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岩佐徹のOFF-MIKE

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2444「思い出の“FM東海”~バイトとしてのDJ~」10/02/16

マージャンの帰りなど、タクシーに乗ることがありますが、シーズン中だと、

野球中継が流れている事が多いです。しかし、昼間やシーズン外にはNHK

FMにダイヤルを合わせている運転手さんが多いように思います。

行きつけの理容室でもJ-WAVEがかかっています。


FM放送の黎明期、ほんの少しですが、“現場”に関わったことがあります。

1961年の4月か5月ごろだったと思います。慶応の学生でした。

FM東海(FM東京の前身)のアナウンサーをしていた放送研究会の先輩から

「誰か、バイトでディスク・ジョッキーをやってみたい人はいないか?」と

問い合わせがあり、いずれはプロになりたいと考えていた私が手を挙げました。

好奇心旺盛で、オッチョコチョイだったのです。ハハハ。


“公共の電波”で“バイト”って…と思うでしょうが、そのころのFM東海は

本放送開始に向けて試験放送をしていたのです。

電波が正常に発射されているか、受信できるかどうかをチェックするための

放送ですから、お金もかけられません。そこで、学生を雇おう…という発想に

なったのだと思います。

毎日、嬉々としてスタジオに通いました。


そのころ、FM東海のスタジオは東海大学・代々木校舎の一角にありました。

西永福の自宅から井の頭線に乗り、駒場東大前で下車です。

担当は午後1時から3時の2時間です。自分で選んだ音楽を流し、曲と曲の間に

少しおしゃべりをする…そんな“番組”でした。


スタジオに着くと、レコード室に行って2時間分のレコードを選び出し、やはり

バイトの学生が整理してくれた雑誌の切り抜きに目を通します。

切り抜かれた記事を適当にアレンジして話すのです。なんてお手軽。ハハハ。

やってることは“ままごと”のようですが、それでも、普通のバイトにくらべれば

多めの小遣いももらえて“ハッピーな”毎日でした。ハハハ。


しかし、長くは続きませんでした。

3ヶ月ほどたったとき、まわりの“空気”が少し怪しくなってきました。

クラブの先輩をはじめ、局の人たちから「卒業したらウチに来ないか」という

ニュアンスの話をされるようになったのです。

「ヤバイ」と思いました。ハハハ。


私としては、もともとテレビを目指していましたし、開局のメドも立っていない

FM局に“取り込まれる”のは困るからです。

「このまま続けていると、“にっちもさっちも”行かなくなって断れなくなって

しまうぞ」と、あせりました。

夏休みが終わるぐらいのタイミングでかなり強引に辞めさせてもらいました。

世話になる期間が長引くほど断るのが難しくなりますから、それが限界でした。


たった数ヶ月ですが、いま思えば、いい経験をさせてもらいました。

それ以後、ラジオの仕事と言えば、1974年に起きた3億円保険金殺人事件で

容疑濃厚とされていた荒木虎美(のちに死刑)が「3時のあなた」に出演した翌日、

その目撃談を電話で聞かれたぐらいしかありません。

不思議なもので、テレビで仕事をしているときに「ああ、ラジオをやってみたい」と

思ったことが何度かあります。ないものねだり。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2010-02-16 10:13 | Comments(0)
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