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岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

カテゴリ:blog( 108 )

30代の半ばだったと思う。

巨人の北陸シリーズの試合を担当した。

小さな旅客機で小松空港に飛んだ。

あいにく、低気圧が通過した直後だったし、

私は風邪気味だった。


低いところを飛ぶ飛行機だったが、上空で

水平飛行に移って間もなく、はっきりした

気圧の変化を感じた。耳がキーンとなって

周囲の音が遠ざかった。それは長く続き、

翌日、球場につくころ、ようやく“正常”に

戻った。必死でやった“耳抜き”のおかげだ。


鼻をつまんだまま息を吹き込む“耳抜き”は

危険だとも言われているようだが、仕事を

控えて、そのままでは困るのでなおるまで

何度もおこなった。

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しかし、その後の数十年間、年に数回程度、

鼓膜が奥に押し込まれたような感じになる。

そうでないときも、左の耳は軽度の難聴だ。

ふだんの生活では困らないが、テレビで

ドラマなどを見ているとき、大事なセリフが

聞き取れないことがある。厄介なのは 私の

”適量”が妻にはtoo loudになることだ。


どこかで必ず妻から「ちょっとボリュームが

大きくない?」と声がかかる。それはつまり、

“大きいから下げよ”ということだ。

もちろん、下げる。その結果、登場人物たちの

セリフは不明瞭になる。“大いに困る”わけでは

ないからいいが、ドラマやニュースの音声は

出来ればちゃんと聞きたいものだ。かと言って

イヤホンを使うのは長いコードが邪魔だから

ためす気はない。


半年ぐらい前の「アメトーーク」でつっちーが

ピッタリのデバイスを紹介していた。

SONYのウエアラブル・ヘッドセットだ。

肩にかけて聞くイヤホーンだ。コードはない。

すぐ量販店に行ったが、数ヶ月待ちだと言われ

せっかちなので注文はしなかった。

ずるずると時間が過ぎ、先日、AMAZON

見つけたので、早速 取り寄せた。

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…快適だ。自分の好きなようにボリュームを

調節できるからストレスがない。リビングを

離れても耳元から聞こえるし。少し漏れるが、

妻から苦情が来るほどではない。ハハハ。


もう一つ”老い先短い“私を悩ませているのは

首…というか 背筋の痛み…というか 凝りだ。

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原因はおそらくマ・ク・ラだ。

去年の暮れに長年使っていた枕を変えた。

どうも、寝つきが悪く、眠れたと思っても

夜中に目が覚めて 眠りに戻れないからだ。

人生で初めて専門店で”診断”を受けた上で

値の張る商品を購入した。


…よく眠れるようになって喜んでいたのだが、

春ごろから 起きたとき、首から背中にかけて

痛みを感じるようになった。時間がたてば

消えるので医者にはいかない。



最近、床屋に行くようになり、散髪のあとに

やってくれるマッサージがバカに気持ちいい。

特に 小型の機械(バイター)を“患部”に当てて

もらうと、最高だった。


写真を撮り、ネットで探して注文した。

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…こちらは、まだ稼働していない。

背中のことだから自分ではできない。しかし、

妻は、7月に転倒してから左肩の痛みが続き、

まだ重いものを持てないからだ。したがって

バイターは部屋の隅で待機中のままだ。嗚呼
by toruiwa2010 | 2018-08-30 07:48 | blog | Comments(4)

昨日の夜何を食べたかを思い出せなくても

まったく心配ない。単なる物忘れだから。

食べたかどうかを忘れるようなら心配…

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年を取って物忘れが増えたのは事実だ。

スターや有名人の名前は典型だが、その他にもいろいろ

忘れたり、落としたりするようになった。

最近、国会図書館によく行くが、脱いだ帽子、出入りや

端末機械を使うのに必要なカード、複写やプリントした

ものを入れるためのクリアファイル…移動するたびに

何かを忘れている。

これらはすぐに思い出すから問題はなかった。


東京のタクシーはPASMOで支払えるものが多い。

先週、国会図書館に行った帰りのことだ。

走り出してすぐ、用意しておこうと短パンのポケットを

探ったが、ない。あれ、さっき使ったばかりなのに…と

思いつつシャツの胸ポケットを見たが、そこにもない。

最近、持ち歩いているショルダーバッグにもなかった。

まだ、1万円分ほど残っていたのに!


作業を終えて、最後にプリントアウトを受け取ったとき、

料金の14円をPASMOで払ったのはたしかだ。

そのまま、新館の玄関前に出て、電話を一本かけた。

落としたっとすればその間のどこかだが、PASMOじゃ

出てくるわけはないな、とあきらめて、JR四ツ谷駅で

新しいものを買った。

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翌日になって、念のために図書館に電話をしてみた。

“場所柄”、もしかして…と思ったのだ。


1枚、届いてます」と言われた。すぐには喜べない。

仮に届け出があっても、“無記名”のPASMOの話だから、

電話をする前から、それが“私のものだ”とどうやって

証明できるのか?と考えていたからだ。指紋を検査して

もらうわけにもいかず。ハハハ。


そのことを言うと、電話口の男性は「どこで落としたか

見当がつきますか?」、「残額を覚えてますか?」などを

質問してきた。

「プリントアウトの受け取りカウンターで使ったので、

そこから、玄関前までの間だと思う。正午を少しすぎた

時間帯だった」、「1万円を超えるか超えないかだったと

記憶している」と自信をもって答えた。


映画が始まる時間だったので、そこでいったん通話を

打ち切って、2時間半後にかけ直した。

「話がぴったり合う」と、カードが私のものだと認めて

もらえた。丁寧な対応にお礼を言い、翌日、受け取った。


名前までは分からなかったが、館内の利用者が拾って

届けてくれたのだと言う。性 善なる人が拾ってくれた

ことに感謝した。ハハハ。


世の中、捨てたもんじゃない…と思ったことは前にも。


5年前、京都に行ったときだ。

帰京から4日後にiPadを使おうとしたら、いつもの

ところになかった。反射的に“新幹線の中だ!”と思った。

帰京の車内で原稿を書いていたことを思い出したからだ。

一段落したところで 閉じて肘掛けに立てかけた。

「忘れないようにしないとなあ」と言い聞かせたのに、

まんまと忘れたのだ。ふだんは、窓側に座っている妻が

通路に出るときに気づいてくれるのだが、このときは

肘掛けとiPadが一体化するように置いてしまったので

気づかなかったようだ。


下車した品川駅の遺失物係に電話した。

妻との“共同作業”の結果、乗車した号車、座席番号を

正確に思い出せたから、簡単に東京駅で見つかった!

車庫で掃除の人が見つけくれたようだ。これも、感謝。


窓口が夜8時まであいているというので早めの夕食後に

出かけていった。

八重洲中央口近くの忘れ物承り所でグレーの愛器

見たとき心からほっとした。

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手続きをしている間も、「届けられていないか」と尋ねる

人が何人か訪れていた。“うっかり”さんが多いんだね。

ハハハ。


書きながら、もう一つ思い出した。しょうがねえな。

ハハハ。


4年前の夏だ。渋谷Bunkamuraで映画を見た。

公開を心待ちにした作品だったが、しょうもなかった。

上映開始から40分後に我慢できずに席を立った。

「買い物をするので本を読んで待っててくれる?」と

言い残して妻が地下の食品売り場に向かったあと、私は

ソファに腰を下ろしてKindleを起動した。

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しかし、妻の買い物はいつもはやいので、読み始めても

中途半端になるなあと思い、すぐに閉じて横に置いた。

スマホをいじっていると案の定、5分ほどで少し離れた

ところに 戻ってくる妻が見えた。


「“くまモン”が来てるの。写真を撮ってくれる?」。

いつも持っているカメラを忘れたのでスマホで撮って

ほしいと言うのだ。妻の“依頼”は絶対だから、すぐに

飛んで行って人ごみのうしろから数枚、撮った。


「じゃあ、帰ろうか」と歩き始めたとき、“手ぶら”で

あることに気づいた。やっちまった。ソファに忘れた!


近くの売り場の店員さんの手を借りて届けを済ませた。

望みは薄いけど、ソファに座っているとき、横にいた

老夫婦なら届けてくれそうな雰囲気だったから。

「何かあったら連絡します」と言われて食品売り場を

あとにして外に出たところでスマホを取り出した。

連絡があったときすぐ分かるように着信のチャイムを

オンにしようと思ったのだ。


すると…。留守電が入っていた。覚えのない番号だった。

もしかして?

BINGO! “もしかして”だった。ハハハ。


あまりの速さだったから、半信半疑でテープを聞くと、

「今、届きました」!!!


捨てる神あれば拾う神…ではないんだなあ。

忘れるKindleあれば届ける善意の人あり ということだ。

私より年上と思えたあのご夫婦だ。思った通りだった。

感謝しかなかった。

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映画は残念だったし、新品同様のKindleを一時的にせよ

なくしたときはガックリしたが、“終わりよければ…”の

典型のように素晴らしい日になった。


日ごろの行いがいい、とは決して言えない。

てっきり、“天罰”が下ったのだと思った。

しかし、天は“自ら佑るもの”を救いたもうたのだ。

ハハハ。


いやいやいや。書くほどに情けない。

iPadKindlePASMO…忘れたり落としたりしたのは

すべて“現代”のものだ。つまり、自分ではなじんでいる

つもりでも、どこかで“不似合い”なのかもしれない。


しかし、5年間に3度、ものをなくし、全部戻った。

“日ごろの行い”などに関係なく、いい人に恵まれたのだ。

この国はまだまだ捨てたもんじゃないよ。…という結論。

ハハハ。


by toruiwa2010 | 2018-08-28 07:42 | blog | Comments(2)

フジテレビ、WOWOWでスポーツ実況の

アナウンサーとして過ごした。

取材、資料の整理、実況…忙しく飛び回る

日々だったから、家と会社の往復に終わり、

周囲に気を配る余裕はなかった。


ちなみに、社会人になってからはまともに

勉強したことがない。大学時代は麻雀漬け、

高校時代は闘病とリハビリが中心だった。

テレビや新聞、週刊誌から得たもの以外で

私の脳に詰まっているのはほぼ中学までに

学校で学んだものに限られる。これでよく

アナウンサーとして大過なくやれたものと

今でも思う。イヤーな汗が出る。ハハハ。


テレビでクイズ番組を見ていても、国語や

漢字はなんとかなるが、歴史はからっきし、

理数系もお手上げで、次の問題に移るまで

時間の経過を待っている。


料理の名前や調理方法もよく分からないし、

花や草木の名前も情けないほど知らない。

関心がなかったのだから知るわけがない。

ハハハ。

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小松菜とほうれん草、ルッコラとバジルや

キャベツ、白菜、レタス、パセリの区別が

あやしい。並んでれば大丈夫(たぶん)だが、

ひとつずつ出されて、さあ、これは何?と

聞かれたら自信がない。


20059月で引退してから妻と一緒に

出かけることが増え、植物などにも

少しずつ目が向くようになった。

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昨日、外出の帰り、近所の家の塀を見て

ビックリした。通るたびに、楽しみに

していたブドウがなくなっていたのだ。

6月の末ぐらいに小さな実がなりはじめ、

だんだん色づいていくのを毎年見ていた。

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ツルごと、消え去った塀をながめながら

「食べたのかなあ」と夫婦で話し合った。

住宅地で育ったブドウはどんな味だった?


現役のころなら、実がなっても消えても

気づかなかっただろうに変わったものだ。

ハハハ。


by toruiwa2010 | 2018-08-23 08:13 | blog | Comments(0)

9日間、ゆっくり休んだ。とてもリラックスできた。

毎日、何か書かなければと材料を探し、考えをまとめて

一本仕上げるのには結構 エネルギーを必要とする。

リラックスできた…ということは、ブログを書くことが

もうすぐ80歳の爺には簡単なことではなくなっている

ことを示しているかもしれない。今日から再開するが、

臨時の休みが増えそうな予感がある。ハハハ。


さて、納豆がプチ・ブーム…なのかな?

スーパーやコンビニで手軽に買える今の若い人たちは、

東京では早朝の住宅地を納豆売りが回っていた時代が

あったことなど知らないだろうなあ。


ナット、ナット―、()ナット!

ナット―オ、ナットウ!


地域によって差があると思うが、売り子が叫ぶ売り声は

この2種類だった。私は前者だった。


うん?と思うかもしれない。

小学生のとき、中古の自転車が欲しくて“売り子”をした

ことがあるのだ。

5時ごろに起きて、農家に行き、ワラに包まれた納豆を

5本か10本仕入れて売りに行った。秋から冬にかけての

1,2ヶ月だった。早起きも寒さも厳しかったが、自分の

ためだからつらいとは思わなかった。

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戦後まもなくで 食料の乏しい時代だったから、納豆は

貴重な食べ物だった。だからよく売れたと記憶する。

ただし、母が毎晩 ご近所さんに声をかけてくれていた。

“レール”が敷かれていたのだ。ずるいな。ハハハ。


一方、岩佐家では父親がたまに食べるぐらいで、母親も

兄たちも納豆を食べる習慣がなかった。多くの人と同様、

“ねばねば”感がダメだった。ただし、体が受け付けない

というわけではないから“死ぬほど腹ペコで、ほかに

食べるものがない“状況なら、何も言わずにたいらげる…

その程度の“ダメ”だった。


そんな私が、休業中に“納豆デビュー”した。

キッカケはテレビ番組だ。すぐれた食品であることは

前から分かっていたが、先日の番組では大豆そのものの

良さを伝え、“長生きホルモン”の分泌にもいい影響を

与えると話していた。

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それほど“長生き”にこだわってはいないが、なぜだか、

このときは妙に引っかかった。食べられないわけでは

ないのだから、そんなに体にいいなら食べてみるか。


妻が、翌日買ってきた。テレビがこの手の企画をやると

翌日、スーパーの棚がからっぽになることが多いのだが、

たっぷりあって拍子抜けしたそうだ。ハハハ。


品物はタカノフーズの“おかめ納豆”だ。デビューだから

30グラムの小さなやつだ。

刻んだネギをまぶし、タレとカラシをよく混ぜて食べた。

“ねばねば”はやっぱり好きじゃないが、味は、どうって

ことはなかった。これなら十分食べられる。なんなら、

ちょっと、おいしいかも。ハハハ。

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翌日からタレとカラシの量をうまく調節して食べている。

週末から2(60gr)に増やした。

これで、長生きできなかったら、渡部と山瀬のところに

化けて出てやる。ハハハ。


休んでいる間にかねてから“やりたい”と

思っていた“大事業”を完成した。

それがなにかはあえて書かない。

完成度が低いからだ。

もう少し形を整えてから報告したい。


by toruiwa2010 | 2018-08-13 07:24 | blog | Comments(4)

812日まで

長期夏季休暇中です。

“何か”が起きたら別です。

ハハハ。


by toruiwa2010 | 2018-08-09 12:09 | blog | Comments(1)

新婚時代を過ごした民間アパートに始まり、これまでに

8回、引っ越しを経験した。芦屋の単身赴任は含まない。

結婚から3年、風呂のない木造アパートで暮らしながら、

あらゆる機会をとらえて公団住宅に申し込んでいた。

雑司ヶ谷墓地の向かいに建った東池袋の公団アパートに

当選したときの喜びは忘れ難い。風呂があったものなあ。

ハハハ。


両親の家に二階を建て増して同居することになったのは

それから5年後だった。結婚して8年が過ぎていたから、

二人の家財道具も増えていた。


引っ越しの日、荷物の運び込みもほぼ終わっていた。

すぐ使うものから優先的に荷ほどきをしているところに、

年配の作業員が“恐る恐る”という感じで近づいてきた。

「奥さま、これを…」と、“あるもの”を差し出した。

岩佐家伝来の書だった。

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“岩佐邸案内”と墨痕鮮やかに書かれている。

“本文”はこうだ。


関ヶ原の戦(一六〇〇)に於ての功績

を称えられ岩佐徹之進が一六一〇年に

徳川家康公より贈られたのが当邸

である

この邸の見所は

広く長い鴬張りの廊下である(国宝)

作は左甚五郎 京都知恩院

にも鴬張りの廊下があるがあれは

岩佐邸を作るための試作品である

何故あちらの方があの様に有名

になったか合点がいかぬ

又 客殿の襖絵は丸山応挙

描くところの

“虎” (国宝) 

他にもたくさんの文化財国宝などが

あるが詳しくは右におる

美人ガイドに案内してもらう

が良い

第一八代 岩佐家当主 徹


車から取り出そうとしたとき妻が日曜大工で作った額が

壊れてしまったようだ。エライことをしてしまったと、

さぞ、焦ったことだろう。しかし、“焦った”のはむしろ

私たちだった。


いかにも古いものに見えるが、いたずらが大好きな妻が

字のきれいな私の母に書かせた“まがいもの”だった。

申し訳ない。ハハハ。

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新居は妻のアイディアで床も壁もすべて“板張り”にした。

引っ越し業者のオヤジさんたちは見回しながら言った。

「これは…まだ工事中なんですか?」。

そう来るか。ハハハ。


当時は額装してあったこの“書”はこれを機に掛け軸に

仕立て直し、今も、岩佐家の家宝として収蔵している。

引き継ぐべき子孫はいないのだが。ハハハ。

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ちなみに 我が家は引っ越しの“ベテラン”だが、すべてを

妻が仕切り、私は関与したことがほぼない。妻の指示で

“ごく”身の回りのものを段ボール箱に詰めるだけだ。

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また、母の書はかなりのものだったし、父も“味のある”

字を書いたが、私はどちらの血も受け継いでいない。

まことに残念!ハハハ。

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by toruiwa2010 | 2018-08-02 06:32 | blog | Comments(0)

猛烈な暑さが続く中、土曜日に墓参りに出かけた。

何があってもいいようにと、妻は二人分の保険証を

バッグに入れていた。なんたって、“命にかかわる”

“危険な暑さ”…というのだから、備えはだいじ。

ハハハ。


岩佐家の墓は多磨霊園にある。

私が生まれる前に姉が亡くなり、そのための

墓だから購入したのは昭和10年ごろだと思う。

父が新聞記者だったことで“コネ”があったり、

アドバンテージがあったかどうかは不明だが、

今ではなかなか手に入らない霊園だ。

ずっと、墓石がなかったが、1988年に父親が

亡くなったときに私がデザインし、母の書で

建てたのがこの墓だ。

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去年の夏、母と兄の骨がここの“住人”になった。

母は2003年に亡くなっていたが、兄がそばに

置きたがったのでそのままになっていて、その

兄が施設に入ったのを機に去年の7月、私が

東京に持ち帰って納骨した。

すぐに兄が亡くなったので、今ではこの墓に

4人の骨壺が納まっている。


馴染みの石材店に立ち寄った。

数日前に電話して掃除をしてもらっていた。

多摩川線の多磨駅から歩いて10分ほどの

ところにある。歩いている間はそうでも

なかったが、店に入って掃除代を払い、

花を買っている間に驚くほどの量の汗が

噴き出し始めた。

頭や額から流れる汗をすぐに拭かないと

目の中に入ってしまう。瞬く間にタオル地の

ハンカチが重くなった。


墓に向かう。すでに猛烈に暑くて午前9時の

霊園にお参りする人は見かけなかった。

同じような景色が続くから霊園は方向感覚を

失いがちだ。以前、迷って入り口付近にある

管理事務所まで戻ったことがあり、家を出る

前にじっくり地図を見てきた。

目印は“塔”だ。横を抜けて広い通りに出たら

右に曲がったところに我が家の墓はある。


兄の一周忌だが、お坊さんはいない。法事は

いっさいしたことがない。作法も知らない。

花を供えて手を合わせ、頭を下げるだけだ。

買ってきた花束を妻が二つに分け墓の前に

向かうのは目のはしに入っていたが、突然、

姿が消えた! 転んだのだ!


20cmほどだが、“段差”があることをまったく

きづかなかったらしく、引っかかって派手に

前に飛んで倒れた。以前、吉祥寺の人ごみで

転倒して路面にアゴを強打したことがある。

ふだんから、写真を撮るなど一つの姿勢から

次の行動に移るとき、周囲を確認しないので

見ていてハラハラする。

今回はスネと肩だけで“済んだ”。


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そんなわけで、いつも以上に“そそくさ”と

墓参を済ませたが、帰り道の妻は終始 口数が

少なかった。2011年に 転んで鎖骨と足の指を

折ったことがある私は病院に行った方が…と

言うが、「大丈夫」の一点張りで耳を貸さない。


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翌日は日曜だったが、「一応、診てもらう」と

言い始めた。ぶつけた左の肩が上がらないと。

マンションの理事会があって私は同行できず、

病院に電話して事情を説明し、「9時以降なら

医師が対応できる」ことを確認したうえで

タクシーを手配して送り出した。

…骨折はなかった。やれやれ。


家族の墓にお参りするだけでこんなことになる。

確実に“老い”が進んでるんだね。トホホ。

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              サルスベリがきれいだった。


by toruiwa2010 | 2018-07-26 08:03 | blog | Comments(2)

1年前の昨日17日は祝日(海の日)でした。

電話が鳴ったのは12時半ごろですから、たぶん、

「バイキング」でも見ていたのだと思うのですが、

さだかじゃありません。


電話は、長兄が世話になっていた西宮の施設からで、

容体の急変を告げられました。急いで身支度をして

家を出ました。


12日にも「危ない」との電話を受けて芦屋に行き、

2泊して帰京したばかりで、覚悟はできていました。

4月中旬に急性肺炎で入院し、足の筋肉が衰えて、

歩くのが難しくなりました。これでは、本人希望の

自宅での一人暮らしはできなくなったので施設に

預けることにしました。

その際に、93歳という高齢に加えて、以前からの

間歇性肺炎が進んでいるからいつ何が起きても…と

医師から言われていました。


…その日、私が関西に向かっている間に兄は静かに

息を引き取りました。

先に駆けつけた次兄から知らされた私は、新幹線の

車中から、葬儀社を探し、手配を済ませました。

施設から「霊安室をできるだけ早く空けてほしい」と

言われたからです。“今にも”という患者が多いのは

知っていますから、“冷たいとは思いません。


翌日、私と次兄の家族だけで見送りました。

小さなお骨を手に帰京したのは翌々日でした。

2003年に亡くなってからずっと兄の家にあった

母の遺骨を東京に持ち帰り 納骨してからわずか

1週間後でした。


2月に芦屋に“単身赴任”して、兄の一人暮らしを

少しでもサポートしようと考えたのに、まったく

予期せぬ結果になりました。良かれと思ったのが

裏目に出たことにガッカリしました。

入院からの急激な変化に戸惑うとともに、自分の

行動が兄の死を早めてしまったのではないかとの

“後ろめたさ“が今もどこかに残っています。


しかし、ときどき様子を見に来ていた妻によれば、

入院中の兄の顔はとても穏やかに見えたそうです。

たしかに、見舞いに行っても、うとうとしている

時間が多く、あまり話しませんでしたが、必要な

会話には笑顔で応じていましたし、金銭がからむ

微妙な用件でも私を全面的に信用してくれました。

買い物に行くスーパーで店員とかわす言葉以外に

人と話す機会がなかった兄には、差し出がましい

私の存在も嬉しかったのかも…と思いたいです。


JR芦屋・阪急芦屋川駅の時刻表、行きつけだった

何軒かの食べ物屋さんの電話番号、世話になった

病院の電話番号…昨日、スマホのホーム画面から

アイコンが消えました。

わずか1年というのに、いろいろあった芦屋での

日々は遠いものになりました。

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一周忌ですが、妻が買ってきた花を飾っただけで

無宗教の我が家は“法事”はしません。


墓の掃除を頼んでおきましたから、近いうちに

妻と一緒にお参りに行きます。

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青きまま 柿ひとつ落ちて 一周忌


by toruiwa2010 | 2018-07-18 06:23 | blog | Comments(0)

今のマンションには2003年の新築当時から住んでいる。

中庭に小さな人工の池があって、そこに毎年カルガモが

やってくる。必ず“一つがい”だ。まさか、同じ個体とは

思わないが、脈々と続いていて途切れることはない。

親から子へ、子から孫へ「あそこに、雰囲気のいい

池があるぞ。食べるものは何もないけど、静かだよ。

リラックスしたいときには行って一休みするといい」と

言い伝えられているのだろう。

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2010624日の朝だった。

ごみを出し、新聞を取って部屋に戻ろうとしたとき、

数人の子供が池にカメラを向けていた。

「この季節にまだカルガモが来てるんだ」と思った。

例年なら、早ければ3月から飛来し始め、5月下旬には、

もう来なくなるのに。


いつものカモに子ガモがまとわりついていた!

全部で9羽も!!テニスボールほどの大きさのヒナが

親ガモを囲んでいる姿に興奮した。


しかし、すぐに“心配”が…。周辺に“たむろす”カラスだ。

そして、食べ物。底に生えているコケのようなもの以外、

エサになるものはほとんどない池だから。


しかし、翌朝には、もう姿が見えなくなっていた。

あとで分かったのだが、その日のうちに、母親はヒナを

引き連れ、隣接する公園の芝生を横切ってその先にある

田んぼまで移動していたらしい。

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マンションの廊下を行く一家。住人による奇跡の一枚。


ルートはどうしたのか?

公園には結構人がいるし、散歩中の犬もいる。

生まれたばかりのヒナを連れてどのように?

いくつもの疑問が生まれた。

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翌日の午後ウォーキングに出た私は、田んぼから直線で

50㍍ほどのところを流れる神田川で“彼ら”を発見した。

母ガモの周りを一団になって泳ぐヒナたちの愛らしさ!


この日から、私は“カルガモ探検隊”になった。ハハハ。

毎日のようにカメラを持って神田川に出かけた。そして

一家を通して“生きものの不思議”を観察した。


カルガモのオスは勝手な奴で、ヒナが孵ったその日から

どこかに消えてしまう。“育児”は母親に任せ放しで。

私がしっかりしなければ…と、母も逞しいけど。


初めのうち、川を上ったり下ったりしていて、どこに

いるかが分かりづらく見つけるのに苦労した。ほかにも

子供連れがいるから紛らわしいのだが、“9羽のヒナ”が

目印になった。

連日の猛暑に負けず(カモじゃない、私がw)、川沿いを

歩き回って追いかけた。

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母親は片ときも目を離さずにヒナたちを見守っている。

ヒナがエサをつついているときも自分はほとんどなにも

食べていない。

また、育ち盛りのヒナたちは日に何度も昼寝をする。

安全のため、茂みにもぐりこんで寝ることが多いから、

見つけにくいが、この場合の目印は母ガモだ。茂みから

顔を出してじっと流れの方を見つめているので分かる。

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昼寝は30分のときもあれば1時間ほど続くこともある。

じっと待つ。あるいは、ほかの家族を見て戻ったりする。

起点は常に“うちのカモ”だ。ハハハ。


スクスクと育っていった。


豪雨で水かさが増したら流されないか?

カラスにさらわれないか?イタチがいるという話も聞く。

…心配の種は尽きない。

ほかの家族だが、ある日、1ヶ月ぐらいのヒナたちが

茂みに首を突っ込んで食事をしているなと思っていたら

少し離れたところから 突然、けたたましい悲鳴のような

声が聞こえた。


兄弟で喧嘩でもしているのか…と思って声がした方向に

目を向けると、1羽の子ガモが羽をばたつかせながら

川の中央に飛び出してきた。幼くて飛ぶ力はまだない。

仲間の3羽がついてきたが、喧嘩ではなかった。

白いヒモのようなものを引っ張っていた。ヘビだった!


茂みにひそんでいるのに気づかなかったのだ。ときどき

見かけていたから、川にヘビがいることは知っていた。

母ガモも知っていたはずだが、油断したのか?


必死に振りほどこうとしているが、時間の経過とともに

ヘビがしっかり巻き付いていった。そのままゆっくりと

流されて行った。子ガモの泣き声はだんだんと弱まり、

やがて聞こえなくなった。

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タカが野ウサギを捕まえたり、チーターがインパラに

襲いかかるシーンなどを見ても可哀そうだとは思うが、

“自然の掟”として納得できる。しかし、特別の関心を

持って見守ってきた生き物が襲われて絶命するシーンは

ショックだった。


わずかな救い、「そうなんだ」と感心したことがあった。

“惨劇”が起きたとき、初めはそばにいた家族が騒いだ

だけだったが、次第にその数が増えていき、最後には、

ばらばらの三つのグループ、12羽が集まっていたのだ。

この川でこれだけの数のカルガモが集まっているのを

見たのは初めてだった。何もできないのだが、息絶えた

仲間を静かに見つめていた。ふだんは、“交流”がなく、

むしろ接触を避けているように見える家族同士なのに、

こういうときには仲間意識が強く働くのだと分かった。


“ウチの”家族は梅雨の時期の大雨も乗り越え、カラスや

ヘビの襲撃も免れてすくすくと育ち、8月中旬ごろから

母子の見分けがつかないほどになった“一家”は少しずつ

ばらけて行った。


なるほど、独立させるために、母ガモの主導で“分家”を

進めているのだ…と“カルガモ探検隊”は考えた。ハハハ。


一家、成長のあと

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誕生から6日目、元気よく泳いでいた。

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生後半月、よく食べ、よく眠りすくすくと。

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生後1ヶ月、母ガモの半分を超える大きさに。

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生後6週間 大きくなったが母は心配。

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8/12生後50日、区別がつかなくなった。

この日、成長の早い数羽が飛び立つ練習をしていた。

残念ながら“巣立ち”の場面は確認していない。

しかし、生まれた日から数えると7週間、

ほぼ毎日、一家を追った。楽しい時間だった。

8年になるんだ。もうあのころの元気はない。


by toruiwa2010 | 2018-06-28 07:21 | blog | Comments(0)

およそ30年前に一冊の歌集が出版された。

俵万智の「サラダ記念日」だ。


『この味がいいね』と

君が言ったから

七月六日はサラダ記念日


本のタイトルはこの短歌からとったものだ。


…かなりの“こじつけ”だと自覚しているが、連休直前の今日は

個人的な記念日、“めでたい日”だ。


テニス解説の柳恵誌朗さんのファンだという青年から突然

メールをもらったのは2003年の3月末だった。

「手伝いますからHPを始めませんか?」という内容だった。

当時まだ、“ブログ”ではなく、Home Pageという言い方だった。

個人がfacebook的なものを作り、コンテンツのひとつとして

日記を書く…それがのちにブログと呼ばれるようになった。


以前からやってみたい気持ちは持っていたが、実況に必要な

情報をネットで探すだけで精一杯の私の手に負えるものでは

ないと分かっていたのであきらめていたのだ。

「原稿を書くだけでいい、あとはずべて私がやりますから」と

説明されて心が動いた。私の場合、ちょっとでも気持が動くと、

一気にその方向に流れる傾向がある。このときも同じだった。

ハハハ。


4月下旬には始められますよ」と言われたのが決め手だった。

5月上旬からチャンピオンズ・リーグSFの現地実況があり、

そのあとに全仏オープンも控えていた。話題が多いその時期に

開設できるのなら絶好のタイミングだな、と思ったのだ。

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デザインから使う色まで、すべて私の希望通りに出来あがった。

当初、HPのタイトルは“岩佐徹のon-air/off-air”とした。

現役アナとして、放送席で思ったこと、そこを離れたときに

思ったことを書きますよ…というつもりだった。

現在のOFF-MIKEにしたのは引退したあとだと記憶する。

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こうしてスタートしたのが2003427日。そう、今日が

15回目の“ブログ記念日”ということになる。こんなに続くとは

思いもしなかったなあ。それなりに感慨があるわ。


「始めませんか」と

青年が言ったから

四月二十七日はブログ記念日 …ハハハ。


15年の間には 私の人生と同じようにいろいろあった。ハハハ。

まず、その年の8月に“人生初の炎上”に遭遇した。

「ぬっ殺す!」、「死ね」、「恥を知りなさい」…一生分の罵声を

浴びたなあ。どうってことなかった()はずの記事だったのに。

「リーガ・ゲッツ!」…忘れがたい。 ⇒ goo.gl/ci4G1Y

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YAHOOに移り、2011年からはEXCITEで“営業中”だが、

ホンネを隠すことが多かった現役時代をのぞけば、少からず

毒を含んだ記事の中身は終始 変わってない。

要するに、気ままに書いている。

“お叱り”を受けることもあるが、数年前の“超スローボール”

がらみ以外はおおむね想定内だ。ハハハ。

自分が好きな人物や事柄を少しでも悪く言われると、がまんが

ならない人が必ずいる。誰にでも好かれる記事を書くつもりは

ないから、なかなか“読者”が増えない。

増えない…どころか、このところ、はっきり減る傾向にある。


ブログについては考え方を柔軟にしようと思います。

“毎日書く”にこだわって無理をしてきましたが、

今度こそ本当にペースダウンを視野に入れます。

とりあえずの方針は“適当に休む”です。ハハハ。

平均のアクセスが500を切り続ける体たらく

なったら、“毎日”書くことを放棄して、書きたい

ことがあった日にだけ書くことにします。

“あがく”のをやめるということです。


年の初めにそう書いた。

黙っていたが、3月ごろから平均アクセスが500/日を

切り続けている。気づいてる人もいるだろうが、そのうちに

持ち直すかもしれない、と“あがいて”いた。ハハハ。


書くものの傾向は変わっていないはずだが、それが面白くない、

あるいは、飽きられた、ということだ。

先日、サッカー・ライターについて書いた日に 久しぶりに

1000件を超えたりするので、“スケベ”心が頭をもたげるのだが、

いろいろ考えなければいけない。ストレス解消、ひまつぶし、

ボケ防止としてブログは最高だから、一気にやめることはない。

今後も 私の実況を愛してくださった方、私の書くことに共感を

覚えていただける方、むっとすることもあるがおおむねOK

おっしゃる方たちを読者に想定して書いていくことにする。

それ以外の方には責任を持ちかねる。ハハハ。


ご愛読御礼

最後になりましたが、減ったとはいえ、

変わらずに読みに来て下さるみなさん、

心が折れそうになりながら、こうして

なんとか続けられるのはあなた方の

おかげです。有難うございます。

これからもっよろしくお願いします。

       ブログ主:岩佐 徹


by toruiwa2010 | 2018-04-27 08:04 | blog | Comments(5)