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岩佐徹のOFF-MIKE

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2169「Opa oy など(フィンランド)」09/03/27

アメリカ・カナダに45日間の取材の旅をしたあと、しばらく海外出張はなく、次の機会が

“回ってきた”のは1977年でした。

当時の日本では、東京オリンピックで女子が優勝したあとのバレーボールの“ブーム”が

続いていて、フジテレビも“春の高校バレー”を主催するなど、力を入れていました。

そして、この年の11月に日本で開催されることになった、3大大会のひとつ、ワールド・

カップの放映権を獲得し、その準備に入っていたスポーツ部から、ヨーロッパ選手権を

取材してくるように、と命じられたのです。



同行したのは、カメラマン、東海テレビのディレクター、通訳の3人でした。

日本で実況を担当するアナウンサーとしての出張だったのですが、主催局の人間が責任を

持たなければいけないということで、またしても“プロデューサー役”を兼ねることに

なりました。「向いてないのに…」と言っても聞き入れてもらえず。ハハハ。

さいわい、穏やかな性格の持ち主ばかりで、“問題”は起きませんでした。しかし、予算を

超過しないように、と“おっかなびっくり”の私は、食事をするときも、できるだけ安い

ところを選んでいましたから、みんな、さぞガッカリしたことでしょう。

おおらかな時代でした。本職のプロデューサーなら、「オーバーしたら、しかたがない」と

割り切って、“贅沢な”旅をしたでしょうから、同行したスタッフには、本当に申し訳ない

ことをしたと、今になって反省しています。遅すぎますが。ハハハ。


向かったのはフィンランドでした。ここに、すでに出場権を得ているソビエト(現ロシア)、

ポーランド、ハンガリーなど、ヨーロッパの強豪国が集まるので、主力選手の映像を撮り、

監督などにインタビューするのが目的でした。ヘルシンキをはじめ、トゥルク、タンペレ、

コトカを回りました。鹿の肉を食べたのも、海外で列車の旅をしたのも、このときが

初めてです。


ヘルシンキは静かで清潔な街という印象でした。特に、大聖堂近くで朝市が開かれる、

港に面した広場のあたりは、旅人にも優しい空気があったと記憶しています。

ただし、街なかに行くと、昼間から飲んだくれている男たちをたくさん見かけました。

コーディネーターの話では、社会保障が行き届いているせいだということでした。

街を歩いていると「日本人だね?」と聞かれました。「なぜ、日本人だと分かるのか」と

尋ねると「こんなところまで来る東洋人は日本人しかいないだろう」という返事でした。

その頃の日本の経済力は世界の隅々まで聞こえていたのです。ハハハ。

たしかに、私たち以外にアジア民族らしき人はほとんど見かけませんでした。


ヘルシンキからタンペレに行くときは飛行機でした。上空から見ると、この国が、なぜ

“森と湖の国”と呼ばれるかがよく分かります。「どこに人が住んでいるのかな?」と

思うほど、眼下に広がるのは、森林と大小さまざまな湖でした。

「このはるか北にサンタクロースが住むと言われているロバニエミがあります」と聞いて、

妙に納得したことを思い出します。ハハハ。


材がほぼ順調に進んだのは、日本から同行した通訳さんのおかげと言っていいでしょう。

行く先はフィンランドですが、取材の対象になるのはロシア語をはじめ、東欧圏の言葉を

話す人たちなので、そのつど、現地でロシア語やポーランド、ハンガリーなどの言葉を話し、

なおかつ日本語ができる人を見つけるのは至難のことだと考えて、語学の“達人”に

同行をお願いしたのです。筑波大学で講師をしていたYさんです。日ソバレーなどで、

ソビエトや東欧圏の国が来日するたびに、通訳として活躍していた、日本バレーボール協会

“御用達”の先生でした。大正解でした。


ヘルシンキの空港でフィンランド語の辞書を買い込んだYさんは、それまで、ほとんど

未知の言語だったこの国の言葉を、帰る頃にはタクシーの運転手と滑らかに会話するほど

習得していました。

インタビューのときも、ロシア語はまったく問題なし、たとえば、ポーランドの監督に

話を聞いたときなど、「ポーランド人だと思ったけど違いました。別の言葉で聞いてみます」と

東ヨーロッパでも微妙に違ういくつかの言語を操って取材の目的を達成してくれました。

“語学の天才”と呼んでいいでしょう。


少し変わったところがある人で、「えっ!?」と思わされることも何度かありました。

まず、経済観念が非常に“発達”した人でした。

あらかじめ、ギャラなどは決めてあったのですが、2,3日おきに、日々の行動の中で使った

仕事上の経費を精算していました。その1回目のことです。

勤務先の大学から羽田空港に来てもらうまでの電車賃やタクシー代など、考えられるもの

すべてを精算したと思ったとき、彼が少しためらったあと、「あのー」と言いました。

何か、落としたものがあるんだな、と思って「まだ、ありましたっけ?」と尋ねると、

「上野駅のロッカーに荷物を預けて行ったのですが…」と、申し訳なさそうに言うのです。

大学では必要ないし、重いので旅行用のスーツケースは上野駅に預けたのでしょう。

たしか、200円でした。「わあ、ずいぶん細かいんだ」と、衝撃を受けました。ハハハ。


ホテルにいる間は、打ち合わせ以外、部屋に閉じこもっていました。仕事は、きっちり

やってもらっているので、文句はありません。

しかし、夕方、食事に出かけるころあいには必ず、ロビーに顔を出すのです。もちろん、

一緒に行くつもりですから、まったく問題はないのですが、私たちは、陰で「しっかり

してるねえ」と笑ったものです。


ただし、あとで分かったのですが、Yさんは単なる“ケチ”ではありません。

国立大学の講師は、決して給料がいいとは思えませんが、Yさんは、東欧圏に行くたびに、

節約して貯めたお金で、研究に必要なロシア語の書籍を買い込んでいたのだそうです。

それを聞いて、陰で笑ったことを激しく後悔しました。


この旅では、妻から頼まれていたものがあります。「オパ・オイ」の食器などです。

雑誌から切り抜いた写真を持たされました。

注文はケトルだけでしたが、デザインに惹かれて鍋も買い、荷物になるので、直接、日本に

送ってもらうように、片言の英語で頼むとき、わくわくしたことを思い出します。

イケアの家具なども同じですが、北欧の製品はデザインがシンプルで美しく、なかなか

あきませんね。


メーカー名は“Hackman”となっていますが、ナイフ・フォークのセットも同じ店で

買ったような気がします。全部2本ずつ、買ったつもりでしたが、いつのまにか1本が

欠けました。妻は、「初めから、それは1本だったと思う」と言います。

それほど強い調子ではありませんが、「私がなくすはずないじゃないですか」と言っている

気配が濃厚ですから、逆らわないことにしています。ハハハ。


高さ5cmほどの小さな人形は、ヘルシンキで港の近くを歩き回っているとき、道端に

落ちているのを拾ったものです。「拾って頂戴」と声を掛けられた気がしました。ハハハ。

0034「雨が嫌い」に書いた“しつこい傘”のエピソードは、この取材旅行が終わって

ヘルシンキを出るときに生まれたものです。


by toruiwa2010 | 2009-03-27 10:48 | Comments(0)
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