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岩佐徹のOFF-MIKE

toruiwa.exblog.jp

実況、ドラマなど放送全般、映画、スポーツ全般、 旅、食、友 etc

カテゴリ:芦屋から( 22 )

個人的に“激動”の1年を振り返っておきたい。


正月を迎えたとき、長兄のことがハッキリと私の頭にあった

わけではなかった。電話ではたまに安全を確認していたものの、

去年の春から長い間、顔を見ていないことが気になり始めた。

92歳の一人暮らしだ。こちらもどんどん年を取っていく。

何かがあってからでは間に合わないぞ…と。


111日、日帰りで会いに行った。

相変わらず、自分で買い物に行くなど、身のまわりのことは

助けを必要としていないように見えた。しかし、あまりにも

部屋が汚れていることに呆然とした。視力がほとんどないから

兄の眼はその汚れを認識していないのだった。


ばたばたと私の“単身赴任”が決まった。

気持ちが先行し、時間をかけて話し合わずに決めてしまった。

妻には申し訳なかったと深く反省している。


21日に芦屋に“転居”した。

兄のマンションから100㍍のところに部屋を借り、1日おき

ぐらいのペースで通った。兄は喜んでくれた。…と思う。


じっくり説得して、施設に入ってもらったら東京に戻ろうと

考えていた。半年、1年はかかるだろうと覚悟していた。

しかし、5月半ばに兄が肺炎で倒れて入院した。

回復に時間がかかり、2週間をすぎたころ「年齢が年齢だから、

治ったあとも自力歩行が難しい」と主治医に言われた。

情報をもらって受け入れ先を探した。苦労が多かった人なので、

せめて”最後”は穏やかに過ごせるところで…と懸命に探した。

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運よく、医師・看護師が常駐し、“最期”まで看取ってくれる

病院が見つかり、肺炎がおさまった6月半ばに転院した。

清潔で、医療の眼が行き届く施設に入れたことでほっとした。

兄が新しい環境に慣れたら私は東京の自宅に戻り、月に一回

程度のペースで通うことにしようと考えた。


…今度は、私の体調がおかしくなった。“ストレス”が原因だと

思うが、胃の上部が重くて眠れないほどになってしまった。

つい先日まで兄が入院していた病院で胃と大腸の検査を受けた。

「何もない」と言われた。「これなら、大腸の内視鏡は5年後、

胃カメラも3年後でいいでしょう」と。

ただし、強烈な胃もたれは一向に収まらず、あらめて、自分も

78歳だという事実に思い至り、慌てた。残された夫婦の時間も

大事にしなければと。


「通えばいいさ」と、6月いっぱいで芦屋を引き払うと決めて

残っている”仕事”を大急ぎで片づけにかかった。

まず、残念だが、主が戻ることがなくなった兄のマンションを

売りに出した。誰も住まないまま“空き家”状態にしておくのは

よくないと兄も気にしていて、時期や価格などのいっさいを

私に任せてくれた。プロを頼んで、中を空っぽにした。

急いだのは、私が芦屋にいる間の方が何かと便利だからだ。


余談だが、私が仮住まいする部屋の契約、詳しくは書かないが、

兄のために用意したマンションの購入、入院して、そこには

移れないと分かった時点で売却、住んでいたマンションの売却…

半年の間にこれだけの不動産に関わる交渉をした。


保証人、本人からの委任状、住民票、印鑑証明、戸籍謄本…

やることが山ほどあって驚いた。加えて、“役にも立たない”

説明を長時間 聞くのはこらえ性のない私には“拷問”だった。

ハハハ。


私が自宅に戻ったのが71日、兄が亡くなったのが17日…

入院のあとの弱り方を見ていたから、覚悟はしていたのだが、

あまりの“あっけなさ”に茫然とした。

見送った側は、“孤独死”させなくてよかったと思うが、私が

バタバタしたことで兄に無用のストレスを与え、そのことが

死を早めたのではないか…と考えるときもある。

穏やかな顔をしていたことが救いだ。


そのあとのことは、先日書いた通りだ。

まだ、遺産の相続は完了していない。


激動の1年だった。後半も芦屋の日々が尾を引いた年だった。

気がつけば…は白々しいが、新しい年がすぐそこまで来ている。

どんな年になるのか。

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by toruiwa2010 | 2017-12-29 08:40 | 芦屋から | Comments(4)

先月半ば、京都で紅葉をめでたあと、芦屋に行った。

長兄が遺した資産の相続の整理を銀行に依頼してあったが、

その作業が大詰めに近づいていた。

さかのぼって、記憶を頼りにできるだけ詳しく書く。


7月半ばに兄が亡くなった。

私はすでに芦屋を引き払い、東京の自宅に戻っていたので

時間を節約する目的もあって慌ただしく事後処理をした。


昼近くに“危篤”の知らせを受け、すぐに自宅を飛び出した私は、

夕方には病院につき、事務の人たちと所定の手続きを済ませて

新幹線の中から手配してあった車に兄の棺を乗せて葬儀社に

運んでもらった。慌ただしすぎるが、事情はこうだ。


新幹線の私に電話があった。病院に先着した次兄からだった。

「病院の霊安室はできるだけ早く開けてほしい」と言われた…

ということだった。病院に紹介されたいくつかの葬儀社に

新幹線から電話して、費用や病院との距離などで一社を選び、

とりあえず車を手配したのだ。


翌日、市内で荼毘に付した。列席したのは 私と、市内に住む

次兄の家族だけだ。兄を愛していた妻は来なかった。決して

冷たいわけじゃない。

“亡くなった顔は見たくない。元気なときの顔を覚えておきたい”

という考え方を持っていることを知っているし、ほかの事情も

あったので来なかった。私が了解していればそれでいい。

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その日のうちに、銀行に行って口座を閉鎖、近くの郵便局に

回って、同じく口座の閉鎖と郵便物の東京への転送を頼んだ。

翌日は 再び銀行で兄の遺産整理を依頼する手続きをした。

私は東京に帰るし、持病を抱えた次兄はあまり動けず、相続に

関わる膨大な作業はとても手に負えるものではないと判断して、

相談した結果、銀行に任せることにしたのだ。


膨大な作業…とにかく、やることが山ほどある。

全貌はよく分からないが、相続人が次兄と私だけであることを

確定させるために かなり“さかのぼって”確認する必要があり、

そのために、たくさんの戸籍謄本を取り寄せることから始まる。


亡兄の場合は、後述する”遺言信託”のために、途中まで作業を

進めていたので 多少 手間が省けたらしい。いずれにしても、

これに加えて、兄の資産を確認する。負債がないかを確認する。

亡くなったあとも払う金、入ってくる金があって、その“プラス

マイナス”を処理する…細かい作業だし、専門的な知識がないと

とても対応できない。


兄が亡くなったあと“相続人代表”になった私のところには、

その後、かなりの量の書類が郵送・転送されてきた。

税金など、払うべきものは払い、兄に代わって受け取る金を

振り込んでもらう口座を連絡する。

たとえば、口座を閉めたために受け取れない年金がある。

“未払い年金”と言う。私が相続人代表であることを証明して

申請する。送られてきた書類には、同居していたか、家計が

一つだったかなど、未払い年金を受け取る資格を証明せよ…

的な設問が並んでいた。電話をして「同居はしていなかったし、

家計も別だった。近くに部屋を借りて週に何度か通って世話を

していた“だけ”だ。これは資格なしということか?」と問うと、

「いや、その旨書いてくれれば認められると思う」と言うので

その通りにした。

…振り込まれるまで2ヶ月半かかった。


遺産整理はなかなか進まなかった。

8月初め、芦屋の銀行で委任の契約を交わしたのと並行して

次兄と私の相続税申告、亡くなった兄の今年の準確定申告を

税理士に依頼した。


3ヶ月が経過して、呼び出しがかかったのが先月半ばだった。

亡兄が遺した財産の目録が完成した。各金融機関に連絡して

残高を確認したり、証券会社で保有する株や証券を確認したり…

そりゃまあ、時間がかかるのはしょうがないなあ、という感じ。

ハハハ。


次兄と私に、税理士と遺産整理チームのリーダーが説明した。

要は、「お兄さんはこれだけの財産を遺しています。あなた方が

相続するのはそれぞれこういう金額になります」ということだ。

こまかいし、聞いても理解しきれない二人の話を聞いたあと、

「これで結構です」という承認の書類、今後の作業に必要な

書類への署名と押印をして、ほぼ1時間で終わった。


最終的に財産分割が終わって私たちの口座に振り込まれるのは

まだ先の話だ。まず、証券類の売却に相当 時間がかかるそうだ。

たぶん、年をまたぐことになるだろう。急がないし。

証券会社にしてみれば、“金が逃げていくのだから”と 処理する

優先順位があとになるようだ…と、これは別の銀行関係者の話、

真偽のほどは分からない。ハハハ。


後述する…とした“遺言信託”については

改めて書くことにします。

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by toruiwa2010 | 2017-12-11 08:17 | 芦屋から | Comments(2)

今日、私は芦屋にいます。

630日に東京に戻ってから約50日ですが、

この間に5度目の“芦屋詣で”です。そんなに

この街が好きってわけではないのですが。

ハハハ。


今回の目的はマンション売却の最終決済です。

6月初旬に“要介護5”と認定され、残念ながら

兄が 入院まで住んでいた家に帰る可能性は

ゼロになっていました。誰も住まない状態が

長引くのはよくないし、管理費など諸経費も

ムダだからと、話し合って売ることにしました。


母が亡くなったあと、ずっと押し入れに入れた

ままになっていた布団類や引き取り手のない

冷蔵庫、洗濯機などの電化製品から古い家具まで

全部“コミ”で処分してくれる業者の手で大掃除を

してもらい(22万円かかりました)、懇意になった

不動産屋に売却を依頼したのは芦屋を引き払って

東京に帰る直前の6月下旬でした。


かなり“傷んで”いるから高くは売れないだろうと

思っていたのに、結構な値段をつけて売りに出すと

たちまち買い手が付きました。しかも、複数!

7月上旬に相手を決め、兄の容体が変わったとの

連絡を受けて駆けつけたあと(このときは回復)

14日には早々と売買契約を結びました。

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帰京するとすぐに不動産屋から朗報が届きました。

買主の資金計画の関係で最終決済(残金を受け取り、

鍵を渡し、持ち主が変わる)は月末の予定でしたが、

それも繰り上がって720日になったのです。


20日には兄の資産の90%が一つの口座に集まる…

そうなれば、兄をもっとレベルの高い(費用もかかる)

施設に移す、入院生活が長期になる、亡くなる…

どんな事態が起きても対応できる。兄の代理人として

私が口座のお金を動かせるようにしてあったから。

…すべてがこわいぐらい順調でした。


しかし、17日の昼過ぎ、ふたたび施設からの連絡。

15分後には家を出ましたが、あとで聞くと、私が

新幹線に乗るころに兄は息を引き取ったようです。

入院したときに、担当医師から「間質性肺炎の状態が

ひどい上に心臓にも問題がある。いつ、どうなっても

おかしくない」と告げられていました。5日前にも

同じ状況になっていましたから覚悟はしていました。

93年の人生のほとんどを一人で頑張ったのですから

「もういいよね。ご苦労さま」という気持ちでした。


しかし、“本音”を言えば、私の勝手な都合ですが、

あと3日、20日まで生きていてほしかった…です。


17日に亡くなったことで話がややこしくなりました。

14日に成立した売買契約はあくまで兄と買主の間の

取引で、私は代理人として機能しただけです。

買主はこの日、手付金を振り込みました。15-17日が

連休だったため、兄の口座への入金は18日でした。

時系列的には“亡くなった翌日”になります。


関係者の間では、20日の直前に兄が亡くなったときは

決裁を済ませ、残金を兄の口座に振り込むところまで

やってしまおう、誰も傷つくわけじゃないのだから…

という話になっていました。しかし、現実に直面すると、

銀行に告げず、素知らぬ顔で手続きを進める“度胸”が

私にはありませんでした。これまでに何度も顔を合わせ

なじみになっている銀行員に事実を隠す形になることを

ためらったのです。


“亡くなった日”についての話を長々と書いているのは

“口座の閉鎖”がかかわってくるからです。

身内が死んだとき、遺された家族は役所に死亡届を出し、

金融機関に連絡して口座を閉じてもらいます。これで

故人の資産は動かせなくなるのです。出金だけでなく

入金もできなくなります。


売買契約は済んでいるし手付金もうたれているものの、

残金を払い込むところがなくなってしまったのです。

返金することもできないし、私の口座に振り込むことも

できません。

兄が亡くなった翌日、不動産屋に行き「これから銀行に

報告する。“売買”はいったんストップしてほしい」と

話すと、理解し、買主の了解も取り付けてくれました。

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葬儀のあと、もう一人の“相続人”である次兄と話し合い、

これまでの経緯もあるのでマンションは私が相続する

ことにしました。さいわい、買主の“購入したい”という

意欲に変わりはなく、相続の手続きが終わるまで待つと

言ってくれました。


手続きをスピードアップすることにしました。買主を長く

待たせるのは申し訳ないと思ったからです。

東京に戻った翌日、兄の本籍がある太田区役所に行って

改製原戸籍を取り、手続きを代行してくれる司法書士への

委任状とともに送付しました。

実は、並行して 銀行に遺産の整理を頼むことにしたので、

必要な書類はほかにも山ほどあり、へとへとになりました。


…若い司法書士が頑張ってくれたおかげで 予想よりも早く、

今日、マンションの売却は完了しました。

阪神・淡路大震災後の1999年に兄が手に入れたマンションは

18年後、購入金額より50万円安いだけの値段で売れました。

代金は、もうこの時間には私の口座に入っているはずです。

有意義に使わなくては と肝に銘じています。


遺産相続については別の機会に書きます。

参考になるかもしれません。


by toruiwa2010 | 2017-08-18 08:43 | 芦屋から | Comments(2)

週末、慌ただしい旅をした。

行った先は芦屋だ。当面、芦屋以外に出かける予定はない。

そして、慌ただしくない旅も、たぶん、ない。ハハハ。

主たる用件は胃と腸の内視鏡検査の結果を聞くことだった。

検査当日に話してくれればいいのに…とだれもが思うが、

麻酔が残った状態で話しても頭に入らないからだそうな。

たしかにそうだね。前の記事を読めば合点がいくと思う。


予約の前日に東京を出た。遅れると厄介だもの。

まず、兄を見舞った。一週間ぶりだ。

看護師さんが微熱があると言っていたが、握手をすると

たしかに温かかった。

“熱”という単語を聞くとどうしても肺炎を連想する。

体力が落ちていると分かっているだけに怖い。


芦屋に行き、兄のマンションに寄ってポストのチェック。

郵便は私の住所に転送するように手配済みだが、芦屋に

来たときは念のためにポストをのぞくことにしている。

溜まったチラシの処理もしないといけないし。

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そのマンションには早くも引き合いがあったようだ。

売却を頼んだ不動産屋が、業者関係に情報を流したところ

食いついて来たそうだ。かなりのリフォームが必要だから

高くは売れまいと覚悟していたが、業者が売り出した価格は

私の想像を超えていた。そんな値段じゃ売れっこないよ…と

思っていたが、“蛇の道は蛇”と言うべきか、“餅は餅屋”と

言うべきか。ハハハ。


2社が下見に来たと言う。幸先がいい。


元町にホテルをとつていた。

東京を出るときは2泊の予定だったが、フロントで一泊に

変えてもらった。その後も胃の調子があまりよくないからだ。

いつまでもしつこいやつだ。たちの悪いものなのか?


チェックインをすませ、すぐに食事に出た。ホテルから近い

中華街には美味しそうなものが並んでいたが、重いものは

無理そうなので敬遠し、アーケードの中ほどのレストランで

コーンスープとビーフシチューを食べた。

デザートにショコラも。小さいやつだ。ハハハ。

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翌日、予約時間よりかなり早めに病院について待っていると

不動産屋から電話が入った。早くも1社からオファーがあり

その額は“言い値”から50万円引いたものだという。なぜ、

50万値切るのか、私には分からん。リフォーム代を加えたら

かなりの売り出し価格になる。で、それでも儲けが出るわけだ。


あとで知ったのだが、もう1社は「言い値通りで買いたい」と

言ってきたそうだ。

待てよ。それなら、もう100万円高くても売れたんじゃない?

素人はそう考えがちだ。しかし、この価格を提示したたから

買い手の“アンテナ”に引っかかったのだとも考えられる。

そこが“プロの勘”だろう。そういうことにしておこう。

ハハハ。


検査の結果は上々だった。

診察室に招かれてすぐ、「なーんにもありませんでしたよ」と、

医師はむしろ残念そうな口調で告げた。たくさんの写真を見せ、

どこにも問題はないと話してくれた。「大腸は5年、胃の方も

3年はカメラをやらなくて大丈夫」とも…。

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医師は“事実”を告げているだけだから、患者が有難がることは

ないのだが、思わず、「有難うございます」と言ってしまった。

ほっとした。絶対に何かあるはずだと思っていたもの。


駅前の市役所出張所で兄の印鑑証明をとって不動産屋に向かった。

「帰りに寄ってほしい」と言われていたからだ。

ほぼ“言い値通り”のオファーをしてきた2社から1社に決めた。


兄を見舞って帰京したあとも、不動産屋とのやり取りがあったが、

兄のマンションの売却にメドがついた。やれやれだ。

逆に、“消化器系に問題なし”も含め、あまりにもいいことづくめで

少し不安も感じていた。こんなにうまくいっていいのか?


ビンゴ!


by toruiwa2010 | 2017-07-12 08:19 | 芦屋から | Comments(3)

・・・つづき


断続的に“たちのわるい”胸焼けが起きることで不安になった。

本当は7月中旬まで1ヶ月ぐらいは兄の様子を見定めてから

東京に戻ろうと決めていたが、身体に何かが起きているなら

東京のかかりつけのドクターと相談するのが得策だと思った。

妻と話し合い、急だったが、30日に引っ越すことにした。

とたんに慌ただしくなった。


兄との間で、残念ながらもう戻ることがないマンションを

売ることになっていた。兄の思い入れの強いものについては

私の家で預かることにしたが、私も断捨離&終活中だから

量はごくわずかだ。残りは業者に引き取ってもらうしかない。

家一軒のクリーニング…初めての経験なので、どうなるのか、

費用がどうなるのかは まったく分からなかった。

引っ越しと合わせて、3軒に見積もりをしてもらって決めた。

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70万円から22万円まで、業者によってとんでもない差が

出ることが分かった。若いカップルの業者が、3日をかけて、

びっくりするほどきれいにしてくれた。

同時に、兄が最愛の母と暮らした思い出の場所は消えた。


見積もりに立ち会う合間を縫って、私は兄の施設にでかけた。

担当医師に会って、近く芦屋を去ること、見舞いに来る回数・

頻度が減ること、連絡があればいつでも駆けつけること…

などを話した。兄の“病状”に対応した治療の仕方については

入院時に十分な説明を受け、同意書にサインしてある。

“事情”を知っている医師は「心得ました」と応じてくれた。


27日、“大掃除”が行われているころ、私は病院にいた。

28日に上部・下部消化管内視鏡検査(胃と腸のカメラ)

やるのだが、大腸内視鏡の検査を受けるときには前夜から

入院することにしているのだ。まさか、兄と同じ病院に入り、

同じ病衣を着ることになるとは思いもしなかった。ハハハ。

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28日は早朝から下剤の入った薬液と水をたらふく飲まされた。

8時半ごろには私のおなかはすっかり空っぽになっていた。

それからの“待ち”の時間の長かったこと。

「お待たせしましたあ。岩佐さん、さあ、行きましょう」と

看護師さんが迎えに来たのは4時近くだった!


検査は麻酔?をかけて行われたため、まったく覚えていない。

深い眠りから目が覚めたとき、看護師さんが会計の仕方などを

説明中だった。麻酔が残っている状態で退院したみたいだ。

金を払った記憶がはっきりしないため、翌日、病院に行った。

東京都民として“跡を濁す”わけにはいかないもの。ハハハ。


「すでに払われている」と言われた。

精算するとき 請求書のバーコード部分を機械にかざすのだが

その記憶がない。聞くと、カードで払われていると言う。

しかも、すでに会計の窓口が閉じたあとだったから、地下の

救急の窓口で払っていると!


霧の向こうから、記憶が少し蘇ったが、全体はぼやけている。

怖いなあ。検査の結果は77日の診察のときまで分からないし、

いろいろ、不安が残った。


29日は銀行、不動産屋と会って今後のことを話し合った。

妻と一緒に兄の見舞に行った。マンション売却に伴う作業を私に

任せる委任状にサインをもらう必要もあった。字を書くことは

負担になるので気が気ではなかったが、頑張って書いてくれた。

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30日の引っ越し作業は順調に終わり、1時半の新幹線に乗れた。

新大阪を離れたのぞみの小さなテーブルには母の遺骨が載って

東京への旅を共にした。妻は“ふさわしい”袋を用意していたが、

今回は慌ただしく家を出たために持ってきていなかったので

遺骨が納まったのは成城石井のショッピングバッグだった。

父が亡くなったあと、1989年に芦屋に移った母にとっては

28年ぶりの帰京になった。


遺骨を東京に持って帰ることについては一度 話してあったが、

前日、兄を見舞ったときにこの話をすると、安心したような

顔をしていた。

近く、父と、幼くして失った娘が眠る多磨墓地に埋葬する。


地元駅について簡単な買い物を済ませたあと、口実を作って

妻を先に帰らせた。“寄り道”をして、東京に戻るときには

そうしようと、ずっと考えていたことを実行するためだ。

精神的に厳しいことの多かった単身赴任生活を支えてくれた

妻に感謝とねぎらいの花を贈る…50年を超える結婚生活で

一度もやったことがないので照れ臭かったが。ハハハ。

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心身ともにかなり疲れました。

しばらく(とりあえず、9日まで)休みます。


by toruiwa2010 | 2017-07-05 08:17 | 芦屋から | Comments(4)

6月30日、東京に帰ってきた。

そう、5ヶ月暮らした芦屋のマンションを引き払った。

予期せぬ出来事があって、予定を繰り上げた。

いろいろなことが起き、ローラーコースターのような“激動”の

芦屋暮らしだったが、最後の3週間もめまぐるしかった。


613日の深夜、強烈な胸焼けで目が覚めた。「初めて行った

焼肉がいけなかったんだ」と直感した。そうではなかったが。

翌日から3日連続で大事な用件が控えていたので焦った。

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14日、司法書士が兄の病室に来て、マンション売却の意志と

事務的な手続きを私に任せることを最終的に確認。

15日、兄は2ヶ月の入院を終えて施設へ転院。

16日、3月末に購入したが、一度も住むことなく売却した

マンションの“決裁”。

…体調が悪いまま、なんとか乗り切った。


17,18日は兄の見舞いに行かなかった。体調のこともあったが、

いずれ、私が東京に帰ったら、1ヶ月か1ヶ月半に一度しか

来られなくなると思うので“見舞いがない”状態に慣れてもらう

必要があると考えたからだ。

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19日は少し緊張して新しい施設に赴いた。

保証人を二人求められていたが、“二人目”に苦労し、妻の妹に

頼み込んで何とか体裁を整えてあった。

ここには書かないが、もう“一件”あって、兄の入所については

すべての条件を満たしていない状態だった。

「これではお兄さまを預かれない」と言われるかもしれないと

覚悟していた。その場合は、費用は高いが、施設が整っている

企業系の施設に再転院になるなあと。


さいわい、病院側に事情を説明し「何かあったら、私が責任を

持つから」と約束することで了解してもらうことができた。

見学のときから、病院と私の間に信頼関係があったからだ。


…やれやれと思ったその夜、ふたたび、胸やけに見舞われた。

前回よりひどかった。

0時を回っていたが、タクシーを呼んで救急外来に行った。

いろいろ検査してくれたが、結論は「朝一番で消化器内科を

受診してほしい」だった。

帰宅は午前2時だったが、横になっても眠れなかった。

一睡もできないまま、4時になるのを待って妻に電話をし、

来てくれるよう 頼んだ。


21日、指示通り、朝一番で病院に行くと、予約されていた。

あ、病院は つい先日まで兄が世話になっていた芦屋病院だ。

世間は狭い…という話じゃないか。ハハハ。

採血され、腹部のCTを撮られた。その結果、肝臓に小さな

影があると告げられた。か、か、肝臓!?

予想しない角度からボールが飛んできた気分だった。


肝臓の件は早く結論を得た方がいいと医師が言うので、翌日

造影CTをやってもらうことにして帰宅した。

このとき、翌週に胃と腸の内視鏡検査をやることも決めた。

胸やけの方は、妻の手料理のせいか、処方された薬のせいか、

その夜はよく眠れた。


しかし・・・。

22日の深夜、みたび 胸やけが襲ってきた。

23日、病院に行った。予約がないのでずいぶん待たされた。

しかし、クスリを変えてもらったことで この日から胸やけは

おとなしくしてくれているし、なによりうれしかったのは、

前日撮った肝臓の造影CTの結果が問題なしだったことだ。

いまさら、“肝臓”と言われたって、困るし。ハハハ。


*プロフィル用の写真を変えました。

 後ろのマンションに5ヶ月住んだ。


つづく・・・


by toruiwa2010 | 2017-07-04 08:17 | 芦屋から | Comments(2)

・・・つづき


翌日、銀行に行って話をしました。

窓口の若い行員は誠実に耳を傾けてくれました。ほかの用事を

済ませてから銀行に回ったため、話の途中で3時を回りました。

銀行の中にいて正面のシャッターが下りるのを初めて見ました。

彼はそのあとも本社の法務部ともやり取りをしていましたが、

この日は結論が出ず「行内で検討課題とさせてほしい」という

ことになりました。


数日後、電話がありました。最初の行員ではなく、数年前から

兄の“担当者”になっている人でした。

会話の中に思いがけない言葉がありました。“弁護士ではなく

私が兄の代理人になる”可能性をにおわせていました!

確認すると、その通りでした。


突然、道が開けました。…は正確ではないかもしれません。

この“道”は初めからそこにあったのですから。

高齢だったり、身体が不自由だったり、理由はともかく 本人が

銀行の窓口にいけないとき、誰かを代理人に選任する制度です。

私は銀行の窓口で何度も「方法はないか?」と尋ねましたが、

この話は一度も出ませんでした。行内で情報が共有されていない、

簡単には教えないというポリシーがある…どちらか不明ですが、

優しくないですね。超高齢者はこれから増えるばかりなのに。

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どちらにしても、トンネルの出口が見えたのですが、手放しでは

喜べません。超えなければいけない“壁”があるのです。

行員が兄の病室に来て私を代理人と認めるのを確認したうえで

書類に必要事項を記入してもらわなければなりません。

目が不自由な兄は書くことが苦手です。しかも、住所氏名は

いいとして、口座番号を小さい枠内に書くのは“至難”です。


祈るような気持ちでその場に立ち会いました。

幸いなことに途中から加わった彼の女性上司の判断もあって

残りの部分は私が書きこむことでOKになりました。

2日後、行内の審査を経て私は正式に兄の代理人になりました。

兄の口座にある預金を私が動かせるようになりました。

この日飲んだビールのうまかったこと!


その後、転居を予定して購入したばかりのマンションを売った

代金が振り込まれ、兄が施設に入るための費用、さまざまな

場面で生じる支払いなどに対応する資金面は万全になりました。

このときを含め、芦屋病院に入院中の兄のもとには、3組の

訪問者がありました。見舞いではなく“ビジネス”のためです。

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まず、証券会社の担当者。

兄が施設で過ごす期間は超長期になる可能性もあります。

備えとして、動かせる金を“最大限”にしておこうと考えました。

兄の同意を受け、証券を売って銀行口座に移すことにしました。

この“作業”にも、担当者が立ち会ってはっきりと意思表示を

しなければならないのです。


しかも、病室での面談中に本社のしかるべきセクションから

かかってくる電話に出て「第○○回の○○債権・○○口を

売ります」と言わなければいけないのです。記録に残すためだと

言われました。

耳が不自由な兄には とても難しいだろうと思いましたが、

「やってみる」と言うので実行に移しました。

このときも、担当者に同行した上司が、目の前で兄の意志を

聞いたからということで“電話”での確認は免除されました。


最後は司法書士の来訪でした。マンションを売ったときです。

購入したのは3月末でしたから、兄はまだ自力で歩き、面倒な

書類にもなんとか書きこんでいました。

しかし、転売したのは入院後でしたから、手続き的なことは

私が代行しました。5月末、売買契約書にサインする前日に、

司法書士は買い手に頼まれて“売る意志”と“弟を代理人とする”

ことを確認しに来たのです。

兄は明快に意思表示をしました。しかし・・・


これで終わらないのです。

それからおよそ3週間後の614日、ふたたび、司法書士が

やってきました。翌日には兄の転院、翌々日には売買の決裁が

予定されていました。用件は“最終的な意志確認”です。

あきれました。


たった3週間で売る意志がなくなったり、私を代理人にさせる

気がなくなったりするもんか。それとも何か。

あんたは、遺言書を作ったら死ぬ間際に意思を確認するのか!

…と毒づきたくなりました。もちろん、豊田真由子じゃないから

口には出しませんでしたが。ハハハ。


担当者は仕事としてやるべきことをやっているにすぎません。

多額の金銭が絡んでいるのですから念には念を入れ…というのも

理解できます。

しかし、相手をさせられたこの数カ月で、私の神経はすっかり、

すり減ってしまいました。トホホ。


by toruiwa2010 | 2017-06-30 08:15 | 芦屋から | Comments(0)

兄が急性肺炎で入院したのが417日です。

そのあと、実にさまざまなことがありました。

まず、入院が長引きました。その結果、足の筋肉が失われ、

自力で歩くところまで回復できないだろうと告げられました。

加えて、食べものを呑み込むのが困難になり“誤嚥”の可能性が

高くなった…などの理由で一人暮らしが絶望的になりました。


私はその“対策”に追われました。

24時間の介護が必要…となると 施設に入れる必要があります。

安心して任せる施設を探すのですが、兄の場合は“介護認定”の

申請から始めなければなりませんでした。入院した芦屋病院の

看護師長からはこれまで申請していなかったことが不思議だと

言われてしまいました。(1ヶ月後、“要介護5”と認定)


そして、同じ経験をされた方は多いと思いますが、兄のような

“超高齢者”たちに共通する大きな問題は資産の管理です。

私が2月に芦屋暮らしを始めてからいろいろ話をするうちに、

兄がかなりの資産を持っていることが分かりました。

「それだけあるなら、ちゃんとした施設に入ればいいのに」と

訴えましたが、このときは 首を縦に振りませんでした。

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しかし、入院し、厳しい現実を知って 兄も覚悟を決めました。

施設に入るためには金がかかることも理解しました。

3月ごろから私が通帳と印鑑を預かっていましたが、「それなら

難しいことなどないじゃないか」などと言わないでください。

そんなに簡単な話じゃないんです。ハハハ。


キャッシュカードはあるのですが、暗証番号が分かりません。

そんなはずはないのに「登録していない」と言い張ります。

暗証番号の登録なしにカードが発行されることはありません。

使う機会がないまま忘れてしまったのでしょう。

本人の誕生日や両親の誕生日など、考えられる4桁の数字を

いくつか紙に書いて 見せましたが、思い出せないのです。


そうなると、本人が窓口に行かなければお金は動かせません。

何度も銀行に通い、事情を説明し、「本人不在で動かす方法は

ありませんか?」と尋ねましたが、答えはいつも同じでした。

困り果てました。これでは、資金はあるのに、しかるべき施設に

入れることができません。当初 考えていた施設は莫大な費用が

かかります。当面は私が立て替えることも可能ですが、期間が

長引けば対応できません。私たち夫婦の“今後”も考えなければ

ならないからです。

冷たいようですが、私には妻に対する責任もあります。


“成年後見人制度”を思い出し、弁護士事務所に相談に行きました。

…私が兄の後見人になることを考えていましたが、無理でした。

そのためには、兄が認知症などのために判断能力がないことが

“条件”になります。目はほとんど見えず、耳もとても遠いですが、

判断力は正常です。家庭裁判所の目をごまかす自信はありません。

ハハハ。


次に、兄が弁護士と契約を交わして、弁護士に兄の財産を管理する

“代理権”を持ってもらう…という方法がうかび、その方向で銀行と

話してみることにしました。


つづく・・・


by toruiwa2010 | 2017-06-29 08:20 | 芦屋から | Comments(0)

食べ歩き…と書けば 食通orグルメがおいしいものを求めて

レストランや居酒屋をうろついている印象があるが、違う。

この年で単身赴任の私の場合は、バランスのとれた食事を

摂るためだから、ある意味 必死だ。どんなにおいしくても

味が濃かったら、行く回数は限られる。土地柄で しばしば

出くわすめっぽう高い店も同じだ。


5ヶ月を超えたから、さすがになじみの店が何軒かできた。

和食の“鈴(ベル)”魯耕(ろこう)”は週に一度は魚を食べろ

との妻からの厳命を守るために通っている。

5時開店が有難い家族経営のは家庭の料理が食べられる。

全権を掌握して切り盛りするおかみさんとそれを補佐する

娘さんはすぐ近くでスナックも経営しているようだ。

味もまずまずで、一時は毎週 通った。

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“魯耕”は5時半開店だから、東京にいれば4時半には食事が

終わっている我が家にはちょっと厳しいが、おいしいので

月に一度は訪れる。ここの“名物”は土鍋で炊く銀シャリだ。

ただし、少なくても2合を炊くから、夫婦で行くときしか

注文できない。炊き立てのこのご飯に厳選された生たまごを

かけると最高なんだけどなあ。ハハハ。

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50歳ぐらいの小柄なおやじさんがキッチンを仕切っている

こじゃれたピザ屋を見つけた。LIBERTE(リベルテ)だ。

店の内装や食器類に店主の“こだわり”が見える。使い込んで

いい感じになっている調理器具を眺めるだけで楽しい。

月に数回、一人でやってくる超高齢の客をそっとしておいて

くれるのも嬉しい。


電気窯で焼くピザは普通の店のものとは一味も二味も違う。

薄くてパリパリ…お菓子感覚で味わえる。

電気で焼いたものはあまり好きではないのだが、この店のは

“クセ”になる。数少ない経験の中では最高にうまい。特に、

ピザもいいけどこってりしたのは苦手という人にお勧めだ。

ほうじ茶味のプリンがあったら食べなきゃ損だぜ。ハハハ。

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この街で出会った最高の店はトラットリア“ALLEGRO”だ。

たしか、この辺にイタリアンがあったはずだ…と歩いていて

見つけた。外見は8年前と同じだが、経営者が変わっていた。

週末は開店と同時に予約客でいっぱいになる。家族で訪れる

客が多いから店内はにぎやかだ。カウンターの一人客には

その賑わいがうれしく、5月以降、ほぼ毎週 通っている。



ナポリ風の石窯で焼いたピザがストライクゾーンの真ん中に

ズドーンと入ってきた。東京でよく出かける店にくらべると、

サイズが一回り大きくて 一人で食べるのは厳しい。前菜から

うまく量を調節しないとえらい目に合う。ハハハ。

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マルゲリータとクワトロ・フォルマッジが気に入っている。

トッピングの多いものは苦手なのだが、6月に入って注文する

ようになった“マルゲリータ 生ハムとルッコラ“は絶品だった。


ほかの客は知らないが、私がこの店で一番気に入っているのは

“インサラータ・ミスタ(ミックス・サラダ)”だ。ボリュームが

たっぷりで、妻のもうひとつの指令「野菜を食べてね」への

文句のない回答になる。これだけを食べさせてくれるのなら

一日おきにでも通いたいくらいだ。


私の限られた経験では食べたものに“はずれ”はなかった。

店の雰囲気、ホール・スタッフの接客にも文句はない。


ドルチェも、どれもおいしかったことを付け加えておく。


諸事情により、明日は更新を休みます。


by toruiwa2010 | 2017-06-27 08:17 | 芦屋から | Comments(0)

週明け、あまり書くことがない。

今週は、そのうちに…と書き溜めていた

“芦屋通信”をまとめて更新することにする。

推敲が足りていない。誤字脱字はご容赦を。


今日のディナー

メインは竹園のコロッケとメンチカツ

タコ唐草の皿にのせてレンジ30

ホイルで軽く包んでトースター 1分?

レタス、ルッコラ、ミニトマトのサラダ 

サトウのごはん 1/2      以上。

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“料理”をするのでビールはその前に飲み切った。


コロッケ、メンチカツは75

もっとホットに仕上げれば違うと思う。

サラダは90点 優等生だね。

これは外食のときもできるだけ作って食べるよ。

サトウのごはん…おいしかったという記憶が間違いだったね。

まだ、あるので、ふりかけなどでごまかしながら食べきる。


明日はスパゲッティを作る予定。


これからお兄ちゃんのところをのぞいてくる。

昼間から、見守り携帯には反応するけど、玄関のピンポンや

電話に出ないんだ。

では、では。             TO 17/02/03


今日の朝食

トマト、ヨーグルト

ホットサンド(チーズ+ハム)

目玉焼きを乗せる予定だったけど、油をひかなかったため

うまく剥がせなくて断念。

要領が分かってきたら、レタスも乗せる。

ハムとチーズが“ベスト”ではなかった。 TO 17/02/04

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1月末、一緒に芦屋に来て私の一人暮らしが軌道に乗るまで

手伝ってくれた妻が東京に戻って行った夜と翌朝のメールだ。

一定の決意をしてきたのだから、このころはちゃんとしていた。

それから5ヶ月が過ぎようとしている。


昔の人は“初心忘るべからず”と言ったが、諸般の事情があって

残念だが、初心はどこかに行ってしまった。ハハハ。

“気持ち”はあるし、時間がないわけではないのだが、精神的に

疲れることばかりで、お惣菜でごまかすことが多くなった。

当初は“週2回”と決めていた外食が“週3回”になり、最近は

4回になることもある。あと少しだからいいかと。

調理器具も調味料もしっかり持ってきたというのに情けない。


4月中旬から毎日欠かさず兄の病院を見舞ってきた。

病院は芦屋の山の上に立たっているから、よく晴れた日には

大阪湾を挟んで、遠く紀伊半島が見えて気持ちがいい。

ただし、年寄りが歩いて通うのはきつい。行きはどうしても

タクシーを頼むが、帰りは途中で買い物をしながら40~50

かけて歩くようにした。汗をかかないようにかなりゆっくりと

歩いているが、いつの間にかびっしょりになっている。

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5月ごろから“悪い習慣”が定着してしまった。

早めに帰宅したときには昼間からビールで乾杯するのだ。

P チーズ、ナッツ、ノリなどを肴に350mlのスーパー・

ドライを楽しむ。6月に入ってから、これにハーゲンダッツの

ミニアイスクリームが加わった。マカデミアナッツ、うまいね。


外食と決めている日はほかにもうやることもない。

知らぬ間にたまったストレスを解消するには このささやかな

“酒盛り”は最適だね。

そんなわけで、週に一度のペースで6パックを下げて芦屋の

坂を登って家に帰る。“楽しみ”のためだから苦にならない。

ハハハ。


by toruiwa2010 | 2017-06-26 08:04 | 芦屋から | Comments(2)