ブログトップ | ログイン

岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

2290「あれから8年ですか…~9.11同時多発テロ~」09/09/10

ボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便が乗客81名・乗員11名を乗せたまま、

ニューヨーク世界貿易センター北棟に突入したのは2001911日午前846分でした。

その瞬間、私は現場から直線距離にして5キロほどの地点にいました。

ミレニアム・UNプラザ・ニューヨークは、メイン・エントランス前に立つと、すぐ左に

国連ビルの建物がそびえています。クイーンズボロ・ブリッジに近く、会場のフラッシング・

メドウズに行くには絶好のロケーションでした。

前々日に全米オープンの中継が終わっていて、私は帰国のためのチェックアウトをして

いたのです。


精算を済ませ、ざわめくロビーからエントランスに向かっていた私にスタッフの一人が

近寄ってきました。「大変な事故ですねえ」と言いながら、部屋の窓から撮ったデジカメの

映像を差し出します。ツイン・タワーのひとつから煙が上がっていました。

間もなく伝わってきたのは、「小型機がぶつかった」という話でした。

そう、早い段階から「テロ」だと思った者は、マスコミも含めて、一人もいなかったのでは

ないでしょうか。


すぐに始まった渋滞のために、手配してあったミニバンの到着が遅れ、私達はタクシーに

分乗してケネディー空港に向かうことにしました。真っ先にタクシーを捕まえた私達は、

クイーンズボロ・ブリッジでの検問開始をぎりぎりでかわして空港にたどり着きましたが、

後に続いているはずのスタッフは誰一人として到着しません。スタッフだけではなく、

私達が通過した直後に、マンハッタンにつながっているトンネルも橋も閉鎖され、出入りが

禁止になったのです。いつも混雑しているコンコースがひっそりしていました。

待合室の窓から見える貿易センタービルはベージュ色の煙の幕に包まれていて、どうなって

いるのかまったく分からず、テレビもない場所に待機していた私達は、この時点でも、

まだ、「テロ」という言葉を聞いていませんでした。


「事故ではない」と思ったのは、ビルにぶつかったのが“2機”だと聞いたときです。

少し離れたところまでテレビを見に行くと、見慣れたキャスターや専門家らしき人たちが

深刻な顔をして話し合っていました。そこに映っていたのは、煙に包まれたビルの姿でした。


やがて、空港ビルが全面的に閉鎖されることになり、私達にも建物の外に出るようにという

指示が出されました。

搭乗するはずだった全日空が手配してくれたホテルに着くと、私達にあてがわれたのは

一部屋だけでした。解説者の柳恵誌郎さんと私はいいとして、問題は妊娠2ヶ月の女性

スタッフです! 若い女性がいる以上、“3人で一部屋”はありえません。

おぼつかない英語でフロントに食い下がりましたが、「ほかに部屋はない。これでいやなら、

ほかを当たってくれ」と取り合ってくれません。仕方なく、対策はあとで考えることにして

チェックインしました。


妊婦さんが状況を理解して、キングサイズ・ベッドの「端と端ならいいですよ」と言って

くれたため、私がエクストラ・ベッドに寝ることにして“問題”を解決したあと、放送の

コーディネートをしてくれたオフィスを通して仲間の安否を探りました。

混乱の中で思い思いにタクシーに乗ったものの、空港への道が閉鎖されていたため全員が

いったんばらばらになり、その後合流したグループもあって、三つのホテルに分かれて

泊まっていることを知ったのは夕方でした。


簡単な夕食を済ませたあとはテレビに釘付けでした。

寝るまでの時間はもちろん、エキストラ・ベッドに“ついてきた”らしいダニに食われて

目が覚めた夜中にはロビーに下りて朝まで見続けました。

情報が錯綜し、ニューヨーク全体が混乱の中にある、という印象でした。

しかし、どの局を見ても、キャスター達は不安をあおるような甲高い声を出すこともなく、

落ち着いたトーンで情報を伝えていました。緊急事態であればあるほど、心がけなければ

いけない、大事なことです。さすがはテレビの先進国だと感心し、同時に、もし、日本で

これほどの事件・事故が起きたとき、こういう放送ができるのだろうかと心配になりました。


現場へ向かう警察や消防の車両に、立ち止まって拍手を送る市民の姿が繰り返し画面に

映し出されていました。“人種のるつぼ”と言われ、さまざまな意見を持つ人々で構成され、

何かと批判されることも多い国ですが、いざというときに見せる“結束の強さ”には目を

見張ります。


翌日、チェックアウトする客も出たため、一部屋ずつ確保でき、このホテルに2泊したあと

3日目には、仲間のいるホテルに合流しました。無事は分かっていましたが、直接、顔を

見たときのほっとした気持ちを昨日のことのように思い出します。

一方、帰国のめどは立ちません。

ほぼ毎日、空港まで行って飛行機が飛ぶのを待ちました。

しかし、滑走路の閉鎖が解除されない、使用機が到着していないなどの事情でそのつど

空振りに終わり、荷物を引いてホテルに引き返す日々が続きました。

特別にあせる気持ちはありませんでしたが、このままだと、多めに持って出た高血圧の薬が

なくなってしまうというのが唯一の心配でした。


4日目の夜、待望のニュースが入りました。「明日は間違いなく飛ぶ」。

私達は近くの焼肉屋に出かけて行って盛大に食べまくりました。


結局、4日間、ニューヨークに足止めされましたが、少々、不便な思いこそしたものの、

生命が危険にさらされたわけではありません。

しかし、救助活動中に命を落とした警察官、消防士をふくめ、罪のない多くの犠牲者が

出たのは残念なことです。


帰国が4日遅れただけのことなのに、この年はいつまでも妙な疲れが残りました。

翌年、会場に着いてすぐメインスタジアムの屋上に上がり、いつも、マンハッタンの南に

見えていた貿易センタービルがないことを改めて確認したとき、“喪失感”は深いものが

ありました。


そこで起きたことの大きさを考えるとなかなかグラウンド・ゼロに足が向くことはなく、

訪れたのは「この大会でやめよう」と決めていた2005年大会の終盤でした。

あの日から8年の歳月が流れました。

跡地ではいくつかの建物の建設が進行中です。中心となるのは新しいWTC、“ワールド・

トレード・センター“です。はじめは“フリーダム・タワー”と呼ばれていましたが、

今年になってWTCに変わっています。

アメリカ建国の年にちなんで、その高さは1,776フィート(541メートル)で完成するのは

2011年の予定です。


by toruiwa2010 | 2009-09-10 06:03 | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。