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岩佐徹のOFF-MIKE

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拝啓 長嶋茂雄さま 再掲 2018/08/09


さいわい、すでに快方にむかってるそうだが、
”長嶋さん”入院と聞いて2004年3月を思い出す。
当時書いた記事を再掲しておく。
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長嶋さん、突然思いもかけないニュースに接して、大変心配しています。

長嶋さんのことですから、きっと回復して、元気な姿をまた見せて

いただけるとと信じていますが、心配なのは、とりあえずなおった

あとのことです。倒れた直後から「アテネはどうなる?」という声が

多かったのに驚きました。その気持ち、わからないではないのですが、

問題なのは、そういった言葉がきっと長嶋さんの気持ちに影響を

及ぼすだろうということです。


直接お話しする機会があったとき「学生時代から、打球をどう捕って、

どう投げたらお客さんが喜ぶかを考えていた」とおっしゃったほど、

サービス精神のきわめて旺盛な方、気遣いの方です。


また、おそらく奥様のアドバイスがあってのことでしょうが、

長嶋さんは、できるだけ相手の名前を言うようにしていらっしゃいました。

言われた人が喜ぶことを心得ていらっしゃったのでしょうね。

テレビ出演のときなどにも、常に司会者や聞き手の名前を意識的に

はさんでいました。実際はどうであれ、そういうやり取りを聞いていると、

両者の関係が単なる聞き手とゲストではなく、親しい関係にあると

思わせる効果を生んでいました。


92年の8月、全米オープン・テニスの会場で数年ぶりにお会いしたときも

そうでした。フジテレビ時代、選手・監督―取材者の立場で20年以上の

お付き合いがありましたし、81年のワールド・シリーズ中継では2週間近くを

ご一緒したとはいえ、覚えていらっしゃるかなあと、多少不安がありました。


このとき、長嶋さんはTBSのゲスト解説者としてのニューヨーク入りでした。

白いスーツでさっそうと棟続きのお隣の控え室からWOWOWの部屋に入って

くるなり「やあ、やあ、イワサ"キ"さん、おひさしぶり」と右手を差し

出されました。惜しい!! ハハハ。

初対面の人間だけでも毎日数十人、100人を超えることもザラに違いない

のですから、少しぐらい間違えることはありますよね。


ご存じなかったと思いますが、「プロ野球ニュース」用に三分間の

インタビューをとるとき、優等生は王さん、編集者泣かせは長嶋さんでした。

王さんはインタビュアーさえしっかりしていれば、ほとんど編集なしでも

使える、まとまった話をしてくれました。一方の長嶋さんは、まとめるのが

大変だったんですよ。いい話をしようというサービス精神の結果として、

ひとつの話の中に主語が三つ、四つ、述語はもっと多くなります。結局、

「言語明快、意味不明」の文章になってしまうことがしょっちゅうでした。

私たちは"とっちらかり"ぶりがおかしくて、喜んだものですが


私が、試合以外で「ナマ長嶋」にはじめて接したのは、1963年の夏の

終わりでした。入社1年目から、「プロ野球ニュース」要員にしてもらい、

大張り切りで通っていた後楽園球場でした。


そのころ、試合が終わるとほとんどの選手がロッカーへ直行する中、

その手前の「サロン」と呼ばれる部屋に二人の選手が足を止めていましたね。

入ってすぐ右のソファに長嶋さん、左奥のソファに王さんがどっかりと

腰を落とし、勝っても負けても報道陣の質問を受けていたものです。

当時、ベテラン記者の中には、まだ「長嶋」「シゲ」と呼ぶ人もいましたが、

やがて「ミスター・プロ野球」の意味で、「ミスター」と呼ばれるように

なりました。


とてつもないオーラに、新米アナウンサーは、ひたすら先輩たちとの間で

交わされる会話をメモするのが精一杯でした。相手の内懐に入るのが

下手だった私が、マイクを持たずにお話をするようになれたのは、かなり

あとになってからのことです。

たぶん新聞でチェック済みなのでしょう、バッティング練習のあとなどに

「今日は岩佐さん、中継でしょう?」と声をかけていただくことのほうが

多かったと記憶しています。


それほど、ミスターはどんなときにも気配りを忘れない人です。

81年ワールド・シリーズのときも、帰国した後お誘いがあり、西麻布の

フランス料理店でスタッフ全員がご馳走になったうえ、帰りには一人ずつ

エルメスのネクタイをお土産にいただくというとんでもないご接待を

受けてしまいました。


そんな、人を喜ばせることが大好きなミスターが、退院したあと国民の

期待を耳にされたら、きっと「ユニフォームを着よう」とお考えになるに

違いありません。そこが私の一番心配な点です。長嶋さんがおつらいのは、

普通に退院するだけでなく「あの長嶋さん」として復帰しなければ、

世間が納得しないところでしょう。それは生易しいことではありません。

「無理をして欲しくない」という一茂さんの言葉はよく理解できます。


みんなの期待が大きければ大きいほど、応えようという気になるのが

ミスターの最高の美徳だとは分かっています。しかし、同じ時代を生きて

きたものの一人として、いまはオリンピックをはじめ、すべてを忘れて、

ただ健康を取り戻すことに全力を注いでいただきたいと切に願います。


1974年10月14日夕方の後楽園球場を思い出します。

長嶋さんの現役最後の日でしたね。私もスタンドで見ていました。

思い切り泣きましたよ。日本中で、いい年をした大人が人目もはばからず

泣いた日でした。

今は、長嶋さんのプレーを実際に見たことのない若い人たちも含めて、

お元気になることを祈っています。


「私たちの長嶋茂雄は永久に不滅」と念じつつ。

                            敬具



by toruiwa2010 | 2018-08-09 11:56 | メジャー&野球全般 | Comments(2)
Commented by えどたろー at 2018-08-11 01:20 x
岩佐さん、こんばんは。以前何度かコメントさせていただいた者です。覚えて…いらっしゃいませんよね( ̄▽ ̄;)ゞ

岩佐さんの思いが込められたこの文章で、長嶋さんはスーパースターだと再認識できました。現役時代を生で見たかったです。また元気な姿を、見せてほしいですね(*´ー`*)
Commented by toruiwa2010 at 2018-08-11 15:09
えどたろーサン、こんにちは。

この時期にコメントがあるとは思いもせず…
気づくのが遅くなりました。すみません。

捕って投げて、打って走って・・・
常に、どう見せるかを考えながらプレーして
いた人です。張本某など、足元にも及びません。
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