場に持ち込んでテストしてみると結果は上々でした。

magic mud(魔法の土)と呼ばれる"Lena Blackburne Rubbing

Mud"誕生の瞬間です。


まもなく、アメリカン・リーグがこのドロを採用し、やがて

ナショナル・リーグも追随、いまでは、アメリカ中のメジャー、

マイナー、大学リーグなどでひろく使われています。

私たちがアメリカを“放浪”していたのころは、試合の数時間前、

審判がスタンド下の控え室で100個前後のボールにこのドロを

擦り込むのが“仕事”の一部と言われていました。

主に主審の任務とされていましたが、控え室の係員に下請けに

出す人もいました。ハハハ。

今では、ホームチームの関係者がやることもあるようです。

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メジャーのチームが1シーズンを乗り切るためには、2ポンド

(900グラム)入りが2缶必要ですが、料金は2缶で約1万円。

かつての苦労を考えれば安いものでしょう。


実はこのドロ、どこで採取されたのか、秘中の秘でした。

デラウエア川支流のどこか…までは分かっても具体的なことを

知っているのは10人ぐらいだったのです。

2年前にCNNが採取の模様を取材して放送したので、増えて

いるかもしれませんが。ブラックバーンは、亡くなる直前に、

採取の場所や製法などを親友に伝えました。

高齢だった親友はほどなく娘に譲り、現在は、さらにその息子が

取り仕切っています。

毎年、ある時期になると、彼は家族と一緒に秘密の場所に行き、

翌年に備えておよそ180キロの宝のドロを採取するのです。

完全な独占家内企業です。ハハハ。

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これまで、たくさんの会社がいろいろな土を試しましたが、

足元にも及ばないそうです。

このドロが優れているのは 匂いがなく、擦り込むことによって、

ピッチャーはボールをしっかりグリップできるし、おまけに

ボールが黒ずまない点です。

製法と書きましたが、水分の抜き方や添加する特殊な物質にも

秘密があって、それはまさにコカ・コーラの原液並みです。

ハハハ。


このブラックバーン、調べてみるとなかなか面白いやつです。

1910年代に内野手としてホワイトソックスに在籍したあと、

20年代半ばからはコーチになり、28年途中から29年まで、

監督もつとめています。

念のために、選手としての記録をよく調べると、コーチだった

27年に代打として打席に立っています。

さらに、29年にはピッチャーとして試合に出ています。わずか

1/3イニングですから、大量リードされた試合なのでしょう。

現役のときには、一度もマウンドに上がったことなどないと

いうのに!しかも、このとき42歳!!

古きよき時代だったということかもしれませんね。


この記事の続きに先週の“Towel Offの報告”の

部分がついていました。


by toruiwa2010 | 2017-06-24 08:32 | Comments(0)

TAP THE LAST SHOW 70


古ぼけたビデオテープ。画面の隅に“1988.12.24”の文字がある。

ステージの上では一人の男がタップを踏んでいる。ものすごい

盛り上がりの中でアクシデントが起き、男が突然倒れた。

「幕を下ろせ!」という狼狽し、緊迫したスタッフの声が飛ぶ。


長い年月が過ぎた。

あの事故で足が不自由になり、その後 演出家として生きてきた

渡真二郎(わたりしんじろう:水谷豊)は川べりの倉庫のような

住まいで酒におぼれている。その渡を毛利(岸部一徳)が訪れた。

経営するショウパブ“THE TOPS”を閉めることになったので、

最後の公演に力を貸してほしいと頼みに来たのだ…

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紆余曲折あるものの、物語はハッピーエンド。

封切り二日目、日曜日の午後、西宮TOHO150人ほど入る

スクリーンはおまけしても五分の入りでした。

私の感想点は70が精いっぱいですが、帰宅後 ネットを見ると

案外 高く評価しているサイトがあることに驚きました。


若いころから水谷豊が温めてきた企画だと聞きます。たしかに

その思い入れは伝わります。しかし、全体にただよう“既視感”が

ひどすぎませんか?


MAKOTO(清水夏生)がオーディションに遅刻した。

力は認めつつ、「出ていけ」と声を荒らげる渡。

しかし、MAKOTOは追い出されても、どんな罵声を浴びても

劇場に押しかけ、稽古に参加し、結局、ショウの主役をつかむ。

彼を支える女性(北乃きい)はひそかにキャバクラで働いている。

出産費用を稼ぐためだ。


主演級4人の男女のうち、二番手の男は渡に気に入られている

MAKOTOに激しく嫉妬し、露骨な態度も取るが、何があったか、

いつの間にか仲直り。

この男、仲間のシューズを切り裂いた疑いが濃厚だったのだが、

最後までお咎めはなかった。


女性No1ダンサーの父親は絵に描いたような”頑固な男“で

娘が人前で足をあげたり、開いたりすることを認めていない。

「この公演が最後だから」と必死の願いも退けられた娘は

家を抜け出し、母親が夫に隠れてそれを手助けする。


エピソードすべてをどこかで見聞きした気がします。

なにより、詰め込み過ぎです。結果として、中途半端になり、

経緯が省略されて何がどうなったかが観客に伝わりません。


見どころは、ショウのシーンだけでした。ただし、エンド・

ロールの前のラストカットはふたたびひどいなあ。

総合的な感想を一言で書くならば“失敗作”です。

ファンには申し訳ないけど。


by toruiwa2010 | 2017-06-23 08:26 | 映画が好き | Comments(0)

“アーカイブからは古い記事から、自分で面白いと思うものを

更新しているが、必ずしも当時のままではない。そのときどきで

ワードの設定(1行〇〇文字など)が同じではないのでこまかい

修正をしなければならない。私は最後の2,3文字が次の行に

移ることが大嫌いだからだ。だから、結構 丁寧に読み返す。

そのとき、しばしば「あれっ!?」と思うことがある。


句読点の使い方が“不自然”なことに気づくのだ。

ここには不要だろう、あるいは、ここにないのはおかしい…など。


どんな言語にも句読点や同じ意味を持つ記号はあるようだ。

句点()と読点()

…子供のころは文字の雰囲気から真逆に覚えていたっけ。

句点()と読点()

もともと、“これが絶対に正しい”というルールはないようだが、

今でも間違えることが多いし、使い方にはまったく自信がない。

あまり読点が続いたり、そこに読点を打つと改行が中途半端に

なったりする場合、英文の“space”で誤魔化したりするから

なおさらだ。ハハハ。


最近 思うのだが、文章が終わるいったん区切るという

本来の使い方とは明らかに違う意味合いで句読点を打っている

傾向が増えていないか。

大好きなタレントの一人、“ほっしゃん。”はすこし前に本名の

“星田英利”に改名したが、“。”がついているときは苦労した。

記事を書くとき、本来の句読点と紛らわしいからね。ハハハ。

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大河のクレジットに“藤岡弘、(縦書き)”を見たときは驚いた。

聞けば、1984年に日米合作映画に出たあと“、”をつけるように

なったそうだが、知らなかった。 

wikiを見ると、いろいろ意味があるらしいが、長くなるので

割愛する。


いずれにしても、芸名を含む名前はアイデンティティとして

大事だから、本人がこだわる以上認めなければいけないだろう。

どんなに“メンドー”でも。

ただし、浅草キッド・“玉袋筋太郎”のように超極端なものは

扱いに困る。NHKでもここ数年、字幕ではそのままになって

いるというが、子供に説明するのは難しい。

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ドラマや映画のタイトルにも不自然な句読点が増えた。


これらにはもっと強いこだわりがありそうだ。下手をすると、

作品を理解するのにその意味するところをくみ取らなければ

いけないようになるかもしれない。

ドラマならドラマ、映画なら映画の中身で勝負しなさい…と

言いたいが。ハハハ。


“わざとらしくて”イライラするのはNHKのドキュメンタリー、

「プロフェッショナル」で、いかにも「ここ、だいじなところ」と

言わんばかりに画面中央に出て来る字幕だ。

ナレーションも言葉を切っているのだから、“スペース”だけで

いいものを。

ついでに書くが、同じNHKの「プロジェクトX」あたりから

始まった、意味でなく、“気を持たせる”ために妙なところで

間を取るナレーションも好きではない。

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少し前に文化庁が発表した“国語に関する世論調査”によると、

“ら抜き言葉”を使う人が初めて多数派になったそうだ。調査を

始めた1995年以来、初めてだと。


本当に、言葉は動くんだね。


by toruiwa2010 | 2017-06-22 08:15 | 岩佐徹的考察 | Comments(0)

11日の日テレ「ザ!鉄腕!DASH!」で“騒ぎ”があったとか。

愛知県岡崎市のイントネーションがおかしいというのだ。

“オカザキ”をどう発音するかで意見が違うわけだ。特に地元に

暮らす人たちにとっては違和感が強かったらしい。

番組で話されていたように“カ”が高く、ほかが下がる“中高”

(なかだか)ではなくて“カ・ザ・キ”を同じ高さで発音する

“平板”(ヘイバン)で読んでほしいんだね。

たとえば、それこそ“鉄腕”のように。ハハハ。

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この街では、2015年に立てこもり事件が発生したときにも

似たような“騒ぎ”になったらしい。


固有名詞のアクセントはとても難しい。ルールはあるのだが、

“絶対”ではないからだ。私の“学説”はこうだ。


一定の原則があって、新しい言葉に出会ったとき、

人はその言葉を構成する“音の並び方”からそれが

自然だと思うアクセントで話すようになり、時間を

かけて落しどころが決まってきた。


…専門家がどう言うか知らないが、間違ってはいないと思う。

外国の固有名詞について考えると分かりやすい。

たとえば「アメリカ」のアクセントが平板なのは、厳密な

ルールに従ったわけではなく それが一番自然だったからだ。

英語の発音では「メ」にアクセントがあることは、この際

まったく関係ない。


逆に、アメリカ人にとってTokyo,Ichiroは頭高(あたまだか:

最初の音が高い)だし、Osaka,Matsuiは中高(なかだか)

日本語とは違うが、彼らにはアルファベットの並び方から、

それが自然なのでしょう。


私の名前、「岩佐」は頭高だが、同じようにイ、ア、オ段で

構成される苗字の「岩田」は平板だ。

更にところが…同じ「イワタ」の静岡県「磐田」市の場合、

多くの日本人にとっては平板だが、地元は違う。

Jリーグ立ち上げのころ、各テレビ局は磐田市や市民から

「アクセントが違う。我々の街の名は、イにアクセントを

置いてくれ」というクレームを受けた。

市の名前が決まったとき、頭高で読むのが自然だと感じる

人が多く、それが定着したのだろう。私の考察によれば、

たぶん、アクセントの決定には気候や風土も関係するのだ。

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この、クレームというよりアピールには戸惑いもあったが、

「地元がそういうんじゃ、しょうがないね」と各局が直し、

今も、サッカーの世界ではそれが当たり前だ。(…よね?)


そうそう、サッカーと地名アクセントというくくりで言えば、

こんなこともあったよなあ。


2014.05.11のツイート

関口宏の”サガン鳥栖”のイントネーションを

訂正した唐橋ユミに拍手!!! 


どうということではないのだが、この日のTBS「サンデー

モーニング」のスポーツ・コーナーで交わされた会話が

私的にはとても面白かった。


関口:サガン鳥栖がトップ…。

唐橋:サガン鳥栖です。

関口:サガン鳥栖!?サガン鳥栖じゃいけないの?変だなあ

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文字だけだと“禅問答”めいているが、関口はサガン鳥栖を、

言ってみれば“左岸・椅子”のアクセントで、コーナー担当の

唐橋は“ユベントス”のアクセントで発音していたのだ。

「変だなあ」と言っても、固有名詞のアクセントは独特だ。

地元の人たちに違和感があるのはよくわかる。


ただし、だからと言って、TokyoIchiroのアクセントが

日本人と違う…とアメリカ人にクレームをつけるかと言えば

それはかなり微妙だね。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-06-21 07:39 | Comments(4)

先週の木曜日に兄が新しい施設に移りました。


この日は朝から少し緊張しました。

9時半の退院に備え、それまでにすべての対応を終えるために

8時半過ぎには病院につきました。朝のテレビがてんびん座の

星占いは第3位で“何事もスムーズに進み…”となっていたのが

心強かったです。ハハハ。

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最後だからと、看護師さんたちが風呂に入れてくれました。

爪も切り、新調のパジャマに着替えて準備は終了です。

担当の先生に会えたのでお礼もできました。看護師さんたち

一人一人にはきちんと挨拶ができませんでしたが、駐車場まで

見送りに来てくれた看護師長と握手をしたときには、思わず

涙があふれてしまいました。本当によくしてくれましたから。


芦屋病院は兄も気に入ったようで数日前には「この病院に

戻ってくるにはどうすればいい?」と聞かれて困りました。

「もう一度、肺炎になれば」と答えると、冗談が通じたのか、

笑っていましたが。


新しい施設への移動は“福祉タクシー”を頼みました。少しずつ

増えているようですが、病院のベッドからストレッチャーに

乗ったまま運んでくれます。若い女性のドライバーでした。

看護師の資格も持っていて、道中、何があっても安心です。

2ヶ月ぶりに外の空気に触れて気分がいいのか、兄はずっと

視力をほとんど失った目を窓の方に向けていました。


施設では4人部屋になるので、プライバシーを保つことは

少し難しくなりますが、“完全に独りぼっち”よりは周囲に

人の気配がある方が兄のためにはいいと思っています。

しかし、個人的な話はしにくくなることが予想されたので、

転院の前日に、考えていた“儀式”を実行しました。


私たち兄弟の父親は明治生まれの九州男児でした。

仕事と酒以外に目が向かず、妻に優しい言葉をかけるという

タイプの男ではありません。

想像でしかありませんが、私より14歳 年上の兄は私たちが

知らない、“耐える母”をたくさん見ていた可能性があります。

私たちとは比べ物にならない“母思い”の姿勢はその経験から

来ているのではないかと思います。


母は2003年の暮に亡くなりました。兄はその遺骨を今でも

自分のマンションに置いています。岩佐家の墓は東京の

多磨墓地にあるのですが、そこに埋葬してしまうことが

耐えられないのでしょう。気持ちが分かるので、私たちは

反対しませんでした。

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しかし、兄が施設に入ったことで事情が変わりました。

残念ですが、自分のマンションに戻ることはないでしょう。

いずれ、このマンションも手放すことになるので、母の骨を

そのままにしておくことはできません。私が東京に引き上げる

タイミングで持ち帰り、埋葬することになります。このことは

兄も理解してくれました。


先週の水曜日、兄のマンションに寄って母の遺骨が入った箱を

きれいなハンカチで包んで病院に向かいました。

少し雑談したあと、いよいよ明日転院することになると話し、

「母さんのお骨を持ってきたよ。お別れしておこうか?」と

枕元に置きました。


ビックリした顔をしていましたが、手を取って箱に添えると

“あー”、“あー”と何度か声をあげ、「ありがとう」という言葉を 

二度 口にしました。お骨を運んだ私に対してではなく明らかに

母に向けた感謝の言葉でした。母への強い思いがその言葉で

語られたとき、思わず、涙が噴きこぼれました。


このとき、写真を撮りました。

ここには載せませんが、入院以来はもちろん、最近の数年間で

一番いい顔をしています。安心したような、穏やかな表情です。

メールで妻に送ると、「いいことをしましたね」という返信が

ありました。2月以来の苦労が報われた気がしました。
by toruiwa2010 | 2017-06-20 08:05 | 芦屋から | Comments(4)