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岩佐徹のOFF-MIKE

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“かけもち出張”の快感 その2~やった者にしか分かるまい~18/07/25

・・・つづき


4 1996,2000,2004年、全仏からユーロ(42~43)


96年はパリからロンドンに飛んだ。

パソコン初心者だったし、テニスに集中していたから

パリ滞在中はサッカーの資料に触れることはなかった。

ニューヨークの知人に頼んで、取り出した資料をFAX

ホテルに送ってもらっていた。テニスの会場、ローラン・

ギャロスから帰ると、フロントが苦笑しながらFAX

束を差し出す日々だったことを忘れない。ハハハ。


2000年はベルギーのブリュッセルへ飛んだ。

アムステルダムで行われる決勝も担当するというのに、

ウマが合わなかったプロデューサーが準決勝まで私を

ベルギーに張り付けた恨み、海外では体調維持のために

ナマものや貝類を食べないようにしている私を横目に、

毎夜、ムール貝を食いまくった同僚たちを忘れない。

ハハハ。

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96,2000年は全仏の大会中にサッカーが開幕していたが、

2004年は開幕前にポルトガルの首都 リスボンに入った。

時間をかけて移動することもあったが、宿泊はすべて

リスボンだった。

前立腺がんが見つかってバタバタしたため担当したのは

準々決勝までだったが、最高に楽しいユーロだった。

ジャカランダの美しさ、アズレージョの鮮やかな色合い、

坂道を走る路面電車の風情、夜の居酒屋で聴いたファド、

ガーリック・シュリンプのおいしさ、夜な夜なの会食、

熱狂するスタンド…、私の最後のサッカー実況になった

準々決勝 ギリシャ・フランス戦の盛り上がらなかった

内容とともに、どれも忘れない。ハハハ。

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おまけだが、全仏オープンからユーロにかけての実況を

評価してもらい、ギャラクシー賞(月間賞)を受けた。

きっと、選考委員の中に、たまたま私の実況スタイルを

気に入った人がいたのだと思って(謙遜ではなく)いるが、

“スポーツ実況”を認めてもらった嬉しさを忘れない。


ただし、本人は、前年のUCL準決勝(レアルvsユーベ

1st leg&インテルvsミラン2nd leg)から全仏オープンの

実況の方がずっと上だったと思っているのだが。ハハハ。

どっちにしても、私にとってとても輝かしいこの受賞も

世間的にはたいして評価されていない。Wikipediaにも

まったく記されていない。トホホ。


5 1999:全米オープンからライダーカップ


8月中旬に全米プロゴルフ選手権中継のため12日間、

アメリカ・シカゴに行き、メダイナでのタイガーと

セルヒオ・ガルシアの激闘を伝えていったん帰国、

1週間後に、全米オープン・テニスのためニュヨークへ。


終わったあと、ボストンへ行って、ザ・カントリー・

クラブでのライダーカップを実況した。ヨーロッパと

アメリカのそれぞれのツアーを代表するゴルファーが

技を競うマッチプレーによる団体戦だ。


終始苦戦し、リードされたアメリカが最終日の17

ホールで若いジャスティン・レナードがおよそ15㍍の

ロングパットを決めて歴史に残る逆転勝ちをおさめた。

回転のいいボールがカップの真ん中から沈んだときの

鳥肌が立つような感動を忘れない。

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こう書いてくると、2000年の全豪オープン・テニスから

香港でのカールスバーグ・カップ(サッカー)と続いた

31日の旅など可愛いものだ。


6 1999年:トリノ-パリ-ペルージャ-パリ


日数が短くても忘れがたい旅がある。

1999516日、私はアリタリア航空機でイタリアの

ミラノに飛んだ。そのまま、車でトリノへ移動。23日の

セリエ最終節を実況するための情報集めが目的だった。

19日、パリへ移動した。全仏オープン・テニスのための

準備と打ち合わせのためだ。

22日、パリからローマ経由でペルージャへ。


そう、199899シーズンからセリエでプレーしていた

中田英寿のペルージャがセリエA残留を、ACミランは

優勝をかけて戦う試合を実況するためだった。

ほぼ1シーズン、セリエの実況にどっぷりと浸かって

頑張ったのに、テニスのために最終節を指をくわえて

見つめるのは嫌だったから、プロデューサーを口説いた。

”負担”を考えてプロデューサーは渋ったが、還暦過ぎの

“老アナ”の熱意がまさった。ハハハ。

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ペルージャの試合終了後、3時間かけてローマにもどり、

深夜のバールでミランの優勝とペルージャの残留を祝い、

4時間ほど睡眠をとって、あさイチの飛行機でパリに

戻って全仏オープン初日の午後の試合を実況した。


60歳になっていたが、疲れはまったく感じなかった。

むしろ、私にしか分からない、“やってのけた”という

大きな喜びがあって、体内を激しく“アドレナリン”が

流れていたことを忘れない。


ちゃんと読んでもらえただろうか?

鳥海アナの掛け持ちなどチョロいもんだと分かって

もらえただろうか? たぶん、分かんないだろうなあ。

まして、つらいと思うどころか、スポーツ・アナ冥利に

尽きる喜びを感じる部分など、到底理解できないと思う。


2005年の全米オープンの実況を終えて帰国したとき、

“アナウンサーとして”WOWOWで働いた14年間で

73回 海外出張して1358日間を海外で過ごしていた。


…さらっと読まないでほしい。

1358日はほぼ4年分だ。14年間の4年…アナとして

つとめた日々のうち3割近くを海外で過ごしたんだ。

褒めてくれとは言わない。お疲れさまの一言ぐらい、

言ってもらってもバチは当たるまい。ハハハ。


一度の出張で複数のイベントを担当するのは大変だ。

特に、インターネットの初期のころは必要なデータ類を

集めるのに苦労した。しかし、経験者にしか分からない

ひそかな楽しみもあった。それは、一つのイベントが

終わるたびに、不要になった資料をホテルのゴミ箱に

叩き込む“快感”が味わえることだ。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2018-07-25 06:20 | 放送全般 | Comments(2)
Commented by KenKen at 2018-07-27 13:31 x
計4年に渡る遠征お疲れ様でした!
普通の仕事では中々ない移動に次ぐ移動。
体調管理も難しかったであろうと思います。
今であれば相当のマイルが貯まっていたでしょうね!笑笑

2006年のアガシ引退試合も岩佐さんの実況で観たかったです。
Commented by toruiwa2010 at 2018-07-29 12:37
KenKenさん、こんにちは。

私にとっては普通の観光よりよほど
楽しかったし充実していました。
今になれば、時間のあるときに
もっと街歩きをすればよかったと
思わないでもないですが。
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