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岩佐徹のOFF-MIKE

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2433「我がラジオ・デイズ~鉱石ラジオからpod castまで~」10/02/08

子供のころ、“鉱石ラジオ”を作ったことがあります。

記憶があやふやですが、売られているキットを買ってくれば簡単に作れて、

しかも、ちゃんと聞こえた気がします。

原理はよく知りませんが、中波を聴くにはそれで十分だったのでしょう。


もちろん、NHKしかない時代です。

大人も子供も、タンスの上などに置かれたラジオから流れてくるドラマや

歌謡曲に耳を傾けたものです。もっとも、それは、戦後のことで、戦争中は

「大本営発表」しか聴いた記憶がありません。


小学生時代の「三太物語」、「鐘の鳴る丘」、「赤胴鈴之助」にはじまって、

中学に入ってからの「君の名は」まで、毎回、放送の時間には、ラジオの前に

座っていたものです。当時は、ほかに娯楽がなかったのです。ハハハ。


クイズ番組の草分け的な「話の泉」や「二十の扉」もよく聴きました。

高橋圭三アナの司会で人気だった「話の泉」はそのときどきの話題から問題が

出され、正解が出たところでトークを展開していく番組でした。

クイズそのものよりも、話芸の達者な徳川夢声、詩人・サトウ・ハチロー、

映画監督・山本嘉次郎ら回答者が繰り広げる、ユーモアにとんだトークが

メインでした。


「二十の扉」は完全なクイズ番組でした。

詳しいことまでは覚えていないのですが、“動物”、“植物”、“鉱物”という

三つのジャンルから問題が出され、回答者達は、「それは○○ですか?」と

質問を重ねていき、20問までに正解を見つけるという形式だったと思います。

たとえば、求める答えが“ホウレン草”だとすると、司会の藤倉修一アナが

「それは植物です」と告げてクイズがスタートします。

回答者は「それは木ですか?」、「それは花ですか?」、「それは草ですか」…と

範囲を狭めていって答えを見つけるのです。

あまりにも単純な仕組みですから、今ならよほど演出に工夫を凝らさなければ

ワン・クール(3ヶ月)で終わってしまうでしょう。ハハハ。


このころのラジオはかなり大きなもので、持ち運びなどは出来ませんでした。

しかし、高校生になるころには“トランジスタ・ラジオ”が普及し、私たちは

家の外でもラジオを聴けるようになったのです。初めは高かったと記憶しますが、

量産が進んで値段が下がると、家の中に幾つものラジオが転がっていました。

今となると、真空管式の昔のラジオがなつかしいです。ハハハ。


大学に進んだあとはほとんどラジオを聴くことはなかったような気がします。

ただし、2年のときにラジオ関東(現・ラジオ日本)に出演した経験があります。

たぶん、予定していた人が来られなくなったのでしょう。先輩の紹介でまわり

回って私のところに依頼が来たのだと思います。


「好きなレコードを1枚持ってきてほしい」ということだったので、手持ちの

レコードの中からお気に入りだったベニー・グッドマンのLPを抱えて、当時は

麻布狸穴にあったスタジオに行きました。

番組では、DJの好みもあって「Sing,sing,sing」をかけ、大学での専攻はなにか、

勉強以外ではなにをやっているか、など、当たり前のことを聞かれ、30分程度で

終了した記憶があります。


3年の時には、ニッポン放送のアナウンサー試験を受けました!

1次音声テストは身分を証明するものを一切求められないことを先輩から聞いて

“度胸だめし”のつもりで受けたのです。早稲田からは、フジテレビに同期入社

することになる露木茂もきていました。考えることはみんな同じです。ハハハ。


社会人になってからラジオを聴くのはタクシーに乗ったときぐらいでした。


夏場過ぎぐらいに医者から昼寝を勧められていました。

「眠らなくてもいい。午後の時間帯に1時間ほど、身体を横にするように」と。

しかし、そのときはラジオを聴くという発想はありませんでした。

ところが、11月にぎっくり腰になり、3-4日安静にしたときには、なぜか

「そうだ、ラジオを聴いてみよう」と思い、久しぶりにじっくり聴きました。


たまたま、小島慶子の「キラ☆キラ」の面白い日に当たってしまい、これまでの

彼女のイメージとのギャップにやられて、その後も聴いています。

最近は、ポッド・キャストで聴くことを“覚え”ました。


先日、大竹まことの「ゴールデン・ラジオ」をチェックしていると、ゲストに

作家・大江健三郎が呼ばれていました。

大変申し訳ないことに、“大江は死んだ”とばかり思っていました。

「この大江健三郎は、そういう名前の芸人か何かだろう」と…。ひどい。ハハハ。

もちろん、ご存命です。そして、番組に登場した大江は元気に最新作「水死」に

ついて語っていました。


1950年代半ば、石原慎太郎、開高健、大江健三郎と、若い作家たちが立て続けに

芥川賞を受けたころ、文学界は元気がありました。

彼らの受賞作は読んだはずですが、石原の「太陽の季節」以外は、内容の記憶が

ハッキリしません。そのころから、“単純なことを回りくどい言い方で描写する”

純文学は苦手だったのかもしれません。村上春樹を受け付けなかった下地はこのころ

作られていたのでしょう。ハハハ。


大江健三郎をゲストに迎えるに当たって、大竹は作品を“途中まで”にしろ、読んで

いたようで感心しました。当然のことですが、なかなか出来ないことだと思います。

もっとも、読んでおかないと、話の接点がなかったでしょうが。


どうでもいいことですが、この放送を聴いたとき、久々に“入れ歯が鳴る”音を耳に

した気がしました。大江健三郎さま、重ね重ねのご無礼、平にご容赦を。ハハハ。
by toruiwa2010 | 2010-02-08 09:49 | Comments(0)
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