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岩佐徹のOFF-MIKE

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さんま千原ジュニア

~笑いのまじトークを見た~ ( 2011.07.05 初出 )

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行きつけの永福町のうなぎ屋は注文してからさばき始めるので、

出てくるまでにかなりの時間がかかります。結婚48年目の

夫婦二人だと会話が続きません。ハハハ。

以前はわざわざ、本を持参していましたが、最近はマガジン・

ラックにある週刊誌、SPA!を読むことにしています。


電車の中では開けないようなグラビアや露悪趣味な見出しが

多いので、私は絶対に手を出しませんが、この店でたまたま

読んだとき、あるコラムに惹きつけられました。

“すなわち、便所は宇宙である”…実にSPA!らしいタイトルです。

ハハハ。


書いているのは関西出身のお笑い芸人・千原ジュニアです。

彼が自分で書いているのか、聞き書きなのか分かりませんが、

視点がユニークで語り口も軽妙なので、この店に行くと、必ず

読んで、笑ったり感心したりさせてもらっています。


今日のエントリーは、もともと、ジュニアを“たたえる”ために

準備していました。今のお笑い芸人で一番輝いている男だと

惚れこんでいるからです。

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先日の「すべらない話」のMVSは少しおまけ感が漂って

いましたが、2,3週間前に「笑っていいとも」で聞いた話なのに、

同じように笑えたのはやはり“腕”なんでしょう。

トークのキレ・スピード、絶妙な“間”、言葉の選択、悪乗り

しそうな芸人をやんわりとおさえつけ、笑いを取ったまわりの

話を引き取って、更に大きな笑いにつなげる“仕切り”のうまさ…

「笑っていいとも」や「○○な話」だけを見ても、腕の確かさは

疑いようがありません。


素人ですが、お笑いに対しては“うるさい”私としては、この辺で

“千原ジュニア讃”を書かねば…と思っていました。そのために、

この2週間、SPA!を買いました。コラムを読むだけのために。

ハハハ。

出演するテレビ番組も注意深くチェックしていました。

すると、とんでもない“やりとり”に遭遇したのです!


「千原ジュニアはもっとこうするべきだ?」

立ち上がり、読み終えたメモをポケットに入れながらジュニアは

「さあ、これだけ聞いて帰ろ」と、“したり顔”でした。


…「さんまのまんま」にジュニアが呼ばれたのはつい先日です。

あまりにも話が面白いためにとうとう2週連続という異例

放送になりました。1週目の終盤、ジュニアが後輩から集めた

さんまへの質問が続いていましたが、自分が一番聞きたかった

この質問を最後まで取っておいてさんまにぶつけたのです。

真面目な答えを求めているのか、笑い狙いなのか、ジュニアの

真意をつかみかねていたさんまでしたが、“まじ”だと分かると、

こう答えました。


「今で売れてんねんから全然ええけど。

ただ、お前はシュートとかシンカーを投げようとするから…。

それは“たま”でええよね。笑いのストライク・ゾーンは

ストレート投げてファウル打たしてる方がええから。

お前、空振り取ろうと思うことが多いから…」

「はあーっ」

「それを半分に減らすように変えて行けば、結構…

ああ、ええこと教えてしもた」

「よっしゃーっ」

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「はあーっ」と言ったときのジュニアは“感に堪えて”いました。

さんまの指摘に思い当たる何かがあったに違いありません。

その瞬間の表情は本物でした。

よほど、胸に響くものがあったのでしょう。うーん、そこを

見られていたか、いや、まいった…というところか。 ハハハ。

「ええこと教えてしもた」と言ったあと顔を覆い、体を折って

後悔する仕草で真面目ムードを笑いに変えようとしたさんま…

文字にすると伝わりにくいですが、ほんの1分ほどのやりとりの

すごさたるや、お笑い好きにはこたえられないものでした。


さんまの“後悔”はもちろんジェスチャーにすぎません。

ジュニアがかわいくて仕方がないのだと思います。力も十分に

認めているのでしょう。ジュニアの話から分かります。


2001年、ジュニアがバイク事故で重傷を負い、長い休養のあと

復帰した最初の番組が「まんま」だったそうです。そのとき、

「退院祝いは何がいいか」と聞かれたジュニアは しゃれで

「レギュラー番組をください」と答えました。

しばらくたったころ、さんまはそれまで断り続けていた番組を

引き受けました。

「千原兄弟をレギュラーにする」ことだけを条件にして…。


“やりとり”には、そんな二人の関係が現れていたと思います。

本来、酒の席か楽屋でする話かもしれませんが、番組の中での

超“まじトーク”でした。

駆け出しではないお笑い芸人二人にとっては少し“リスキー”

だったかもしれません。

ジュニアにしてみれば、普段 面と向かって聞ける話ではない。

でも、これなら“流れ”で聞ける、と計算したのでしょう。

さんまは人前で真面目な話をすることをとても恥ずかしいと

思うタイプの男です。

しかし、思わぬ質問に戸惑ったのは一瞬で、ポイントをついた

アドバイスをしつつ笑いも取ってしまったさんまの“剛腕”に、

感心してしまいました。

ジュニア、君もすごいが、越えなければいけない山は高いなあ。

ハハハ。


同じ業界の先輩から後輩へのアドバイスは結構難しいものです。

同業の後輩から求められてアドバイスすることがありますが、

厳しい話をした結果、“それっきり”になることが多いです。

いいことだけを言われたいのかもしれません。ハハハ。

私自身も“ほめられて伸びる”タイプですから、分からなくは

ありません。しかし、本来、問題点を指摘するのは“愛情”が

なければ、直したら伸びると思わなければできないことだと

思います。


それだけに、業界ではすでに一目置かれる存在になっている

ジュニアがあえて公開の場で意見を求め、笑いの“オブラート”に

包みながら、「いつか言ってやりたい」と考えていたと思われる

話でさんまがこたえた…互いが認めあい、リスペクトしあう

2人が作りだした“空間”は、見事な“エンタテインメント”に

なっていました。いいもの見ちゃったなあ。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-08-19 08:30 | アーカイブから | Comments(2)

今日、私は芦屋にいます。

630日に東京に戻ってから約50日ですが、

この間に5度目の“芦屋詣で”です。そんなに

この街が好きってわけではないのですが。

ハハハ。


今回の目的はマンション売却の最終決済です。

6月初旬に“要介護5”と認定され、残念ながら

兄が 入院まで住んでいた家に帰る可能性は

ゼロになっていました。誰も住まない状態が

長引くのはよくないし、管理費など諸経費も

ムダだからと、話し合って売ることにしました。


母が亡くなったあと、ずっと押し入れに入れた

ままになっていた布団類や引き取り手のない

冷蔵庫、洗濯機などの電化製品から古い家具まで

全部“コミ”で処分してくれる業者の手で大掃除を

してもらい(22万円かかりました)、懇意になった

不動産屋に売却を依頼したのは芦屋を引き払って

東京に帰る直前の6月下旬でした。


かなり“傷んで”いるから高くは売れないだろうと

思っていたのに、結構な値段をつけて売りに出すと

たちまち買い手が付きました。しかも、複数!

7月上旬に相手を決め、兄の容体が変わったとの

連絡を受けて駆けつけたあと(このときは回復)

14日には早々と売買契約を結びました。

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帰京するとすぐに不動産屋から朗報が届きました。

買主の資金計画の関係で最終決済(残金を受け取り、

鍵を渡し、持ち主が変わる)は月末の予定でしたが、

それも繰り上がって720日になったのです。


20日には兄の資産の90%が一つの口座に集まる…

そうなれば、兄をもっとレベルの高い(費用もかかる)

施設に移す、入院生活が長期になる、亡くなる…

どんな事態が起きても対応できる。兄の代理人として

私が口座のお金を動かせるようにしてあったから。

…すべてがこわいぐらい順調でした。


しかし、17日の昼過ぎ、ふたたび施設からの連絡。

15分後には家を出ましたが、あとで聞くと、私が

新幹線に乗るころに兄は息を引き取ったようです。

入院したときに、担当医師から「間質性肺炎の状態が

ひどい上に心臓にも問題がある。いつ、どうなっても

おかしくない」と告げられていました。5日前にも

同じ状況になっていましたから覚悟はしていました。

93年の人生のほとんどを一人で頑張ったのですから

「もういいよね。ご苦労さま」という気持ちでした。


しかし、“本音”を言えば、私の勝手な都合ですが、

あと3日、20日まで生きていてほしかった…です。


17日に亡くなったことで話がややこしくなりました。

14日に成立した売買契約はあくまで兄と買主の間の

取引で、私は代理人として機能しただけです。

買主はこの日、手付金を振り込みました。15-17日が

連休だったため、兄の口座への入金は18日でした。

時系列的には“亡くなった翌日”になります。


関係者の間では、20日の直前に兄が亡くなったときは

決裁を済ませ、残金を兄の口座に振り込むところまで

やってしまおう、誰も傷つくわけじゃないのだから…

という話になっていました。しかし、現実に直面すると、

銀行に告げず、素知らぬ顔で手続きを進める“度胸”が

私にはありませんでした。これまでに何度も顔を合わせ

なじみになっている銀行員に事実を隠す形になることを

ためらったのです。


“亡くなった日”についての話を長々と書いているのは

“口座の閉鎖”がかかわってくるからです。

身内が死んだとき、遺された家族は役所に死亡届を出し、

金融機関に連絡して口座を閉じてもらいます。これで

故人の資産は動かせなくなるのです。出金だけでなく

入金もできなくなります。


売買契約は済んでいるし手付金もうたれているものの、

残金を払い込むところがなくなってしまったのです。

返金することもできないし、私の口座に振り込むことも

できません。

兄が亡くなった翌日、不動産屋に行き「これから銀行に

報告する。“売買”はいったんストップしてほしい」と

話すと、理解し、買主の了解も取り付けてくれました。

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葬儀のあと、もう一人の“相続人”である次兄と話し合い、

これまでの経緯もあるのでマンションは私が相続する

ことにしました。さいわい、買主の“購入したい”という

意欲に変わりはなく、相続の手続きが終わるまで待つと

言ってくれました。


手続きをスピードアップすることにしました。買主を長く

待たせるのは申し訳ないと思ったからです。

東京に戻った翌日、兄の本籍がある太田区役所に行って

改製原戸籍を取り、手続きを代行してくれる司法書士への

委任状とともに送付しました。

実は、並行して 銀行に遺産の整理を頼むことにしたので、

必要な書類はほかにも山ほどあり、へとへとになりました。


…若い司法書士が頑張ってくれたおかげで 予想よりも早く、

今日、マンションの売却は完了しました。

阪神・淡路大震災後の1999年に兄が手に入れたマンションは

18年後、購入金額より50万円安いだけの値段で売れました。

代金は、もうこの時間には私の口座に入っているはずです。

有意義に使わなくては と肝に銘じています。


遺産相続については別の機会に書きます。

参考になるかもしれません。


by toruiwa2010 | 2017-08-18 08:43 | 芦屋から | Comments(2)

時差の関係もあるので 決勝種目を中心に、日によって

4時か5時に起きて世界陸上を“楽しませて”もらった。

10年間、陸上競技の代名詞的な存在だったウサイン・

ボルトには有終の美を飾らせたかったが残念な結果に

終わった。「おつかれさま。ありがとう」と言いたい。

有名選手にハプニングが多かったね。

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どうしても、実況に注目してしまう。

大会ごとにレベルが下がっていく気がする。かつては

目標にしたいアナもいた“ライバル”局だっただけに

歯がゆい思いでいっぱいだ。どうしたTBS!?


男子200メートル決勝で18歳の若者、サニブラウン・ハキムは

大健闘したが、7着だった。カーブを出て直線に向いたときは

いい勝負になるように見えたが、そこからの上位選手の走りに

ついていけなかった。後半はハムストリングに違和感があった

と話していたから精いっぱいだったのだろう。


インタビュー・ポジションにやってきた彼にTBS・石井アナは

「まずは、日本人として夢の舞台を走っていただいて有難う

ございます」と声をかけた。

2日目の100メートル決勝で3着だったウサイン・ボルトに

「初めに、あなたにありがとうと言いたい。あなたは私たちに

夢、勇気、希望を与えてくれました」と話しかけたのと同じだ。


ボルトのときはほめた。局内でも好評だったと想像する。

でもねえ。わずか中4日で同じ“手口”を使うのはどうかな?

同工異曲っていう言い方もあるけど。ハハハ。

たしかに、ボルトのときは、この部分は英語だけで日本語には

置き換えなかったから、この“言いまわし”を初めて耳にした

視聴者も多かったと思うけど、聞き逃せないなあ。ハハハ。

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TBSとして感謝したい気持ちがあるのは理解できる。しかし、

ボルトとサニブラウンを同列に扱うのは無理があるね。

「いやいや、そんなこと言われてしまうと…なんか 返す言葉も

ないんですけど」と、言われた本人が困ってたじゃないか!


もう一つ、細かいようだが、サニブラウンが「気にしていた

“ハム”が最後の100で来ちゃって」と話したとき、陸上競技に

精通しない視聴者の多くが“なんのことか”と思ったはずだが、

その場ではスルーしてしまった。二人のキャスターも一言も

触れなかった。リレーのメンバー編成に関わる大事な要素を

スルーしたのはまずい。少しあとで「足のこともありますが」と

言ったことでフォローしたつもりだろうが、あれでは伝わらない。


前回 男子100m決勝で優勝したガトリンの名前がレース中には

一度も出ていなかったとクレームをつけた同じアナだと思うが、

女子400m決勝ではトップを走っていたミラーの足に起きた

異常についてほとんど描写できていなかった。トラックで注目の

レースを実況するのは“エース”アナのだ。同じタイプのミスを

何度もやってしまうのは大会全体の放送の低評価につながる。

周囲が厳しく注文を付けないと“視野の狭さ”が改善されないまま

2年後を迎えることになる。TBSはそれでいいかもしれないが、

視聴者のストレスはたまるばかりだ。

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名物キャスター・織田裕二については、できるだけミュートに

していたので(ハハハ)、“例年”ほど腹が立つことはなかった。

しかし、放送席が写るたびに自分だけの期待に酔い、思いがけない

結果には大げさな溜息で反応しているところを何度か見てしまった。

頼む、君の思い入れ、君の感慨は君の主戦場であるドラマや映画の

ために温存しておいてくれ。


by toruiwa2010 | 2017-08-16 08:32 | アナウンサー・実況 | Comments(0)

まだ、いろいろあって、体調は元通りに

なっていませんが、休み続けていると、

二度と書けなくなりそうなのが怖くて

再開することにしました。とりあえず、

月・水・金と~アーカイブから~の

土・日ということで勘弁してください。


今年最後のゴルフのメジャー、全米プロが終わった。

松山英樹は初のメジャー制覇はならなかったが、サンデー・

バック9の序盤まで首位を行くという見せ場を作ってファンを

惹きつけた。11-12-13番の連続ボギーで一度は後退したものの、

1415番で取り返してトップと1打差と盛り返した。

「上がり3ホールで優勝争いできればいい」と、言っていた

言葉通りの展開に持ち込んだが、16番のボギーで実質的に

優勝は松山の手をすり抜けていった。

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しかし、松山英樹は凄いなあ。

ブリヂストン招待の最終日や全米プロの2日目(特にバック9)

爆発力を見ていると“ゾーン”に入っていた。

日本でならともかく、世界のゴルフの舞台で“勝って当然”と

思わせるのは驚嘆すべきことだ。


数年前にはマナーをとやかく言われたこともあったが、もう

誰も何も言わないだろう。松山自身も努力しているフシがある。

笑顔も見えるようになったし、周囲に溶け込もうとしている。


ホールアウトからだいぶ時間がたっても涙を流す松山を見て

こちらの胸にもこみ上げるものがあった。いい涙だったね。

近いうちに必ず次のチャンスが来るだろう。

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21年ぶりのフジテレビの中継を見て、私は思い出に浸った。

マスターズ、全米、全英にくらべると注目度は少し落ちるが、

私にとってはとても懐かしい大会だ。1981年にフジテレビが

初めて中継したとき、実況したからだ。


70年代半ばまではゴルフ中継のメイン・アナだったが、後半は

後輩Mアナに譲っていた。知識に自信がないし、100を切るか

どうかの腕前では当然だ。

しかし、全米プロの放映権を獲得したとき、プロデューサーが

私のところに来て「やってほしい」と言った。私からメインの

座を奪った後輩は器用な男であまり努力をしないタイプだった。

プロデューサーはそれが気に入らず、「これは“メジャー”だから、

君にやってほしいのだ」と考えたのだ。まあまあ、しっかり

準備するタイプだったからね。ハハハ。

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アトランタ・アスレチック・クラブで行われた大会はラリー・

ネルソンが優勝し、青木功が4位に入った。

翌年の春、報道部に異動した私は長いことゴルフの実況とは

縁がなかった。フジテレビはその後も全米プロの中継を続けたが、

低視聴率がネックになり、1994年を最後に手を引くことにした。

買い手を見つけられなかった代理店は再びフジテレビに行き、

こう言って頭を下げたと聞いた。

「今年はタダでいいです。来年はX000万円でお願いします」。


結局、その2年でフジは権利を手放した。あとを引き継いだのが

WOWOW1997年から放送を始め、そこに出向中の私がいた。

代理店が売り込みに苦労している話は幹部に伝えてあったが、

フジが“2年分として払った金額の4倍をふんだくられていた。


…それはともかく、開局から6年目のWOWOWにはゴルフを

実況できるアナがほかにいなかったので私がやることになった。

奇しき因縁。ハハハ。

2000年までの4年間担当したが、ウイングドフット、サハラー、

メダイナ、バルハラを舞台に優勝者はデービス・ラブⅢ世、

ビジェイ・シン、タイガー・ウッズ(2連覇)と華やかだった。


2001年からはNHKから来た島村アナが担当した。WOWOW

移籍後はクラブに触れてないし、知識が豊富な彼がやるのは

これも当然だった。ただし、気の毒なことに、彼の担当した

数年間の大会は内容が乏しかった。当時の仲間が顔を合わせると、

決まって「岩佐さんはついていたんだね」という話になる。

ま、そういうこと。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-08-14 08:17 | スポーツ全般 | Comments(0)

まだ“休暇中”だが、ネタが古くならないうちに

書いておきたいので一本だけ。


始まったばかりの世界陸上で“レジェンド”・ボルトが敗れた。

準決勝の後半で、上体がかなり“起きて”いるのを見たとき、

かつてのウサイン・ボルトではないなあと思った。体調が

十分じゃないのか、年齢のせいか?

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決勝では、もともと苦手とされているスタートで出遅れた。

それでも、先行する隣りのコールマンはつかまえるだろうと

見ていたが、ダメだった。優勝したのは外側のレーンを走った

ガトリンだった。


TBSの実況アナの口からはレース中一度もガトリンの名前が

出なかった。トラック中央でコールマンがリードし、ボルトが

追う展開だったから無理もなかったが、「一着、ジャスティン・

ガトリン!」と叫んだのはゴールから18秒後だった。

“ボルトのラスト・ラン”(個人としては)と分かっていただけに、

日本を出る前からこのレースに照準を合わせていたと思うが、

悔いの残る実況になった。きっと、ビデオを見る気になるまで

時間がかかることだろう。経験があるからわかる。ハハハ。


同じアナだったと思うが、同じ日の男子400m予選第1組で

一着になったフレッド・カーリーが300㍍を過ぎて足の運びが

おかしかったのを見落とし、解説者の話にも反応が鈍かった。

視野が狭いのではないか?

実況者は“クローズアップ”の眼も必要だが、視野を広げた眼を

持つことを忘れてはいけない。まさに このケースのように

伝えるべきことを見逃すことがあるからだ。


ほめたいアナもいた。インタビュー担当の石井大裕アナだ。

“相手が聞き返さない”流ちょうな英語で視聴者にストレスが

かからないインタビューを聞かせてくれる。特に光ったのは

ボルトへの“入り方”だった。

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First,I wanto to say thank you very much for you.

You gave us dream,courage,and wish(?).


視聴者向けには訳さなかったが、質問に入る前にそう言った。

「初めに、あなたにありがとうと言いたい。

あなたは私たちに夢、勇気、希望を与えてくれました」…


”隠れた”ファインプレーと言っていいと思う。選んだ言葉に

これまでのボルトの功績に対する十分な敬意が感じられた。

実にうまい入り方をしたものだと感心した。

“敗者”へのインタビューは難しいものだが、満点だったと思う。

このインタビューをライブで聞けたことは、元同業者として、

とても嬉しかった。


by toruiwa2010 | 2017-08-07 07:45 | アナウンサー・実況 | Comments(10)