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岩佐徹のOFF-MIKE

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2298「シリーズ ONの時代」を見る~古きよきあのころ!~09/09/24

長嶋茂雄が立教大学を出て巨人に入団したのは1958年(昭和33年)です。

1年遅れの1959年、王貞治が早稲田実業から巨人に入りました。

つまり、日本のプロ野球史に、くらべようのない人気と実績を刻んだONが揃ってから

今年で50年になるのです。


1年目の長島は開幕戦で国鉄スワローズの金田正一から4打席4三振の屈辱を喫しましたが、

すぐに立ち直って、新人らしからぬ働きを見せてセ・リーグ優勝に貢献します。

当時の私は巨人嫌いで、パ・リーグから日本シリーズに進出した、福岡を本拠地とする

西鉄ライオンズの熱狂的なファンでした。

高校3年だったこの58年の日本シリーズは連日、テレビの前にかじりついて見たものです。

3連敗のあとの4連勝で西鉄が巨人を破って成し遂げたシリーズ3連覇は今も語り草です。

翌年に王が巨人に入るわけですが、初めはピッチャーでした。ただし、キャンプの時点で

野手転向を言い渡されています。監督・コーチ陣は、投手としては将来性がなく、逆に、

打者としては素晴らしい素質を持っている、と判断したのです。2度と現れないと思われる

ホームラン・バッターが誕生したのは、この判断があったからこそです。


“貫禄”は天地ほど違いますが、私が、病気のために5年がかりで高校を卒業したのは

王と同じ59年でした。 “タメ”なんです。ハハハ。

甲子園の優勝投手だった彼は期待されてプロになり、私は、病気回復のリハビリを兼ねて

慶応大学に進みました。このとき、2年目を迎えていた長島はすでに“ビッグ・スター”の

座を不動のものにしていました。


「立教大学時代から、“どういうプレーをすればファンが喜ぶか”を常に考えていた」と

長嶋自身から聞いたことがあります。やることなすことが派手だったのはすべて“計算づく”

だったのでしょう。ショート寄りのゴロをカットして1塁に送球するときのスローイングの

美しさは誰にも真似できないものでした。目の前でカッとされ、おいしい場面を作られる

ショートの広岡は相当カリカリしたようですが。ハハハ。


一方の王の性格は、どこまでも真面目そのものでした。

打者に転向して長打力に非凡なものを見せましたが、すぐ壁にぶつかり、真価を発揮するのは

荒川博という名コーチと出会ってからのことです。

遊びたい盛りの王を監視して厳しい練習で育て上げた荒川さんは、のちに「俺も若くて

体力があったからあそこまでできたんだ。二人ともちょうどいいときに出会ったんだね」と

話していました。


ONが揃ってから50年ですが、マスコミが巨人の3番・4番を“ON砲”と名づけたのは

60年代になってからのことです。

3番王・4番長嶋、あるいは、3番長嶋・4番王…“気分転換”と称してときどき入れ替えが

ありましたが、これほど他球団の投手たちから怖れられたコンビはほかにありません。

素晴らしさはプレーだけではなく、周りのものを惹きつける人間的な魅力でも、ほかの

アスリートとは違うものがありました。

常に明るさを振りまき、気遣いを欠かさない長嶋に対して、王は、その“誠実さ”において

リスペクトに値する人物でした。

巨人嫌いの私にとっても、この2人は“別格”でした。これほど長い間、尊敬をもって

語り継がれる野球人が再び現れることはないでしょう。


高校生、大学生、そして実況アナウンサーとして、この2人の野球人生を“リアルタイム”で

見守ることができたのは実に幸せなことでした。

彼らが現役だったころのプロ野球は古きよき時代でもあったのですから、「見たことがない」

とおっしゃる若い人たちには“お気の毒さま”としか言いようがありません。


19741014日、長島の最後の試合を、そのころはスポーツの実況から離れていた私も

後楽園のスタンドで見ました。試合が終わり、スタンドのファンに手を振りながら場内を

一周する彼を見ても、“感慨”はありましたが、まだ涙は出ませんでした。

しかし、外野の一角に来た彼が、急に立ち止まって流れる涙にタオルを押し当て、一瞬

よろけるのを見たとき、一気にこみ上げるものがありました。隣にいる後輩の松倉アナには

涙が見えないように、それ以後、ずっと横を向いていたことを思い出します。ハハハ。

NHKスペシャル「シリーズONの時代」を見ました。

今でも記憶が鮮やかな、懐かしい話や映像の連続で、あっという間に時間が過ぎました。


番組の冒頭、巨人の練習場があった多摩川グラウンドで打席の位置に立った長島が当時の

フォームを思い出そうと、不自由な身体を懸命に動かす様子を王が実に優しいまなざしで

見ているシーンが年月の経過を象徴していて印象に残りました。

インタビューを受けたときに、長島が4歳下の王を“王さん”と呼ぶのを初めて聞きました。

私の耳に残っているのは“ワンちゃん”しかありませんでしたから、とても新鮮でした。

認め合う2人を見て、画面がにじんでしまいました。


長島さん、王さん、ともに老いが隠せません。

寂しいとは思いません。私も同じですから。ハハハ。

長島さんが倒れてから5年半、麻痺ははっきりと残っています。公の場に出ることは、

本人にとってさぞつらいことだろうと思っていました。

しかし、「あまり人前に出ないほうがいいという人も中にはいる。でも、僕は、今の状態を

見て欲しいんだ。いつもファンと一体だったから」という意味のことを、長島さんは話して

いました。「そうだったのか」と少し腑に落ちました。


王さんは、先日、腸閉塞の治療と胆のう摘出手術を受け、現在も入院中です。

一日も早い回復を祈ります。

27日に第2回の放送があり、1012日(月)の午後に、

1-2回分をあわせて再放送があるようです。 
by toruiwa2010 | 2009-09-24 06:10 | Comments(0)
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