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岩佐徹のOFF-MIKE

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労働組合orあちら?~自分的傑作w選~18/10/14

あのー、失礼ですが… 

“クミアイ”の方ですか?

( 2007/11/29初出 )

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お父さんがサンケイ新聞の役員なので、

君への説明が遅くなったけど、事情は

理解してくれるよね?


1960年代の終わりだったと思うのですが、複数の先輩に

会議室に連れ込まれ、深刻な表情で切り出されました。

当時のフジテレビには労働組合がなく、「8の会」という

社員の組織があるだけでした。なにしろ、財界の中でも

労働者に厳しい鹿内信隆氏が社長でしたから 組合など、

“もってのほか”だったのです。ハハハ。


この日、先輩から聞かされた話は、そういった状況に

不満を持つ人たちが水面下で進めていた労働組合結成の

動きが実を結び 近く旗揚げすることになった、ついては

管理職を除く全社員が加入することになっているので

君にも入ってほしい、というものでした。

「父と私は関係ないでしょ」という反発はありましたが、

その当時のフジテレビの厳しい環境を考えれば、慎重を

期した気持ちも理解できましたし、特に反対する理由が

ありませんでしたから、「了解です。私も入ります」と

答えました。

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ただし、いざ組合が発足すると困ったことがありました。

私の性格が、“組合活動”というものを苦手としたのです。

腕章を巻く、スクラムを組んでシュプレヒコールを叫ぶ、

“職場集会”で脱退しようとする仲間をつるし上げる・・・

労働組合としてはふつうの行動ですが、「何かが違う」と、

どうにも居心地が悪いのです。


4歳上の兄とは収入の話をするのがためらわれるほど、

いい給料をもらっているのに、「生活が苦しい」などと

賃上げを要求するやり方に疑問がありました。

指名ストや時限ストで収録などがストップすることにも

強い違和感がありました。


労働者としての当然の権利なんですが、強いストレスを

感じていたのです。“ダメな”組合員でした。

そんな内心を隠して、周囲と同じように振舞っていれば

いいのですが、それはできないのです。なんとも困った

性格ですね。ハハハ。


悩んだ挙句に、組合を抜ける決断をしました。

当然、反発がありました。熱心な組合員で仲が良かった

後輩から必死に口説かれたりもしましたが、すまないと

思いつつも、気持ちは変わ理事ませんでした。

職場集会が開かれて厳しい意見を浴びせられました。

翌日から、ほとんどのアナウンサーが挨拶や仕事以外は

話をしてくれなくなりました。可愛がっていたつもりの

逸見政孝は、まったくの“シカト”状態です。“まっすぐな”

男ですから文句も言えませんでした。ハハハ。

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覚悟していたことですし、組織を守るためにはみんなの

行動は仕方がないと理解できました。まして、自分で

招いた事態ですから黙って耐えるしかありません。

もともと、親しかった後輩や、気持ちの優しい先輩の

何人かはそれとなく言葉をかけてくれましたが、逆に

申し訳ない気持ちでした。


70年代に入って、フジテレビ労働組合にはいろいろな

流れがあったようですが、詳しいことは知りません。

どちらにしても、やがてアナウンサーの大半が組合から

脱退し、時間の経過とともに、以前と同様にみんなと

接することが出来るようになりました。

「一人で脱退したあのとき、あと1年我慢していれば、

まったく波風も立たなかっただろうに」と、ここでも

反省しきりです。ハハハ。


えーと、あまり明るい話ではありませんが、ここまでは

このエントリーの“ふり”なんです。ハハハ。

今日書くのは、組合は組合でも“ク・ミ・ア・イ”とでも

書くべきかも知れない、あの人たちのことです。


この10年ぐらいでしょうか、この組合関係の人たちの

テレビへの進出はすさまじいものがあります。

番宣的なものをチラッと見るだけですが、「おネエ★

MANS」とかいう、司会のTOKIO・山口達也をのぞくと

出演者全員があちらの人、というものすごい番組まで

できました。ハハハ。

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昔は 丸山(美輪)明宏、ピーターがアーチストとして、

カルーセル麻紀がきわものとして出るぐらいでしたが、

今では、“あたりをはばかる”ことなく、むしろ それを

売りにして堂々と出演しています。


上記3人の次に、オカ○”だと公言してマスメディアに

登場したのは、おすぎとピーコだったでしょうか?

初めて彼らのけたたましいおしゃべりを耳にしたのは

1970年代のTBSラジオで永六輔か久米宏が司会をする

番組だったと思います。きわどい話を平気でするのが

“売り”でしたが、話の中身より声そのものが耳障りで

“へきえきした”というのが実感でした。ハハハ。


お断りしておきますが、私自身に排除したり差別したり

する気持ちはまったくありません。番組の中でイケメン・

ゲストに必要以上にべたべたするのを見ると「おいおい、

いい加減にしなさいよ」と言いたくなるときがあるのは

確かですが、それは単なる好き嫌いの話です。ハハハ。

ときどき、あまりの“あけすけさ”についていけないのは

年齢のせいだけではないでしょうが。


3時のあなた」に出ていたころ、サブカルチャー

大好きなディレクターがいて、お堅いプロデューサーの

反対を押し切って、新宿二丁目のあるクラブのショーを

そのままスタジオに持ち込んだことがありました。

そうは言っても“ありのまま”をテレビで放映することは

もちろん不可能です。ハハハ。


事前取材でクラブに行ったとき、そのおかしさに腹が

よじれるかと思うぐらい笑った記憶がありました。

見事に開き直り、ふつうの女性が持つ羞恥心を捨てた

彼ら(彼女ら?)のショーには凄みがあったのです。

幕が上がる前に流れた大音量の「ツァラトゥストラは

かく語りき」を忘れません。


しかし、ワイド・ショーの“慣例”でスタジオに入っていた

一般の女性視聴者たちの反応は・・・シーーン。ハハハ。


単なる“きわもの”として使い捨てにされるタレントも

多いでしょうが、中には、特別な能力を持っている人が

いるのは事実です。

美輪明宏が歌う歌には説得力があり、私はそれほどとも

思いませんが、妻は假屋崎省吾が活ける花はほかの人と

断然違うものがあるのだと言います。


芸術分野だけでなくアパレルや美容業界などに“組合”の

勢力は大きく根を張っているようです。気づかぬうちに、

最近では、テレビ・ショッピングの世界でもものすごい

実績を挙げる“組合員”が多いらしいのにビックリします。

決め手は話術・・・なんでしょうかね。


10年、15年前までは社会的な差別を受け、本人たちも

家族にひた隠し、世間にも公表せずにひっそりと生きる

ことが多かった彼らが、今ではほぼ市民権を得た“らしい”

のはご同慶の至りです。

少々心配なのは、あまりにも無遠慮な振る舞いが一部の

人たちの反感を買うのではないかということです。

「どんだけー」ぐらいまではいいでしょうが。ハハハ。

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このレザーのブルゾンは1990年にアイスホッケーの

世界選手権の取材で訪れたスイスのチューリッヒで

買ったものです。ブランドものではなく、値段が張る

ものでもありませんが、色味や風合いが気に入って

ずっと着続けています。

これを見るたびに思い出すのは 店員さんが典型的な

“組合員”だったことです。


“直接対決”は初めてだったので、少なからずこそばゆい

感じがありましたが、気持ちのいい買い物が出来ました。

このエントリーを書きながら「写真が難しいなあ」と

思ったのですが、クローゼットでこれを見つけたとき、

すぐに決まりました。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2018-10-14 06:28 | 自分的傑作選 | Comments(0)
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