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岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

カテゴリ:blog( 141 )


小さな旅をした帰り、井の頭線の

明大前駅のホームでHIROTA

のぼりが目に入って“しまった”。

ちょっと疲れていた。家に帰って

熱いお茶で甘いもの…を想像したら

もう我慢できなかった。前を歩く妻を

そそのかして購入させました。

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シュークリームなんて久しぶり。

正直、どうってことはなかったが、

ついでに思い出したことがある。


1973720日、パリ発の日航機が

日本赤軍によってハイジャックされた。

人質となった乗客が数日後、帰国して

羽田空港に近い公園のようなところで

家族と再会するのを取材した。 

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帰国した人たちも出迎えた人たちも

少しでも早く会いたい気持ちだったから

両サイドから中央に向けて猛ダッシュ。

インタビューのため、マイクを持った

私がその“中央”にいた!


カメラマンとの距離はそれほどでは

なかったはずだが、カメラにつながる

マイクのコードが左右から押し寄せた

人並みに絡んでしまった。


…どうしたか?

自由にならなくなったマイクをその場に

捨てた。で、近くで同じことをしていた

入社3年目の女性アナからマイクを奪い、

インタビューを続けた。


混乱の中で、たまたま乗客の一人だった

“ヒロタ”の会長がお孫さんと再会した

直後をキャッチして話を聞いた。ラッキー。


入社11年目、乗ってる時期だったんなあ。

そのころに帰りたいかって? Noだ。

帰りたいのは2003年ごろだ。テニスも

サッカーも、どんなビッグマッチでも

準備から実況まで平常心で臨めていたっけ。


by toruiwa2010 | 2019-04-14 07:13 | blog | Comments(0)


平成から令和へ


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水曜日(27)に宮根誠一が自分の番組で「平成も

あと5日…」と言っていたのは大きな勘違いだが、

430日の真夜中、日付が変わるまでは平成だ。

東日本大震災や地下鉄サリン事件など禍々しい

(まがまが)ことも起きたが、いざ終わるとなれば

名残惜しい気もする。ほんの少しだが。


「令和」…響きはそんなに悪くない。違和感は

まったくない。平成のときががそうだったように

馴染みがないだけですぐ慣れる。


情報番組では、何とかいちゃもんをつけようと

必死なところもあるようだが、やめてほしいなあ。

とくに、“令”についてのクレームが多いようだ。

“命令”“指令”“法令”…どれも、“従わせる”という

ニュアンスがあるからだ。しかし、引用したのは

“令月”だし、その意味は“めでたい月”だと聞く。

令夫人、令嬢、令息…に悪い意味はなかろう。


元号をやめて西暦だけにしたら…という考え方も

多くあるようだが、元号によって掘り起こされる

記憶もあったりするから簡単じゃない。

そして、あくまで"元号"だ。極論すれば“符号”だ。

R」に意味がないのと同じだ。紅白歌合戦が

始まるころには日本中 探しても“令和”の意味を

気にしているやつはいないと思うぜ。


元号の意味に強くこだわる連中には聞いてみたい。

「そもそも、君らは日々の暮らしの中で 昭和や

平成の意味を考えながら生きて来たのか?」と。


話は変わってアクセントについて。


“昭和”と同じだ。頭高、平板、どちらでもいい。

頭高(あたまだか):セカイ、テレビ、ナミダetc

平板(へいばん):サクラ、スマホ、トケイetc


新しい言葉に出会うとアクセントは初め戸惑う。

一定のルールはあるはずだが、初めから正しい

アクセントなどない。試行錯誤して、音や文字の

並びから自然に落としどころが決まってくる…

アナウンサーだったのにルールには詳しくない。

ハハハ。


調べてみると過去の2文字目が「和」の元号の

アクセントはほぼすべてがどちらでもいいのが

面白い。日本人の頭に自動変換装置があるんだね。


いやあ、よかった!


一昨日、新宿御苑に満開の桜を見に行った。

晴れていたが、気温が低そうだったので薄手の

スカーフを巻いて出かけた。歩いているうちに

汗ばむようになったので外した。トートバッグを

さげていた妻が「預かるわよ」と言ってくれた。

しかし、それでは申し訳ないのでw着ていた

コートの袖に突っ込んだ。内側、脇の部分から…


ときどき確認しながら御苑の中を歩き回ったが、

問題があるとは思えなかった。満開の桜を堪能し、

帰宅してコートを脱ごうとしたとき、スカーフが

ないことに気づいた!

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電車の中でも袖の中にあることを確かめた。

地元駅で降りたあとに落としたのだと考えた。

電車の中、駅の構内、買い物に寄ったスーパーの

どこか、マンションに着いたあと…心当たりに

電話することを考えたが、それでは、妻にばれる。


翌日、妻が歯医者に行くことは知っていたので

出かけたあとかけることにした。小心者。ハハハ。


電話をしたが、どこにもなかった。

私も耳鼻科から帰宅したとき、マンションの

受付でも確認したが、落し物はなかった。

覚悟を決めw家に戻ってから妻に話した。


表情が少し変わった。「行くとき、ガードレールに

何か置いてあったような…」!!

「行ってくる」と言う私を抑えて行ってくれた。

妻の鑑。ハハハ。


…あった。

駅からマンションへの道の真ん中あたりでガード

レールに結んであったそうだ。ありがたい!

そして、雨が降らなかったことにも感謝だ。


そう言えば、その日の朝、「めざまし」で見た

ロペまち占いで“てんびん座”は1位だったっけ。

持ってたんだ。この際だから、持っていたなら、

落とさないはずだが…などとは言わない。ハハハ。

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by toruiwa2010 | 2019-04-03 06:01 | blog | Comments(2)


まだボケちゃいねえんだ!


先日、AMAZONからメールが来た。

「あなたのアカウントが更新できなかった」と。

アマゾンはときどき利用しているからアカウントは

持っているが、それが“更新不能”ってなに?

しかも、後半には「24時間以内に確認がなければ

アカウントをロックする」旨の記述があった。

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あやしい。実に怪しい。プンプンする。ハハハ。


賢い私(ジョークだよ)が“軽挙妄動”するわけもなく、

相手にしなかった。“決定的”だったのは、前半の

“情報を確認する必要・ェあります”という誤植だ。

公式の文書にはあり得ないことだもの。

対応せず、呟いた。


amazonからアカウント確認の

怪しげなメールが来てるなあ。

これはダメな奴じゃないのか。

相手にするのはやめておく。

これでも慎重派なんだ。


およそ15分後にリプがあった。Amazonから!

フィッシング・なりすましだと告げていた。

彼らが“アンテナ”を張っていることが分かる。

妻にこの話をすると「それも偽者じゃないの?」と

もっと慎重派だった。ハハハ。

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ご心配なく。アカウント名の後ろに“本物”マークが

あることは確認してるし。

それにしても、SNS社会は油断もスキもないなあ。

手が込んでるしいかにも本物っぽい。ひっかかって

個人情報を漏らした人は案外多いんじゃないか?


“友”あり、遠方からのDM


金曜日の夜、テレビを見ているとき、

机に置いたスマホが軽く震えた。

数年前にいささかの“因縁”があった、

北国に住む若者からのDMだった。


“お元気してますか?”と問いかけたあと

彼自身の近況が書かれていた。

そうか、TLを流れるツイッターを見て、

野球はやめたっぽいとは思っていたが、

会社も変わったんだ。


数回DMを送り合ったあと彼は彼の

世界に帰って行った。

長い間、直接のやり取りがなかったので

久しぶりに話しかけられ、しかも、

気にかけてもらったことに恐縮した。

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酒でも飲んでいるのかと思ったが、

そうではなかった。ただ、こちらの

近況を知りたかっただけのようだ。

嬉しい話じゃないか。普通なら

彼が最も輝いていたときに“水を差す”

言葉を発したどこかのジイさんなど、

関わりたくないと思うはずだもの。


打ち込んだ野球をやめて寂しいだろう。

環境が変わって戸惑いもあるだろう。

しかし、まだ20代前半だ。

新しい楽しみを見つけて、青春を

謳歌してほしい。


アクセス、増えんなあ


これでも 時間を割き、少しでも面白い記事をと

いろいろ工夫して書いている。だから、出来るだけ

多くの人に読んでほしいと思っている。しかし、

日に三度もツイッターで告知したりするのは少々

恥ずかしくなって今年からやめることにした。


てきめんにアクセス数が減った。

当ブログへのアクセス、2年前まで平均で600/日…

ぐらいはあったのだが、今年は週によっては400

大きく割り込んだりしていた。


ところが318日から上昇の気配を見せている。

イチローの“凱旋”や世界フィギュアで厳しいことを

書いたから、ふだんなら読者が逃げていくのだが、

不思議な現象だ。おかげでこのところのアクセスは

週平均で1400台後半を維持している。


だから、ここ数日は筆が進む。

モチベーションが上がってるんだ。ハハハ。


by toruiwa2010 | 2019-04-02 06:48 | blog | Comments(6)


明日、政府から新しい元号が発表される。

果たしてどんな元号になるのか?

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「新しい元号は“へいせい”であります」と小渕恵三

官房長官が額に入れた書を掲げた日から30年余…

初めはなじまなかったが、今は何の抵抗もない。

発表される新しい元号に多少の違和感があっても

すぐに消えるだろう。

メディアは予想に忙しいが、果たして…


90年以上前、大正から昭和に変わったとき、

大きな出来事が起きた。”光文事件”という。

大正天皇が崩御されたことを報じた各紙の中で

東京日日新聞(現毎日新聞)には「元號は光文」の

文字があった。記事には“…となるであろう”と

書かれているが、圧倒的なスクープだった。

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だが、数時間後に発表された新元号は“昭和”!

大スクープは一転、世紀の大誤報になった。

東日は「うちが抜いたから変更したのだ」と

主張したが、真相は闇の中だ。


私の父はこのとき、早稲田大学を出て間もない

“新米”社員として東日の内国通信部にいた。

記事や写真の配置を決め、見出しをつける…

今は整理部と呼ばれる部署だ。


後年、日本新聞協会の機関誌「新聞研究」で

記者生活の思い出を語っているが、その中で、

この件にも触れている。それによると…

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とくダネをとって来たのは政治部の杉山という

記者だった。顔がドイツ人ぽく、“お山バロン”の

愛称で呼ばれていたw彼が政治部長に報告し、

なぜか秘書課長も親しかった枢密院の顧問から

同じ情報を得たため、幹部は確信を持った。

中でも 信じ込んだ整理部長が確認を待たずに、

欄外の日付の年号をすべて入れ替えて発行して

しまったのだという。


*大阪では 整理部長が慎重派で

「決定を待とう」と言ったために

“難”を免れた。


父の記憶によれば、相当有力な人物から情報を

得ていたはずだが、杉山記者はこの件で自信を

失ったように見えた。(5年後に退社している)

複数の幹部も責任を取って辞めている。

当時から“スクープされたから変更した説”は

あったが、真相は分からないようだ。


今回も、どのメディアかが正解を打ちだしたら

政府は変えるだろうという話が“もっぱら”だが、

29日に現在の天皇と皇太子に伝えたと聞くから

それ以後の“変更”は常識的にあり得ない。

メディアにとってはそこから発表までの数十時間が

勝負ということになるね。まあ、がんばれ。ハハハ。

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妻がカレンダーに書き込んでいた。

去年の12月に私は「新元号はR

始まる2文字だろう」と宣言したらしい。

M(明治),T(大正),S(昭和),H(平成)

除くからだが、"R"を選んだのは

そのときのひらめき、カンだ。

さて、あたるかなあ?


去年5月のツイートだから、私のこの“宣言”は

2017年の話だ。当然、当たらないだろうね。


元号が変わるこの機会に、元号がいいか、西暦が

いいかの議論も出てくるだろう。元号で話すと

時代が分かりやすいという考え方がある一方で

“今から何年前”が分かりにくいという意見もある。


きっと、誰もが人それぞれの“手掛かり”を使って

元号から西暦に変換しながら話しているのだろう。

私の場合は…


明治:父が生まれた33年が西暦1900年なので

それを“基準”にすると、変換は楽だ。明治40年は

7を足して1907年、15年は18を引いて1882年…


昭和:子供のころに覚えた“昭和+25=西暦”という

やり方を今も使っている。


平成:一番 面倒だが、フジテレビからWOWOW

出向した1988年に陛下が倒れ、翌年に崩御されて

改元が行われたので“平成+88=西暦”を用いている。


みなさんはどんな風に?


by toruiwa2010 | 2019-03-31 07:02 | blog | Comments(4)


水曜日、快晴になると分かったので墓参りに

出かけました。あらかじめ、多磨霊園の墓の

掃除は業者に頼んでおきました。

いつもは父の命日に合わせて6月に行きますが、

今年は墓地周辺の桜が見ごろではないかと

“不埒な”ことを考えてこの時期にしたのです。

ハハハ。

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薄手のコートでも汗ばむほどの陽気でしたが、

お参りの人はそれほど多くありませんでした。

広大な墓地ですが、ほぼ毎年出かけているので

迷うことはありません。前を行く、私より少し

先輩と思われるご夫婦がある墓所で足を止めて

手を合わせるのが見えました。

明らかに二人の目的の場所ではなさそうでした。

そこに行ってみると、東郷平八郎と山本五十六!

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ともに、元帥海軍大将として有名な軍人です。

東郷が大先輩ですが、二人の立派な墓はわずかな

空き地を挟んで並んでいました。


桜はまだ五分咲き程度でした。今日、明日は

満開かもしれません。寒いけど。

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ところどころに植えられたコブシが輝くように

咲き誇っていました。

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墓所はきれいになっていました。数人の親族は

関西にいるし、私たち夫婦も年に一度訪れる

だけですが、それに合わせて掃除をすると

清々しい気分になります。

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岩佐家の墓は昭和の初めからここにあります。

父が亡くなったとき私の名義にしました。

自宅から1時間たらずで行けるので便利です。


私たち夫婦が死ぬと東京で管理する人間が

いなくなるので、芦屋暮らしをした2017年、

甥っ子にどうする?と聞きました。彼らは

夙川在住ですから、答えは「要らない」だと

思っていましたが、意外にも「引き受ける」と

言うではありませんかじゃ、そのときは」と。


たしかに、この時代、墓地の入手は困難です。

長兄の納骨をしてくれた妻が墓地の職員に

「手放さない方がいいですよ」と言われたと

話していました。


私個人は、どこでもいいから散骨してくれと

妻には話しています。子供もいませんから、

誰もお参りに来ない墓に入っても仕方ないと

考えているのです。


by toruiwa2010 | 2019-03-30 07:16 | blog | Comments(0)


“東大王”・伊沢拓司が番組を卒業する。

指原莉乃がHKT(AKB)48を卒業する。

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…最近は“卒業”にもいろいろあるなあ。


卒業にまつわる思い出はたくさんあるぞ。

小学校5年のときには送辞を読んだ。

クラスでは成績上位を争っていたから

それで選ばれた…と思っていたが違った。


担任に講堂へ連れていかれ、大きな声で

二度練習させられたあと、こう言われた。

「お前の声はよく通るから選んだ」と。

翌年、自分の卒業式はほとんど記憶がない。

答辞をほかの奴が読んだことは覚えている。

きっと、声の通りが落ちたんだね。ハハハ。


中学は2年まで東京の私学に通い、3年で

大阪に転向したので卒業式の記憶がない。

高校は 逆に3年になるときに東京の学校に

移ったが、60年前なのに記憶がある。

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理由は覚えていないが、学校の講堂が使えず、

市ヶ谷の私学会館で卒業式を行った。屋上で

記念写真を撮ったあと、気の合う仲間数人と

新宿歌舞伎町にあった歌声喫茶・ともしびに

行った。卒業式帰りと知った周囲の大人が

祝福してくれたこと、お礼として、仲間と

一緒に校歌を歌ったことを覚えている。


このときの仲間は今も交流がある。

転校してすぐ東北への修学旅行があり、

そのときに撮った映像をまとめて映画を

作ったが、ナレーターを頼んできたのも

この仲間の一人だ。そして、その理由は…


君の声はよく通るから だった。


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フジテレビ入社式でも新入社員を代表して

社長への答辞を命じられた。

声が通るからかな? でも、露木()の方が

通るんじゃないの?あ、そうか、ペーパー・

テストの成績が良かったからかもしれない。

そう思ったが、あとで人事部の先輩から、

「“あいうえお順”じゃないか」と聞いた。

ハハハ。


昨日は母校・慶應義塾大学の卒業式が

行われた。おそらく、全国の学校の中で

最も遅いのではないか。

私のころから慶応の卒業式は“23

固定されている。土、日(休日)と重なると

ずれることになっている。両親、家族が

同席することもあるのだし、土日の方が

便利なはずだが、なぜか、ずらす。

理由を大学に聞いたことがあるが、

分からないと言われた。んな馬鹿な。

ハハハ。

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私は1963年に慶応の文学部を卒業した。

カレンダーを見るとその日は土曜日だが、

当時は休日ではなかったから、この日に

式が行われた。この年のフジテレビは

31日に入社式を行っていた。すでに

社会人だった私は休みをもらって日吉で

行われた卒業式に出かけた。


塾長から“脚下照顧”という言葉が贈られた。

足元を見て自らを顧みよ…という意味だ。

振り返ると、足元を見ることには務めたが、

”周囲”を見ることはおろそかだったなあ。

そのために多くのものを失った気がする。

恥多き人生。塾長、すみません!とほほ。


by toruiwa2010 | 2019-03-26 07:27 | blog | Comments(0)

“あの日”から8年の時が流れました。

2ヶ月半後の525日、被災地を訪ねました。

そのときに書いたブログ記事を再録します。

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2011/05/30&31


水曜日に、東北の被災地を訪ねました。少しでも見て

おきたかったからです。もちろん、“見物”といった不謹慎な

気持ちではありません。かつて、ほんの少しですが、

報道に関わった者の一人として、この災害の発生当初から

“実際に見なくては”という、強い思いと衝動に駆られて

機会を待っていたのですが、ようやく実現したのです。

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“つなげよう 日本”のステッカーを貼った東北新幹線“はやて”は

大宮から仙台までノンストップです。新幹線はかなり

内陸を走りますから、津波はもちろん、地震による被害の

跡もほとんど見えず、緑がいっぱいののどかな田園風景が

左右に広がっていました。
しかし、仙台駅が近づくと、民家の屋根のブルーシートが

目につくようになりました。1995年、阪神淡路大震災のあと、

212日に訪れた神戸一帯を思い出します。


今回の地震と津波は、発生が昼間だったことで被害が

かなり抑えられた面があります。同時に、各種メディアを通して、

私たちは様々な映像を目にすることになりました。
私の脳裏には、宮城県名取市の映像が強烈に焼き付いて

います。結果として失われた人命や家財を考えたら、

ほかの港町を襲った津波のほうが破壊力がはるかに

大きかったのだと思います。しかし、がれきをのみ込んで、

巨大な龍のように身をくねらせながら畑の上を“走って行く

”津波の映像のインパクトは強かったのです。
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今回、まず訪れることを決めたのはその名取でした。

仙台の少し南に位置する町です。
仙台から常磐線に乗り換えました。
乗り合わせた地元の人の会話が聞こえてきます。聞き耳を

立てているわけではないのに“津波”“余震”“流された”

“行方不明”…そんな単語が耳に飛び込んできます。
被災地のど真ん中でもない場所ですが、交わされる会話の中に

それらの言葉がまるで普通名詞のように混じっていることに

この災害の大きさを感じました。


15分ほどで着いた名取の駅はエスカレーターが故障して

いる程度で、ほかに“被害”と思われる個所はありませんでした。

改札口は駅の高い位置にあり、そこから見渡しても普通の

町並みが見えるだけで、津波に襲われた場所らしきところは

見えません。タクシーを頼むことにしました。


興味本位で来た…と受け取られることが怖かったのですが、

行きたい場所の話をすると、運転手さんは「分かりました」と

言って車を発進させました。少し走ると、やはり、大きな

傷跡が目に入るようになりました。話によると、地震の被害は

311日より47日の余震のほうが大きかったそうです。
最初の地震でダメージがあったからでしょうが。
そして、津波も第一波がそれほどではなく、一度逃げたあと、

貴重品などを取りに戻って第二波に流された人が多かった

ということでした。新聞や週刊誌では読んでいた話ですが、

現地で聞くと現実味が増します。

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突然、“荒涼”とした風景が目に飛び込んできました。

津波が蹂躙した畑の跡です。
「かなり片付いてますけどね」と運転手さんが言う通り、

津波が引きずっていた物凄い量のがれきや車は大部分が

処理されていました。
映像を見たとき、津波が土手に当たってしぶきを上げていた

ことを覚えています。町を南北に走る仙台東部有料道路の

土手です。盛土されているこの道路のおかげで多くの人が

助かったそうです。海岸から4キロほど、太平洋から

遮るものがほとんどない名取平野を突っ走った津波は

ここで初めて“抵抗”に遭ったのでしょう。
400-500メートル先だと思える道路まで、見渡す限り

荒れた灰色の土地が続いていました。

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     画面を左右に横切っているのが有料道路

帰りの電車の時間まで余裕があったので、仙台空港まで

行ってみました。海からの距離はわずか数百メートルです。
空港ビルから撮影された映像には、海水が、車だけでなく、

ヘリコプターや小型機を押し流すところが映っていました。

まさに、“息をのむ”光景でしたが、海からの近さを見ると

分かるような気がします。
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周辺には住宅がかなりあったそうですが、形だけ残っている

家屋はわずかな数で、しかも、家の中はがらんどう、

破壊し尽くされていました。
確かに人が暮らしていたはずなのに、その痕跡が感じられない

怖さがあります。


仙台に戻り、腹ごしらえをしたあと、石巻に向かいました。


“日帰り”という制約があるため、出発前から、訪れるのは

名取と石巻に決めていました。
マスコミが大勢いそうなところはうっとうしいのと、

被災者が実際に復興に向けた作業をしているところは

用のない者が行ってはいけないと思ったのです。


つづく・・・

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・・・つづき


仙台駅前のターミナルから高速バスに乗って今度は北に

向かいました。
目指すのは石巻です。できれば気仙沼まで行きたかったの

ですが、車の運転もできず公共の運送手段に頼る旅ですから、

いろいろ考えると、石巻が限界でした。
1時間15分で到着しましたが、仙台寄りの場所でがれきの

集積場が一か所あったほかにはブルーシートがところどころに

見えただけでした。実際には、楽天イーグルスの本拠地、
Kスタ宮城も大きな被害があったのですから、バスから

見たのでは分からないのでしょう。


石巻駅前についてバスを降りると、いきなり、海の匂いが

鼻をつきました。…と、思いましたが、少し違いました。

潮の香りにしてはかなり強烈なのです。
あとで分かったのですが、漁港に近いところでは、そこに

あった水産加工工場や倉庫から大量の魚が流れ出し、

それが腐ったために異臭を放っているのです。
がれきの集積場も含め、場所によってはマスクをしなければ

厳しいと思いました。雨に加えて 気温が上がってくると、

この匂いは被災者を悩ますことになりそうです。


時間に制約があるので、すぐにタクシーを拾いました。
がっちりした体をした、鋭い眼つきの運転手さんで、

ちょっとひるんでしまいましたが、そのまま乗り込み、

「石巻の漁港も大きな被害を受けたと聞きました。

状況が分かる場所に連れて行ってくれませんか?」と

ストレートに頼みました。


特に嫌な顔もせずに車を出した運転手さんとは、それから

2時間近く付き合いましたが、とても“いい人”でした。

いかにも東北人らしく、語り口はトツトツとしています。
しかし、私が何かを尋ねると、優しい言葉で話をして

くれました。
彼は客待ちをしていて地震に遭い、揺れを感じてすぐに

高いところに逃げたため、なんの被害もなかったのですが、

奥さんの家族が南三陸を襲ったで津波に流され 今も

行方不明だそうです。


石巻の駅前も1メートルぐらい浸水したようですが、

駅を離れてすぐの商店街に入ると地震と津波 両方の被害が

はっきり見えてきました。建て直しの工事に取り掛かっている
店もありますが、ほとんどは“手つかず”のままです。
しかも、一帯がいまだに停電中で信号が機能せず、警官が出て

交通整理をしていました。
北から来た車が中心街に向かう道ですから、反対車線は

かなりの渋滞になっています。
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漁港に出ると、2カ月以上 経過しているのに、直後の惨状が

うかがえる状況が見えました。
打ち上げられた漁船などの多くはすでに片づけられて

いますが、道路沿いに建つ家屋は大半がぺしゃんこに

なっています。
家にめり込んでいる小型の漁船が残っていました。

数は多くないのですが、そこここに作業をしている人がいて、

漁港周辺ではとてもカメラを向けることはできませんでした。


運転手さんが「女川も相当ひどいです」と話してくれました。
往復でどれぐらいかかるか聞くと、1時間程度だと言うので

行ってもらうことにしました。
両サイドに、崩れ落ちた家屋が見える中、女川街道を

東に走ります。


しばらくすると、右手に穏やかな海が見えてきました。

万石浦(まんごくうら)です。
ニュースで見ましたが、昨日の雨で冠水していましたね。

小中学生の通学のためにバスが運行していました。
しかし、私がタクシーで走り抜けたとき、周辺には被災の跡は

ほとんど見えませんでした。地盤沈下はあったようですが、

ここに津波は来なかったのです。万石浦の“入り口”が
狭いことが理由だそうです。太平洋から石巻湾を経て

この狭い入口から万石浦に入った津波は、その広い懐で

勢いと高さを失った…運転手さんの話ですが、説得力が

ありました。

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三陸独特のリアス式海岸は、その地理的形状のゆえに

津波の高さや速さを増すことになり、沿岸の町に“想定外”の

大きな被害をもたらしました。一方で、この地域一帯の

ように、造化の神の“恩恵”をこんな形で受けた場所も

あることが分かります。
今回の災害には、原発事故の問題や行政の立ち遅れなど、

“人災”と考えざるを得ない点も多いですが、“人智”の及ばない

側面もあることを知りました。

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“女川”の標識が見え始めて間もなく、ハンドルを左に

切ったとたん 爆撃を受けた直後の市街地のような光景が

目に入ってきました。 左手の高いところに町立病院が

ありますが、その右側、海岸に至る平地がまっ平らに

なっています。ここでも 突然、色が消えました。
がれきはかなり取り除かれていますが、いくつかのビルが、

土台から引き抜かれたように横倒しにされたままになって

います。津波の強さを物語っています。

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病院の駐車場が海抜20メートルだそうですが、その病院の

一階は水に浸かったと言います。
そこに上って見下ろすと、波に運ばれた車がビルの屋上に

乗っていました。津波の高さが想像されます。“災害派遣”の

横幕をつけた自衛隊の車両やパトカーなどは見えますが、
港を含めて作業する人の姿はそれほど多くはありません。

それでも、写真は数枚撮るのが精いっぱいでした。
港全体を見渡せるこの駐車場には、状況を見に来た人たちが

数人いましたが、押し殺した声しか聞こえてきません。

ここで人々が暮らしていた、建物があった、…それを考えると、
言葉は出ないのです。
 

石巻に戻るとき、渋滞が激しいこともあって海に近いところを

走ってもらいました。
途中に大きながれきの集積場があり、多くのトラックが

出入りしていました。写真を撮るために車を降りると、

悪臭が強烈でした。ここでも自衛隊の車両が目立ちましたが、

今回の10万人体制で道路の整備が早かったと運転手さんも

話していました。ただし、当初から多数の行方不明者が

いたため、がれきの処理に重機が使えないことは大きな

ネックになったようです。

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港から1キロほどの日和山(ひよりやま)公園に行きました。
海抜56メートルですが、町の様子はよく分かります。

女川と同様、東北沿岸部の被害はまさに“壊滅”としか

言いようがありません。
写真を撮っているとき、前に立っていた男性が知人らしい

連れの人に話していました。
「私の家は、あそこに見える…」
その淡々とした話し方が、逆に衝撃でした。実際に家を

失った人が目の前にいる。もしかすると家族も?と、

思わずシャッターを押す手が止まってしまいました。

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…私が見たものは、今回の災害の規模を考えたら、きっと、

“氷山のほんの一角”でしょう。
70日以上がたち、復旧が相当に進んでいましたから、

本当の災害の姿でもありません。それでも、いまさらですが、

自然の力のすごさに“畏れ”を抱きました。十数万人の

被災者は、これだけ強大な自然の猛威に直面したのです。
その人たちの気持ちはとても想像することができません。
恐怖、絶望、無力感…そんな単純なものではなかった

はずです。


大災害発生から80日が経ちました。
政府・自治体の動きは相変わらずのようです。

東北の人たちは我慢強いと言いますが、被災者の皆さんが

よく怒りの声を上げないものだと思います。
原発事故による放射能汚染のほうが深刻な福島も同じ

ことでしょう。義捐金の分配、補償金、仮設住宅、

放射線量の設定…すべて立ち遅れているように見えます。


“菅下ろし“の動きを、「そんなことをしている場合じゃ

ないだろう」と、批判する声が圧倒的ですが、私はそうは

思いません。このままで本当にいいのか…と問いたいです。

これだけの規模の災害に対応するのに時間がかかることは

ある程度、仕方がないでしょう。しかし、それにしても、です。
道筋さえなかなか見えてこない状況は“あり得ない”です。

性格の問題かもしれませんが、発生当初から現在まで、

一貫して、“温かみ”が感じられないことが腹立たしいです。
首相を初め、閣僚・議員は現地を見ているはずです。

この惨状を目にしたとき、人として何を思ったのかを

聞いてみたいです。
被災地の皆さんが大人しいのをいいことに、あまりにも

動きが鈍いことに怒りを覚えます。


「政治の空白は避けるべきだ」

「代わりがいないもの」

「誰がやっても同じさ」…
分からないではありません。しかし、この総理大臣のもとで

このまま復旧・復興作業を進めれば、時間の経過とともに、

見えない“2次災害”、“3次災害”が増える気がしてなりません。
「急流で馬を乗り換えるなんて」とい人もいるようです。

リンカーンの言葉らしいですね。
この期に及んで、菅をリンカーンになぞらえますか?
リスクはあるでしょう。

しかし、馬ごと急流に流されそうになっている今、

2次災害”を避けるためにも、馬を乗り換えることを

選択肢から外す理由が分かりません。


427日の記事の最後に書いたことを再録しておきます。


運命…それぞれの立場


いま、このときに自分が総理大臣でいることに運命を

感じると菅直人は言った。

いま、このときに菅直人が総理大臣でいることを受け

入れなければいけない被災地の人々の過酷な“運命”を思う。


by toruiwa2010 | 2019-03-11 06:55 | blog | Comments(0)


ざけんなよ!


Yahooがブログのサービスを1215日でやめる!

数日前にメールで知らされた。青天のへきれきだった。

文面に「まことに勝手ながら」とあるが、勝手すぎる!

「ご迷惑をおかけします」とも言うが、迷惑千万だ!

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私のブログは2003年にringworldというブラウザ?を

使ってスタートしたあと2005年から5年半はYahoo

“営業”した。“非公開”にしているが、現在も約4000本を

そのまま残してある。


私のような“しがない”ブロガーでも書いて公に発信した

記事は子供ようなものだ。可愛い。愛しい。そちらの

勝手な都合で消さないでもらいたい!


Amebaなど、いくつかのブログに移行できる方法を

教えてくれるそうだが、実行できるかどうか不安だ。

Yahooだから信頼して選択したのになんてこった。


菊之助の系譜…


歌舞伎の尾上菊之助の長男が丑之助を襲名するそうだ。

菊之助が41歳だとテレビの字幕で知った。感慨深い。

この写真は1977330日の「3時のあなた」の

オープニングを撮ったものだ。この日が富司純子さんが

“産休”に入る前の番組出演最終日だったから、高倉健が

重い腰をあげてくれたのだった。

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このとき、純子さんのお腹にいたのが菊之助だった。

“菊之助”と言えば、彼の父親(現・菊五郎)に初めて

出会ったのは菊之助時代の1970年前後だった。

ホテルのプールサイドで、交際中だと伝えられていた

純子さんと一緒だったから視線が集まった。私たちは

夫婦に後輩アナが何人かいて、じゃんけんで負けた者が

「八艘跳びをやってくれませんか」と言いに行くという

賭けの話になって盛り上がった記憶がある。数年前に

菊五郎が大河ドラマで源義経を演じていたからだ。


二人とも水着だったはずだが、その記憶はない。

…にしても、噂になっている有名な若手歌舞伎俳優と

超有名な女優が”変装”もせずにホテルのプールサイドに

現れる…いい時代だったんだね。


純子さんは出産から数年後、野間脩平アナとのコンビで

番組の司会に復帰した。私はMLB中継でしょっちゅう、

日本を留守にしていたから。 …は“強がり”で、候補にも

なていなかったらしい。ハハハ。


みっけた!


ゲストによって、土曜昼の「メレンゲの気持ち」を見る。

先日は“お気に入り”古市憲寿が出ていた。今の古市が

あるのは学生時代に「大学院に行ったら?」と勧めた

慶応の准教授の存在があったという。


ビデオで登場した長谷川先生…受講していないから

講義が面白いかどうか分からない。しかし、ビジュアルは

まさにテレビ向きだ。本人がテレビ嫌いならともかく、

新しいキャラとしてオファーが増えるのではないか?

大学の先生を”素材”扱いは申し訳ないが。ハハハ。

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ちなみに、古市に大学院行きを勧めた理由については

「単純に合うと思った。探求心が強く、社会の切り口、

見方が面白いと思った」からだそうだ。人が歩む道には

いろんな人が関わることが分かるなあ。


日本アカデミー賞 終わる


本家のアカデミー授賞式がショウとして立派に成立して

いるのにくらべ、日本アカデミー賞はいつまでたっても

“たどたどしい”放送が続いている。日本映画を代表する

スターたちが勢ぞろいしているのを楽しむ以外になんの

エンタテインメント性もない。寂しいかぎりだ。


今回はインタビューの部分が例年より少し面白かった。

それにしても、プレゼンタ―、最優秀賞受賞者たちの

スピーチはなんとかならんか…と思う。


編集でカットされてる可能性があるし、幼いころから

人前で話す機会が多いアメリカ人と同列では語れないが、

みんな“それなり”の年齢なんだから、もうちょっと…と

じれったく思うのは私だけではないはずだ。

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是枝裕和の「万引き家族」が作品賞はじめ 8冠に輝き、

セレモニーを“席巻”した。首をかしげたくなるような

作品や俳優が候補(優秀賞)になっていたから当然だね。


by toruiwa2010 | 2019-03-06 06:57 | blog | Comments(0)


去年の夏、石川県・星稜高校野球部は

2回戦で逆転サヨナラ負けした。


最後のミーティングでスピーチのあと

監督が突然歌い出したそうだ。


もうすぐ今日が終わる 

やり残したことはないかい

親友と語り合ったかい

燃えるような恋をしたかい・・・


かりゆし58の「オワリはじまり」だった。

このときの野球部員の感動は想像できる。

監督はかりゆし58に手紙を書いた。

卒業式で歌ってもらえないかと…。

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昨日が卒業式だったようだ。

サプライズで登場したかりゆし58の歌に

講堂に感動が溢れた。

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たったそれだけのニュースだったが、

朝食を摂りながら、私ももらい泣きした。

人生の新しいステージに一歩を踏み出す

若者に贈る歌としてピッタリだね。

青春っていいなあ。



by toruiwa2010 | 2019-03-02 07:39 | blog | Comments(0)

ジョージ・メンドサが亡くなった。

95歳だったそうだ。

日本人で彼の名前を知っている人は

ほとんどいないと思われる。

The Kissと呼ばれるこの有名な写真は

1945814日にニューヨークの

タイムズスクエアで撮られたものだ。


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日本の全面降伏を知ってお祭り気分の

広場で、歓喜した水兵が近くにいた

看護婦にキスした…とされ、戦争終結を

象徴する写真として知られている。そして

メンドサこそ“水兵”だと言われてきた。


なお、看護婦の“身元”は不明だという。


by toruiwa2010 | 2019-02-19 07:52 | blog | Comments(0)