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岩佐徹のOFF-MIKE

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2248「有馬温泉&千里山」09/07/16

日帰り入浴


僧侶になった後輩を訪ねて姫路の在まで行った先週は、結構忙しい日々でした。

火曜日、予報では、“つゆの晴れ間”になると言っていました。

そこで、ずっと、あたためていた“関西企画”のひとつを実行に移すことにしました。

歩いて6分のところにある阪急・芦屋川駅の前から、バスに乗れば、40分ほどで行けると

知ってから、「いつか行ってみよう」と思っていたのは、古くから“名湯”として知られる

有馬温泉です。

東京からわざわざ出かけることはないでしょうが、1時間以内で行けると分かった以上、

行かない手はないでしょう。ハハハ。


しかも、“独り身”の身軽さですから、思い立ったその日に出かけられます。

逆に、一人ですから、泊まって、一人わびしくご飯を食べる気はありません。目指したのは

“日帰り入浴”です。適当な旅館を選んで温泉を楽しんで、夕方には家でご飯を食べようと

もくろんで、読みかけの、村上春樹「1Q84」だけを持って家を出ました。


路線バスですから乗り心地はそれほどよくありませんが、発車してすぐに差し掛かった、

箱根路を思わせる、緑の濃い山道を行くのは気持ちのいいものです。

停留所を離れて5分もすると人家がなくなり、バスは曲がりくねった芦有ドライブウエーを

黙々と登っていきます。

芦屋を出るころには晴れ間も見えていましたが、展望台を過ぎ、有馬温泉に向けて下り坂に

かかったあたりから霧が出始め、芦屋の町とその向こうの海はほとんど見えませんでした。


「有馬温泉駅」で下車し、案内所を探しましたが、それらしきものが見当たりません。

帰りのバスの時間だけを確認し、どこか、日帰り入浴をさせてくれるところを見つけようと、

ホテルや旅館が立ち並んでいる道を歩き始めました。

しかし、雨が降り始めて、駅に逆戻り、どうしようかと“思案”しているとき、それまで

駅前に止まっていたマイクロバスが動く気配を見せました。

車体の横に“日帰り”の文字が見え、ドライバーが「2400円で楽しめますよ」と言って

くれたので、乗り込みました。


連れて行かれたのは“太閤の湯”です。

玄関を入ってすぐに、「あれ、また、やっちゃったかな?」と思いました。誰が迎えてくれる

わけでもなく、右手に、まるで銭湯のようにずらっと並んだ下足入れがあって、その周りに、

にぎやかな団体さんが群がっているのが見えたのです。

“仕組み”をよく理解しないで、しかも、現地での調査もいい加減でしたから、当然ですが、

その時点で、ようやく、太閤の湯は日帰り入浴を“専門”にしているのだと分かりました。

遅すぎます。ハハハ。



“それなり”の旅館でのんびりと湯につかったあと、庭を眺め、冷たいものでも飲みながら

1時間ぐらい読書をして、たまっている疲れを取ろう…というのが、家を出るときに描いた

イメージです。結果は、はるかに“程遠い”もので、がっかりしました。

こちらの“勝手”ですから、どこにも文句は言えませんが。ハハハ。


温泉そのものは悪くなかったのですが、“保健所の指導により”、屋上の露天風呂の周囲には

竹で編んだ塀が張り巡らされています。1日おきに男湯と女湯が入れ替わるので仕方がない

面もありますが、せっかくの景色が台無しでした。

館内を歩き回って本を読む場所を探しましたが、人が行きかう廊下に面した喫茶コーナーが

あるだけ、結局、ゆっくりと本が読めたのは、バス停近くのカフェでした。

ウイークデーの午後の早い時間でしたから、客は私だけ…おかげで、「1Q84」のBOOK 1

読み終えられました。それだけがこの旅の“収穫”でした。ハハハ。


バスで同じコースを戻りましたが、ラッキーなことに、展望台で時間調整の時間が数分、

あったために、なつかしい景色をカメラに収めることが出来ました。

西宮にある甲山(かぶとやま)です。50年以上前の高校時代に、高さ300メートルほどの

“小山”のふもとにあった療養所で1年間を過ごしました。

当時はクリスト・ロア病院という名前でしたが、現在は上ヶ原病院となっているようです。

もちろん、その建物は見えませんでしたが、散歩が許されてから毎日眺めて、退院の日を

待ちわびたことを思い出しました。


吹田市千里山



翌日は、小雨が降っていましたが、阪急電車に乗って千里山を目指しました。

中学3年からの5年間を過ごした町です。

西宮北口で快速に、十三(じゅうそう)で京都線に、最後に淡路で千里線に乗り換えて、

ようやく、千里山です。

私が住んでいたころは、終点でしたが、今では、その先に三つも駅が出来ています。


見違えるほどに変わった駅舎とともに、駅前の風景がすっかりさま変わりしていました。“我が家”はどの方向か?…まったく見当がつきません。

たまりかねて、駅前の交番に飛び込みました。「50年ぶりなんですが、ちょっと、この辺の

地図を見せてもらえますか?」と言うと、居合わせた警官が親切に対応してくれました。

すぐ裏手の山(丘?)に、水道用の貯水槽のようなものがあったことを思い出しましたが、

警官たちには、思い当たる場所がないようです。

地図の中に、一家がお世話になった「末広医院」の名前がありました。

「お孫さんの代だろうな」と、なつかしさがこみ上げます。

そこから、見当をつけて“探訪”してみることにしました。


住んでいたところがどうなっているかも見てみたかったのですが、当時のクラスメイトが

“健在”ならば、一目でも会いたいと考えていました。中学3年で東京から来た転校生に

一人だけ仲良くしてくれた生徒がいたのです。

のちに作家となった筒井康隆の家の“斜め前”だけが手がかりです。

…さっぱり、分かりませんでした。最後にこの町を訪れたときから数えても50年の月日が

過ぎています。風景がすっかり変わってしまい、かつての面影は“かけら”もありません。

いきなり、別の世界に放り出されたかのように、方向感覚が失われ、探す元気もなくなって

しまいました。ハハハ。



小雨が降る中、小一時間、歩き回りましたが、かつて、我が家があった場所についても

まったく分からないまま、「恋するバルセロナ」を見るため三宮に向かう時間が来ました。

あんなに“つまらん”映画なら、母校の吹田一中を訪ねたほうがよっぽどよかったなあ。

ハハハ。

ターミナルですから、梅田駅は当時も大きな駅でしたが、はるかに立派になっていました。


私が大阪に来た1950年代の半ばごろ、この改札口を出て地下鉄に向かう階段のところに、

おばちゃんたちがずらっと並んでいました。手には5cmx2cmほどの紙切れがありました。

“回数券”です。

11枚つづりの回数券を10枚分の値段で買って1枚ずつ売り、そこに生まれるわずかな儲けを

狙った、いかにも関西人が考えそうな“商売”です。ハハハ。

姫路、有馬、千里山…芦屋に本拠を移したからこそ実現した関西企画ですが、残念ながら

姫路をのぞいては、収穫の少ないものになってしまいました。

まあ、そんなものでしょうがね。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2009-07-16 14:29 | Comments(0)
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