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岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

カテゴリ:blog( 112 )

昨日は我が家の55回目の結婚記念日だった。

"エメラルド婚"と言うそうだ。どうせ、

ジュエリー業界と結託してるのだろうが。

ハハハ。

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挙式…は神前でもなければ教会でもなかった。

披露宴に出席してくれた友人、同僚の前で

婚姻届けにサインする“人前結婚式”だった。


入社した年だから金がなくて、恐縮しながら

11000円の会費を頂戴し、500円の料理に

500円の引き出物だった。良心的?ハハハ。

単位は間違ってない。昭和38年、東京五輪の

前年だから貨幣価値がまるで違うのさ。


「給料が3万円を超えたら結婚しよう」という

意味不明の約束をしていたが、研修が終わった

7月には諸手当がついて3万円超になった。

バタバタと日取りを決めて式場を探した結果、

今はもうない新宿厚生年金会館が見つかった。

1963115日は仏滅だったが、岩佐家も

相手の家族も気にしなかった。ハハハ。


初めてのことだから(当たり前か)、カメラの

手配もしてなくて、写真は式場で撮った2枚と

長兄が撮ってくれたケーキ入刀の写真が2枚、

新婚旅行で泊まった箱根・富士屋ホテル近くの

写真屋さんが撮った2枚だけだ。合計6枚じゃ

アルバムなど作れない。

写真嫌いの妻は何も言わなかったが、私は

今でも悔やんでいる。


出席者の多くがフジテレビ関係だから、仕事の

邪魔をしないようにと、3時ごろから始めた。

終わったときは、ロマンスカーの最終に間に

合わない時間だった。

新幹線開通の前年だから東京駅から在来線で

小田原にむかった。

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小涌園ホテルを手配していたが、代理店が

抑え損ない、“代わりに”と富士屋ホテルを

取ってくれたのだ。差額は代理店負担だから

こちらに文句はなかった。ハハハ。


富士屋ホテル…2004年に41年ぶりで泊った。

驚いたことに、当時の“宿帳”が残っていた。

そのときに撮った写真も貼られていた。

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新婚旅行は23日だった!

新人アナウンサーだけど、11月には仕事量も

増えているだろうから…と短くしたのだ。

結果的に、何日でも休めそうなほど 仕事は

多くなかった。東京に戻ってボウリングなど

好きなことをして過ごした。帰京から数日後、

九州で大きな炭鉱事故が起き、会社に電話して

「出社しましょうか」と申し出たが、簡単に

”却下”された。たいした戦力ではなかったんだ。

ハハハ。

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あれから55年かあ。

出会ったとき、黒髪をポニーテイルにしていた

可憐な少女は今、こんな風になった。

苦労を掛けたなあ。すまん。うぅッ!

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結婚記念日は外食することが多い。

肉でも…と言っていたが、適当な店が見つからず

いきつけの”アスター”に行った。

これプラス チャーハンだからlittle too much。


by toruiwa2010 | 2018-11-06 08:40 | blog | Comments(2)

3時のあなた

3時のあなた

あなたの3


♪ラ・ソ・ミ・ド・レ・ド

“なにしおう”音痴だから責任は持たぬが、音符にすれば

たしか、そんな感じだったと思う。1968年に始まった

フジテレビの奥様向けワイドショー番組のテーマ曲だ。

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タイトル通り、午後3時にスタートした。

それまでは古いモノクロ映画を放送していた時間帯だ。

「テレビ名画座」という番組名だったが、あえて言えば、

大株主だった映画会社の倉庫に眠っていた映画を流して

“お茶を濁して”いたんだ。


つまり、各局が持てあましていた時間帯だった。

古い映画が流れていればいい方だ。19609月までは

午後3時~5時半は放送を休んでいたんだもの。加えて、

深夜11時半ごろから午前10時半も見る人がいない、

“不毛”の時間として放送を休止していた。24時間放送が

当たり前の今からは想像もできないだろうが。

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3時…」で芳村真理さんと1年、寺島純子さんと3年、

アシスタントとしてコンビを組んだ。1973年~77年だ。


スポーツ・アナとしての歴史を振り返ると、この番組に

アシスタントとしてかかわったことは大きかったと思う。

戻ったときに、“ふところが深く”なっていた気がする。

グラウンドやプレーにのめり込み過ぎず、少し客観的に

見ることができるようになっていた。


えーと、なぜ、こんなことを書き始めたんだっけ?

今月1日付けの記事にもらった投稿がヒントになった。

傘寿のあなた、なんてどうですか…と。ハハハ。


80歳を過ぎた。“傘寿のわたし”はまだまだ元気だ。

5年前のMRI検査で「梗塞のあとらしきものはない」と

明快に言ってもらえた上に、「カルテで年齢を見なければ、

30歳だと言われても分かりません」という診断だった。

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去年 芦屋で内視鏡検査を受けたとき医者は「なーんにも

ありませんでした。どこも悪くありません。これなら

大腸は5年、胃も3年はカメラをやらなくて大丈夫」と

太鼓判を捺してくれた。


“80-20”という言葉をご存知か?

80歳を過ぎたとき、自分の歯を20本以上残そうという

啓蒙運動の標語だ。芦屋のクリニックで1本抜かれて

しまったが、27本ある。80-27だ。状態も悪くない。

簡単にクリアした。

うん、そうか。ここに来てぎっくり腰だったなあ。

白状すると、…“もどき”だったようだ。発生3日目に

映画を見に行けるぎっくり腰なんてあるわけないもの。

ハハハ。

血圧が少し高いが薬で完全にコントロールできている。

軽い不整脈もあるが、服薬でまったく問題ない。あとは

中性脂肪が少し多いことぐらいだ。

昔から着るものの好みが若者寄りだから、外見は若い。

それでも、出かけるときには、猫背になっていないか?

鼻毛は出てないだろうな?目ヤニなんか大丈夫かな?と

重点的にチェックする。じじむさいと思われるならいい。

おじいちゃんだからしょうがない…と思われるのが嫌だ。

ハハハ。


“健康状態”は最悪に見える安倍政権が7年目に入った。

私も81年目を歩み始めている。私にとっての余生…

つまり、おまけの人生だ。せいぜい楽しませてもらおう。

そう言えば、我が家は私が傘寿、妻は5月に喜寿を迎え、

11月には結婚55周年のエメラルド婚…記念すべき年だ。


by toruiwa2010 | 2018-10-18 06:26 | blog | Comments(2)

いまも大事にしてくれていますが、大学を出て会社に

入った年の11月に結婚したので婚約指輪も結婚指輪も

“給料の半年分”もするものではありませんでした。

もちろん、精いっぱいの“誠意”は込めましたけどね。

ハハハ。


銀婚式(1989)だったと思いますが、彼女の誕生石の

指輪を贈りました。これも“常識”の範囲内のものです。

その一方、海外出張のたび、みやげには苦労しました。

そりゃ だって、出がけに背後から「なんでもいいのよ、

気持ちだから」などと言われたら、出張の間中、頭から

離れやしません。ハハハ。


ジュエリーやブランドものが大好きだったら楽ですが、

興味を示さないタイプなので、探すのが大変なんです。

そんな私がもうすぐ55年になる結婚生活で私なりに

かなり思い切って買ったみやげがこれです。

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購入したのはサッカーのヨーロッパ選手権(ユーロ)

実況するために滞在していたロンドンのアンティーク・

ショップでした。1996年のことです。

実は、みやげを探すとき、頭の片隅にいつも“カメオ”が

ありました。結婚当初から妻がずっと“横長のカメオ”を

探しているのを記憶していたからです。


試合のない日、案内書にあった骨董店街を目指しました。

最初に行ったところではこれだというものが見つからず、

地下鉄で別の街に行きました。さんざん、歩き回って、

ようやくたどり着いたのは、場末の市場のような外観で、

期待できそうにありませんでした。

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しかし、分からないものです。“わが生涯最高の土産”を

見つけたのはここだったのです!!


雑然としたマーケットの中を一回りしたとき、最初から

目を引いたものがありました。一つだけ目立つのです。

手あかのついたフレーズでいささか恥ずかしいですが、

明らかに「私を買って」と言っていました。ハハハ。

値段が高かったのでわずかな“ためらい”がありました。

しかし、二回り目でそのショーケースの前に立ったとき、

決めました。“横長”ではないのにこれにしたのは、“品の

良さ”に惹かれたからです。


めでたく、喜んでもらえました。


“妻への土産”で、一つだけ心残りがあります。

見つけたら、どんなに高くても買って帰ろうと決めて

いたのに、とうとう、出会えませんでした。それは、

宗教的な理由でいわゆる“電気”を使わずに生活をする

アーミッシュの人たちが作るキルトです。

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ペンシルバニア州に“本拠地”があると聞いていたので、

ニューヨークは近いから、どこかで見つけられるさ、と

簡単に考えていましたが、最後までダメでした。

アーミッシュ・マーケット…というのがミッドタウンに

あることを知ったのはつい最近です。リサーチ不足。

トホホ。


by toruiwa2010 | 2018-10-04 06:37 | blog | Comments(0)

私事だが、先月28日で満80歳になった。

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1938 0歳 東京・大森で誕生 戦火が近づいていた

194810歳 桃井第4小学校4年 終戦から3

195820歳 病気で2度ダブり、明星学園高校3

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196830歳 フジテレビ入社5年目 結婚も5年目

197840歳 誕生日は取材先(MLB)のシカゴで迎えた

198850歳 誕生日は出向1ヶ月のWOWOWで迎えた

199860歳 還暦は出張先のミュンヘンで迎えた

200870歳 古希はWOWOWの仲間が祝ってくれた

201880歳 傘寿の祝宴…銀座らん月ですき焼きを食す


余談だが、メジャーを追っていた7881年の4年間は

毎年、アメリカのどこかで誕生日を迎えた。1979年は

ドジャー・スタジアムだった。この年は ほぼ1年を

アメリカですごした。面倒を見てくれていた日系人、

トム田山夫妻、ドジャースの副会長・アイク生原さんが

球場内のレストランでお祝いをしてくれた。

食事を終えたあと、客席に落ち着いて間もなく、トムが

「おい、見ろよ」と電光掲示板を指さした。目をやると、

こんな文字が浮かんでいた。

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VOICE OF MAJOR LEAGUEは"大リーグを放送している

アナウンサー"の意味だ。アイクの厚意だった。


胸を病んで高校を卒業するのに5年かかった。

若いときからひょろっとした身体で胃腸が弱かった。

神経を使う職業と聞いていたアナウンサーになったとき、

たぶん、どの時点かで胃潰瘍になり 60歳ぐらいまでに

死ぬんだろう…と漠然と考えていた。

だから、自分が80歳なんて信じられない。

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年齢を重ねつつ、家族を見ると、両親も長兄も楽々と

80歳を超えて行った。もしかして…と思うようになった。

2007年、ブームになっていた”脳内メーカー”に尋ねると

私の脳内は“わる秘”と“欲”に支配されていた。ついでに

死亡推定日を聞いてみた。結果は“衝撃的”だった。


岩佐徹さんは、生まれて68年と333

経過しています。

死亡推定日は…201013日…です。

71歳でその生涯を閉じます。


その時点で、私の余命は“ほぼ2年”だった!!

何事もなく201013日’’’を迎えたとき、悪いけど

“ざまあみろ!”と毒づかせてもらった。誰にともなく。

ハハハ。

そして、改めてやってみた。


岩佐徹さんは、生まれて71年と98

経過しています。

死亡推定日は、2020717日…です。

81歳でその生涯を閉じます。


いきなり、10年長生きできることになった。ありがたや。

ハハハ。


LIFE EXPECTANCYと言うらしい。“余命”のことだ。

厚労省の調査によれば、100歳以上の人がいまの日本に

7万人近くいて、このところ急激に増えているらしい。

このペースで行くと、私が100歳になる2038年には

数十万人に達するのではないか?数十万人なら、そして

元気で生きられるなら、その一人になってもいいなと

図々しく考えてしまう。ハハハ。


え、なに?

100歳以上の超高齢者の88%が女性だと?

それって、差別じゃねえの?


父は88、母は98歳、長兄も93歳で亡くなった。

次兄(84)健在だ。我が家は長生きするようだ。

さいわい、血圧がやや高い、軽い不整脈、隠れメタボ…

ぐらいで、特に具合の悪いところはない。とりあえず、

二度目の東京オリンピックを、次は85歳を目指して

生きてみる。そこから先はたぶん、1年単位で考える

ことになるのだろう。


どっちにしたって、100歳まで生きようと思えば、

かなり先の長い話だ。

こうなったら、最後で"改心"せず、やんちゃなまま

一生を終えたいなあ。


by toruiwa2010 | 2018-10-01 06:21 | blog | Comments(13)

30代の半ばだったと思う。

巨人の北陸シリーズの試合を担当した。

小さな旅客機で小松空港に飛んだ。

あいにく、低気圧が通過した直後だったし、

私は風邪気味だった。


低いところを飛ぶ飛行機だったが、上空で

水平飛行に移って間もなく、はっきりした

気圧の変化を感じた。耳がキーンとなって

周囲の音が遠ざかった。それは長く続き、

翌日、球場につくころ、ようやく“正常”に

戻った。必死でやった“耳抜き”のおかげだ。


鼻をつまんだまま息を吹き込む“耳抜き”は

危険だとも言われているようだが、仕事を

控えて、そのままでは困るのでなおるまで

何度もおこなった。

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しかし、その後の数十年間、年に数回程度、

鼓膜が奥に押し込まれたような感じになる。

そうでないときも、左の耳は軽度の難聴だ。

ふだんの生活では困らないが、テレビで

ドラマなどを見ているとき、大事なセリフが

聞き取れないことがある。厄介なのは 私の

”適量”が妻にはtoo loudになることだ。


どこかで必ず妻から「ちょっとボリュームが

大きくない?」と声がかかる。それはつまり、

“大きいから下げよ”ということだ。

もちろん、下げる。その結果、登場人物たちの

セリフは不明瞭になる。“大いに困る”わけでは

ないからいいが、ドラマやニュースの音声は

出来ればちゃんと聞きたいものだ。かと言って

イヤホンを使うのは長いコードが邪魔だから

ためす気はない。


半年ぐらい前の「アメトーーク」でつっちーが

ピッタリのデバイスを紹介していた。

SONYのウエアラブル・ヘッドセットだ。

肩にかけて聞くイヤホーンだ。コードはない。

すぐ量販店に行ったが、数ヶ月待ちだと言われ

せっかちなので注文はしなかった。

ずるずると時間が過ぎ、先日、AMAZON

見つけたので、早速 取り寄せた。

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…快適だ。自分の好きなようにボリュームを

調節できるからストレスがない。リビングを

離れても耳元から聞こえるし。少し漏れるが、

妻から苦情が来るほどではない。ハハハ。


もう一つ”老い先短い“私を悩ませているのは

首…というか 背筋の痛み…というか 凝りだ。

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原因はおそらくマ・ク・ラだ。

去年の暮れに長年使っていた枕を変えた。

どうも、寝つきが悪く、眠れたと思っても

夜中に目が覚めて 眠りに戻れないからだ。

人生で初めて専門店で”診断”を受けた上で

値の張る商品を購入した。


…よく眠れるようになって喜んでいたのだが、

春ごろから 起きたとき、首から背中にかけて

痛みを感じるようになった。時間がたてば

消えるので医者にはいかない。



最近、床屋に行くようになり、散髪のあとに

やってくれるマッサージがバカに気持ちいい。

特に 小型の機械(バイター)を“患部”に当てて

もらうと、最高だった。


写真を撮り、ネットで探して注文した。

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…こちらは、まだ稼働していない。

背中のことだから自分ではできない。しかし、

妻は、7月に転倒してから左肩の痛みが続き、

まだ重いものを持てないからだ。したがって

バイターは部屋の隅で待機中のままだ。嗚呼
by toruiwa2010 | 2018-08-30 07:48 | blog | Comments(4)

昨日の夜何を食べたかを思い出せなくても

まったく心配ない。単なる物忘れだから。

食べたかどうかを忘れるようなら心配…

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年を取って物忘れが増えたのは事実だ。

スターや有名人の名前は典型だが、その他にもいろいろ

忘れたり、落としたりするようになった。

最近、国会図書館によく行くが、脱いだ帽子、出入りや

端末機械を使うのに必要なカード、複写やプリントした

ものを入れるためのクリアファイル…移動するたびに

何かを忘れている。

これらはすぐに思い出すから問題はなかった。


東京のタクシーはPASMOで支払えるものが多い。

先週、国会図書館に行った帰りのことだ。

走り出してすぐ、用意しておこうと短パンのポケットを

探ったが、ない。あれ、さっき使ったばかりなのに…と

思いつつシャツの胸ポケットを見たが、そこにもない。

最近、持ち歩いているショルダーバッグにもなかった。

まだ、1万円分ほど残っていたのに!


作業を終えて、最後にプリントアウトを受け取ったとき、

料金の14円をPASMOで払ったのはたしかだ。

そのまま、新館の玄関前に出て、電話を一本かけた。

落としたっとすればその間のどこかだが、PASMOじゃ

出てくるわけはないな、とあきらめて、JR四ツ谷駅で

新しいものを買った。

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翌日になって、念のために図書館に電話をしてみた。

“場所柄”、もしかして…と思ったのだ。


1枚、届いてます」と言われた。すぐには喜べない。

仮に届け出があっても、“無記名”のPASMOの話だから、

電話をする前から、それが“私のものだ”とどうやって

証明できるのか?と考えていたからだ。指紋を検査して

もらうわけにもいかず。ハハハ。


そのことを言うと、電話口の男性は「どこで落としたか

見当がつきますか?」、「残額を覚えてますか?」などを

質問してきた。

「プリントアウトの受け取りカウンターで使ったので、

そこから、玄関前までの間だと思う。正午を少しすぎた

時間帯だった」、「1万円を超えるか超えないかだったと

記憶している」と自信をもって答えた。


映画が始まる時間だったので、そこでいったん通話を

打ち切って、2時間半後にかけ直した。

「話がぴったり合う」と、カードが私のものだと認めて

もらえた。丁寧な対応にお礼を言い、翌日、受け取った。


名前までは分からなかったが、館内の利用者が拾って

届けてくれたのだと言う。性 善なる人が拾ってくれた

ことに感謝した。ハハハ。


世の中、捨てたもんじゃない…と思ったことは前にも。


5年前、京都に行ったときだ。

帰京から4日後にiPadを使おうとしたら、いつもの

ところになかった。反射的に“新幹線の中だ!”と思った。

帰京の車内で原稿を書いていたことを思い出したからだ。

一段落したところで 閉じて肘掛けに立てかけた。

「忘れないようにしないとなあ」と言い聞かせたのに、

まんまと忘れたのだ。ふだんは、窓側に座っている妻が

通路に出るときに気づいてくれるのだが、このときは

肘掛けとiPadが一体化するように置いてしまったので

気づかなかったようだ。


下車した品川駅の遺失物係に電話した。

妻との“共同作業”の結果、乗車した号車、座席番号を

正確に思い出せたから、簡単に東京駅で見つかった!

車庫で掃除の人が見つけくれたようだ。これも、感謝。


窓口が夜8時まであいているというので早めの夕食後に

出かけていった。

八重洲中央口近くの忘れ物承り所でグレーの愛器

見たとき心からほっとした。

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手続きをしている間も、「届けられていないか」と尋ねる

人が何人か訪れていた。“うっかり”さんが多いんだね。

ハハハ。


書きながら、もう一つ思い出した。しょうがねえな。

ハハハ。


4年前の夏だ。渋谷Bunkamuraで映画を見た。

公開を心待ちにした作品だったが、しょうもなかった。

上映開始から40分後に我慢できずに席を立った。

「買い物をするので本を読んで待っててくれる?」と

言い残して妻が地下の食品売り場に向かったあと、私は

ソファに腰を下ろしてKindleを起動した。

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しかし、妻の買い物はいつもはやいので、読み始めても

中途半端になるなあと思い、すぐに閉じて横に置いた。

スマホをいじっていると案の定、5分ほどで少し離れた

ところに 戻ってくる妻が見えた。


「“くまモン”が来てるの。写真を撮ってくれる?」。

いつも持っているカメラを忘れたのでスマホで撮って

ほしいと言うのだ。妻の“依頼”は絶対だから、すぐに

飛んで行って人ごみのうしろから数枚、撮った。


「じゃあ、帰ろうか」と歩き始めたとき、“手ぶら”で

あることに気づいた。やっちまった。ソファに忘れた!


近くの売り場の店員さんの手を借りて届けを済ませた。

望みは薄いけど、ソファに座っているとき、横にいた

老夫婦なら届けてくれそうな雰囲気だったから。

「何かあったら連絡します」と言われて食品売り場を

あとにして外に出たところでスマホを取り出した。

連絡があったときすぐ分かるように着信のチャイムを

オンにしようと思ったのだ。


すると…。留守電が入っていた。覚えのない番号だった。

もしかして?

BINGO! “もしかして”だった。ハハハ。


あまりの速さだったから、半信半疑でテープを聞くと、

「今、届きました」!!!


捨てる神あれば拾う神…ではないんだなあ。

忘れるKindleあれば届ける善意の人あり ということだ。

私より年上と思えたあのご夫婦だ。思った通りだった。

感謝しかなかった。

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映画は残念だったし、新品同様のKindleを一時的にせよ

なくしたときはガックリしたが、“終わりよければ…”の

典型のように素晴らしい日になった。


日ごろの行いがいい、とは決して言えない。

てっきり、“天罰”が下ったのだと思った。

しかし、天は“自ら佑るもの”を救いたもうたのだ。

ハハハ。


いやいやいや。書くほどに情けない。

iPadKindlePASMO…忘れたり落としたりしたのは

すべて“現代”のものだ。つまり、自分ではなじんでいる

つもりでも、どこかで“不似合い”なのかもしれない。


しかし、5年間に3度、ものをなくし、全部戻った。

“日ごろの行い”などに関係なく、いい人に恵まれたのだ。

この国はまだまだ捨てたもんじゃないよ。…という結論。

ハハハ。


by toruiwa2010 | 2018-08-28 07:42 | blog | Comments(2)

フジテレビ、WOWOWでスポーツ実況の

アナウンサーとして過ごした。

取材、資料の整理、実況…忙しく飛び回る

日々だったから、家と会社の往復に終わり、

周囲に気を配る余裕はなかった。


ちなみに、社会人になってからはまともに

勉強したことがない。大学時代は麻雀漬け、

高校時代は闘病とリハビリが中心だった。

テレビや新聞、週刊誌から得たもの以外で

私の脳に詰まっているのはほぼ中学までに

学校で学んだものに限られる。これでよく

アナウンサーとして大過なくやれたものと

今でも思う。イヤーな汗が出る。ハハハ。


テレビでクイズ番組を見ていても、国語や

漢字はなんとかなるが、歴史はからっきし、

理数系もお手上げで、次の問題に移るまで

時間の経過を待っている。


料理の名前や調理方法もよく分からないし、

花や草木の名前も情けないほど知らない。

関心がなかったのだから知るわけがない。

ハハハ。

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小松菜とほうれん草、ルッコラとバジルや

キャベツ、白菜、レタス、パセリの区別が

あやしい。並んでれば大丈夫(たぶん)だが、

ひとつずつ出されて、さあ、これは何?と

聞かれたら自信がない。


20059月で引退してから妻と一緒に

出かけることが増え、植物などにも

少しずつ目が向くようになった。

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昨日、外出の帰り、近所の家の塀を見て

ビックリした。通るたびに、楽しみに

していたブドウがなくなっていたのだ。

6月の末ぐらいに小さな実がなりはじめ、

だんだん色づいていくのを毎年見ていた。

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ツルごと、消え去った塀をながめながら

「食べたのかなあ」と夫婦で話し合った。

住宅地で育ったブドウはどんな味だった?


現役のころなら、実がなっても消えても

気づかなかっただろうに変わったものだ。

ハハハ。


by toruiwa2010 | 2018-08-23 08:13 | blog | Comments(0)

9日間、ゆっくり休んだ。とてもリラックスできた。

毎日、何か書かなければと材料を探し、考えをまとめて

一本仕上げるのには結構 エネルギーを必要とする。

リラックスできた…ということは、ブログを書くことが

もうすぐ80歳の爺には簡単なことではなくなっている

ことを示しているかもしれない。今日から再開するが、

臨時の休みが増えそうな予感がある。ハハハ。


さて、納豆がプチ・ブーム…なのかな?

スーパーやコンビニで手軽に買える今の若い人たちは、

東京では早朝の住宅地を納豆売りが回っていた時代が

あったことなど知らないだろうなあ。


ナット、ナット―、()ナット!

ナット―オ、ナットウ!


地域によって差があると思うが、売り子が叫ぶ売り声は

この2種類だった。私は前者だった。


うん?と思うかもしれない。

小学生のとき、中古の自転車が欲しくて“売り子”をした

ことがあるのだ。

5時ごろに起きて、農家に行き、ワラに包まれた納豆を

5本か10本仕入れて売りに行った。秋から冬にかけての

1,2ヶ月だった。早起きも寒さも厳しかったが、自分の

ためだからつらいとは思わなかった。

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戦後まもなくで 食料の乏しい時代だったから、納豆は

貴重な食べ物だった。だからよく売れたと記憶する。

ただし、母が毎晩 ご近所さんに声をかけてくれていた。

“レール”が敷かれていたのだ。ずるいな。ハハハ。


一方、岩佐家では父親がたまに食べるぐらいで、母親も

兄たちも納豆を食べる習慣がなかった。多くの人と同様、

“ねばねば”感がダメだった。ただし、体が受け付けない

というわけではないから“死ぬほど腹ペコで、ほかに

食べるものがない“状況なら、何も言わずにたいらげる…

その程度の“ダメ”だった。


そんな私が、休業中に“納豆デビュー”した。

キッカケはテレビ番組だ。すぐれた食品であることは

前から分かっていたが、先日の番組では大豆そのものの

良さを伝え、“長生きホルモン”の分泌にもいい影響を

与えると話していた。

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それほど“長生き”にこだわってはいないが、なぜだか、

このときは妙に引っかかった。食べられないわけでは

ないのだから、そんなに体にいいなら食べてみるか。


妻が、翌日買ってきた。テレビがこの手の企画をやると

翌日、スーパーの棚がからっぽになることが多いのだが、

たっぷりあって拍子抜けしたそうだ。ハハハ。


品物はタカノフーズの“おかめ納豆”だ。デビューだから

30グラムの小さなやつだ。

刻んだネギをまぶし、タレとカラシをよく混ぜて食べた。

“ねばねば”はやっぱり好きじゃないが、味は、どうって

ことはなかった。これなら十分食べられる。なんなら、

ちょっと、おいしいかも。ハハハ。

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翌日からタレとカラシの量をうまく調節して食べている。

週末から2(60gr)に増やした。

これで、長生きできなかったら、渡部と山瀬のところに

化けて出てやる。ハハハ。


休んでいる間にかねてから“やりたい”と

思っていた“大事業”を完成した。

それがなにかはあえて書かない。

完成度が低いからだ。

もう少し形を整えてから報告したい。


by toruiwa2010 | 2018-08-13 07:24 | blog | Comments(4)

812日まで

長期夏季休暇中です。

“何か”が起きたら別です。

ハハハ。


by toruiwa2010 | 2018-08-09 12:09 | blog | Comments(1)

新婚時代を過ごした民間アパートに始まり、これまでに

8回、引っ越しを経験した。芦屋の単身赴任は含まない。

結婚から3年、風呂のない木造アパートで暮らしながら、

あらゆる機会をとらえて公団住宅に申し込んでいた。

雑司ヶ谷墓地の向かいに建った東池袋の公団アパートに

当選したときの喜びは忘れ難い。風呂があったものなあ。

ハハハ。


両親の家に二階を建て増して同居することになったのは

それから5年後だった。結婚して8年が過ぎていたから、

二人の家財道具も増えていた。


引っ越しの日、荷物の運び込みもほぼ終わっていた。

すぐ使うものから優先的に荷ほどきをしているところに、

年配の作業員が“恐る恐る”という感じで近づいてきた。

「奥さま、これを…」と、“あるもの”を差し出した。

岩佐家伝来の書だった。

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“岩佐邸案内”と墨痕鮮やかに書かれている。

“本文”はこうだ。


関ヶ原の戦(一六〇〇)に於ての功績

を称えられ岩佐徹之進が一六一〇年に

徳川家康公より贈られたのが当邸

である

この邸の見所は

広く長い鴬張りの廊下である(国宝)

作は左甚五郎 京都知恩院

にも鴬張りの廊下があるがあれは

岩佐邸を作るための試作品である

何故あちらの方があの様に有名

になったか合点がいかぬ

又 客殿の襖絵は丸山応挙

描くところの

“虎” (国宝) 

他にもたくさんの文化財国宝などが

あるが詳しくは右におる

美人ガイドに案内してもらう

が良い

第一八代 岩佐家当主 徹


車から取り出そうとしたとき妻が日曜大工で作った額が

壊れてしまったようだ。エライことをしてしまったと、

さぞ、焦ったことだろう。しかし、“焦った”のはむしろ

私たちだった。


いかにも古いものに見えるが、いたずらが大好きな妻が

字のきれいな私の母に書かせた“まがいもの”だった。

申し訳ない。ハハハ。

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新居は妻のアイディアで床も壁もすべて“板張り”にした。

引っ越し業者のオヤジさんたちは見回しながら言った。

「これは…まだ工事中なんですか?」。

そう来るか。ハハハ。


当時は額装してあったこの“書”はこれを機に掛け軸に

仕立て直し、今も、岩佐家の家宝として収蔵している。

引き継ぐべき子孫はいないのだが。ハハハ。

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ちなみに 我が家は引っ越しの“ベテラン”だが、すべてを

妻が仕切り、私は関与したことがほぼない。妻の指示で

“ごく”身の回りのものを段ボール箱に詰めるだけだ。

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また、母の書はかなりのものだったし、父も“味のある”

字を書いたが、私はどちらの血も受け継いでいない。

まことに残念!ハハハ。

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by toruiwa2010 | 2018-08-02 06:32 | blog | Comments(0)